■ルーツ・コンプレックス小咄 美菜浜若年会編1/3
ラブホテル・竜宮城のオーナー:大介
「あ、春海さんだ。こんちわ。今日も可愛いっすね」
スーパーマーケットでカートを押していると、黄色い買い物かごを下げた茶髪の青年が駆け寄ってきた。
正直、あまり良い顔を出来なかった。
相手は美菜浜っ子御用達のラブホテル・竜宮城の若きオーナーで、一臣の後輩の大介だった。
つまりは、春海と一臣が知れた目的を持って時折訪れる、ホテルの。
「こ、んにちわ」
思わずぎこちない挨拶になってしまったのを気にした様子もなく、笑うと童顔丸出しの顔でニコニコしている。
一臣の一つ年下だから、春海よりも年上なのだが、一臣の連れだからと未だに春海をさん付けで呼ぶ。
大介の持つカゴには溢れんばかりのインスタント麺が入っている。
「夜食っス」
恥ずかしそうにカゴをちょっと持ち上げて、オススメだとカップをあれこれ手にする。
無邪気で、素直で率直で、恐れを知らない青年の手首に黒いトカゲが這っている。
一年中長袖を着ている彼の腕には、たくさんの刺青がある。本当に親しい人たちの前でだけ、彼は袖を捲り上げるのだ。
「大月の家は人数多いから、買い物も大変っすね」
春海が押すカートにはカゴ一杯に食材が入っている。
「しかもみんな、めっちゃ食うし」
この呆気羅漢とした顔で、深夜のラブホテルのフロントに立っている。
『気持ちよかった?』
『延長? 了解です。ちなみに今何回目?』
などなど、しれっとした顔で接客してもらいたいラブホテルのフロントで、最も触れられたくない話題に平気で触れてくる。そこにいやらしさが含まれないのがこの青年の凄いところだが、一臣が一々応えるのが春海には恥ずかしい。
俯いて、一臣のスニーカーの踵をじっと見てフロントの前を通り過ぎるので精一杯だ。
「今日はカズさん、一緒じゃないの?」
「あ、今は、ダイビングの指導に行ってます」
「相変わらず、忙しいっすね」
さすがにスーパーの通路で交わす会話は、ラブホテルのフロントで交わす会話のような際どさはない。
一臣はこの青年を可愛がっていて、弟達と同じようにどこか特別な情を持って見守っている。あいつは昔、悪かったんだぜとしみじみと話すことがある。
悪かったんだぜと言う言い回しは、大介の腕に彫られた刺青からも察することができる。そしてそれが昔話であることを、真夏の長袖と屈託なく笑いかけてくる彼の表情が教えてくれる。
「忙しいけど、前ほど無茶は減りましたね」
「そうかな?」
「そうっすよ。春海さんが来る前は、もっと酷かったですよ。ヘルプも来るもの拒まずで受けてたし、それに加えて夜遊びも激しかったから。ま、俺が言うなって感じだけど」
余計なことを言いましたと、はっとした顔をして自分の口を塞ぐ。
一臣がこの浜辺の町で絶大な信頼を得たのは、美菜浜の治安を危ういものにしていた暴走族の集まりに喧嘩を売って、追い払ったからだと聞かされている。
そして当時からやんちゃが過ぎた大介がその暴走族側に属していて、地元の住民に対して暴力を振るったことがあるのだとも、最近になって聞かされた。
今も大介に冷たい視線が向けられることもある。過去を咎める厳しい言葉を投げつけられることもある。けれど大介は言い訳をすることなくそれらを受け止めて、今の自分にできる償いを積み重ねる。
「暴走族ってね、抜けるの、けっこう面倒なんですよ。下手に仲間意識が強いからかなぁ。俺も抜ける時にはだいぶ揉めて、落とし前つけることになった時にね、カズさんと幸太さんが迎えに来てくれたんです。一緒に殴られてくれて、半殺しが三分割されて、どうにか生き延びてやってます」
自分の居場所を見つけられずにいた大介に、二人は閉鎖されたばかりの竜宮城を指差して言ったらしい。
『親に土下座してあのラブホを買ってもらえ。それでお前は、毎日毎日竜宮城の床を磨いて、美菜浜の出生率アップに貢献すりゃいいんじゃねぇの』
なので大介は毎日毎日、竜宮城の床を磨いている。
どこにでもありそうな安っぽいラブホテルだが、清潔感だけは大切に。将来、同い年連中に子どもができたとき、彼らが子どもに竜宮城でエッチしてできましたとすら言えるように。事実、近辺の小学生は夜になると色とりどりのネオンが輝く建物を、愛を育む城だと知っている。
地元青年の利用率が高いのには、そんな理由もあるのだ。
「世話になっといて言えたもんじゃないけど、無茶でしたよ。あの頃のカズさん。動いてないと死ぬんじゃないかってくらいだった。だけど今は、春海さんと一緒にのんびり歩くこともあるでしょ?」
それが嬉しいと笑う大介が春海は愛しい。一臣のことを思ってくれる人がいる。それが春海の気持ちをあたためる。
「元から優しい人だったけど、春海さんが戻ってきてからカズさん自身にも優しくなった気がする。カズさんが、春海さんと竜宮城に来てくれるのが俺はすげぇ嬉しいから、また来てね」
あまりにも明るく大介が笑うからつられて笑うと、可愛いなぁと頬をちょんと突かれた。
「大介くん、イエローカード!」
スーパーの通路での立ち話。突然飛び込んできた声に驚いて視線をやれば、二葉と三咲が立っていた。
「なんだなんだ、チビどもめー」
「いつまでチビ扱いしてるのさ。それよりも、今、ハルに触ったね?」
「なんだよ、いいだろ」
「いいわけねーじゃん! 大介くんの触り方はやらしーんだよ」
「二号に言われたくねぇよ! お前、あと一回でうちのポイントカード埋まるだろ! 千円引きだろ! どんだけご愛顧いただいてんだって話だよ! しかも相手コロコロ変えやがってこのエロガキが!」
「おありがとうございますって言う場面だろ! ばーかばーか!」
「ちょっと、恥ずかしいから二人とも止めてくれる?」
春海を守るナイトの如く二人の間に割って入ったかと思えば、随分と低レベルな言い争いが展開され、三咲が冷たくあしらっている。
「三号もこの前はご来店ありがとうございますだ」
「客のことぺらぺら喋ってると信用なくすよ!」
「三咲、彼女いるの?」
思わぬ情報に春海が食いつけば、三咲はほんのり耳朶を赤くしながら咳払いで誤魔化した。
「昔はこんなにチビっこくて可愛かったのになー。皮剥けて活用しはじめたら駄目だ。男子は可愛げがなくなる。あ、春海さんはずーっと可愛いまんまっスよ。美菜浜で一番可愛い人は春海さんだと思います!」
「いい加減にしないと、カズ兄にマジで怒られるよ。大介は油断ならねぇって最近よく言ってる」
「マジでか! 俺がカズさんの恋人に手ぇ出すわけないでしょ。春海さんはカズさんのもんだから可愛いんだよ。って、ちゃんと言っておいて、お前らから」
「もう遅いと思う」
敬愛する一臣の信頼が遠のいていることが辛いのか、いつになく真剣な顔で考え込んだと思ったら、ポケットの中からしわくちゃの紙切れを三枚取り出した。
竜宮城の値引き券。
「頼む!」
握らされた紙切れを暫く見下ろしていた双子は、ちらりと視線を交わすと矛を収めることにしたらしい。説得してみるよ、などと殊勝なことを言いながら、割引券を自分のポケットにしまっている。
「ほら、大介くんもそろそろ竜宮城の準備しないといけないだろ。行った行った」
「なんだよ、お前ら何しに来たんだ。俺にGPSでも埋め込んだか?」
「ハルが買い物に行く時間だから、荷物持ちに行けってカズ兄から連絡入ったんだよ」
カズさん優しい!などと感動しながらも、去り際に双子の頭をどうにか叩いてやろうと低俗な取っ組み合いを繰り広げている。
本当に彼は、一臣のことを慕っているのだ。
「大介さん」
名前を呼ぶと、はいはいと嬉しそうに返事をする。
「また、カズちゃんと行きます」
竜宮城へ。
羞恥に耳が熱くなるけれど、どうにか伝えたいことを言葉にすると、大介はくしゃりと相好を崩して笑う。とても無邪気に。
「お待ちしております」
乙姫のいない竜宮城には、美しいお姫様の代わりに愛を育むヒトを見守る竜宮の主がいる。
あとがき>ちょっと出しキャラが育ちやすい。
■ルーツ・コンプレックス小咄 美菜浜若年会編2/3
美菜浜マリンランドスタッフ:哲史
美菜浜の端っこに存在する白い建物は、昔は灰色のコンクリートで出来た水族館だった。
水族館と言うよりは水産研究所と言った方が適切なほどだったが、五年前にリニューアルされて白い波頭をイメージした屋根を持つ美しいテーマパークに生まれ変わった。傍らにはガラスの塔を思わせる植物園まで併設して、その美しさと館内の演出美が人気で安定した集客を誇り、美菜浜観光の一翼を担っている。
来月にはリニューアルから五周年を迎えるとあって、便乗イベントで一稼ぎしようと実行委員会が立ち上がった。
流行のB級グルメの屋台を出すにあたって、栄月館の板前に調理担当の白羽の矢がたった。
昼下がりの美菜浜マリンランドに関係書類を携えてやって来た春海は、打ち合わせの後、せっかくだからと館内を散策させてもらっていた。
はずだった。
エントランスホールにある巨大水槽の前に点在するソファーに体を沈めたのが悪かったのか、ここ数日メニュー考案に夜更かししたのが祟ってか、ついうとうととまどろんでしまった。
意識が浮上したのは、新にやって来たらしい家族連れの子供達が目の前の水槽に歓声を上げる甲高い声を聞いたからだ。
一瞬、ここがどこだかわからなかった。目の前の水槽と薄暗い館内の照明のせいで、水の中にでもいるのかと思ってしまった。
傾げていた頭を起こして状況把握に努めていると、隣から忍び笑いが聞こえてきてぎょっとする。三人掛けのソファーの端っこで眠ってしまった春海から一人分の空間を空けて、青年が長い足を組んで座っていた。
「おはよう」
眼鏡の奥の目がニコリと笑う知的な面差しに作業着姿がアンバランスだが、これが彼のスタイルだ。知らぬ人の横で眠っていたのかと身を縮めた春海だったが、
「哲史くん」
一臣の友人の出現にほっと胸を撫で下ろした。
「こんなところで無防備に寝てると、悪い人に食べられるよ」
「悪い人って」
「俺とか」
ちょっと冗談がわかりにくい。
一臣の周りにいる友人は、土着の野生児的な性質の青年が多い。上品やスマートといった言葉が似合わないタイプばかりだが、この哲史は少し異色だ。
子どもの頃から勉強ができる唯一の友人だったと一臣達は言う。成績はいいのだが、魚や貝の生態に異常な興味を示して大人顔負けの知識を持っている、いわゆる研究者気質の少年がそのまま成長して、今は大学で海洋学についての講師をする傍ら、美菜浜マリンランドの裏方も勤めている。アメリカの大学に留学していたという、一臣の友人とは思えない経歴を持っている。
一臣は同世代や後輩、年上からも一目おかれる人物だが、その一臣が尊敬しているのがこの哲史だ。テスト前に崇めていたらしい。
「哲史くんが悪い人なら、カズちゃんは魔王です」
「なんだ、喧嘩でもした? 寝かせてもらってない?」
春海が赤面するような物言いは、この知的な青年も一臣の友人であることを物語っている。
「喧嘩なんかしてません」
「そう? 仲良くしてやってな? あれでも無茶させた次の日なんかは反省して凹んでるんだ」
眼鏡が似合うあっさりとした草食系男子そのものの顔立ちに似合わない発言の数々から早く逃げてしまいたい。
話題を変えようと、春海は彼が目に入った瞬間から気になっていたことを告げてみる。
「哲史くん、疲れてますか?」
「俺?」
「隈ができてるから」
「目ざといね」
ひょろりと長い足を伸ばして立ち上がると、哲史は春海に手を差し伸べた。
疲労感は濃いのに、何故か喜びが溢れている。
「俺の疲労と上機嫌の理由を、特別に教えてあげるよ」
巨大水槽を背にした哲史はまるで海中の住民のようで、春海は暫く視線を奪われ、導かれるようにその手をとった。
館内のスタッフオンリーの扉から案内されたのはイルカの水槽だった。
ショー用のプールに近い、イルカ達の寝床だ。何人かのスタッフが哲史と同じような表情で水槽を見守っている。
「一昨年の晩、ナツミが出産したんだ」
哲史が手を振ると、青い水槽の中を白く見える体を僅かに揺らしたイルカが愛想を振りまくように旋回した。
その傍らに小さな体が寄り添っている。
「俺らがガキの頃にここにいたイルカ、覚えてるか? ヨシミって言うの。もう死んじゃったんだけどな。その娘が、このナツミ。だから、ヨシミの孫だな。三世代が繋がったんだ」
その出産を、スタッフは総出で見守っていたらしい。
生まれたての小さな体は、既に逞しくクルクルと水の中を自由に動き回っている。
母親の体に懐くような動きを見せる赤ん坊を、ナツミはまるであやすような動きで泳ぎながら見守っている。
「……すごいね。親子なんだね」
「授乳も見られたけど、もう何日かは気が抜けない。無事に生まれてきても、急に不安定になる子も多いから」
それをガラス越しに見守る哲史の顔は、父親のそれによく似ている。
「女の子? 男の子?」
「まだわからない。俺は女の子って気がしてる。色白の別嬪さんになるぞ」
「名前は? 公募するの?」
思えばこの美菜浜マリンランドで名前をもった海獣達は、古風な名前が多い。
「いや。うちは昔からスタッフ会議で決める。画数辞典とか持ち寄って、夜通し悩むんだけど、この子はもう決まってる」
水槽に顔をくっつけている春海の頭の上に、哲史の手の平が乗る。
「ハルミ」
「え?」
「ハルミって言うんだ」
「所長はエリコがいいって言ってたのを、哲史が押し切ったんだろ」
年配のスタッフが茶々を入れる。
「所長の初恋の人の名前よりも、春海から名前もらった方が幸せになりそうじゃないですか。ハルミなら男の子だった場合にも対応できる」
なぁ? と同意を求められても、呆然とするしかない。
「本当はもっと安定してから名前をやった方がいいんだけどな。本当に、まだまだ予断を許さない状況だ。だからおまじないだよ。春海は人を繋ぐから」
「繋ぐ?」
「朝子さんが亡くなって、お前が来て、栄月館が続いてる。美菜浜のガキ大将を幸せ者にした。イルカ達にもあやからせてくれ。世代を繋ぎたい」
願うような声音が、一臣のそれと似ていた。
哲史にとって、この水槽の中の生き物達は家族なのだろう。
「これまで色んなことがあって、それを乗りこえて、ココで笑ってるハルちゃんのパワーを分けてやってくれ」
疲労が滲み無精ひげを生やした年配スタッフの顔も、娘の幸福を願う若い父親のような顔をしている。
たくさんの想いを込めて、ここ数日を過ごしているのだろう。
イルカの親子を見守る部屋の壁には安産のお守りやメッセージカードが並べられていた。
「お前は、幸せだね」
美菜浜の人たちは、願い、祈る。それと同時に動き出す。
願いの成就のために、祈りを届けるために。
水槽の中、小さな体を揺らめかして泳いでいる命にこの温もりが伝わればいいのにと、水槽にぺたりと手の平をつけて話かける。
聞こえたように、ハルミがゆらゆらとやって来る。
「大丈夫。みんながいるから、何の心配もいらないよ」
『大丈夫だって。春海には俺がついてるから、何も心配すんな』
繰り返されているこの言葉に、どれほど力づけられてきただろう。苦しくてどうしようもない時も、自分に嫌気がさして自分自身を放り出したい気持ちになった時も、この言葉を耳の奥で再生するだけでどうにか乗り越えてこれた。
だから、今度は自分が誰かに。
「ハルミのために、みなさんの夕飯をデリバリーしましょうか?」
自分にできることで、大丈夫だよと伝えた相手を支える。そんな幸せを、春海は毎日栄月館の厨房で噛み締めている。
「マジでっ? やったー! やりました!」
「スタミナついて、美味いものを頼む! ここんところ、カップ麺しか食ってないんだ」
「スタミナもいいけど、胃に優しいものがいい……」
連日の気が抜けない観察が続いているのだろう、草臥れた空気は拭えないが、喜んでもらえるのなら嬉しい。
少し元気づいたらしいスタッフが、あ、と声を上げる。
水槽の中、ハルミがナツミに付き添われてゆっくりと浮上する。ぷかりを水面に顔を出して息継ぎを一回。
「よし!」
あたたかい食事よりも、今の彼らにはハルミの息継ぎ一回の方がよほど力になる。
「がんばれ、ハルミ」
応えるように、青い水の中でハルミはくるりと優雅に回ってみせた。
夕食の出前を約束して、春海は家路を急ぐ。
疲れた水族館の父親達に何を食べさせるかよりも、自分に生きる力を与えてくれた、何よりも大切な人に会いたいと早足になるのを抑えきれず。
自分と同じ名前の小さな命を、今度は一臣と二人で訪ねよう。
あとがき>毛色の違う美菜浜っ子を出してみたかったので生まれた哲史くん。
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