あの腕を自分のものにしたいだなんて思ったことは、一度だってない。
日中の太陽光をしっかり吸い込んだ地面はいつまでも温く、ほんの十分程度の夕立を浴びた校庭はじっとりねっとりと不快指数を上げてる。平生ならば辟易する環境も、今夜に限ってはグッドコンディションだと関係者はほくそ笑む。
半端に膨らんだ月明かりの下、美菜浜高校で開催されるのは年に一度の大肝試し大会だ。
メンバーのほとんどが卒業した高校を無理言って貸しきった、地元住民も観光客も巻き込んだイベントの主催は美菜浜若年会。揃いのTシャツを着た青年達が仕切る会場は活気に満ちている。
校内ではお化けに扮した若手達が、そんじょそこらのホラー映画では太刀打ちできない名演技で悲鳴を引き出している。うって変わって校庭では、お祭気分を盛り上げようと屋台も出て賑やかだ。その裏では慌しいタイムスケジュールが進行していくが、回数を重ねてきた大会でスタッフはみな要領を得ている。今のところ順調にイベントは進行している。
本部テントの下では一臣がトランシーバーを弄びながら、友人と行程表を覗き込んでいる。細やかな段取りごとは苦手な性質だが、人をまとめる力は随一だ。いざと言う時に出動させれば必ずトラブルを良い方向へ導いて解決してしまう。これほど頼り甲斐のある存在はいない。
けれどイベントが順調に進行している間ならば出番はない。パイプ椅子にふんぞり返って、仲間達や顔をのぞかせた地域住人と談笑している。
今もパタパタと軽やかな足音をたてて中学生くらいの女の子が四人、暇そうな態度を好機と見て駆けてきた。栄月館の近所に住む女の子達だ。
「カズ兄ちゃん!」
「周ってきたよー」
「怖かったー」
「音楽室のベートーベンみたいなの、哲兄ちゃんでしょ?」
夜のお出かけと肝試しに高潮した頬は夜目にもわかる。そして憧れの近所のお兄さんに相手をしてもらって喜ぶ胸の高鳴りまで聞こえてきそうだ。
「哲史、真面目にお化けやってたか?」
「キャラメルもらった」
「ハロウィンと勘違いしてるんだよ」
「哲兄ちゃん、頭いいのに時々ずれてるよねー。かわいいけど」
「よし、哲は居残りで説教だ。つーか、お前ら女ばっかりで周ってきたのか? エスコートしてくれる野郎はいねぇのかよ」
「うるさいなー」
「かっこいい男子なんていないもんねー」
「ねー」
美菜浜の女の子は若年会の青年達を見て育つせいか、目が肥えて困るよと年寄りが笑って語るがその通りだと春海も思う。
ぶっきらぼうだが家族思いで愛嬌があって頼りがいのある男性は今時貴重だ。彼女らと同年代の男子達だって、そんな兄貴分の背中を見て育つのだから草食系に甘んじているわけではないだろうが。その兄貴分たちだって思春期はただのやんちゃ坊主でしかなかったのだから、熟成にはまだまだ時間がかかる。それまでは年上の青年達が輝いて見えることだろう。
「まぁ、お前らが別嬪すぎるんだな。ちょっとレベル落とせー」
ケラケラ笑いながら、一臣の手が少女達の頭を順番に撫でていく。ヤダ、やめてよ、髪が乱れる、子どもじゃないよ。そんな口をききながらも、少女達のテンションは跳ね上がる。
「はーる?」
少し離れたテントの下で繰り広げられる会話に気をとられた春海は、自分を呼ぶ声に我に返って肩を強張らせた。その拍子に鉄板の上の料理がポンと跳ね、形を崩して着地した。
「あぁっ、ごめんなさい! ぼーっとしてた」
春海がいるテントでは、先日正式に美菜浜のB級グルメとして完成した海鮮焼きおにぎりをせっせと焼いている。美菜浜で獲れる魚介類を煮て小さく解したものをご飯に混ぜ込んで、それを握り飯と言うよりはライスバーガーに近い形に成形し、胡麻油をひいた鉄板で焼いて仕上げる。流通には乗らない規格の収穫分を使うので無駄もない。
地元内外に人気メニューの調理担当を仰せつかった春海の失態に、一臣の幼友達達は珍しいねと笑って、ちょうどおなか空いてたんだと形の崩れた焼きおにぎりを自分の胃袋に収めてしまった。
「ただでさえ熱帯夜なのにずっと鉄板の前にいるから、熱中症になっちゃうよ。ちょっと交代しよ」
大丈夫だと訴えても、両肩を掴まれて鉄板から引き離される。パタパタと団扇で風を送られて、自分の頬が火照っていたことを自覚した。
「ほら、スポーツドリンク」
「あとは焼いて売るだけなんだから、他の連中に任せておけば大丈夫」
更に頬にきんきんに冷えたペットボトルを押し付けられる。座りなと促されたパイプ椅子に腰掛ければ、早朝からの準備に追われていた体が自覚以上に疲労していたことを知る。
頭に巻いていた手ぬぐいをとって滲んだ汗を拭っていると、変な癖がついてしまった髪の毛を隣から伸びてきた手に整えられた。
「やっぱりそっちの方が可愛いよ、ハルは」
「だよねー。手ぬぐい巻いてるのも意外とワイルドで可愛かったけど、そういうのは見飽きてるから」
「ワイルドで可愛いって、共存する?」
「する。今日のあんたの頭見て発見した」
一臣の仲間達は春海を弟分の一人として扱い、容赦なくくしゃくしゃと髪の毛を乱してくる。親しさ故の距離や接触が嬉しくて、嫌がりながらも笑ってじゃれていたら、彼女らの手がぴたりと止まった。
「やっばい。カズがこっち見てる」
「春海と話してるとすぐにあぁやって睨んでくるよね」
「もー、ほんっとあいつ嫉妬深い。あんなヤツだと思わなかった」
面倒くさい男だと辛辣な評価をいただく一臣に春海が視線を向けた時には、既に他の友人に話しかけられて背中がむいていた。
「ねぇ、さっき、ヤキモチ妬いたの?」
「え?」
「ボーっとしてたの、ガキんちょ可愛がってるカズ見てたからでしょ? 春海でも嫉妬するのかなーって」
十代で子どもを生み今では四児の母親である女性は、一臣の友人と言うこともあるが遠慮がなく、また春海を男として扱わない。うりうりと頬に人差指を押し付けられ、迫られる。
「嫉妬はしません」
少しばかりアルコールも入っている女性の手を繋いで悪戯を封じると、鉄板の前を変わった女性が慣れてきたわねぇとニヤリと笑った。
「もうちょっと独占欲とか出した方がアレは喜ぶわよ?」
「独占したいって、思ったこと、ないんだ」
繋いだ手はほっそりとして柔らかい。人妻の手だと思いながら、子ども同士がするように軽く揺すった。慣れた仕草がお気に召さなかったのか、もう片方の手で甲を抓られた。
「ただちょっとだけ、時々でいいし、一瞬でいいから、振り向いてほしいだけ」
苦笑しながら心の内を晒せば、友人はきょとんと瞬いた。
そしてまるで春海の声が聞こえていたかのようなタイミングで、本部テントの下、立ち上がって仲間と話しこんでいた一臣が振り返る。
何かのついでではなく、春海を捉えようと後方のテントへとめぐらされた視線は確実に春海の姿を見つけ、やや鋭い双眸がふんわりと和らいだ。一瞬のほのかな笑みを春海の網膜に焼き付けて、逸れた視線は腕時計に落ち、次には傍らに立つ友人達へと向けられた。
ちょっとだけ、時々、一瞬。
振り向いて欲しい。
春海の願いを叶えた動作は、春海と同じテントにいる女友達の目にもしっかりと捉えられ、ふふーんと意味深な笑い声をあげられる。
「ささやかな望みくらいいつでも叶えられなきゃねぇ」
「こら、ハル! あれくらいで満足してんじゃないの!」
「えぇっ、なんで俺が怒られるの……?」
「可愛いだろうが!」
ほろ酔いから一歩はみだした友人に抱擁されれば、ふくよかな胸が押し付けられる羽目になる。同性の一臣を恋愛対象にする春海だが女性を嫌悪する気持ちはない。けれど男として美味しい状況にテンションが上がるわけでもない。ただただ困惑してゆるく抵抗していると、柔らかな体が急にはがれた。
「ちょっと、カズ! 何すんのよ! 普通、人妻の髪ひっぱるか!? どこまでガキなんだ!」
「うるっせ! 痴女め! 恥を知れ!」
「ち、ちじょ! あんたにしちゃ随分と難しい言葉を知ってるじゃなぁい? よくできましたねー、いいこいいこー」
「誰だこの色魔に飲ませたの! 性質悪ぃ!」
一臣は基本的に友人であれば男であろうと女であろうと区別しない。平等に喧嘩をする。だから近しい女友達の恋愛対象からは微妙に外れてきたのだが、確かに幻滅するには十分な発言だ。フェミニストを自認する春海が見かねて、抓み難い頬を無理矢理に抓んで捻りあげてやるくらいには。
「いへぇ! なにすんだ!」
「カズちゃんも十分性質悪い」
「……一番悪いのはお前だ」
ごっつんと額を痛いほどの勢いで合わされ、痛みに目を閉じている隙に衝撃を受けたそこに素早く口唇で触れられる。慌てて周囲を見渡せば、肩を竦める友人達の姿があるだけだ。
嫉妬の仕方もちぐはぐな二人だが、だからこそ共に在れるのだから不思議な話。
肝試し真っ最中の校舎からは景気よく悲鳴があがり、熱帯夜のグランドは更に暑く熱く。
ご馳走様と嘯いた友人達は、涼を求めるように空を仰いだ。
2012/12/11
季節感?なにそれおいしいの的な、クリスマスムード高まる季節にまさかの肝試し時期の話でした。
海鮮おにぎりは2012のB-1で地元県が大活躍したので乗ってでっちあげてみました。