サッカーシリーズで30のお題
23:永遠


 英介は浮かない顔で腹部を押さえた。
 この時期になるといつもこうだ。
 Jリーグの全日程を終了し、僅かなインターバルを置いて天皇杯が始まる十二月。
 決して気の抜けない時期だ。
 街は年の暮れだと忙しく、同時にクリスマス、ニューイヤーと浮き足立つイベントも待っている。
 そんな季節。
 サッカー選手は天皇杯の他に、新たなリーグにも参戦していく。
 ストーブリーグ。
 契約。
 契約更改である。
 オトナな話だという意識が、英介の中にはある。
 それでもこれがプロ。
 今日は江口英介の契約更改の日。
 きっちりスーツを着込んでネクタイを締め、いざ会議室へと向かったのだ。

 年棒アップで今年も無事一発サイン。
 この瞬間に、ゴールマイレージ溜まっててよかったと思うのだ。
 本当は他のチームからの誘いもあるのだけれど、神戸RCの条件は悪くないし、プレーし慣れたチームを簡単に去るのも惜しい。
 自分が神戸に貢献して獲得したタイトルもまだまだ足りないという気持ちもある。
 それに残念ながら海外からの有力なオファーもまだない。
 一番の理由は、高山浩二だけど。
 そんな不埒な理由を口にできるわけがなく、他の理由を挙げてはいるけれどやはり彼の存在は大きい。
 どうしようもない状況がこない限りは神戸RCでプレーしたいと思っている。
 それまでは自分に我侭を許してもいいかな、なんて思っているのだ。
 そんなこと、高山にも秘密だけど。
「今年も、よろしくおねがいします」
 だけど、このチームが好きだという理由だって大きいのだ。
 深く頭を下げ、英介は気合の入った声を出した。

 「俺、保留したから」
 それは夕食の時の出来事だった。
 明日は雨が降るらしい。
 そう言ったのと変わらない口調で、高山が言った。
「……え?」
 英介の箸の上からご飯が零れ落ちた。
「ちょっと、考えようと思って」
 英介の箸は宙で止まってしまっている。
 凄い勢いで血圧が下がっていくような、ちょうどエレベーターで一気に階を下っていくような落下感が頭から爪先を襲う。
「怪我があったから贅沢は言えないんだけど、どこまで譲歩できるのか考えてみる」
 年棒ダウンは覚悟していたが、予想していたよりも厳しい条件を提示された。
 その場で散々迷った挙句に、保留をいう結論を出して帰ってきたのだ。
「……そ」
 英介の返事は短かった。
 感情を悟られたくなくて、短い返事になったことは高山にもわかった。
 人の感情に対して敏感という性質ではないが、それでも英介の心の動きだけは些細なことでも感じ取ることができる。
 自分の契約保留が、英介に何を想像させるかはわかっている。
 けれどこの心地良い現状をいつまでも維持できるわけではない。
 この状況に甘えているのも事実だ。
 いつか来る別れを覚悟していると言いながら、先延ばしにしている。
 ご馳走様、と先に食堂を後にする後姿を見て溜息が一つ。
「お前、今の言い方はないぞ」
 するり、とどこから現われたのか、さっきまで英介が座っていた椅子に滑り込むように腰掛けてきたのは寺井だった。
 三つ年上のこのボランチは、アクの強すぎる富永や昴達よりもずっと親身になって相談に乗ってくれる優しい兄貴分だ。
 削り潰すというプレースタイルと、それに似合う顔立ちとは正反対の性格をしている。
「や、でも保留したのは事実だし。いつまで現役でいられるかわからないんだから、金の話はでかいって寺井さんがいつも言ってるじゃないですか」
「ちがうよ、馬鹿」
 ぴしっと太い指でデコピンされる。
「今の言い方だよ。素っ気ない言い方」
「は?」
「おっまえは、本当にデリカシーのない男だな」
 ぺしっと軽く頭を叩く仕草は本当に兄貴のようだ。
「同じことを言うにしても、もうちょっと真剣に言ってやれよ。自分はこういう考えで、とりあえず保留したけどわかってくれるな、とかイロイロあるだろうが」
 言われて考えてみると、確かにあまりに素っ気なかったような気がする。
「あいつ、サインして帰ってきた時に俺にこそっと言ったよ。タカも継続してくれたらいいんだけど、でもこればっかりはワガママ言えないから、運を天に任すしかないとか、あいつらしくないことを」
 まぁ、言い方一つで話す内容は変わらないわけだけど、逆の立場になって考えてみろよ。
 責めるでもない口調で言って、寺井も食堂から出て行った。

 ふわりと浮くパスは、柔らかく的確に自分の胸に落ちてきた。
 ぐんと軌道を伸ばすキラーパスは、本気で追いかけた時にはじめて自分のシュート体勢にぴしゃりと合った。
 ゴールラインを割ったように見えたボールが、急にキーパーの頭上を越えて中に戻されてきたこともある。
 粘りのあるプレーが、好きだった。
 柔らかな足の使い方や、マークを背負っての反転の仕方。
 セットプレーの時に前方を見据える鋭い視線も、助走をつけて走り出すときの体の動きも。
 ビデオデッキに放り込むように押し込んだのは、高校生の頃のビデオだった。
 高山浩二、高校生の頃のそれ。
 高校生の高山は長身で、十番を背負いキャプテンマークもつけていた。
 今よりもずっと荒削りのプレーだが、上手い。
 声を張り上げる、今より若い横顔を英介は寝転がったまま見つめた。
 うつ伏せで、枕に顔を埋める状態でじっとビデオを見ている。
 上がれ、と叫んでいる汗まみれの顔。
 自分の知らない頃の高校生の高山が成長して今の高山になったように、今の高山も自分の知らないところで成長する。
「わかってるけど……もうちょっと……なんかなぁ」
 胸に重りがつまっている。
 苦しくて取り払いたいのに、それもできない。
 ゴロゴロとベッドの上を転がっていると、コンコンとドアがノックされる。
 返事をしないでいると、
「英介?」
 高山の声がかかる。
 それでも返事をしないでいると、ノブが回りガチャリと音がした。
 ガコンとドアは開かずに鈍い音をたてる。
 英介はベッドの上に転がったまま、ドアを見る。
 滅多にかけない鍵をかけてみたのだ。
 困ったようにドアは何度かガチャガチャと音をたてる。
「エースケ」
 コンコンとノックされる。
「ごめん。ちょっと無神経だった」
 ドアの向こうからの謝罪。
「強がってさらっと言ってみたつもりだったんだよ。俺だけどうしようって思ってるのも、悔しいから」
 コツコツとドアを軽く叩く音と、どうにか聞える言い訳が英介をドアまで導いた。
 鍵には手をかけず、ドアに額を当ててみる。
「ごめん」
 途方に暮れた謝罪。
 今もこんなに甘えているのに、この人と離れて自分はちゃんと生きていける?
 例えそれが一生の別れじゃなくても、選手生命の終わりまで続くかもしれない別れになる。
 それに、耐えられる?
 でも移籍しないでとは、絶対に言えない。
 言わない。
 それは、自分達の矜持。
 どんなにギリギリになっても守ってみせる矜持だ。
「反省したか」
「……しました」
「じゃあ、そこで好きだって言え」
 声の響く廊下に立っている高山の困惑ぶりが、ドア越しにも伝わってくる。
 生じた不安を打ち消すための呪文を、英介は欲しがっている。
「好きだ」
 こそっと、ドアの隙間に向かって発せられた声はどうにか聞えたけれど、
「聞こえん」
「好きだよっ」
「聞こえませーん」
「好きだ!」
「愛してる?」
「あぁ、愛してる」
「聞こえねぇ」
「愛してる!」
 ヤケになったような高山の後ろから、笑い声が聞えている。
 天岩戸は開かないのかとかなんとか。
 仕方ない。
 あけてやるか。
 ロックを解除してノブをぐるりと回したところで、反対側から待ちきれない手にぐいっと引かれた。
 が、開ききる前にドアチェーンがピンと張る。
「……っ、お前」
 脱力した高山の姿が見えた。
 本当に困ったような、弱りきった表情だ。
「怒ってるんだよ」
「ごめんって」
「俺は、傷付いたよ」
「だから、ごめん」
 伸びきったチェーンが作る僅かな隙間から、互いに差し出しあった指先が触れ合う。
「不安にさせて、ごめん」
「うん」
 ぽつりと、言葉は零れ落ちた。
 指先を握る力が強くなる。
 この心地良さは永遠ではありえなくて、怖くなる。
 指先すら触れ合わない日を想像すると、あまりにも切なくて。
「何やってんの、お前らは」
 通りすがりの昴が、呆れたようにドア越しにいちゃつく二人を覗き込む。
「遠距離恋愛の練習」
 ニヤリ、と英介が笑って言った。
 昴が面白がるような同情するような複雑な笑みを浮かべ、高山の肩をポンと叩き自室に向かっていく。
「練習はいいから、中入れろよ」
「明日も練習だから、しないからな」
「……いいよ。キス止まりで」
「入っていいけど、一緒にビデオ見てくれる?」
 何のビデオかと尋ねる前に、一度ドアが閉まる。
 指を挟みそうになったことへの抗議をする前に、ガチャガチャとチェーンを外す音がして、天岩戸はとうとう開いた。
 嬉々として滑り込んだ部屋の中。
 高山はつけっぱなしのテレビを見て、凍りついた。
「……なに、見てるんだ」
「タカの高校時代のビデオ」
「……なんで、こんなもんが」
「宮川さんに編集してもらったんだ。高山浩二ベストセレクション」
 青臭い顔の自分が、声を張り上げて指示を飛ばしている。
「新人戦のもあるよ。後で見るからな」
 一緒に見ようなと笑顔で脅迫され、断ることはできなかった。
 そしてそれから一時間以上、高山は羞恥刑を強いられたのだった。


2004/1/1
季節モノで(笑)今回の移籍事情は激しかった……。

NOVEL TOP   BACK