春を迎えに


 栄月館の裏手に一本の桜の木がある。
 さほど大きな木でもなく、宿泊棟の裏に生えているため客の目を楽しませるには場所が悪い。けれど季節になると、ぬるんだ風に乗って薄紅の花弁がひらりひらりと中庭に降ってくる。蕾の太りようを見れば、そんな季節も遠くはないように思う。
 苔に覆われた中庭の雑草を抜いていた春海が、古い建物に四角く切り取られた空を見上げて、
「そろそろ、花迎えの季節だね」
 わくわくとした気持ちを滲ませて微笑む。
 春を人の形に変えたなら、きっと一臣の目の前で指先を土で汚して笑うこの子と同じ形になるだろう。
 “花迎え”と言う祭りがある。美菜浜の高台にある八つの神社で同時に催される神事だ。
「お前はあれが好きだな」
 一臣が剪定した金木犀の枝を拾い、うんと頷く。その前髪が春風に揺れて、キラキラと琥珀色の光を放った。
「華やかで、可愛いお祭だよね」
「可愛い、ねぇ」
 可愛いのがまさに目の前にいるのだが、はて可愛いとはどんな様を表現する単語であったか。
 一臣は幼い頃から身近にあった祭りの様子を思い出す。
 むかしむかし、美菜浜の海は今ほど穏やかではなく、毎日毎日荒れ狂っていたらしい。それでもこの土地で生きる男衆は日々の糧を得るために船を出す。命をかけた漁ではあったが、彼らは暴れる波を乗りこなす喜びに夢中になって海に挑み続けていたと言う。それを待つ女衆は主人の無事をひたすら祈り、塩害の激しい土地を細々と耕し生活を営んでいた。
 けれどある時、あまりに無邪気に命をかけて海と戯れる男達に女達の堪忍袋の緒が切れて、村中の女達が共謀して家出をした。嫁入り道具の着物を一枚携えて、長く険しい坂道を上がって高台の神社へと立てこもり、ストライキを敢行した。
 誰も待つ者のいない我が家に帰りついてはじめてその存在の大きさに気付いた男衆は慌てふためきこれはいかんと相談して、貧しい土地にどうにか咲いた花を摘み、婚礼以来袖を通すことのなかった紋付羽織や一張羅を身に纏い、それぞれ神社へと駆けつけた。
 そうしてその神社の前で土下座して懇願して、どうぞお食べくださいと正月でもお目にかかれないほどのご馳走をこしらえて、握り締めてしおれてしまった花を差し出し、下手くそな唄をこしらえ、天岩戸が開くのを待った。
 気が済んだ女達が姿を見せて、男達は彼女らの手をしっかりと握って帰宅した。それを微笑ましく眺めた海の神様は、美菜浜に穏やかな波をもたらし、風も柔らかく吹かせ、この土地の豊饒を村人達に担わせた。彼らであれば土地を豊かに守るであろうと信じて。
 老人達の声で謡われて、母にも昔むかしと語られた物語だ。そんなお話の一部が現代でも表現されて語り継がれている。
 即ち、女性達は神社に集まりのんびりとお茶をしながらピーチクパーチクとお喋りに興じ、男達は慣れぬ様子で羽織に袖を通し、ネクタイを結び、似合いもしない花束を抱え、ゆるゆると坂を上り伴侶を迎えに行くのだ。めんどうくせぇと呟きながら、盛大に照れながら。
 美菜浜の男達にとって求婚は年中行事だ。それが夫婦愛を冷まさぬ秘訣とも語り継がれているが、実際にはどうだろう。境内では亭主の悪口が姦しく、ずらずらと町を行く行列からは女房の愚痴が恒例のBGMだ。
 あれが、可愛いのだろうか。正装した男達が花を携えワラワラと町を行く様子が面白いと、見物客も来るには来るが。

「今年は、お前、行くか?」
 参加するのは既婚者がメインだったが、近頃は氏子であれば誰でも彼でも借り出されるようになった。
 大月家からは両親が嬉々として参加していたが、母の他界があって父は出るのを渋った。しかし密かに地域のご婦人から人気がある彼を是非引っ張り出せとプレッシャーがかかり、大月家からは変わらず父がこの行事に参加することになっていた。一臣は毎年裏方として参加しているが、迎え手になったことはない。
「……誰を迎えに行くの?」
 まさか一臣がご婦人の群れに紛れ込むわけにはいくまいと眉を寄せる春海に苦笑する。
「最近は連れがいようがいまいが関係ないんだ。迎えの列は多い方が見栄えがするだろ。さすがにガキは駄目だけど」
「そうなんだ。カズちゃん、行かないの?」
「誘われてはいるんだけどな。めんどうくさい」
 地域行事の重要性を誰よりもわかっている男の発言に春海が驚いたような顔をする。暫く探るように見つめられた後、真意を拾い上げたのか、
「じゃあ、俺も、お迎えは遠慮する」
 そんな答えを返した。
 自分が迎えに行きたい人の居場所が神社でないのならば、行列に加わるのも気が引ける。例え頭数を揃えたいだけの召集だとしても、意地のような操立てをする気持ちは春海にも通じたらしい。
 花迎えに染まることのできぬ関係だけど、その行事を愛する気持ちに揺るぎはない。それでも感じてしまう寂しさこそが、生物学的には赦されぬ相手を選んだことに課せられる罰なのだろう。
 花を買ってこようと一臣は思う。
 この家から出て行かぬ彼を迎えには行けないから、せめてこの町の言い伝えを真似て花を贈るのだ。
 ささやかな決意を知らない春海はぴょこんと飛ぶ小さな小さな雨蛙を手の平に乗せて、春だねと笑った。




 町中の桜がちらほらと咲き始める頃、美菜浜は花迎えの儀式に浮き立つ。
 女性達が足取り軽く美菜浜を囲うように存在する八つの神社へそれぞれ立てこもり、昼前になると男達がわらわらと町を行きかう。伴侶の行方を探している体を表現して町の大通りを行ったり来たりした後、浜辺で空砲が上がる。迎えに行けとの合図だ。
 男所帯の栄月館では迎え手の仕度が慌しく行われている。どの家庭も女性が先に家を出てしまうので、残った者は迎え手の準備にいつも四苦八苦する。花と呼ばれるのを遠慮する年代のババ様達が、猫の手としてあちらこちらの家に顔を出して準備を手伝うのも恒例だ。
 大月家は男所帯ながら着付けが出来る人員が多く、お節介をやきにくる来訪者もない。
 着々と準備は進み、春海は仕上げにと帯をきつく締め上げる。そうして自分が着付けた袴姿の迎え手を見上げ、出来栄えにうっとりと口唇を綻ばせる。
「惚れ惚れするね」
 賛辞を浴びせた相手は頬を赤くして視線を彷徨わせ、居心地悪そうに体を揺らした。
「立派に見えるねぇ」
 去年までこの紋付を纏っていた家長は今年はラフな服装で、飾り立てられた息子の姿に目を細めた。
「見えるんじゃなくて、立派になんなきゃ意味ねぇだろ」
 その背後からのそりと顔を覗かせた一臣の表情はニヤニヤと楽しげだ。
「四恩は立派な男の子です」
 揶揄を跳ね除けるように春海が弁護した。
 今年の花迎えに、大月家からは末っ子が迎え手として出ることになった。本人の希望があってのことだが、もちろんそこには理由がある。
 既婚者の再度の求婚を微笑ましく行事化したのが花迎えだが、そこに未婚者のプロポーズが乗っかることもある。過去にも希望者が申し出て、神社の境内で派手に求婚し地域中の祝福を受けたという例がいくつものこっている。
 それに来年二十歳を迎える末子が立候補した。
 高校を卒業してから野球の独立リーグに所属する社会人チームに入った四恩は、故郷を遠く離れた土地で新たな道を踏み出している。会社勤めをしながらの野球人生に苦労は多いが、レギュラーの座を獲得するくらいには未だ野球に執着し努力をしている。
 その末っ子が高校卒業間際から付き合い始めた隣町の女の子に、婚約と言う契約を求めるのだと言い出した。
 どうせなら花迎えの日にと、派手なことも目立つことも好まない末っ子が言い出した時には騒然としたが、だからこその決意を汲み取って今日の本番を迎えている。
「一果は神社行ったのか?」
「うん、真菜ちゃんと八幡様に上がったって」
 隣町の彼女だが親戚の家が美菜浜にあり、その家から出す花役として一果を頼むことにしたのだ。地元に住んでいる友人と今頃は境内でお喋りに興じていることだろう。勿論、その親戚宅には共謀してもらっており、プロポーズ作戦について一果本人は全く知らされていない。
 高校卒業間際に交際が始まって、卒業後には四恩は遠方へと出てしまった。県内の大学に進学した一果とは遠距離恋愛だが、お互いにマメに連絡を取り合ってはいるらしい。
 それにしても婚約には早くないかと誰しもが思ったが、
「なんか、早目に俺のもんにしとこうと思って」
 などと臆面なく言われてしまえば、そうだねと頷くしかない。恋愛に対して表現がオープンなところは、父親譲りなのかもしれない。
「お前がプロポーズするのはいいんだけど、勝機はあるのかよ」
 玉砕したら一家の恥だと言い捨てるのは、四恩の行動がまったく前段取りのない求婚だからだ。
 これまでの前例では、あらかじめ相手の気持ちが確認できていて、成功率がほぼ100%の場合にのみ行われてきたのであって、四恩のように当って砕けろの勢いで実施した男はいない。彼女に何か仄めかしているのかと問うても、そんな様子もないから心配は当然だ。
 遠距離恋愛になろうと簡単に心変わりをするような、そういう娘ではないのは知っている。けれどまだ二十歳を迎えるかどうかと言った年齢で、衆人環境で未来を約束するのはかなりの覚悟が必要になる。大学生の一果はそれを受け入れられるだろうか。四恩の覚悟は理解したつもりだが、結果はまた別の話だ。
「どうだろう」
 当の本人は呑気に首を傾げている。
 勝利を確信しているようでもあるし、本当に当って砕けろと覚悟しているようでもある。試合前にも気張る様子を見せない末子ではあるが、あまりに呑気な様子に周りが不安になってくる。
 けれど春海だけは、意外なことに余裕で四恩の身支度を整えている。
「大丈夫。きっとうまくいくよ」
 仕上げに春海の手から四恩へ渡ったのは、ピンク色が基調となった可愛らしい花束だ。
「サンキュ。そんじゃ、行ってくる」
 目尻を下げて微笑んで、気合を入れるように顎を引いて出発する。
 ピンクの花束を抱えた手が、帰途につく時には柔らかな手を引いていればいいのだけれど。
 どんどん遠ざかる羽織の背中には、番の兎と小さな子兎が描かれた大月家の家紋がある。真っ直ぐで一途な四恩にならば、あの家紋が意味する末永い幸せを掴むことができるだろう。
 信じて見送る背中が、町を行く迎え手の行列に吸い込まれて行った。
 花を迎えた家々が栄え微笑み続くようにと、春海は仏壇の前で手をあわせる。


 美菜浜に春がくる。


2012/3/10
地域の伝統行事をでっちあげるのが楽しかったです。喧嘩祭よりもこういう穏やかなお祭が美菜浜には似合うかもしれない、と思って静かな神事を表現してみました。紋付羽織の男性が闊歩する姿はちょっと前のマックのCMで歌舞伎一門がぞろぞろ歩いてるの見てかっこいいなーと思ったんだ。
全ての故郷に春よ来い。

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