「もっと早くてもいいよ」
そう言って、彼は幼い顔に不敵な笑みを浮かべた。
練習着はたっぷり汗を吸っていたが、彼はまだまだ動けるらしい。
自陣側の深いところでボールを奪った時の展開のシミュレーションで、彼はフィニッシュを任されている。
一旦俺に回されたボールを、中央からサイドへフィードする。
ラインは深いからフォワードの彼の位置も深めで、前線へ蹴り出すボールへ追いつくにはかなりの距離を走らせることになる。
オフサイドも計算しながら頃合を見極めようとしていた俺に、もっと早い球を寄越せと言う。
「もっと遠くてもいい」
ゴールを見ながら彼は言う。
「ただし、ターゲットは俺だからね」
汗に濡れた髪の毛を乱暴にかき上げながら挑発するような笑みを見せる。
普段は所謂ジャニーズ系の甘めな顔をしているのに、こうして笑っている姿は凛々しく、スポーツマンに見える。
いや、それよりは野性の獣。
「いくぞー」
コーチが笛を吹くと同時にボールを転がす。
ディフェンスがそれを取り、素早く俺にパスを出す。
視界の端に走り出す青い影。
もっと早く、遠くという要望通りに、さっきよりも強く前線へ蹴り出した。
「早ぇっ」
誰かが驚愕の声を上げる。
ゴールラインを割るか割らないかギリギリのラインで、彼は追いついた。
追いついて、ディフェンダーとしてセットしてある人形の間を縫って余裕でシュートする。
キーパーのいないゴールネットが揺れた。
「オッケー、英介。早いよー」
「本番はもっと早く走れるよ」
余裕の足取りで戻ってきて、そんなことを言う。
厳しいことで有名なコーチは満足そうに頷いている。
「ね? もっと、きてもいいよ。追いつくから」
俺にだけ向けられたその目は、信頼を勝ち得ようとしているのかそれとも挑発しようとしているのか。
「もう一本いくぞ。英介、中に走ってみ。タカも中に入れて」
「はい」
再びホイッスル。
ディフェンダーからのパスを高山は言われた通りに中へと蹴り込んだ。
自分がボールを受けた頃には視界の端で動き出す気配。
ゴールに向かって蹴ったボールの軌道を追う。
ボールの先には彼がいる。
重力に従って落ちていくボールに向かって飛び込んだ。
再びネットが揺れる。
「おーい、怪我するなよー」
豪快に飛び込んだ彼の体は、セッティングしてある人形にぶつかって転がっている。
「平気でーす」
呑気な返事をして、芝を払いながら起き上がる。
「早すぎるだろう、あれは」
また誰かが呟いた。
確かに驚くほどのスピードがある。
だけど、
「見た? どんぴしゃ」
それよりも驚くのは、こいつの頭にボールが触れたときの感覚。
俺の足を離れたボールがヘディングされる感覚から、ゴールネットを揺らす感覚までが伝わってきた。
まるで自分がゴールしたような錯覚。
感覚が繋がる。
「う〜ん、いい感じ。相性抜群?」
へへっと笑いながら、拳を突き出してきた。
思わず俺も拳を差し出す。
ガツンと間接が触れ合い僅かな痛みと衝撃を生む。
何も言えずにいた俺の意思表示に、ぱちりと瞬きを一つ。
それから破顔して、幼い笑顔をのぞかせた。
さっき不敵な笑みを浮かべていた奴とは思えないほどあどけない顔。
「なぁなぁ、高山のことさ、タカって呼んでいい?」
くいっと練習着の裾を掴む手は小さく、あれ、こんなに小さかったっけ? と思うほどだ。
「あ? あぁ、いいけど」
戸惑いながら返事をすると、安心したような顔をする。
「俺んことはなんでもいいから。みんなえっちゃんって呼ぶけどさ」
水をたっぷり含んだスポンジを項に当てて、疲れていない口調で疲れたと言う。
頭を振って水を飛ばした彼の名を、呼んでみた。
「なに?」
小さな声を聞きつけて真っ直ぐな視線を向けてきた。
あの時なんて返事をしたんだっけ?
はじまりの時。
感情よりも印象よりも感覚の記憶が残り、それは色褪せることなく今も胸にある。
2003/3/12
出会って最初の練習にて。
この頃は英介的には「こいつ上手いけど、ポジションも違うけど、蹴落とす!」くらいの意気込み。
タカはぽかーんと「こいつすげぇ」と関心。
そのうち感化されて「負けるか!」になってラブになるという……。