ルーツ・コンプレックス小咄
四恩と幸太


 四恩が怒っている。
「俺はっ、信じらんねーよ! あんなの最低だ!」
 長兄に似て短気なタイプだが、理屈を重ねるように怒鳴るのは珍しい。
「だって、ハルが見てるんだぜっ? その目の前で、見てるのわかってるのに、女子大生両手に侍らせてさ!」
 発端は夏休みにはよく見られる光景。
 栄月館のサービスの一つに、若旦那によるダイビングやシュノーケリング教室がある。
 若い泊り客には人気で、毎年それを目当てにやってくる若者も多い。客層はダントツで若い女性が多く、一頻り海ではしゃいだ後にはすっかり打ち解けて、帰り道には一臣の両腕は若い乙女の肌に温められて……と言う状況が多々あるのだ。
一臣が家業を継いでから毎年見られる光景に末弟が激怒するには理由がある。
 昨年から栄月館の板前として美菜浜で暮らしはじめた春海を生涯の伴侶と定めたらしい兄の、不誠実ともとれる態度が気に食わないのだ。
 そして、自分のもっともだと思う訴えに、下の兄達がまったく賛同してくれないことにも。
「フゥ兄もミィ兄も今更だとか言うんだぜ? ぜんっぜんっ、今更じゃねぇよ。ハルはカズ兄のこと好きなんだから、ハルが可愛そうだ」
 と、訴える先はその長兄の親友だが、こちらも反応が鈍い。
「まぁ、今更のような気もするけどなぁ」
「じゃあ、幸太くんは光子姉ちゃんが男と腕組んでるの見て平気?」
「……俺らの場合は、わざとそうすることもある」
「そんなんだから生煮え男とかチキンとかカスとか言われんだよ!」
「うるせぇガキだのー」
 ゴツンと骨がぶつかり合うような拳骨をもらいながらも、四恩は納得しない。
 痛みに呻きながらも睨んでくる少年に苦笑してしまう。
「大月兄弟の下三つは、それぞれ何を観察して生きてるのかわかりやすい」
「どういう意味?」
「四恩は一臣ばっかり見てるんだよ。だから一臣の態度が気に食わない。お前の理想の兄貴像とずれるからだ。三咲は春海を見てるんだろうな。だから春海が傷付いていないことを知っている。二葉は女の子達を見てるから、彼女らが本気でカズにアプローチしてるんじゃなくて、身近なアイドルに騒いでるだけだって知ってる」
「ハルが傷付いていないって、なんでわかるんだよ」
「笑ってるだろ。一臣が女の子に手ぇとられて帰って来ても。おかえりなさいって。ありゃ本妻の余裕と言うヤツですよ」
 お子様には難しい話ですかねーと、馬鹿にしたように頭を撫でる手を振り払い、四恩は長兄に似てきた顔を子どもっぽく怒らせる。
「そういう場面で、カズが女の子の腕振り払ったら、女の子達にとっちゃ楽しいバカンスが台無しだろ。ハイハイって適当に笑って相手してやんのが客商売ってもんなのよ」
 ふと視線をやった庭先では、春海が庭の花に水をやっている。
 車のドアが閉まる音がしたかと思えば、噂の長兄が一仕事終えて戻ってきた。
 グラスボードのヘルプに入ったと言っていたから、サービストークと爽やかな笑顔で観光客を楽しませてきたことだろう。
 おかえり、ただいまと、穏やかな挨拶から。
 そして一臣の手は無造作に春海の顔へと伸び、少し伸びた髪の毛をかき上げてやる。
 汗を拭うような仕草を見せて、何か囁く。
 二人の間でクスクスと笑いが起こり、春海の横顔が甘えた色を僅かに滲ませる。
 その視線を当然のように受け止める男の大きな手は、ぬいぐるみを手放せない子どものように春海の髪の毛や頬をなぞっている。
 需要と供給のバランスがこれほど取れている二人もいないと思うし、見習いたいとも思う。
「四恩は知ってるか?」
「何をさ」
「お前の兄貴、あれで案外と好き嫌いが激しくて、自分のものだと思うもんにしか自分から手を出さない。喧嘩にしても、殴るにしても、ハグにしても、チューにしても、エッチにしても」
 兄貴の恋愛傾向を話題にするくせに、頬を赤らめた青少年は幸太の視線に気付いたらしい。
 庭に顔を向け、息を飲む。
 体のでかい兄貴が甘えるように春海の額に己の鼻先を寄せ、近すぎる距離はやがて口付けを生む。
「四恩、知ってる?」
「……な、にを」
「こういうの、野暮って言うんだぜ」
 幸太がパチンと小気味よく指を鳴らす。
 驚いた春海が持つホースが空を仰ぐついでに一臣の顎をしとどに濡らし、怒れる長兄はずぶ濡れのまま向かってきた。
「ちょっ、今のっ、今のは幸太くんが悪いんだからな!」
「馬鹿野郎、お前に人生の酸いと甘いを教えてやったんだろうが」
「四恩! お前、ちょっとこっち来い! 逃げんな、コラ! 幸太も素知らぬ顔で済むと思うなよ!」
 兄貴の愛の拳骨を受けながら思い知れと幸太は笑う。
 愛なんて目に見えないけれど、案外と確かなもんなんだぜ。



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