ありがとうのお題
04:君と見た夢



 ドアを開けてその姿を見た時、心底ほっとした。
「遅くなって、ごめんね?」
 今年一番の寒波が押し寄せる日本列島の片隅で三咲は親愛なる従兄弟をアパートに迎え、ほっとして、少しだけ泣きたい気持ちになった。
 スーパーの買い物袋を受け取って、狭い室内へと春海を招き入れる。
「外、寒かっただろ?」
「うん。すっごく寒い!」
 ふわふわしたファーがついたコートを脱いで、まずは手洗いうがいをして、春海はさてと三咲に向き直る。
「具合はどう?」
 一昨日から二葉が寝込んでいる。
 その一週間前には三咲が風邪をひいて、大学を一日休んで養生した。早めに病院にも行った。
 おかげで二葉の信用ならない看病を受けることなく全快したのだが、傍をウロウロしていた二葉にうつっていたらしい。
 ちょっとダルイかも、と言い出してからも遊びまわって夜更かしを重ねた結果、昨日には38度を超える熱が出た。病院には行きたくないと言い張るので実家に一報入れたところ、一臣が怒鳴って、それを宥めた春海がやって来てくれた。
 家事は分担しているが、料理については調理師を目指す二葉の練習機会として任せてあった。そこそこに食べられるものを作ってくれるので助かっていたが、おかげで三咲は料理が出来ない。おまけに人の看病などしたことがないから、途方に暮れていたのだ。
「あんまり熱も下がらなくて……。市販薬飲ませたいんだけど、飯食わないんだ」
 二部屋を有するアパートで、和室の方を二葉が使っている。その部屋の障子が三十センチほど開けられたままだ。寒いから閉めた方がいいだろうというのに、寂しいから開けておいてと懇願されてそのままにしている。どうも調子が狂う。
 春海がそっと覗き込むと、もそりと布団が蠢いて明らかに熱っぽい顔が出てきた。
「……はる」
 笑ったのか泣きそうなのか、くしゃりと顔を歪めて掠れた声を出す。
「遅くなってごめんね。お粥作るから、食べられる?」
 春海の声は幼児を甘やかすように柔らかい。
 自分達が体調を崩した時、いつも元気で賑やかだった母がこんなトーンで声を出していた。ただただ甘く、柔らかい。
 二葉はあれほど三咲が飯を食えとレトルトのお粥を突きつけても口にしたなかったくせに、春海の言葉にこくりと頷いた。
「三咲は、ご飯食べた?」
「いや、まだ」
「じゃあ、三咲の分も作ろうか。お粥じゃ物足りないだろうから、普通のご飯にするよ」
 早速エプロンを纏って小さな小さな台所に春海が立つ。それだけで、この仮の住まいが美菜浜の実家と似た空気をもつ。
 ママゴトのようだと小さな台所を使う春海は案外楽しげで、忙しい栄月館の仕事の合間を縫って栄養指導と言う名の生存確認に来ることがある。
 その裏にはなんとなく、素直になれない長兄の依頼もあるようなのだが。
「父さん、元気にしてる?」
「うん。この前は大きな鯛釣ってくれたよ」
「あぁ、釣り行ってるんだ」
「最近は四恩も一緒に行くよ」
「シィが?」
「そう。野球の合間の息抜きだって」
「どうせ退屈だって竿放り出してるんだろ?」
「あたり。さすがお兄ちゃんだね」
 そんな他愛のない話をしながら、春海は手際よく料理を進めていく。
 聞いて欲しいらしい独り言を振りまきながら、ガチャガチャと喧しく調理する二葉とは大違いだ。
 二葉の腕はまだまだ未熟だが、日に日に充実した食卓になりつつはある。
 それでも春海とは、年季も経てきた経験も違う。あっと言う間に粥を炊き上げ、三咲にも野菜がたっぷり入った夕食を作ってくれた。
 久々に栄養があって見栄えのいい料理を三咲が楽しむ横で、二葉は春海に助けてもらいながらようやく粥に口をつけた。
 熱いそれを吹き冷ましてもらって口に運んでもらう様は確信犯的な部分もあるのだろうが、風邪菌を運んできたのは自分だから、長兄への告げ口は勘弁してやろうと三咲はこっそり思う。
 甘え気質の片割れは、春海にしっかり甘えて気が済んだらしい。薬も飲んで眠り始めた。
 新しい環境に自分などよりはよほど早くに馴染んだかと思っていたが、案外と気を張っていたのかもしれない。上達はするがそれが人のペースの倍遅い二葉のこと。周りのクラスメートと比べて焦りやもどかしさを感じていたのかもしれない。
「寝顔がカズちゃんそっくり」
 どこか楽しそうに春海は三咲を振り返る。
 そういう春海は母さんにそっくりだと言おうとしたけど、甘えが滲むようで恥ずかしいと口を噤んだ。
 春海に母性を感じるのは、自分達がそれを求めていて、春海がそれに応えるからだと三咲は思っている。そしてそれは、兄も感じているところだろう。
 母に思い切り依存していた心理的な部分を、春海にそのまま受け取ってもらっている自覚はある。
 他愛のない話を聞いてもらって、ただ相槌を打ってもらう。ちゃんと食事をとっているかと心配してもらい、表情から全てを察してもらう。ただそこに居て、微笑んでいてもらう。それだけ自分達は随分と安心し、理由もなく心強くいられた。
 だけど春海は母親ではなく従兄弟で、そして兄のものだ。
 だから自分達は春海以外の存在を見つけなくてはいけない。
 あまりに突然母親を失った自分達を気遣って、兄は猶予期間を与えてくれているだけなのだ。
「ハルは、本当にカズ兄が好きだね」
 この存在は兄だけのものなのだと自分に言い聞かせるように発した言葉に、春海は不意を付かれたように一瞬黙って、それから頬を染めて、
「好きだよ」
 開き直るように言った。
「頼もしいのは認めるけど、自分勝手で強引で凶暴だよ」
「三咲は、カズちゃんみたいにならなくていいから、頼もしくて優しい大人になりなね」
 春海相手だとつい子どもっぽい口調になる。それを許すように、春海の優しい手が頭を撫でてくれた。
 自分達が春海に甘えることを兄が許してくれている間は、素直に甘えてみればいいのかもしれない。
 母へ対するほど大きな態度に出られるわけでも、遠慮がないわけでもない。だけど少しのわがままを言って、大人びることなく接することができる。
 春海の手の下で頷けば、春海はうれしそうに微笑んでくれた。
「三咲の絵、ないの? 見せて」
 そんな顔で強請られたら、人の好みだけは似通っている兄弟の血が大人しくしているわけがない。
 仕方ないなぁとスケッチブックを取り出して差し出している。
 見て見てお母さんって、自慢している子どものようだと自分を客観視して恥ずかしくもなるが、あと少しの間だけ。


 翌日には二葉はだいぶ回復したらしい。自分で食事もとって、少し喧しくなる。
 春海がそろそろ帰るねと言い出した時には、引きとめる我侭が言えるほどには。
 申し訳なさそうにしながらも、春海はお客さんが入るからと二葉を宥めて帰って行った。
「あーあ、帰っちゃった」
 春海の姿が見えなくなった途端、さっきまでの元気はどこへやら。モゾモゾと布団の中に潜り込んでしまう。
「当然だろ。ハルは忙しいんだよ。それに、たとえお前の風邪が悪化したとしても、カズ兄は二晩もハルを俺らに貸してくれない」
「わかってるよ」
 不貞腐れた相方を宥めるように、昨日のうちに春海が作って行ってくれたプリンを枕元に置く。行儀悪く寝そべったまま肘をついて、上体だけを起こした二葉が傍らに胡坐をかいた三咲を見上げ、
「よく我慢したねぇ」
 にやっと笑った。
「……なにが」
「夜、ハルがそこで転寝してるの、見てただろ」
「……起きてたのか」
 リビングの炬燵で眠った春海に毛布をかけて、それを暫く眺めていた。
 眺めていただけだ。髪の毛くらいは、触ったが。
「ハルがカズ兄を寝言で呼ばなきゃ、ちゅーでもするのかと思ってドキドキしながら見てた」
「ハルはそういう対象じゃないだろ。キスして気が済むなら、とっくに試してる」
「だよなー。俺もどさくさに紛れてほっぺにチューくらいしてる」
 深すぎる親愛の気持ちを持て余しているのはお互い様らしい。
 春海のことを愛しく思う気持ちは、一臣が春海のことを想うのとは違う。違うけれど、深すぎて戸惑うのだ。母親ほど当然の存在ではなく、自分達のために在ってくれる特別な人。孤独な時代を生きてきた人。今、自分達の家族の一員となって幸せだと微笑んでくれる人。
 おそらくは四恩も、同じ思いを抱えているのだろう。あの末弟は、長兄に対する憧憬と対抗意識がごちゃ混ぜになって、最近ではなかなか命知らずな挑発を繰り返しては打ちのめされているらしい。
「カズ兄がハルのことを好きすぎるから、俺らも引っ張られてるのかな?」
「かもな」
 つい零れた溜息は甘く重く、清々しい。
 冷蔵庫には彼がここで一夜を過ごした証拠のように、作り置きのおかずがタッパーに詰められてぎっしり入っている。
 暫くはそれを二人でエネルギーとして取り込みながら、春海が誇ってくれるような大人の男になるための日々を走る。




2011/1/21
危うい兄弟達の親愛ベクトル。お題が見えてますか?くらいの独走っぷりは自覚してないこともないない。

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