サッカーシリーズで30のお題
13:螺旋


 ふぅ、と息を吐き出すと白い煙が重そうに口唇から流れ出てきた。
 ぐっと背伸びをすると肩の奥で何かがゴリゴリ言っている。
 これが肩凝りか、と矢良は初めて知る。
 非常階段に人気はなく、大学構内の隅っこにあるここは静かだ。
 春先の温かい陽射しが気持ちいい。
「うっとーしー」
 そんなうららかな陽気に似つかわしくないセリフを一つ、紫煙とともに吐き出した。
 さび付いた階段に上体を委ねる。
 足を伸ばすと、ガコンと鈍い音がする。
 金属製の左足には大分慣れたが、生身のそれよりも雑音が多いのがいけない。
 不用意に足を動かすと、椅子の足なんかにぶつかって大きな音をたててしまうことがある。
 何よりもいらない注目を集めるのが鬱陶しい。

 怪我で登録抹消され、ピッチを降りた。
 目標はすぐに見つかって、それならスポーツドクターになろうと心機一転できたのはいい。
 幸いにも自分は頭がかなりいい。
 医大だろうが何だろうが、サッカーで鍛えた集中力で猛勉強し、無事浪人もすることなく医大合格入学。
 選んだ大学は、神戸から遠く離れたところにあった。
 プロとして活躍したのは一年足らず。
 土地を変えれば自分が何者かを知る人間が少なくていいだろうと踏んだのだ。
 別に同情されようが何と思われようが気にする矢良ではないのだが、一々説明するのが面倒だからという理由で進学先を決めたことを、市井はお前らしいと笑っていた。

 しかし、しかしである。
「俺って顔がイイんだよなぁ〜」
『自分で言うか……普通』
 暇に任せて電話してみた相手はちょうどオフ。
 呆れ果てた声だけで、相手がどんな顔をしているのかが容易に想像できた。
「普通じゃないくらいに男前なの」
『お前、本当にいいかげんにしないと友達できねぇだろう』
「そうなの、お友達ができなくて市井クンに相談しようと思って」
『……講義はっ?』
「今日はサボリ倒す予定」
『モラトリアム人間めっ』
「いい言葉だな」
 ふふんと笑うと市井が沈黙で答えた。
 マズイ、ちょっと調子に乗りすぎたか。
 反省して矢良は声のトーンを変えてみる。
「って言うのは冗談で、ちょっと困ったことが起きた」
『何?』
 市井の声も真剣なものになる。
「痛いんだ」
 電波が伝える困った気配。

「足が、痛い」

『……薫?』
「なくしたはずの左足が痛むんだ」
 携帯電話を耳にあて、頭を階段に預けた。
 じゃり、と砂利や錆の感覚がある。
「サッカーをしてるお前らを見ると、痛み出す」
 感情的になりそうで、空を仰いだ。
 階段に遮られ、空の青は切り取られたように所々に除くだけ。
 あとは螺旋階段のシルエットだけが目に入る。
「俺はそこに、戻れるかな」
 あぁ、こんな弱音、聞かせてやるつもりなんかないのにな。
 長くなった煙草の灰が気になった。
「ゴールが見えないのは、きついな」
 まるで、この螺旋階段みたい。
 見上げても、目に入るのは自分が足を進めなくてはならない階段ばかり。
 スポーツドクターになるのは不可能じゃないけれど、そこで自分が耐えられるのかどうかが不安でたまらない。
 逃げ出したいと思った時、この数年の苦労は無駄になる。
 自分の価値は、ゼロにも等しくなる。
 ゴールに辿り着いてみないとわからない、恐怖。
『珍しく、弱気だな』
「たまには」
『大丈夫なんじゃねぇの?』
 珍しく弱音を口にしてみたのに、返答はえらくあっさりしたものだった。
 何を根拠にと、少し苛立ったのも一瞬のこと。
『お前はドクターとして、絶対に帰ってくるよ。そうしたら、逃げないように俺が見といてやるよ。背中向けたくないだろ、俺には』
 呆気羅漢とした言い方だからこそ、妙な説得力がある言葉だった。
『だから、こっちに来てからの心配はいらないぜ?』
 なんだか凹んでいる自分が馬鹿みたいに思える、市井の馬鹿みたいな弁。
「……そっかぁ」
『でもそれには、俺が現役の内にこっち来てもらわないといけないんだよ。だから、さぼってないで授業出て来いよ』
「学校の先生みたいなことを言うな」
『大人なんだよ』
「そっか。じゃあ、俺も大人の階段上がるために階段教室行って来ようかな」
『おう』
「サンキュな」
『おう。……薫』
「あ?」
『待ってるぞ』

 電話を切った。
 ゴールが見えない螺旋階段だが、上りきる自信はある。
 その自信だけは、誇れる。
 いつか。
 コートには入れないけれど、ピッチの傍らで生きる日々が来る。
 その時に、自分は誇るだろ。
 短かった選手生命も、そこに至るまでの過程も。
 そこで培われた、永遠の絆も。


2004/3/14
薫さんの弱ったところを書くのは楽しいです。
友達のことを誇ってる人って言うのはいいなと思います。きっとその友達もその人のことを誇ってるんだろうとか思えるから。

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