ありがとうのお題
01:臆病な僕に少しの勇気


 半端に膨らんだ月の灯りが、一臣の寝顔を照らしている。
 目を覚ましている時は精悍で頼りになる逞しい美菜浜男児の顔をしているが、一度眠りについてしまえば意外なほどあどけない顔つきになる。
 その変化はいつも春海の笑いを誘う。
 だが、今日は少し違った。
 切ないような腹立たしいような思いで、一臣の半開きの口元を見つめている。
 繁忙期である海水浴シーズンが去り、日中の暑さだけが残った季節。夜になると気温も下がり、網戸から入り込んでくる夜風も肌寒く感じられる。春海は夏布団にしっかり包まっているが、隣の布団はタオルケットがぐしゃぐしゃと散らかっている。健康的でしなやかな腕が無防備に投げ出され、すぅすぅと小さな寝息も聞こえてくる。
 いつもの就寝風景ではあるけれど、明日はいつもと違う日だ。
 民宿業の合間を縫ってあちらこちらの事業所の手伝いに入る一臣のスケジュールは、気を抜けばぎっしり埋まってしまう。
 それが苦にならない体力と気力には溢れているのだが、さすがに心配した周囲の暗黙の了解により、毎月第二水曜日は大月一臣の定休日とされている。合わせて栄月館も休館としていて、その第二水曜日が明日なのだ。
 常であればいそいそと春海の予定など最初から無視して、地元の若者御用達のホテルへと攫われる。
 それが今日は夕食後に出かけた寄合が白熱したとかで、深夜零時に近くなってからようやく帰宅した。僅かにアルコールの匂いも漂っていたから、明日が休養日だということなど忘れてしまっていたのだろう。汗を流して横になったと思ったら、すぐに寝息が聞こえてきた。
 期待しているわけではない、と春海は胸の内で言い訳する。
 期待しているのではなく、構えていた。嫌なわけがないが、緊張はする。夕方あたりから、妙に落ち着かない気持ちにもなるし、年下の従兄弟たちと叔父の顔を見られないでいる。
 恨めしい気持ちになっても仕方ないくらいには、春海の心身の準備はできていた。
 鼻でも抓んでやりたいが、健やかな眠りを邪魔するのも悪いと思ってしまう。
 体の奥でゆらゆらと蠢くような焦れと切なさを噛み殺しつつ、秒針が刻む音と一臣の呼吸を数えて、自分にも睡魔が訪れてくれるのを待っている。待ち遠しいそれを、一臣の気配が寄せ付けない。
 小さく布が触れ合う音がして、カーテンが風を孕む。頬に触れる風が冷たい。寒い寒いと心の中で何度か唱え、ずりずりと芋虫のように体を捩って隣の布団へ移動をはじめる。
 起きて、起きないで。祈る割には大きな衣擦れの音がたった。
 煙草の匂いが混じった一臣の匂いを吸い込んで、投げ出された右腕に指先だけで触れる。平熱の高い一臣の腕は夜風に撫でられたせいかひんやりとしている。うっかり風邪でもひいてしまいそうだが、頑丈さが違うのか一臣が体調を崩すことは滅多にない。
(でも、万が一ってこともある)
 言い訳を積み重ねてやっと一臣の腕を抱く。冷えてしまった肌の奥から、本来の体温が滲み出てきて春海に伝わってくる。
 知らず笑みが浮かんだ、その微か過ぎる気配の変化が悪かったのか、一臣の体が伸び上がる。起きる、と思った時には唸りながら春海のいる方へと寝返りを打っていて、そのまま大きな体に押しつぶされそうになる。
 慌てて仰け反るように後ずさった。
「ご、ごめん。起こした? ちょっと、寒くて」
「今、何時?」
 掠れてはいるが、思いの外はっきりした口調に促されて枕元の携帯電話を開く。
「一時半くらい」
「そっか」
 くわっと大きな欠伸を一つすれば、意識がはっきりしたらしい。寝起きの良さに感心していると、いつの間にか布団の中に忍び込み背中に回った手に遠ざけた体を戻されて腕の中に囲われてしまう。
 動揺と嬉しさで、体がびくりと跳ねたり震えたりで忙しい。不自然に思われないだろうかと心配すればするほど、頬が熱を持つ。そういう反応に関しては目ざとい男は暫くそのまま大人しくしていたが、
「そっかぁ」
 意味なく、しかし含蓄のある相槌を一つ。何もかもお見通しで、見通した答えに満足しているような、いやらしい発音だった。
 背中に回った手がするりとパジャマの下へもぐりこんできて、素肌の上を滑る。そうして本当に無遠慮に、春海の尻を撫でる。
 上擦った声が上がりそうになるのを必死で噛み殺すと、耳元に一臣の笑い声が吹き込まれた。
「寒いんだろ?」
 冷えていたはずの一臣の体はいつの間にか熱を持ち、春海に圧し掛かってくる。
「寒い割りには、熱っぽいな」
 ずるいと思ってもそれを言葉にできず、突如襲ってきた奔流にあっけなく飲まれることはしたくないと息を震わせる。
 低く笑いながら春海の首筋を甘噛みした一臣は更に何か言いかけたが、ふと考え直したように表情を和らげた。
「精一杯の勇気に免じて、今日はあんまり苛めないでおこうか」
 精一杯優しくしようと言う宣言こそ、春海を甘く苛む。




2010/10/23
いやらしい言い方をいかに表現するか、が難しいよね。

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