サッカーシリーズで30のお題
17:君は誰



「コージくん、ストレッチしようや」
「コージくん、いいよぉ。その調子その調子」
「はい、コージくん、行こかー」
「コージくん」
 なんていう嫌がらせが今、神戸RC内では大流行していた。
 今放送中の月曜九時のドラマの主人公が、想いを寄せる男の名前が発端だった。
 あのドラマ面白いよなという会話の中で、高山が『俺はなんか嫌なんですけどね』と口を挟んだ。
『だってコージコージって連呼されるんですよ。しかもあっちは二枚目だし』
 その一言で皆が気がついた。
 高山って、浩二って名前だったんだと。

「サッカー選手ってみんなそんなに子供っぽいんですか?」
 素朴な疑問を口にしたのは、英介の妹の友里だった。
「……頷きたいけど、そうしたら他のチームの人に申し訳ない」
 高山は力なく答えるしかできない。
 有給を使って遊びにきたついでに、兄に連絡をとったのだが英介は雑誌取材中。
 終わるまでの時間、高山が相手を務めさせていただくことになったのだ。
「そう言えば浩二のジって数字のニですよね? 一人っ子なのに」
「親父が正一だから、息子にニをつけたんだってさ」
「ふぅ〜ん。名前の由来ってけっこう面白いですよね。えっちゃんなんか、英介のスケの字を助けるって言う字にするはずだったんですって」
 クルクルとアイスコーヒーの氷をストローで回転させながら、友里は高山の少ないリアクションを気にすることなく話をすすめていく。
「だけど辞書で引いたら情婦って言う意味もあるって知って、勲ちゃんが絶対に駄目だって反対したんですよねー。別に普通に名前に使われてるからいいじゃんと思うんですけど、あの人えっちゃんの生まれる前からブラコンになってたんで、この子は将来絶対可愛い子になるからそんな意味の字は駄目だって親に言ったらしいですよ」
 相変わらず英介兄の話題は凄まじい。
 江口兄弟の末っ子の友里は、兄弟の中で一番クールだ。
 本当に英介の妹かと思うほどしっかりしていて、淡々としている。
 ちょっと強引なところがあると知ったのは極最近のこと。
 恋人の妹にどう接していいのか戸惑っていた高山を置いて、友里の方は自分のペースで接することを決めたらしい。
「友里ちゃんは?」
「私は普通です。友達がたくさんできればいいねって」
 英介とよく似た顔だが、表情や喋りがこれだけ呆気羅漢としているとまた違った雰囲気がある。
「でも本名なんだからいいじゃないですか。コージって名前、いい名前だと思いますけど?」
「ありがとう」
 それでもからかい目的で、普段呼ばれない名前を連呼されるのは嬉しいものではない。
「そう言えばえっちゃんは、高山さんのことずぅっとタカって呼んでますよね?」
 初めて会った頃からそうだ。
 学校でも呼ばれていた苗字を端折った愛称を、英介は出会った頃から使っている。
 そう呼ぶからという宣言と、自分のことは名前の呼び捨てでいいよというのが最初の会話だった。
「えっちゃんも今はからかいに乗じて『コージ』なんですか?」
「いや、英介だけは違うな」
 普段なら先輩達と一緒になって自分をからかう英介だが、今回の名前攻勢だけは参戦していない。
 頑なに一人、『タカ』と呼び続けている。
「やっぱり」
「え?」
 思いがけない友里の一言。
 友里は悪戯っぽく笑う。
 そんな表情は英介そっくりだった。
 ピンク色のマニキュアを塗った指先をクルリと回す。
「本当はえっちゃんも名前で呼びたいんですよ」
「そう、かな?」
「そうですよ。うちの家族は高山さんのことコージくんって呼ぶじゃないですか」
「それはうちの親父がいるから……」
「自分は『タカ』なのにお母さん達は『コージくん』って普通に呼んでて、実はそれにちょっとヤキモチやいてるんですよ」
 友里は断言する。
 兄の思っていることなどお見通しなのだ。
「今までずっと『タカ』って呼んできたから、今更恥ずかしいと思ってるんです。それに、自分が『タカ』って呼ぶのには誰よりも強い気持ちを込めてるからいいんだって言い聞かせてる」
 江口家の兄二人もこの末っ子には勝てていないが、高山もまたこの娘には勝てないと確信した。
 地元で美容師をしている彼女は、客との会話で学ぶものが多いのだろう。
 自分の一つ下とは思えない人間観察能力がある。
「可愛いでしょ?」
 そして上手だ。
 にっこり微笑んで、高山の背後に向かって手を振った。
「えっちゃんの『タカ』は、高山浩二の全部を指すんですよ」
 高山が振り返るタイミングで友里は言葉を続けた。
 高山の視界には、二人の姿を見つけて安心した顔をする英介がいる。
 ウェイターの案内を断って、駆け足でやってくる。
「ごめん、待たせた?」
「いいよ。コージさんと、じっくりゆっくり無駄話させてもらったから」
 英介が一瞬だけ表情を曇らせた。
 ほんの一瞬だけのことだったけれど、高山の目はそれをとらえた。
 そして友里はそれを想定していたのだろう。
 クルクルとストローをまわす。
「荷物持ちはしっかり働いた?」
「うん。えっちゃんよりコージさんの方が有能な荷物持ちでしたよ。飽きたとか言わないし」
「言わないけど、黙ってて面白くないだろ」
「そうね」
 あっさり肯定されてしまう。
 本当にこの妹には敵わない。
 改めてそう思い知った一時間弱だった。

 その後も、友里の買い物に付き合わされた二人が解放されたのは夕食をとっての夜遅く。
 明日は友達と合流して遊ぶからと、友里はさっさとホテルに帰っていった。
 なんてクールな台風一過。
「そういや、友里ちゃんは勲さんとは会わなかったのか?」
「友里の彼氏に兄ちゃんがいちゃもんつけたとか言って、喧嘩してんの」
「相変わらずだなぁ」
 友里を見送った二人は夜道を歩く。
 一歩先を歩く英介の背中を見ながら、高山は友里の言葉を思い出していた。
 英介がタカタカと呼ぶから、自分の名前がタカなんじゃないかと錯覚するくらいだ。
 苗字を呼ぶのと名前を呼ぶのと、確かにちょっと差はあるかもしれない。
 けれど、英介が呼ぶ『タカ』と言う言葉には万感の想いが込められているから格別。
「タカ?」
 振り返り、あどけない顔を向けてくる。
 英介の前でなら、自分は高山でも浩二でも高山浩二でもなく『タカ』になる。
「手」
 高山が差し出した大きな手の平。
 英介は暫らくそれを見てから、仕方ないなと笑って自分の手を重ねた。
「英介」
「ん〜?」
 気のない返事。
「英介、っていい名前だよな」
「タカ、もいいよね」
「それは名前じゃないんだけど」
「いいの。タカっていう響きが好きだから」
 握った手に力が入った。
 わかりやすい反応に、じわりと愛しさが込み上げてくる。
「だけど、浩二っていうのも好き」
 一歩先を歩く英介の耳が赤いのが、街灯の光の中でもわかった。
「タカにエースケって呼んでもらうのも好き」
 そこにありったけの想いを込めて呼んでいるから。
 信頼と愛情と友情に、ライバル心。
 込み上げるいろんな思いを込めて呼ぶから。
「俺もタカって呼ばれるのいいな。時々、自分の本当の名前忘れるくらい」
 引っ張られている腕を軽く引くと、英介の歩調が遅くなる。
 隣に並んで、英介が優しい顔で見上げてきた。
「だろぉ? 英介マジック」
「自分で言うなよな」
 本当は頭を叩こうと思ったのに、隣り合って手を繋いでいるからそれもかなわない。
 ドンと体をぶつけると、大袈裟に重い痛いと口にする。
「馬鹿タカ。あ、これ語呂がいいな。馬鹿タカー」
「語呂なんてどうでもいいんだよ。馬鹿言うな、馬鹿」
「馬鹿馬鹿言うな!」
「ウソ、馬鹿じゃないよ。すげぇ可愛いよ。エースケは」
「くそ、馬鹿にしてるようにしか聞えねぇ」
 痴話喧嘩は続くけれど、手は繋がったままだった。

 君の名を呼ぶ。

 ありったけの想いを込めて。 


2003/9/30
かわいい英介よりも、江口友里とタカの会話を書きたかった。妙な義兄妹。それでも徐々に江口兄弟に慣れて来た高山家一人息子。

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