■ルーツ・コンプレックス小咄 大月家編1/7
「大月 二葉(二男)」
「ねー、お姉さん、暇してるの?」
美菜浜から内陸へ向けて走る電車に乗って三十分。
若者集う繁華街のショッピングセンターの一階フロアにはクレープ屋やコーヒースタンドが集っていて、ちょっとしたナンパスポットになっている。
土曜の午後、お洒落な大学生の二人連れに狙いを定めて接近してみると、ニコニコと歓待された。
年上の美人は遊び上手でいい。
同級生の女の子はプライドが高くて遊びにくいけど、お姉さんたちなら上手に遊んでくれるし奢ってくれる。
二葉が年上好きなのにはそんな姑息な理由があった。
「君、高校生?」
「うん。M高の二年生ね。17歳っス」
「かーわいー」
「あれ? 君さぁ……」
好感触に浮かれていると、不意に一人に顔を覗き込まれる。
それと同時、
「マキ、お前何してんだよ」
耳障りのよくない声が背後からかけられた。
男が嫉妬を滲ませた声と言うのは本当にみっともない。
なんだよ男連れか。
引き際は心得ているからそそくさと去ろうとしたのに、みっともない男は更に醜態を重ねる気らしく二葉の腕を掴んだ。
「ガキが、一丁前にナンパかよ」
見下ろしてくる男は茶髪に日焼けで、お洒落なんだろうけど安っぽい格好だった。
腰で履いたズボンの裾がフロアを掃除している。
男は潔癖すぎない清潔感がポイントなんだぜ。
「すんませーん。お兄さんの彼女さんがあんまりに美人さんだったもんで、つい!」
両手を上げてホールドアップの姿勢をとれば、不機嫌に鼻を鳴らされる。
「そういう態度って、女の人に不評だと思いまーす」
つい口が滑れば、「あぁん?」なんてすごまれる。
「ユウヤ、止めなよ。その子、カズ先輩の弟だと思うよ?」
「えっ?」
ぽかりと口を開けた顔は、わざと凄んでみせた時よりよほど男前に見えた。
「ね、大月君だよね? 一臣先輩の弟じゃない? 双子の……えーっと……」
「二葉っす。大月二葉」
「そう! 二葉君。大月兄弟の二番目だよね?」
「マジで? カズ先輩の弟?」
二葉がナンパしていると時々こういう場面に遭遇する。
美菜浜から少し離れた場所で出会う長兄の噂は、地元で耳にするのと少し違って聞こえる。
女誑しで遊び上手で、ちょっと冷たい男前。
「私、カズ先輩の彼女、三ヶ月させてもらったことあんのよ?」
彼女にしてもらったと誇らしげに口にする女性にもよく出会う。
その短さにも呆れる。
面倒見の良さは変わらないが、キャパは明確に狭まっている。
長兄は地元の女の子を貴重な友人として扱うから、三ヶ月で手放すようなことはしないし、付き合ってもらったなんて関係を築かない。
そういう、地元とは違った顔を聞き及んでいるであろう自分に対して、長兄は時折共犯者めいた含み笑いを寄越してくる。
「俺もカズ先輩にめっちゃ世話になったんだ。よろしく言っといてくれよな」
印象の悪かった男が、笑窪を見せて笑う。
いい顔だと思った。ちょっとだけ、地元で見せる兄の笑い方に似ている。
ナンパ失敗。
あとがき>下手をしたらアナ兄弟にもなりかねない長男と二男の遍歴。
■ルーツ・コンプレックス小咄 大月家編2/7
「大月 三咲(三男)」
十歳も歳の離れた兄がいる。
長男の一臣がお酒飲んで、煙草を堂々と吸えるようになった頃、僕と二葉はまだたったの十歳だった。
見上げる兄は頼もしく、それと同じくらいに恐い存在だった。
父は静かな人なのに、すぐに怒鳴るしうるさいし偉そうで、よく二葉と揃って拳骨を食らってはぶちぶちと文句を言ったり、母に泣きついたりしていた。
ランドセルを背負っていた頃の僕らは、兄のことが嫌いだった。
その兄の、誇りでありたいと思ったのは十歳の秋。
夏休みの宿題で描いた、実家・栄月館の絵が絵画コンクールで金賞をとった。
両親が喜んでお祝いしてくれる中、長兄は興味なさそうに頬杖ついていつもより豪華な夕食をつついていたはずだった。
小学校からの帰り道、たくさんの友人に囲まれている兄を見つけた。
兄の周りにはいつも人がいて、それは同年代の友人たちであったり、女の人であったり、近所の漁師さんであったり、老若男女を問わない。
浜辺でゲラゲラ笑いながら戯れる兄貴分達はただ柄悪く群れているのではなく、何やら書類を手に打ち合わせをしているらしかった。
栄月館の常連である桐沢画伯がアートイベントを開催するのだと話していたから、きっとその準備なのだろうと通りすぎようとした時、
「三咲の絵、すごいらしいな」
自分の名前が話題に上って思わず足を止めた。
「あ、私も広報誌に載ってたの見た!」
「ねー。三咲って大月兄弟の中じゃクールなのに、絵はすごく可愛いのね。あれ見て三咲と話すると愛くるしいわー」
「つまみ食いすんなよ?」
「馬鹿。もうちょっと大きくなるまで待ってます」
笑い声が弾ける。
「あいつはすげぇんだよ。持って帰るテストはほとんど花丸がついてるな」
「マジでか! おいおい、大月兄弟に有るまじき頭脳だな」
「だろ。俺もびっくりした。まぁ、その分、二葉が壊滅的だ」
「上手い具合にできてるもんだな、双子って」
長兄は仲間に囲まれて楽しそうに笑う。
家の中で自分達に見せるのは怒ったような顔だけなのに。
「三咲は、兄弟の中じゃ一番気持ちが優しい」
あんな穏やかな顔を、家じゃ見せないくせに。
「いつか三咲の絵でイベントするからな。頼んだぜ」
了解と、あちらこちらから笑いの混じった声が上がる。
兄がその輪の中心で、笑っている。
耳が熱くなるのを自覚した。
兄を誇らしく思った、十歳の夏のこと。
あとがき>三男は兄弟の中で一番、長男の凄さをわかっていたりする。
あとがき>兄にライバル心を燃やす末っ子は、実は長男大好きっ子。
あとがき>大月家で一番すごいのはお父さん。
■ルーツ・コンプレックス小咄 大月家編5/7
「大月 朝子(母)」
伸びやかな手足はこんがりと日焼けして、そのあちこちに擦過傷やら打ち身やら、男の勲章が刻まれている。すぅすぅと健やかな寝息をたてる我が子の額には薄っすらと汗が滲んでいるが、ちょっと目を離すと冷たいものばかりガブ飲みするから、蹴飛ばされたタオルケットをおなかの上にかけておく。
子守唄がわりに、縁側に吊るした風鈴が時折可愛い音を奏でる。
生意気で意地っ張りで、人の言うことに一々逆らって見せるようになった。なんでも自分でできるのだと無茶をしがちで、そのくせ優しい一面をちらちらと垣間見せる一番目の子。
ぶっきらぼうな顔して女房の手を引くのが美菜浜の男だと言われているが、一臣はまさに美菜浜育ちらしい芯を持って育っている。
大の字に転がる長男の洗いざらしたタンクトップの裾は、小さな手にしっかりと掴まれている。ただでさえヨレヨレの遊び着がまた伸びてしまうと思いながらも、その小さな手を離してしまえないのは一臣の傍でくるりと体を丸めて眠る甥の寝顔があまりにも安らかだからだ。
体がくっつかない程度の距離を保っているのは、単に暑いからじゃない。いじらしくなるほど遠慮する彼のこと、どんなに懐いている一臣にも心身を投げ出すように甘えることはできないのだ。
だけど自分に一生懸命ついてまわる三つ年下の従兄弟を、一臣はちゃんと守ってあげる。春海春海と、くすぐったくなるような声で呼んで面倒を見ている。実は面倒を見られている場面の方が多いのだけど。
ゆっくりと団扇で送った風が、子供達の柔らかい前髪を揺らしていく。
もうすぐここに双子が加わって、あと何人足してみようか。
賑やかな風景を思い描くと同時、姉の姿を思い出す。この縁側で二人、買ってもらった着せ替え人形で描いた小さな家庭。それが今、朝子にとっては現実になっている。
姉にとってはどうだろうと、学校が長期休暇に入るたびに預けられる甥を見て思うのだ。
甥の名前が春海だと知った時、この町を捨てて煌びやかな都会で暮らしてきた姉の心に、美菜浜の風景が根付いているのだと感じて嬉しかった。
また厄介者を押し付けに来たわよと、春海の手を引いて故郷に戻り、わが子を置いて間髪おかずに踵を返す背中に失望した。
過去を思い出せばそればかりが愛しくなる。
今を霞ませないでと言うように、大きくなったお腹の中から訴えるような振動が伝わってきた。
物思いから我に返って見上げた時計は三時を過ぎる頃。散々遊びまわった子供達が空腹で目を覚ますのももうすぐだ。
台所に向かおうとした時、春海がもぞもぞと起き出した。
「あら、春ちゃん、もう目が覚めたの? これからおやつ作るからね」
眠気を引き摺る目を幼い仕草でこすった甥は、一臣にも見習わせたい寝起きの良さですっかり覚醒したらしい。
「手伝っても、いい?」
台所まで点いて来ると、控え目な申し出をしてくれる。
「いいの? 助かるわ」
「あのね、さっきね、カズちゃんに、コックさんになればいいよって言われたの」
「春ちゃんならきっとなれるわ。器用だもの。でもカズに言われたからって無理にしなくてもいいのよ? 春ちゃんは春ちゃんのしたいことをしなさいね」
「ううん。ぼく、おばさんの手伝いするの好き。お手伝いの中でね、料理が一番好きなの。それでね、コックさんになって、おいしいのが作れるようになったら、カズちゃんと栄月館のお手伝い、してもいい?」
真っ直ぐに向けられていた琥珀色の瞳は、朝子の返事を待たずに床に向けられてしまった。
「もちろんよ」
柔らかい髪の毛をかき混ぜれば、小さな体で精一杯に幸せを掴もうとしている甥っ子は花のように笑ってくれた。
あなたが幸福に満たされる場所がこの町であればいい。
この家であればいい。
わが子の隣であればいい。
輝く先を祈るばかりでも今は霞んでしまうけれど、願わずにはいられない。
「春ちゃんは、笑うと本当に可愛いわねぇ」
けれど未来を築き上げるのは、今この瞬間、笑顔でいられる刹那の積み重ね。
あとがき>肝っ玉母さんの憂いと希望。
あとがき>長男の甘えっこ気質を引き出せる唯一の存在。
■ルーツ・コンプレックス小咄 大月家編7/7
「大月 一臣(長男)」
ぐるりと巻いた包帯をきつく縛り留める。白い包帯に包まれた手を握って開くを繰り返す。動きを制約することなく、ダメージだけを和らげるために巻いた包帯。
顔を上げると幸太がいいかと目で問いかけてくる。頷き、もう一度拳を作って開く。
「痛てぇのは、ゴメンだなぁ」
「無理な注文だろうな。あっちは二十人くらい集まってるらしいぜ」
「肝心の井川は来てるか?」
「来てる」
「なら作戦決行だ」
よしと防波堤の影から立ち上がる。
眼下に広がる砂浜には強烈なヘッドライトの閃光が縦横無尽に走っている。波音を掻き消すエンジン音にクラクション。
「おう、来てる来てる。しっかし、うるせーな」
「彼らは世の中に抵抗してるんだよ。言葉が上手く見つけられないから、あぁやってバイクのエンジンを響かせるわけ」
「なるほど、同じ理由で幸太はボロ舟のエンジンを軋ませるわけだな。広い海の上を走る分、被害はなくていいやね」
「ほっとけ。カズだって言葉が上手く見つからない人だからこれから拳で会話をするわけだろうが」
毎夜毎夜、美菜浜の浜辺はバイクと暴走少年達に占拠され、波音が届かなくなってしまった。
月夜の砂浜を散歩することもできないし、ならばと朝を狙って出てみればジャンクフードの食べカスとそれをつつくカラスの群れに出くわすだけ。
こりゃあいかんと結成された住民パトロール隊が返り討ちにあったのが春先のこと。
親父達には任せておけんと高校卒業を待って機を待って、誰もが活気を得る夏。じわじわと浜辺が騒がしくなってきた。
地元に残った友人達の顔を見渡せばどいつもこいつも頷いて、夜の浜辺。
「やべぇと思ったら手ぇ出すからな」
「死なないうちに助けてくれよ」
「まぁ、お前は負けねぇだろうけど」
「俺らの出番はなくても、説教は一緒に聞いてやるぜ、カズ」
「あたりまえ」
半端に太った月の下、砂を踏む。
「こーんばーんは」
心地よい月夜の乱痴気騒ぎに水を差す乱入者に、集会は殺気立つ。
先制攻撃と言う責任は箔付きの悪を全身全霊で自称して歩く先方に譲って、俺もようやく拳を固める。
久々に他人の体を殴りつけた感触と衝撃に、背筋がぞわぞわと震えだす。
腹に重たいものが湧き出て、重心を沈ませる。馬乗りになって人の顔を殴りつけることへの躊躇いも吹き飛んで、消えろと願う。
消えろ、消えてしまえ。
ざわざわと、生まれ育った町を不穏に揺らす原因。
ここは俺達の縄張りだ。踏み込むな。来訪者は、自分のものを奪っていく。
返せと思うままに振り上げた拳が、横から伸びてきた手に止められた。別の体が自分の上に圧し掛かってくる。砂上に顔面を押し付けられる、暗い視界の中に一度だけ見た教師の姿が浮かんできた。
大人の男の腕に囲われた従兄弟の、自分の知らなかった横顔が。
もう随分と、会っていない。もう二度と、会えないかもしれない。
ちくしょう。
叫びだしたい衝動を噛み締め四肢を跳ねさせる。
起き上がったらそこは既に乱闘で、怒声が轟々と聞こえてくる。
八つ当たりだったなと頭の片隅で冷静な自分が呟く声が聞こえたが、こうなってしまったものはやるしかない。
仕方ねぇよな。
この町には目を奪うほど綺麗な海と砂浜があって、美味い飯食わせる場所がたくさんあって、とびきり活きのいい魚があがって、由緒正しき神社もあって、誰もが訪れたくなる魅力に溢れている。どいつもこいつもこの町に来たくて仕方が無い。そういう町を、自分達が作っていくんだ。そういう覚悟を決めたんだ。
この町にとって一番の臣になれとつけられた、この名前に相応しい男になれるように。
パトカーのサイレン音が妙に近くに聞こえる。あれ?と思った時には顔見知りの駐在署員の背負い投げを食らっていた。
「こんの、馬鹿たれが!」
思いつめて突っ走って、それが間違いだとしてもこうして怒鳴ってくれる人たちがいる。
守ってるつもりで守られて、過剰な自意識ごと抱きしめてくれる人もいる。
同じ目線でものみて熱くなって冷めて、同じ時間軸で生きてくれる仲間がいる。
自分に恵まれたものを指折り数え、
「カズちゃん」
どこかでひっそりと吐息のような声で自分を呼ぶ従兄弟の不在に指戻す。
この先、何を壊したって何を大事にしたって何を頑張ったって、どう祈ったって。
彼を取り戻すことは、できない。
あとがき>長男のやんちゃ時代。喪失感が満たされるのはもう少し先のこと。
2009年夏〜秋のWeb拍手お礼SS