ルーツ・コンプレックス
Web拍手お礼SS


脇役編1 漁師:幸太
脇役編2 美菜浜若年会
脇役編3 ロコ店長:三島蒼
脇役編4 画家:桐沢
主役編  一臣と春海「Honey Moon」


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ルーツ・コンプレックス小咄 脇役編1/4
「幸太」


 年に一度、一臣と舟を出す。
 それは漁のためではなく、生きる者のエゴで執り行う儀式のため。
 スーパーの片隅で売られている菊の花とワンカップを乗せた舟を沖へと向かわせる。
 八月の早朝。
 朝焼けに染まった海上で、初代幸仁丸は転覆し、船長と乗組員一名が死亡した。
 舵をとっていたのは幸太の祖父で、乗組員はその日手伝いに入っていた一臣の祖父だった。
 孫達が六歳の時に起こった、不運な事故だ。
 原因は突風であるとされている。
 そんな風が起こるものかと当時は首を傾げる関係者も多かったが、突風に竜巻、集中豪雨による被害が頻発するようになった昨今では、思えばあの事故もその前触れだったのだろうと認識されはじめている。
 じいさんは、腕のいい漁師だったし、信頼できる船長だった。
 だからこそ、親父が漁協の長なんて似合いもしないポジションに置かれることになったのだろう。
 厳しいじいさん達だった。
 古めかしい、骨董品のような、典型的なじいさんだった。
 海を母と思い、舟を女と言い聞かせては漁に出る。
 それが、ある日の漁を境に二度と陸に戻ってくることはなかった。
 じいさんと、一臣のじいさんの体は美菜浜の海に溶けて消えた。
 その体が上がるのが幸せか、上がらぬままが本望かと、ばあさん達はおいおいと涙を流し、オヤジ達は歯を食いしばっていた。
 俺と一臣は、なかなか現実を理解できなかった。
 元々頭の足りない二人ではあるが、体の帰ってこないじいさんの末路を察するには幼すぎた。
 じいさん達は海で死んだのだと悟ったのはその年の冬だったと思う。
 学校帰り、海辺の道を歩きながら一臣が言ったのだ。
 じいちゃん達、一緒に死んだんだな。
 その言葉を聞いた時、反射的にごめんと謝っていた。
 俺の両親とばあさんが、一臣の親父さんと朝子さんとばあさんに仕切りに頭を下げていた。
 一臣のばあさんは、頭を下げるオヤジ達を馬鹿なことするんじゃないと一喝していたが、一臣もやはり馬鹿と硬い声を出した。
「俺らがさー、大人になって、お前が舟出せるようになって、俺もなんか、色々できるようになって、そうしたら、じいさん達が死んだ日に、舟を出そう」
「おう」
「酒が好きだったから、酒持っていこう」
「墓参りだったら、花がいる」
「うん。俺とお前で、行こう。なんか、じいさん達が好きだった歌、なんだっけ? 兄弟舟? そういうの、歌ってさ」
「うん」
「絶対だ」
「おう」


 あれからもう何年が経つだろう。
 じいさんのしわがれた怒鳴り声を脳内で再生しても、あやふやな感慨しか浮かばなくなったが、船の操り方は似てきたと漁師の大先輩方は言う。
 夜明け前の海に向かって、もやい綱を解き、出発する。
 一臣が舳先に立っている。
 昔、一臣のばあさんが言っていた。
 じいさんは幸せだった。まさしく生涯の友と呼べる人とめぐり会えたのだから。
 ならば俺も、幸せなんだなと思う。
 海は、じいさん達が生きていた頃とは少し違った表情を見せるようになってきた。
 潮の流れ、海水の温度、風の吹き方、砂の色。じいさん達が長年の経験を持って読んできたものが、思わぬ牙をむくことが多くなった。ニュースでは異常気象だエルニーニョだと騒いでいる。
 人間の業さと、一臣のばあさんは深い溜息をついていた。
 騒いでも恐がっていても、大切な人を失う不幸に遭遇する時は遭遇するのだ。
 祖父達の死が孫にもたらした変化はささやかだ。
 小さな、子供だましのグループを作った。
 美菜浜の若輩者の集いを意味する若年会。最初は浜のゴミ拾いから。小さな行動の積み重ねが、将来の希望になればいいと。
 よく地元広報誌には美談として取り上げられるが、要は恐いのだ。好きな環境が、好きな人を奪っていくことに耐えられないから行う予防策。
 憎しみと愛情を抱えたちっぽけな人間二人を乗せた船は、今日もでっかくて深くて途方もない海の上にぷかりと浮いている。
「おぅい、そこで一人タイタニック気取ってる兄さんよ、そろそろ網を投げてくれないかね」
「墓参りついでに獲物狙いか。立派な孫に育ったもんだとじいさん達も泣いてらぁ」
「自慢の孫さ」
「違いない」
 舵をとる、網を放つ、この海で生きていく。
 自分達が、頑固で厳しくて不器用な老翁達の孫であったという事実。




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ルーツ・コンプレックス小咄 脇役編2/4
「美菜浜若年会」


 この世代では、同窓会が割りと頻繁に行われる。
 誰かしらが声をかけ、どこかしらに集まっていれば一人また一人と数は増える。
 盆や正月などに開催すると、中学時代の同級生全員が顔を揃えたこともある。
 あんたらの世代は仲がいいと、あちらこちらから感心される。
 原因は若年会のリーダーである大月一臣のせいであろう。
 そうして今日も夏のシーズンを前にした景気付けでもしようじゃないかとどこからともなく声がかかり、客のいない栄月館に若者達が集結した。
 料理は持ち寄ってはいるが、ここにはプロがいる。
 広げたテイクアウトの惣菜の合間に、美しく盛り付けられた料理がちらほらと並ぶ頃には会場の三分の二は酒が回っている。
「ハルちゃん、この生春巻き、めっちゃ美味い!」
「デザートは? 甘いものないの? 春海のデザートが食べたいよー」
 そんな酔っ払いの我侭リクエストも、暫くすれば叶えられてしまう。
「春海、いい加減のところでほっとけよ。こいつらの言うこと全部聞いてたら、うちの冷蔵庫が空になる」
 いいから座れと、まだ動こうとしている相棒の腕を掴んで無理に自分の傍に置く。
 それを視界の端に留めた友人達が、何人忍び笑いを噛み殺したことか。
 その気遣いは思いがけず打ち砕かれた。
 それは部屋の一角で昔の思い出恋話に花を咲かせていた女性陣から上がった声だ。
 中学生の頃、誰と誰が付き合ってて、誰が誰に思いを寄せていて。そんな姦しいお喋りが、不意に男性陣を巻き込んだ。
「あーたーしーさー、一臣のことが好きだったんだよね!」
 千鶴と言う同窓生の呆気羅漢とした告白に、指名打者は飲んでいたビールを噴出した。
「マジで! 千鶴、マサオが好きだったんじゃなかったっけ?」
「やだ、それ一瞬の話! 私はねー、中学の終わりから高校くらいまでは、カズが好きだったのです!」
「キャー、十年越しの告白ね!」
 ビールに咽る当事者は、未だ態勢を整えられず苦しんでいる。
「つか、マサオ……一瞬って……」
「マサオは千鶴のことマジだったんだぜ」
 ぐだぐだとくだらない、他愛のない会話に終始する宴会に吹き込んだ新風はざわめきを呼んでいる。
「でさー、高三くらいの時に、告ろうと思ってたのね」
「千鶴……、もう、ちょ、勘弁」
「カズは黙って聞きなさい!」
「マサオは泣かない!」
「でもさー、そうやって決めた頃にね、駅でカズを見たの。カズ、家の手伝いがあるからって特例で早めに免許とらせてもらってたでしょ? それでお客さんの 見送りに来てたの。朝子さんとお客さんを見送って、電車が出た後にね、二人で無言でハイタッチしてたの。それがいい顔でさー。それ見て敵わないなーって、 思ったの」
「切なーい!」
「カズ! このマザコン!」
「はぁ? 俺のせいか!?」
 ガヤガヤと賑わう中、一臣の頬はじわじわ赤くなる。
「でね、この前も同じようなことがあったの。一緒にいたのは、春海だったけど」
 手持ち無沙汰にウーロン茶を飲んでいた春海が咽た。
「もうこれが、いい顔しちゃってね! 憎いよこのっ、ご両人!」
「千鶴、お前、おっさんか」
「だって、二人とも本当にいい顔してたのよ。ヤキモチのヤの字も出てきませんよー」
 シシシと歯をむき出しにして笑う、レーシングマシーンに乗った犬そっくりの笑みを浮かべた友人の視線に刺されながら、一臣は仏頂面を作りこみ、春海はその背後でただただ赤面して小さくなっている。
 これまで色恋沙汰についてはからかい甲斐のなかった男の、実にからかい甲斐のある話題に場は盛り上がる。
 そこには一心不乱に地元のため、友人のために駆けずり回り続けた男がようやく安息の地を見つけてくれたことへの安堵も混じり、それを感じているからこそ一臣も仏頂面を引っ込めて苦笑いを浮かべるしかなくなるのだ。
「うるせーな。いいだろ、可愛いんだよ、春海が」
 縮こまった春海の頭を抱え込み、慌てるそれを封じてキャラメル色の髪の毛に口を寄せる。
 ヒューと古典的な口笛が囃し立てるのも黄色い悲鳴も祝福と理解して開き直る一臣の腕の中から脱出した春海は、美菜浜の誇る茜色の夕日に匹敵するほど紅潮した顔を俯かせ、
「なんか、デザート、作って、くるからっ」
 現実になるであろう言い訳を口にして、その場から逃げてしまった。
「あーあ、春海は照れ屋だねぇ」
「常識があると言ってやれ」
「しかし、あの、カズが……」
 誰にでも優しい男だが、どこか古風な亭主関白的理念の持ち主が、人前であぁもベタベタと。
「わりぃけど、仲直りしてきますんで」
 視線を受けた男は、友人達に向けて実にいやらしい笑みを浮かべてみせた。
 普段はあれで割りと爽やかな好青年と呼べる男なのだ。
 それが、見たことのない男の顔を見せた。
「カズってあんな色気のある顔できるのねー」
 女性陣が魂の欠片を少しずつ持っていかれたような声音で呟いてしまうような、そういう顔をした。
 呆気にとられた会場を再度盛り上げるべく、若年会副会長が中途半端に満たされた飲みかけのグラスを掲げる。
「大月一臣くんの蜜月に、カンパーイ」
「かんぱーい」



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ルーツ・コンプレックス小咄 脇役編3/4
「蒼」


 春海は、不思議な青年だ。
 現代の草食系男子らしい優しげな面差しに柔らかな物腰を持っているせいか、どうしても頼りなく見られがちだった。
 知人が店を終う際に、不要となった調理器具の下見に行ったついでに譲り受けた人材で、マイノリティとしての一致はともかくとしても、果たしてアルコールを取り扱う夜の店で使えるものかと心配した。
 それが人は見かけによらないとの教訓通り、彼は意外なほどしっかりした青年だった。
 料理人としての腕は勿論だが、酔っ払いの相手も手馴れたもの。
 特に同性愛者が集うバーで、カウンターの内側に立つ美青年へのアプローチはよくあること。それも相手を不愉快にさせない愛想と拒絶でかわしている。
 接客技術だけではない。社会的な知識もしっかりしていて、蒼が友人の税理士に任せっぱなしだった店の会計を眺めて首を捻ったかと思えば、税理士のミスを指摘してみせた。
 蒼の店を訪れる人たちにはよくあることだが、春海もまた家族とは縁遠い。高校中退した歳からずっと自活してきたのだ。生活のための知識と社会に己を組み込むための言動を身につけている。
 そのくせ世間知らずそうな顔をしているものだから、最初こそそのギャップに戸惑ったが、小さな店を回していくパートナーとしては申し分なかった。
 その相棒が、ある日の仕事前に悲鳴を上げた。
 スタッフルームで点けっ放しにしていたテレビは、夕方のニュースを映し出していた。
 海辺の町の国道で起きた交通事故で主婦が死亡した。明日になれば忘れてしまいそうなニュースを春海は一生忘れることはないだろう。
 今の自分が在るのは叔母のおかげなのだと、染入るような声で呟いたのを聞いたことがある。その人が他界したと伝えるニュースはあまりに事務的だった。
 着の身着のまま、もう十年近く立ち寄っていないと言う海辺の町へ葬儀のために向かった春海はその日の遅くに戻ってきた。
 暫く休暇でもとればと言ってみたが、大丈夫ですと微笑む顔は意外としゃんとしていた。悲しい別れの儀式を、綺麗な形で纏め上げる声があったのかもしれないと推測した。
 それから春海は、ぱたりと一夜限りの恋愛遊びを止めた。これまでもよほど相手を選んで、後腐れのなさそうな遊び上手からの誘いを五十に一度ほどの奇跡的なペースで受けていた程度だが、それすらぴたりと止めてしまった。
 元より美形ではあったがセクシャルな匂いの薄い子だった。それがストイックとも形容できる空気を背負い込んでしまった。無言の拒絶を客も感じたのだろう、春海へ対するアプローチはほとんどなくなった。
 春海はいつも淡く笑って、王子様に想いを馳せる。ただただ想うことに美しい身を費やして泡と帰す。
「あんたは、それでいいの?」
 一度、そう尋ねたことがあった。私らしくもなく、決起を促すつもりだった。
「俺が今、それなりに一人でも生きていられるのは、叔母さんとカズちゃんのおかげだから。あんまり多くを望むと罰が当りますよ」
 幸福そうに笑った春海は、数日後にカボチャの馬車ならぬ夜行バスに乗って来た、王子様ならぬ宿屋の主人に迎えられて太平洋を臨む美しい海辺へと移り住んだ。
 そうして見事にヘッドハンティングしていった宿屋の若旦那は、春海の純愛を受け取ったらしい。
 東京の明るい夜の端っこ、白い壁に囲まれたバーカウンターの無機質さが似合っていた青年は、潮風に髪を乱し焼けた砂の上を歩き、くしゃりと相好を崩して笑うのだ。
「やっぱ俺、今の方が幸せって思ってるから、罰当たりなのかもしれない」
 健気に謙虚に諦めて引っ込めてきた手を、一度繋いでしまったからにはもう手放すことはできない罪を笑いながら認めて罰を待つ。
「そうよ。あんたは罰当たりなんだから、今の幸せを持続するために精一杯、彼の隣で生きなさい」
 魔女は人魚姫を断罪する。
 甘い罰だ。




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ルーツ・コンプレックス小咄 脇役編4/4
「桐沢」


 桐沢が定宿とする栄月館の大月家長男は言動には毛ほども表さないが相当なブラザーコンプレックスがある。
 男兄弟に見られる絶対君主的権力を備えた長兄を弟達は恐れ、これまた決して口にも態度にも示さないがちゃんと尊敬してもいる。
 今も上座に座る父親と長兄のうち、長兄の気配をびしびし全身で感じ取りながら正座をしている。
「なんの話?」
「しー」
 この緊迫ムードの部外者となっている末っ子が呑気に口を挟むのを、春海がそっと窘めている。
 中子二人が揃って進路希望調査を差し出した。
 それぞれに、第一から保険となる二つ目三つ目と具体名が書き込まれている。何が書かれているのか、桐沢は事前に二人から相談を受けて知っている。
 父親と長兄がその字面を読む間、随分と個性の違いを見せ始めていたはずの双子は久しぶりにそっくりだと思わせるような強張った表情で息を詰めている。
「三咲は、美大か」
 父の確認に、普段は可愛げのない態度ばかりの三咲がコクンと頭を上下させた。
「二葉は調理学校」
 続いて二葉も同じ仕草をとる。
 父親の口元が微笑する。
 幼い頃から絵を描くことが大好きだった三男坊と、遅ればせながら料理の楽しさを知った次男坊が改めて自分の進路を明確に打ち出したのだ。
 父親としては嬉しいような心持になるのだろう。
 双子は一拍置いて視線を交わし、
「「桐沢先生の、」」
 と声をだぶらせた。
 互いに譲り合って黙り込んでしまうのを、桐沢は頂くことにする。
「私の事務所の近くにでもアパートを借りさせてはどうかと思ってね」
「家を出るって、ことか」
 長男の低い声が短く、二人がとる進路の意味を口にする。
 口を挟もうとする四恩を黙らせていた春海が思わず顔を上げ、双子が揃って肩に力を入れるような声だ。
「私の家に下宿しなさいと言っても聞かないんだよ。まぁ、若い者は若い者で自由にやる方が気楽でいいだろうがね」
 二人一部屋の現状に不満ばかり零していたから、てっきり高校を卒業したらそれぞれ一人暮らしを希望するものと思っていたが、相談内容は二人暮らしが前提だった。
「あんまり家事とかしたことねぇから、不安なんだけど、二人ならどうにかなるかなって」
「母さんも言ってた。俺らは大きくなればそれぞれ一人前になれるけど、二人揃うと二人前以上にはなるから、仲良くしなさいねって」
 家を出て、それぞれの進路へと歩を進め、自活していく。
 喜ばしいことではあるのだが、長兄は厳しい顔で差し出された紙切れを見据えている。
「美大も調理師学校もこの近くにはないからね。どうしても家を出ないといけないが、二人一緒なら安心じゃないかね? 元幸さん」
「そりゃあもう。桐沢先生が近くにいてくれるなら尚の事安心です。それに、二人で考えて決めたことなら、僕に異存はありません。先生にはご迷惑をおかけしますが」
「なんの、水臭いことを言いなさんな」
 穏やかに承諾を伝える父親の横で、決定権のないはずの長兄が難しい顔をしている。
 弟達の進路を心配したり反対しているのではなく、意外なほど寂しがり屋なこの兄貴は、大月家から双子がいずれ出て行くという現実を受け止めるのに精一杯なのだ。
 弟達も反対されることに怯えているのではなく、自分が大事なものを手の届くところにおいて囲っておきたい狭量な兄貴を不安にさせることを何より恐れているのだから、この兄弟は面白い。
「「……カズ兄」」
 また二人の声が揃う。
「心配なら、毎日電話するし」
「二葉の不純異性交遊は俺が見張る」
「なんだよそれ」
「や、たぶん、カズ兄は二葉が女の子を婚前妊娠させることを一番心配してるんだと思う」
「ちげーよ! 三咲の気難しい性格に俺がストレス感じちゃって体を壊すことを心配してる」
「お前、何を勘違いしてんの」
「ほら、そういう言い方がむかつくんだよ!」
 今日、二人揃って家族に報告するから同席して欲しいと神妙な声で頼まれたのだが、これだ。
 ぎゃんぎゃんと言い合う二人を四恩が面白がり、春海が心配そうに止めている。
 その目の前で父親は苦笑し、長兄はぼりぼりと頭を掻いた手をちゃぶ台に叩きつけた。
 一瞬で場が静まる。
 たちまちに双子はしおらしく、お伺いの上目遣いで兄を見つめる。
 縋るような視線を受けながら、一臣は進路調査票を二人に返す。
「まず、受験だろ。しっかりやれよ。あと二人で暮らすなら、もうちょっと家事覚えさせてやる。春海、こいつらに手伝いもっと言いつけろ。四恩もへらへらしてる場合じゃねーんだよ。今のままじゃ行ける高校ねぇぞ」
 もう話は終わりとばかりに煙草とライターを片手に持った一臣は、腰を上げる前に桐沢に向き合った。
「先生」
 目を合わせると、長男坊はいつになく真剣な表情をしていた。
 彼が双子くらいの歳だった頃、今と同じような顔をして密かに夢を語ってくれたことがある。警察官になりたいのだと、たった一度語った夢をどこまで思いつめていたのか、桐沢は追及することもなかったが、気が付けば一臣は宿屋の主人と言う立場に立っていた。
 この家のためにひっそりと死んでいった夢がある。
 そうして今、この家から羽ばたこうとしている夢がある。
「二人ともアホでどうしようもねぇけど、もし先生の近くで暮らすことになったら、弟達を、よろしくお願いします」
 そして頭を下げるから、大月家長男は弟達に畏敬の念を抱かせるのだ。
 自分の寂しさなど隅において、弟達の為を思う決断をしてくれるから。
「嫁に貰うような心持だね。朝子ちゃんの忘れ形見達だ。大丈夫。預かれる日を楽しみにしているよ」
 赤ん坊の頃から見守っている子供達が育っていく。
 居間に置かれた幾つかの写真の中で、看板娘は微笑み続けている。
 君の子供達は、本当に、どいつもこいつもいい子に育っているよ。




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ルーツ・コンプレックス小咄 Honey Moon
「一臣と春海」


「わらび餅と苺大福だったら、どっちがいいかな?」
「また光子の餌か? 放っとけよ」
「違います。土曜日の奥村夫妻のおやつ」
「あー、奥村さんか。なら、わらび餅かな」
「カズちゃん、食べる?」
「どうせチビの分も作るんだろ」
「土曜日はみーんな外出。二葉はデート、三咲も部活の子と個展に行くって。四恩は部活。叔父さんは社内行事でソフトボール大会なんだって」
「あの親父が?」
「去年はホームラン2本打ったって言ってた」
「マジで? そんな話、聞いたことねぇぞ」
「恥ずかしいから言えなかったみたい。そう言うことろ、カズちゃんのお父さんって感じがする」
「なんだそれ」
 サクサクと歩く度に柔らかな砂が沈み込む音が途切れた。
 春海が振り返れば一臣が煙草を銜えたところだった。
 目の前で沈もうとしている夕日に似た色の火種が一臣の呼吸に合わせて大きく小さくなる。
「日が暮れるの、早くなったな」
「うん」
 民宿業務の打ち合わせを兼ねた食後の散歩は、一臣の一日五本程度の喫煙と同じで気負いなく続く習慣だった。
「そっかー、土曜は親父もチビもいねーのか。失敗したな」
 煙を溜息をして吐き出しながら肩を落とす。
 一臣にしては珍しい落胆ぶりに春海は慌てる。
「人手が要った?」
「いや、せっかく春海と二人きりなら、お客入れなきゃ良かったと思って」
「なんで?」
「絶好のセックス日和だったのに」
「……っ、何言ってんの! せっかく奥村さんが来てくれるのに!」
 一瞬でも心配したのが馬鹿だったと春海は優しげな眉を怒らせて一臣を睨むが、それにめげず一臣は拗ねたように視線を逸らせて煙草をふかす。
「だってもう二週間もしてない……。ミイラになりそう」
「カズちゃん!」
「春海は案外、淡白だもんな」
「……普通だよ」
「どうせ俺は俗物です」
「なに拗ねてんの!」
「欲求不満で非行に走りそう」
「立派な非行青年のくせに!」
「どうせ俺はがっついてばっかりの即物的な男ですよー」
 そんなやり取りの後、一臣は不意にしゃがみこむ。
 あーあ、とわざとらしい声を出し、銜えた煙草を上下させる。
 昨年三十路に突入した大男の大人気ない姿に絶句する春海は、僅かだが罪悪感を覚える。
 一緒の部屋で寝起きしている中で、一臣が伸ばしてくる手を春海は幾度か拒んでいる。理由は、隣の部屋で健やかに眠る弟達の存在があるからだ。その度に仕方ないと溜息一つで諦めて、ただ添い寝するに終わる夜が続いていた。
 年上らしい余裕の態度に見えていたが、どうやらフラストレーションを蓄えていたらしい。
 今日は春海が仕方ないと嘆息して一臣の斜め後ろに座り、やや丸まった背中に頭を預けた。
「俺だって、し、したいと思ってる」
 息苦しくなるほどの恥ずかしさに耐え、春海は欲求不満の男に本音を差し出す。
 自分だってセックスしたい。
 隣の布団から手が伸びてくると、たまらなく嬉しい。
 カズちゃんに触られたら正気じゃいられないから声も我慢できない。
 弟達の健全育成に悪影響である。
 そんな理屈に、
「俺が、どんだけカズちゃんを好きでいるか、カズちゃんはわかってない」
 ささやかな不満も加わった。
 携帯灰皿に吸いかけの煙草を捨てた一臣が、半身振り返り春海の顔を覗き込む。
 ズルイ顔をしていると、春海は俯く。
 余裕と嬉しさを正直に表した笑みが近付いて、下から掬い上げるように口付ける。
 かさついた口唇が様子を見るように押し付けられて、春海が拒絶しないでいると安心したようにぬるっと舌を滑り込ませてくる。
 優しさと強引さを併せ持つ口付けが一臣らしく、春海は誰かに見られているかもしれない羞恥を忘れて酔いしれる。
 体温の上昇を自覚するようなキスの後、一臣が至近距離の上目遣いと言う手を出してきた。
「なぁ、ホテル行こう?」
 せっかく惚れ惚れしていたのに、この直球の誘い文句。
 一臣の視線はちらりと、浜辺から遠くに見えるケバケバしいネオンに向く。
 一臣の後輩一家が営んでいるラブホテルだ。
 界隈の若者が地元ホテルと言う目撃されやすいデメリットにも負けずにこぞって利用するのは、格安の地元割引が適用されるからだ。
「……やだよ」
「なんだよ、お前、まだ大介に“ごゆっくり〜”なんてからかわれたこと根に持ってんの?」
「普通はした回数の話とか体位の話とか、ホテルのフロントではしないと思う」
「俺だって惚気るの好きじゃねぇけど、大介はお前のこと可愛い可愛いって言うんだよ。牽制しとかないと、あのお調子者はどこで勇気を振り絞るかわかんねーからな」
 おねだりモードの効き目がイマイチと察するや、すぐに作戦変更して春海の二の腕を掴んで実力行使に出ようとしている。
掴まれた手が少し痛い。その痛みすら求められている証拠のようで嬉しいのだと一臣が知れば、きっと淡白だなどと言えなくなるだろう。
「じゃあ、ここで海を見ながらする?」
「……ホテル、行こう」
「よし」
 強引な男は春海の足を宙に浮かせた状態で抱きしめたまま、歩きにくい浜辺をずんずん進み始めた。
「春海は淡白なんじゃなくて、慎重なんだよなー。乱れ始めたら飛んじゃうけど。まぁ、春海が慎重じゃないと俺が毎日盛って大変だ」
 そうだよと、強引な一臣の肩口に額を押し付けて春海はこっそり微笑む。
 慎重にならないと、日常生活に支障が出るくらいに一臣のことが好きなのは春海の方だ。
 賑やかな家族や栄月館の利用客の存在はありがたいし、彼らなくして自分は生きていけないと思うけど、たまにはこうして相思相愛の相手に欲情をぶつけられて奪われたい。
 求めようと述べられる手に飛び込みたい。
「カズちゃん」
「うん?」
 意気揚々と竜宮城へと歩を進める一臣を見上げると、早くも欲情の兆しが滲んだ男っぽい眼差しが向けられる。
 おそらくは自分も同じような目をしていると自覚しながら、愛しい男の首に抱きつく。
「朝まで眠らせないよ?」
 あなたの理性を抹殺するための武器を振るう。





2010年後半 Web拍手お礼SSとしてアップ
2011/1/6 再録

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