美菜浜にも冬は訪れる。
冷たい海風に身を震わせる日も多くなるが、それでもやはり温暖な地域だ。この時期でも由緒ある寺社への観光客が美菜浜を訪れ栄月館も忙しいが、今日は休業日。
小春日和の縁側に並べた綿布団は、陽光を吸い込んでふんわりと膨らんだ。
「おじゃましまーす」
威勢のいい声の方向に目をやれば、漁から帰ってきた幸太が大きなクーラーボックスを提げてやって来たところ。
「ご注文の品、お持ちしました〜」
「ありがとー。わぁ、すごい量」
「漁師先達からの差し入れもあるんだ。何せ、栄月館の双子が二十歳になるんだからな。めでたいってみんな喜んでた」
高校卒業後、栄月館を出て二人で暮らし、それぞれの進学先へと通っている二葉と三咲も冬のはじまりのこの日に二十歳を迎える。その祝いのために、二人は今日帰省するのだ。
「しかし、二十歳を迎える青少年が自分らの誕生日のためにわざわざ帰省するかね」
呆れた風を装いながら上がりこんだ幸太は、仏壇の前に座って手をあわせている。
「可愛いよね。朝子叔母さんの前でお祝いしたかったみたい」
誕生日の帰省を言い出したのは双子の方で、一臣は面倒そうに顔を顰めて見せたが仏壇に暫し目をやって、まぁ感心してやることかななどと嘯いていた。
仏壇を振り返ると、居間と厨房を区切る暖簾が僅かに揺れていた。日々是好日と染め抜かれたそれは、朝子が好きだった言葉だ。一臣が二十歳の時に光子に注文して贈ったのだと言う。
毎日が彼女の好きな言葉の通りにはいかないが、今日の双子の誕生日があたたかなものであるのなら、そういった日々が積み重なって人生是好日と微笑んで最後の瞬間を迎えられるのかもしれない。
「家で二人の帰りを待ってると嬉しくてソワソワするの隠さないといけないから、わざと用事見つけて出ていっちゃったカズちゃんも可愛いけど」
幸太が肩を震わせる。
「俺らの成人した時は面白かったな。親は俺らのことだから式の後にダチと飲みにでも行くもんだと思ってたんだろうけど、どいつもこいつも晩飯前には家に戻って、親と飯食ったんだ。親父と酒飲んで、お袋に酌してもらって」
自分達を育んだ地域と家族へ対する感謝の気持ちを忘れない彼ららしい行動だ。
普段、照れ隠しにしても呆れるほどぶっきらぼうな態度をとるくせに、時々面食らうほどストレートな態度と言葉で感謝の気持ちを示す。きっとどの家庭でも、親達は泣くもんかと奥歯を噛み締めたに違いない。
「春海は、どんな二十歳だった?」
細くなった目に覗き込まれて、春海は僅かに仰け反りながら過去を振り返る。
「俺は……、気が付いた時には二十歳過ぎてたなぁ。勤めてたお店の経理してた人が、年末調整する時に書類見て教えてくれて、それで気付いたんだ」
「そっか。春海は独り立ちが早かったんだもんな」
「流されてきた感じだったけどね。あぁ、でも、料理屋のご主人が、一ヵ月後くらいに名前入りの包丁くれたんだ」
「お、料理人って感じだな」
「遅くなったけどって言いながらくれたの、嬉しかったな」
自分が生まれて二十年経ったことを祝ってくれる人がいた。自分は不幸ではないと思って、気持ちが少し前向きになった。あの包丁は、今は栄月館の厨房で毎日使われている。
そうか、と穏やかな相槌の後に数秒の沈黙。観光遊覧船が出航するため、汽笛を鳴らす。
「カズが、春海の二十歳の誕生日だって日に言ってたんだけど」
雲ひとつない冬空を、随分内陸まで飛んできたカモメが横切る。
「昔に戻ることができたら、一人ぼっちでいる小さな春海の手を繋ぎに行く。そうしたら二十歳の春海は、笑って誕生日迎えてくれる気がするって」
もしかしたら一臣は、タイムマシーンに乗って幼い春海に会って、迎えに行くよと約束したのかもしれない。だから自分は再会の日まで生活できたのかもしれない。
離れていた時間、この美菜浜で一臣は自分の幸せを願っていてくれた。一臣はあまりに広い懐を持って、春海が抱えていた孤独な空白時間すらも救済してしまうのだ。
春海は息を整える。美菜浜の空気を吸って、今の自分が立っている場所を確かめる。そうでなければ声を放って泣いてしまいそうだった。
「俺は昔に戻れたら、小学二年生の文集で二十歳になったら幸太のお嫁さんになるって書いた光子に縋ってでも結婚してもらう」
春海の心情が手に取るようにわかっているのだろう、幸太はそんな風に話を逸らしてくれた。
「で、俺は来年、光子にプロポーズしようと思う」
「本当にっ?」
そして滲んだ涙を引っ込ませる爆弾宣言をかますのだ。
「二葉と三咲が二十歳なら、俺らは三十。光子の賞味期限もごまかしが効かなくなるからな。俺もいい加減、生煮え男から卒業したい」
「絶対に頑張ってよ!」
「容赦のないプレッシャー、ありがとよ」
力む春海の声に向けた顔が苦笑であったから、これは来年こそはと言う誓いも危ういのかもしれない。
門前を見慣れたワゴンが横切って、暫くすると一臣が酒瓶を手に戻ってきた。
「おかえりー」
「ただいま。あいつら、まだ帰らないのか」
「さっき電話があって、三時くらいになるって」
「どこで道草食ってんだ」
不機嫌な声を出しながら、手にした酒瓶をわざわざ隣り合って座っていた春海と幸太の間に置く。
「幸太くんがみっちゃんにプロポーズするって」
「期待してねぇよ」
「俺を甘く見るなよ、カズ」
「二十歳の時にもこれとそっくり同じやり取りをしてるんだよ、生煮え男」
記憶が蘇ったのか幸太はがっくり項垂れて、覇気のない声で帰るわと告げた。
「来年こそ頑張れ、幸太!」
「そうだよ、みっちゃんは待ってるよ!」
背中にかかった激励にヒラヒラと手を振って、愛車の軽トラをトロトロと走らせて帰っていく。
「さて、どうなることやら」
幸太が座っていた場所に腰を下ろすと、一臣は酒瓶を背後にずらしてしまう。先ほどの春海と幸太の間の距離よりはよほど近い。
冬は、太陽がどれほど暖かい光を注いでくれているのか実感する季節だ。雲間から太陽がのぞく度、全身が温もりに包まれる。
穏やかな空気に身を浸し、春海はことりと首を傾げて一臣の腕に触れた。陽光に一臣の視線が混ざったものが注がれる。
「自分が二十歳になることも想像できなかったのに、二葉と三咲が二十歳になるなんて、信じられないな」
「直に四恩も成人する」
「昔は歳とることなんて、なんとも思わなかったけど」
「ん?」
「最近は、ここで過ごした時間が増えたんだって思える」
煙草を探ろうとしていた手が方向変換して春海をすっぽり包んだかと思うと、そのままごろんと縁側に干していた布団に転がった。
強く抱きしめたまま無言のままでいる一臣の態度に芯から温められるようで、春海は腰を抱く腕に手を添えて力を抜いた。
栄月館の縁側の前に、二葉と三咲が立っている。
家庭の事情を言い訳に渋々部活を早退した四恩が怪訝に思いながら近付くと、足音に気付いた二人が振り返る。
今日、二十歳をむかえる兄二人は随分と精悍な顔つきになっている。
「ただいま。おかえり」
「おかえり。ただいまー」
「何してんの?」
「呆れてんの」
二人の間を覗き込めば、縁側に広げた布団に転がっている長男と従兄弟の姿がある。
「なんか、俺らが家にいた頃に比べてあからさまじゃねぇの?」
「これでも抑えてる方なんだよ、カズ兄は。人前でいちゃいちゃするタイプじゃねぇもん。俺が見てる前じゃ絶対にこんなことしないよ。でも、新婚オーラが滲み出ちゃうんだろうね。ハルのことが好きすぎて」
溜息混じりに兄の弁護をする口調には諦めの色が濃い。
「兄貴達はハルに感謝しないと。ハルがいたから家出れたんだと思うよ。カズ兄は一番近くにあるもんを守るふりして、ぬいぐるみみたいに抱きしめて離せない人だから」
「……四恩、ちょっと老成したな」
肩を竦める姿も大人びてきた。
何にせよ、兄は幸せそうだ。余るほどの愛情を惜しげなく注げる人がいて、またその人が甘やかしてもくれるのだから。
脅威でもある長兄の顔をしげしげと眺めることなどそうないが、見下ろした寝顔は無邪気なものだし、儚げな印象が先立つ従兄弟も見ているこちらの口元が緩むほど心地良さそうだ。逞しい長兄の腕に締められると苦しいばかりなのだが、春海は自分達が知らない長兄の腕の優しさを知っているらしい。
それぞれの成長と兄と従兄弟の幸せを実感し合って、目配せをしてせーのと吐息で調子を合わて声を張り上げる。
「たーだーいーまー!!!」
少しずつ、自分達が大きくなって、家の中の配置が変わっていく。だけど今の大月家の状況は、母が描いていた未来予想図とそんなに大きな違いはないだろうと確信がもてる。
家族が集った時には、喧嘩しながらも笑えるのだから。
2010/1/3更新
Films 9周年に一話三題として、三つセットのお題を募集しました。
書き納めをしたはずの「ルーツ・コンプレックス」で書かせてもらいました。2009年、思うように更新できなかった中で蔵出しさせてもらった作品だったのですが、思いかけず多くの方に楽しんでいただけたようで、嬉しい手応えのあった作品です。