最後には希望が出てくると言うので、開けてみたのだ。
惚れてしまった憧れの江口英介とは仲良くなれた。
元来、懐っこい性格同士だったから。
出会ったその日、その瞬間に好きだと告げると、彼はさすがに驚いたようだった。
その時に、高山浩二から睨まれた。
殺気すら感じられるような視線を浴びたのははじめてだった。
別に、えーねんけど。
以前、一人じゃ俺の部屋には来ないと言った英介は、今、何故か一人で俺の部屋にいる。
「飲みすぎや」
しかも、酔っ払って。
うるさいと彼は言い、クッションを投げてきた。
「えっちゃん、もうやめとき。明日、えらいことなるで」
二時間ほど前にやって来た突然の来訪を喜んだのは束の間。
痴話喧嘩をして家出……寮出をしてきたらしい。
高山とは何せ一つ屋根の下。
職場も一緒ならオフも一緒。
痴情のもつれの末の家出だとしても自分の所に来てくれたのを喜んだのだが、ここよりも先に実兄の部屋に寄り、留守だったのでここに来たらしい。
喧嘩の理由は要領を得ない。
英介は携帯の電源を切って、俺の携帯の電源も切った。
あぁだこうだと愚痴りながら、さほど飲めもしないビールを四本空けた。
そしてとうとう目尻に涙を浮かべ始めた。
泣き上戸ではないが、喧嘩をしたことが効いているらしい。
じわじわと涙を滲ませては乱暴にそれを拭って、目を腫らしていく。
「あんなぁ、えっちゃん」
「なに?」
「自分、ココがえっちゃんの恋人の恋敵の部屋やってわかってる?」
「……何処が誰の何?」
思考能力まで低下しているらしい。
高山浩二以外の人物が好意を、それも恋愛としての好意を自分に向けるなんて想像もしないのか。
そういう、妙にぬけているトコロとか。
いつまでたっても子供臭さの抜けない顔立ちだとか。
勿論、ピッチの上の姿だとかが好きで好きで好きで。
高山のものだとわかっていても、その想いは止められないでいる。
近くに寄れるのは嬉しいし、たまに一緒に遊ぼうと誘われるのも嬉しいのだが。
こうして二人きりになってしまうと、実のところ困るのだ。
だって何だかんだと言って、英介は高山のことが好きで、高山はマジで英介が好きだから。
でも、本気なのはこっちも同じ。
わかってもらえないのは、ちょっと辛い。
「なぁ」
「あぁ?」
「俺、えっちゃんのこと好きなんやけど、それはわかってる?」
「……ん?」
「言うたやん? 前に」
「うん」
「ほんまに酔うてんなぁ」
「ん〜」
「えっちゃん、寝るんやったらベッドで寝ぇや。風邪引くで」
「純平は?」
「俺はお客さん用の布団敷いて寝るからえぇよ。それとも一緒に寝てほしいか?」
「それもいいかもね」
おや。
珍しく投げやりなことを言うではないか。
「なら、そうしようか」
力の入っていない体をベッドの上に抱え上げた。
たぶん、彼の目に自分は無害に見えているのだろうと思ったら、久々に、ちょっと、ムカっとした。
悠々と自然体のままの英介に上に圧し掛かってみても、反応はない。
そこからは、最後に希望が出てきたと言うから。
「えいすけ」
普段呼ばない呼び方で、呼んでみた。
一気に酔いが覚めたみたいに、冴えた眼差しが俺を見た。
「英介」
跨いだ体が強張った。
臨戦体勢か。
黄金の右足の威力はよく知っているから足技対策で腹の上に乗っている。
殴ろうと固められた拳は両手をまとめて頭上に押し付けた。
英介の手首は女の子のように細いわけではないが、ゴールキーパーの手は充分すぎる手枷の役割を果たす。
「なぁ」
サラサラした髪の毛に口付けてみた。
からかうようなニュアンスで。
胸のドキドキは隠して。
「ほんまは、食おうと思えばいつでも食えるんやで?」
脅すつもりで言ってみた。
男はみんなケダモノ、と言うつもりで。
俺を、恋愛対象として認めさせるつもりで。
それなのに。
それなのに、想像以上の反応が返ってきた。
見上げてくる瞳に、驚くほどの力が込められた。
英介が本気で怒っているのを、ピッチの外で初めて見た。
唖然としていると、目の前で花火が上がった。
「っ!?」
頭突きを食らわされたのだとわかった瞬間、俺の体の下から抜き取られた右足が踊った。
ヒットする前に咄嗟に手で足首を掴んだが、脚に気を取られている隙に横っ面を引っ叩かれた。
バッチーンと言ういい音が、部屋中に響いた。
「ふざっけんなよっ!」
頭と頬とに激痛。
「なんなんだ、お前等は! アホか! 俺を何だと思ってんだ! 女の子にもそうやって、簡単にどうこうできるとか言ってんのか? 抱かれる方はお前等より弱くて、組み敷かれてどうしようもなくて抱かれてんじゃねぇんだよ! 食えるもんなら食ってみろってんだ! 抱けるもんなら抱いてみろよ! ぜってぇにお前等なんかに負けねぇし、その腐れた根性叩きなおしてやる!」
隣に聞かれでもしたらヤバイような内容を、英介は思う存分に怒鳴り散らした。
……喧嘩の原因は、ソレか。
ソコか。
高山も、おそらくは体格に物を言わせて英介を組み敷いたのかもしれない。
たぶん、半分冗談、半分本気で。
そうならば、俺は英介の逆鱗に触れてしまったことになる。
英介は尚も拳を固めたまま、俺を睨みつけている。
「なぁ」
「なんだよ!」
「俺は、えっちゃんを見くびったりはしてへんよ」
「嘘つけ!」
「ほんまやって。さっきのも、なんちゅーか、男のくだらん意地やん? 阿呆なこと言うてごめんな? ただ、俺はえっちゃんのことけっこうマジなんやでって知ってもらいたかっただけやねん」
ヒリヒリする頬とガンガンする額を摩りながら、これ以上英介の神経を逆撫でしないように謝れば、怒りにギラギラする瞳がほんの少しだけ和らぐ。
「ちょお、いじめたくなっただけ。ごめんなさい」
「……おぅ」
ベッドの上で正座して、がばっと頭を下げれば英介は渋々といった体は崩さずに、俺を許す。
「ごめんな、ほんま」
逆鱗に触れられながらも、俺を殴った英介の手は平手だった。
こう言うトコロが男らしいのだ、英介は。
なんだかんだと言いつつキャパが広いと言うか。
「なぁ」
「なに」
「高山もな、同じやと思うで」
「……」
「何言われたんか知らんけど、ホンマのほんまには、えっちゃんのこと弱いとかは思ってへんよ。そら、えっちゃんは俺らにしてみたらちっちゃいけどな。普段、堅っ苦しいくらいに生真面目で禁欲坊主みたいな高山が、阿呆な意地張って力に物言わせたろかなんて思うのは、よっぽどえっちゃんにいかれてんねんで」
本当は恋敵を庇うほどの余裕はないのだが。
英介は一瞬、きょとんとしてからやはり釈然としない表情で頷いた。
それから気まずそうに、
「冷やした方がよくねぇ?」
頬を指して言った。
確かにじんじんと疼くから、冷蔵庫に放り込んでいた保冷剤を頬に当てる。
韋駄天の異名を持つ足の方はちょっかいを出すときには必ず注意しているが、手の方はそうでもない。
意外といい平手だった。
最近、上半身強化のためにしているボクシングが効果を見せているのだろう。
小柄なベビーフェイスなんて甘そうな見てくれで、中身に秘めた強さがある。
「で、どうすんの? 泊まってくん? 送ろうか?」
「う〜ん、どうしよう」
さっき襲われかけたことなど忘れてしまったように、英介は俺のベッドに転がって考える。
まぁ、それでも。
ピンポーン。
インターフォンは鳴る。
英介はひょこりと頭を上げる。
魚眼を覗けば予想通りの面。
「誰?」
出なくていいのかと英介は問う。
「えっちゃんのお迎えなんやけど、やっぱりホラ、俺、恋敵やん? このまんま返すのも勿体無いから、えっちゃん、ちょい上脱いで」
「は?」
「水内! いるんだろ! 開けろよ!」
ガンガンとドアは殴られる。
「居留守なんて使ってんじゃねぇよ!」
高山は俺に対して好感は持っていないだろうが、それでも怒鳴ったりすることはなかった。
面倒臭そうにドアを開ければ、見たことがないくらいに感情を表に出した高山がいた。
「なんやねん。近所迷惑やろ」
「来てるんだろう、英介」
英介が立ち寄れる範囲内にいる俺の携帯電話の電源が切られていれば、疑われるのもおかしくはない。
「おるよ」
どうぞ、と迎え入れてやると怪訝そうな顔をしながらもズカズカと中に入っていく。
ワンルームに百九十以上と一八五以上の男が二人いると、部屋がいやに狭く見える。
ワンルームの部屋。
英介はすぐに見つかる。
部屋に踏み込んだ高山が、びくりと体を震わせて足を止めた。
英介は、ベッドの中だ。
素肌の肩を晒して。
「……水内」
俺の名前を呼ぶ声が震えた。
「俺かて、惚れとるからな」
ぽそりと口にすると、高山は物凄い形相で振り返った。
胸倉を掴み、憎悪の目を向けられる。
「えぇ友達とでも思っとったか?」
「水内……!」
こんな顔もできるのかと、ちょっと驚いた。
驚いていると、物凄い衝撃が頬を襲った。
しかも英介に平手を食らったのと同じ左頬で、更には拳だ。
目蓋の裏に星がちらついた。
さすがにふらついて床に転んだ。
これで終わるかと思ったら、男の嫉妬は激しかった。
圧し掛かれ、二発目を繰り出すべく拳は振り上げられていた。
「タカ!」
ぎりぎりで英介の声が助けてくれた。
ベッドから飛び降りた英介は、振り上げられた拳に抱きついていた。
「アホタレ。冗談に決まっとるやろが。このじゃじゃ馬が惚れてもない男に大人しゅう抱かれるわけがないっちゅーねん!」
灸を据えるつもりだったのに、とんだとばっちりだ。
「……冗談?」
眉間にぎっしりと皺を刻んで、俺と英介とを順に見る。
その形相はまだ鬼のよう。
「冗談だよ、冗談!」
上半身は裸だが、下はきっちりジーパンを着たままだ。
英介を泣かした高山に反省を促そうと演技をしたのだが、想像以上の反応が返ってきた。
こいつらは揃って、悪い意味で予想を裏切る。
「……冗談。冗談か……」
「あたりまえやん。お前はえっちゃんのこと信用してへんのか」
「……頭に血が昇ってた」
ふぅ、と顔を覆って詰めていた息を吐き出す。
「えぇから、どけてくれ」
のそりと俺の上から退いた高山はどかりとフローリングに腰を下ろすと、特大の溜息をついて俺を殴った拳を開いたり握ったり。
憎悪や憤怒という感情は、もっていてあまり気持ちのいい感情ではない。
暫らくそうして落ち着いてから、
「……わりぃ」
ぼそりと吐き出された謝罪は、俺への謝罪らしい。
「わるかったよ」
今度は英介に。
諸々の感情を溜息で吐き出して、高山は英介に頭を下げた。
「ごめん」
英介は、一連のおふざけでわかってしまったのかもしれない。
高山が、英介を大事にするが故に抱えてしまうストレスとかやりきれなさとか。
そして、英介の中にもある不安と同じ類のものを、高山もまた持っていることに。
「バァカ」
英介は、いかにも仕方ねぇなぁというポーズを装って高山の頭をぺしっと叩いた。
情けない面の高山と、幾分すっきりした顔の英介は視線を暫しかわす。
もう大丈夫。
「あ〜、アホらしゅーて……かなわんわ」
思わず、腹のソコから本音が溢れた。
「殴られ損やん、俺」
つーか、マジで痛いし。
「お前は心が狭いっちゅーことがよぉわかった」
英介でも襲われかけて平手だったのに、高山はやって来て早々に拳だ。
「悪かった」
淡白な謝罪を繰り返してせめてもの罪滅ぼしなのか、床に落ちたアイスノンを拾って寄越す。
英介はごめんねと顔を覗き込んできた。
正直、神戸レインボーチャーサーに入団しなくてよかったと、本気で思ってしまった。
「でもさぁ」
そんなドタバタ劇の後、結局二人は泊まることにして、現在川の字。
「なに?」
英介を挟んで、床に雑魚寝の状態。
俺も大概お人好しで、英介も大概警戒心がなく、高山もしょうもないところでキャパが広い。
「純平って、お人好しだよな」
暗闇に染まりきらない部屋で、こっちを向いた英介の顔が見える。
日に焼けてはいるが皇かな肌や、大きな瞳が強調されて見えた。
「そうか?」
「そうだって」
ふっと笑う気配。
高山は背中を向けているが、眠ってはいないだろう。
「純平みたいにいい奴、そうそういないよ」
無邪気に、彼は笑う。
その笑顔やあどけない仕草と、サッカー選手として見せる厳しい顔や堂々とした姿勢のギャップに、毎度毎度惹き付けられる。
「なぁ」
「なに?」
「俺のことは、もう、一生、恋愛対象にはならへんの?」
そんな問いにも笑ってみせた。
「なんないよ」
「……そっか」
「うん」
罪悪や切なさを秘めた瞳は、それでも微笑んで俺を見てくれるから。
俺は、この箱を開けたことを後悔はしない。
「純平は、友達」
絶望とか、そんなものも確かに出てきたけど。
「友達で、すっげぇ憎たらしいキーパー」
最後の最後に、希望は出てくるのだから。
2003/12/15
水内純平、不幸話。読んでくれた友人が、切ないと叫んだ(笑)