大切な貴方へ10の言葉
10:愛してる



 海開きを目前に控えた美菜浜を、地元の若者達が占拠する夜がある。
 本格的な夏になれば海水浴客のための浜となる自分達の町の一部を、シーズンオフの一夜のみ自分達のものにするための寄り合いは、真昼間から始まって翌日の夜明けまで続く。
 U字溝で整えた簡易のバーベキューセット、業務用のかき氷機、クーラーボックスから溢れ出すビール缶、手持ち花火が時折パチパチと輝いては消える。関係者以外立ち入り禁止の浜辺には、気心知れた友人達が思い思いに過ごしている。
 その会場の隅のポリバケツに、真っ赤な物体が盛られている。
 百本の赤い薔薇だ。
 つい一時間ほど前、真紅の薔薇を抱えた幸太がハンドマイクを手にプロポーズをかました。
 恐ろしいほど唐突で、何の前触れもなく、一臣でさえ度肝を抜かれた。
 盛り上がっていた会場が一瞬で静まり返る中、光子は確かに一つ頷いて、「遅い」と幼馴染の生煮え男を詰った。
 喝采に包まれた会場もようやく落ち着きを取り戻し、渡された薔薇のどでかい花束は色気の欠片もないポリバケツに一時避難として活けられた。
 祝福と賞賛とアルコールを浴びせられた幸太は、本日決行の動機を語る暇なく泥酔して、今はブルーシートの真ん中で大の字になって伸びている。待ち詫びて待ち飽きたプロポーズを受けた光子は、女友達に囲まれて笑っている。見慣れぬほどあどけない可愛い顔は、幸太が導き出した表情であることには間違いない。
 男友達が心配するのは、式の日取りや内容や、幸太と光子が一人っ子同士であると言うことではなく、泥酔した時に幸太が時々記憶を飛ばす、そのことだった。
「まぁ、大丈夫だろ。ちゃんと証拠が残ってる」
 真っ赤な薔薇はしおれてしまうかもしれないが、光子と幸太の指にはそろいの指輪がおさまった。とてもシンプルなそれらは、幸太のプロポーズと光子の受諾の証拠となる。
「幸太も旦那になるわけか」
「光子が妻ね。なんか、しっくりこねぇけど」
「暫くは通い婚だな。何にも変わらんかったりしてな」
「そういう的中率の高い予言は言わんといてやれ」
 泥酔の花婿を隠すようにブルーシートの端っこに連なり座る男達は、ひそひそと先を想像しあう。

「俺も花とか出した方が格好ついたか?」
 そのうち、ぽつりと独白のように呟かれた一臣の言葉の語尾は確かに疑問系で、それが自分に向けられていると春海が気付いたのは、返事を気にするように一臣が視線を寄越したからだ。
「は?」
「指輪とか」
 それが、一臣が春海に告白をした時の話だとようやく察して、春海は絶句する。この狭量な男は、親友の派手で驚愕のプロポーズを羨ましがっているらしい。
 この浜辺でこっそり結婚しようと告げた一臣の声のトーンも抑揚も、春海は頭の中で幾らでも再生できる。今でも夢ではないかと疑うことがある。幼い頃から変わらず優しい一臣が、恋人にするように伸ばしてくる手があってようやく、叶わないと覚悟していた恋の成就を思い知る。
「本気で言ってる?」
「若干」
 春海の左手をとって、何も身につけていない薬指を撫でる。男らしさについて古めかしいイメージを持つ一臣にとって、言葉だけの求婚は物足りないものなのかもしれない。
「要らないよ」
「……そうかー」
「不満?」
「……我侭を、言われたいね。お前から」
 ずいっと目を覗き込んでくる仕草は、若干酔っ払いの絡み方に近い。
「じゃあ、長生きして」
 軽く受け流すつもり半分、尽きない願い半分に答えれば、ひょいと片眉を上げて頬を軽く抓られる。
「煙草、減っただろー」
「貰い煙草が増えた」
 反撃すれば、誤魔化すように視線を外した。
「気をつける」
 それでもちゃんと春海の思いを受け取ってくれる。ささやかな、願いにもなっていないような願いの切実さを真正面から。
「うん」
 こういうところが本当に好きでたまらない。長く秘めた思いは隠れることばかり得意になって、なかなか一臣を満足させる言葉や行動として表現できない。少しずつでいいから、もっと自分にぶつけて欲しいと促してくれる言葉に沿おうと、後ろ手で体重を支えている一臣の右手に触れる。狭いブルーシートの上で偶然重なってしまったようにも思える接触を一臣は逃がさず自分の手中に納め、しっかりと春海と手を繋ぐ。
「いいねぇ」
 笑い出しそうな一臣の声に顔を上げれば、とびきり幸せそうな、甘ったるい笑顔が向けられた。
「お前がいて、美菜浜に夏がきて、こうやってみんな集まって、騒いだりプロポーズしたり。楽しいな」
 夜明け前の菫色に染まる時間の一秒一時を一臣は噛み締めている。
 この人の、時間の受け止め方が好きだ。目に映るものを愛しいと思う、心の動きが好きだ。この人が、楽しいと思える、この場所と時間が春海には愛しい。
「うん」
 短い相槌の声に込めた万感の思いを一臣は受け取って、くしゃりと相好を崩して笑ってくれた。

「朝、だ」
 背後で幸太がぽつりと呟く。
 早くも二日酔いの顔をしているが漁師の体内時計は正確で、みんなが促されるように目を向けた水平線に白い光が広がり始めた。
 夜明けがくる。
 砂を払い、みんながその場に立ち上がる。
 海と空の境から、太陽が顔を出す。生まれたての光を浴びながら、それぞれがその場で合掌し、祈る。この夏の安全と盛況を、家族の幸せを、平穏、健康、願いの成就を。
 わがままをしっかりと詰め込み終えたタイミングを見計らい、
「せーの」
 一臣の掛け声を受けての拍手が二回。
「よろしくおねがいします!」
 願掛けの間に完全に姿を現した太陽に向かい、深々と頭を下げる。
 若者達の付け焼刃の儀式を、早起きの老人達が散歩のついでに防波堤から見守っている。
「光子!」
 今年の寄り合いを盛り上げた功労者が婚約者の名前を呼ぶ。
 女子の輪の中で光子が振り返り、
「来い!」
 朝日の中でのラブシーンを演出しようと格好良く命じたはいいが、
「あんたが来なさい!」
 可愛い顔した幼馴染の厳命に飛び出した。
 数ヵ月後の花嫁に突進した幸太はそのまま海へとダイブして、浜からは喝采が沸き起こる。
 先が予見されるような夫婦の姿に笑わされていた春海も、突如腰から抱きかかえられて浜辺を突っ走る。春海を抱えて走る一臣の左手は、途中で掻っ攫われた四恩の襟首を掴んでいた。
 春海の視界に映るのは、友人達の笑顔と明るんできた空の色、そして輝きはじめた波、二葉に手を引かれてこちらに向かってくる三咲。
 最後には一臣の藍色のシャツ一色に染まる。




2010/9/17更新
地元を歩いたりドライブしてたら、あんまりにもキレイな景色に泣きたくなる時がある。

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