大切な貴方へ10の言葉
02:ハナシタクナイ



 野球の地方大会決勝の舞台に母校が立つ。
 なんとも嬉しい話だねと、美菜浜に一つしかない公立中学校出身者は相好を崩す。つまりはまぁ、この美菜浜で生まれ育った人間のほとんどなわけだが。
 町をあげての応援をと、大応援団はバスをチャーターして会場となる隣県まで押しかけた。
 まるで野球アニメの主人公のような王道を行く甘い顔立ちのピッチャーは土産物屋の次男坊で、これが好投を見せた。
 攻撃の要は栄月館の四男坊。体は小さいが勘の良さが生きるのか、スラッガーとして名を馳せているとは本人の談。ともかく四番に名前を刻み、堂々とバッターボックスに立った。
 順調に勝ち進んだ中国大会、決勝まで登り詰めるまでにホームラン四本と、本物を予感させる活躍のオチは、後攻美菜浜中は三対二で一点を追いかける決勝戦9回の裏ツーアウトでフルカウント、ランナーなし。
 大月四恩がチームを勝利に導くためには、スラッガーとして期待される最大の仕事、ホームランのみ。
 舞台は綺麗に整いすぎて、駆けつけた地元応援団の長老方には心臓への負担が大きすぎるように思えた。
 兄達は身を乗り出し、息を詰めた。
 ピッチャー振りかぶって、男らしい勝負の一球、どストレートを叩き込む。
 バッターは渾身の一球に全身全霊で挑む、フルスイング。
 ストライクバッターアウト。
 高らかに宣言されたゲームセットを聞いた瞬間、マウンドでは喜びの輪が生まれた。
 ベンチは項垂れ、ただバッターボックスに立ち尽くす四恩だけが空を見ていた。

 祝賀会は慰労会に名前を変えたが、春海がその日の夕食にのぼらせたのは四恩の好物ばかりだった。お子様味覚な四恩のための食事は酒飲みには食いつきにくいメニューではあったが、たっぷり用意されたそれらは綺麗に食された。
 お疲れ様の乾杯に四恩は俯き加減ではあったが参加して、いつもより口数は少なかったが春海の料理を美味いと言ってしっかり食べた。
 慰めの言葉は家に辿り着くまでに五万ともらってきたであろう末弟に対して大月家は容赦がないから、あそこで打てばヒーローだったのにと苦情がぶつけられた。四恩は苦笑して、それは誰よりも自分が一番感じていたんだと、抗議の声を小さく上げた。
 風呂は最後でいいからと、一人庭に出た四恩のスイングする音が聞こえる。春海が縁側に覗くと、ちらりとこちらを振り返ったが無言のままバットを振る。そのまま両者無言のまま、静かな時間が過ぎていく。
 風呂から上がった双子は、特にからかうこともなく自室へ引き上げていった。
 黙々とバットを振る末弟の背丈は、先日ついに双子を抜いたらしい。双子は揃ってなんとも言えない顔をして、勝ち誇ってはしゃぐ四恩を睨み付けていた。四恩は顔だちだけではなく、肩幅も体の厚みも長兄に近付きつつある。
 長く美菜浜を離れていた春海の中にいた四恩は、まだ小学校にあがる前だった。幼稚園の黄色い帽子を被って、春海が軽々と抱っこできる男の子だったのだ。兄達に泣かされては、ハルハルと泣きながら自分に縋ってきた男の子。
 あまりにも大きくなってしまった従兄弟を見つめていると、四恩がスイングのリズムを途絶えさせた。
「飽きない?」
 目尻を若干下げて笑いかける。この困ったような笑みは四恩特有のもので、一臣は決してこんな笑い方をしない。末っ子の甘えが僅かに滲む。
「気が散った?」
「そんなことないけどさ」
 右肩をあげて汗を拭うのにタオルを渡してやる。滴るほどの汗を拭いながら、悔しいなぁと呟いた。
「あそこでホームランだったら、かっこよすぎるよ」
 陳腐な慰めだと、口に出してから春海は後悔した。
「それでも俺は、打ちたかったよ」
 かっこよくなりたかったのではなく、ただ打ちたかった。
 タオルで顔を拭いながら吐露された言葉に込められた思いを、春海は自分の知っている感情におきかえる。
 愛されなくてもいいから、傍で生きたかった。
 そう思うと四恩の思いがあまりに愛しくて、じわっと目の奥が痛くなる。
「泣くなよ、ハル。俺がカズ兄に殺されるだろー」
 ますます目尻を下げた優しい笑みが、しゃがんだせいで春海の目と同じラインにある。
「ほんっとに、四恩は、カズちゃんに似てきちゃったなぁ」
 中学三年生に慰められるのが面映く、つんつんと手の平に刺さるようなスポーツ刈りの頭を撫でた。
大人しくされるがままだった四恩だが、一転してガキ大将のような顔つきになる。
「じゃあ俺にしなよ。俺の方が若いし、たぶんカズ兄よりも優しい」
 まだ少年と言い切れる顔がぐっと近付いた。
「残念。優しいだけじゃ物足りないんだよね」
 指で押し返した額が、上からの衝撃を受けて沈んだ。
「ここぞって時にヒット一本打てない半人前が、間男なんて百万年早いんだよ」
「クソ兄貴!」
 拳骨を食らった四恩が顔を上げて、乱入者である一臣をにらみつける。
 昨日の夜あたりから奇妙に会話の少なかった長兄と末弟の久々のやり取りだった。
「四恩、何してもいいけど、ハルちゃんに下手に手を出さないでね。家庭内暴力は朝子が悲しむから。一臣も大人気ないことをしないように」
 普段、喧嘩の仲裁など滅多に入らない元幸がやんわりと注意を入れる。四恩が春海にちょっかいを出した場面を目撃して、これはいかんと思ったのだろう。
「「はーい」」
 二人そろって行儀の良い返事をして、
「上手に手を出しゃいいって話だったよな、今の」
「親父の放任主義は案外厳しいんだ」
 目を合わせないままに少し笑った。
 プレッシャーを与えてやりたくない長兄と、追いかける背中に振り返って欲しくない末弟と、お互いに思いあって距離を置いていた。
 普段、容赦のない兄弟喧嘩を繰り広げてはクソ兄貴だとか凶暴男だとか喚くくせに、二葉と三咲を上回る長兄への憧れを四恩は秘めている。二葉と三咲はもっと現代的だ。スマートで優しく、言葉で気持ちを伝えることができる。それが四恩にはできない。態度や行動で示すのだ。例えば、空振り三振でゲームセットを迎えたバッターボックスで、スタンドの家族を見上げるとか。
 弱音の数も減った。その分、奥歯で苦しいことも悔しいことも噛み締める。
 不器用な末弟の生き方を既視感を覚えながら見守っている長男は、より素直ではないので、焦るなよとか頑張ったなとか、そんな言葉は死んでも言えやしないのだ。
「それでも四恩は、かっこよかったよ」
 一番大事な場面で空気を咲いてバットを振りきった時も、下を向かずに仰向いて立ち尽くした時も、慰めの言葉も揶揄も全て受け入れて心を閉ざさなかったことも。
「カズちゃんの弟は、かっこいいよ」
 くしゃりと相好を崩して笑った瞬間、どっちがどっちだかわからなくなりそうだった。
「ハル、やさしいー」
 甘えて春海の胴を抱え込もうとした四恩の脳天に踵が落ちた。


2010/1/31更新
このシリーズ、思いの外たくさんのあたたかいお言葉をいただけたので、打ち止めと言いつつ調子に乗ってお題挑戦など始めてみました。蛇足になる可能性に怯えつつも、現在の喜びを創作で表現する気持ちよさには抗いきれず(笑)登場人物の多いシリーズなので(BSシリーズも多いけど)、色んな組み合わせで会話させてみたいと思います。
四恩は時に長兄を脅かす男らしさを身につけていく予定。

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