「……っ」
息を不器用に飲み込んだ。
汗がバタバタと落ちていく。
「……は、ぁ」
口を大きく開いて、深く息をつこうとする。
「……も、駄目。死ぬ」
か細い声でそう呟くと、ユーキは膝を折って寝転がった。
汗で濡れた肌に芝生が張り付く。
見上げると恐ろしくも平和な青空が広がっていた。
オフ開けに待ち構えているのはシーズン突入までのキャンプだ。
オフの間に失ったスタミナや勘を取り戻さなければならない。
厳しいフィジカルトレーニングは今日も行われている。
「ちょっと早いけど、午前はこれで終了―。息整えてからでいいから撤収しよう」
返事は少なく、頼りない。
死屍累々といった様相で、選手達は練習場の芝に転がっている。
「おいおいこのくらいでバテてるんじゃ、シーズン突入なんて無理だぞ」
その姿を見渡して笑うフィジカルコーチは、恵比寿様のような顔をして呆れた声を出す。
去年の夏にコンディションを崩す選手が相次いだことを受け、今年のフィジカルメニューはより厳しいものになっている。
「……鬼……」
誰かがぽつりと呟いた。
仏顔した鬼は、声がした方向を見てにやりと笑った。
『にやり』と笑ったつもりなのだろうが、如何せん生来の細い目とふっくらした頬がそう見せない。
どう見たって周りが和むような微笑だ。
「鬼がいるなら仏もいるってことだ。いい仏さんに拾ってもらいなよ」
なんてことを飄々と仏顔で言われて、選手は疲労を濃くして天を仰いだ。
仏顔の鬼のフィジカルコーチは、フッフッフと穏やかな笑い声を発しながら引き上げていく。
それを視界の端にとめて、選手は長い溜息をついた。
「あー、スプラッタ」
「まったくだ」
「しんどい〜」
ひーひー言いながら選手達は冷たいドリンクを喉に流し込んでいる。
オフの間にクールダウンした体は、久々のハードトレーニングに悲鳴を上げている。
「ほんっとに駄目だな。こんなんじゃ。残留争いに参戦してぇのか、てめぇらは」
「泥沼のピリピリ感を味わいたいんじゃないの?」
死体のような選手達を見下ろす人影は、先ほど去ったばかりの鬼とは違った。
「……鬼の次は悪魔かよ」
勘弁してくれとベテラン勢すら嘆く悪魔の降臨だ。
太陽を背負った悪魔は、腕組みをしたのと腰に手を当てたのと二匹いる。
かつて神戸RCで活躍した元フォワードと元センターバックは、今では神戸RCのなくてはならない裏方だった。
矢良薫はチームドクターとして、内田はコーチとして。
鬼のフィジカルコーチも恐ろしいけれど、この二人はもっと手に負えない。
飴と鞭の使い分けをあまりご存知でないし、口が悪い。
「真吾もしっかり体を起こさないと、このまま引退だぜ?」
泣く子も黙るキャプテンにも容赦ないし、富永もこの二人には敵わない。
「ユーキちゃん、今晩は僕の部屋に着なさいね。しっかりあそこもそこも揉み解してあげるから」
一番へばっている若手のユーキを指名して、マッドドクターは見事な笑みを見せる。
二枚目と言える顔が浮かべる笑顔。
アルカイックスマイルってこのことか、とユーキは思わず遠のきそうになる意識で一つ学んだ。
「薫先生、直々のお誘いだぜ? お返事は?」
怯えた小動物状態のユーキは、僅かにふるふると首を横に振る。
ユーキは知っている。
このチームドクターは腕はいいが、サドなのだ。
過去の屈辱的な経験から、ユーキの本能には矢良薫の危険性が刷り込まれていた。
「タカさぁん」
思わず近くにいた高山へ助けを求める。
「馬鹿、俺んとこ来るなっ」
高山だって、この悪魔は恐ろしい。
部屋に連れ込まれて、されることは目に見えている。
人の体のアレコレ熟知しているドクターは、マッサージと称したセクハラ行為に及ぶことがある。
ん? おかしいぞ。
と思った時には、体が火照っている。
明らかに面白がっている悪戯は、選手を赤面させ、困惑させた。
そして体の奥に灯った炎を持て余しつつ、その夜は寝かしつけられる。
翌日には、悶々とした夜を振り切るように練習に打ち込むことになるのだ。
そして、それをよしとして生暖かく見守る内田ヘッドコーチにも物凄い問題がある気がする。
「エロドクターの最近のお気に入りはユーキのようだ。よしよし」
「若い分、かわいそうではあるが、仕方ない」
自分の背後で交わされる尊敬する先輩達の言葉にユーキは、本気で年末の契約更新で続投を選んだ自分の選択を後悔した。
「ユーキ、ぐれないかな」
「この環境下でどうやってぐれるって言うんだ」
「むしろ、あの人たちの方がぐれてるよ」
合宿所に戻って、ユーキはやはり薫の部屋へ引きずり込まれた。
助けの手を差し伸べるのではなく、手を振って見送るチームメイトこそ、ユーキには鬼にも悪魔にも見えただろう。
2003/8/26
ユーキの性格がイマイチ適当すぎてわからないけど、弄られ役であることは確か。
そのうち、ユーキ一人称を書いてみたい。
薫さんは可愛い子が好き。