たまに、えっちゃんはボロキレのようになって帰ってくる。
「ただいまー」
「おかえりー」
大きなスポーツバッグを、どさりとダイニングの入口に落すのがピークのしるし。
高校に入ってそれなりに伸びてきた背は、少しだけえっちゃんを逞しく見せる。
半袖のカッターシャツから覗く腕は小麦色に焼けて、その存在から夏の匂いがする。
「腹……減った」
家族の食事はもう終わっていて、えっちゃんの分の食事だけがそこにはある。
母さんが茶碗にご飯を山盛りによそって、えっちゃんの前の椅子に腰を降ろす。
「お疲れモード?」
うん、とも言わずえっちゃんは頷いた。
サッカーが好きで好きでたまらないえっちゃんは、練習も楽しくてしかたないらしい。
どんなにきつい練習も、どんなにハードなスケジュールも文句も言わず、嬉々として出かけていく。
小学生の頃は家を離れて合宿に行くのが辛かったらしく、宿舎からよく泣きそうな声で電話をしてきたらしいが、人生の転機となった事故後には度胸もついて すっかり心身共に大きくなってしまった。
昔に比べれば多少ふてぶてしさの見え始めた態度も、可愛いことには違いない。
と、我が江口家の長兄、勲は言う。
365日サッカーに束縛されようと、真夏の炎天下に肌を焼かれようと、えっちゃんにしてみればサッカーが一番楽しいことなのだから、ちっとも苦にならないらしい。
しかし、どんなに楽しかろうが体力というものは消耗するもので、疲労は蓄積するものだ。
数ヶ月に一度程度、えっちゃんはものすごく疲れて帰ってくる。
「寝るのは食べてからにしなさいね」
くらぁりと円を描いて食器に突っ伏そうとした頭を、母さんは寸でのところで支える。
「ん〜」
もう何も見えていないだろうと思うくらいに、目蓋は降りてしまっている。
それでも空腹は感じているのか、ふらふらと彷徨う箸は僅かながらのご飯を掬ってなんとか口に運ぶ。
ハムハムと口を動かして、こくんと飲み込む。
フラフラ揺れる頭が危なっかしいなと思っていたら、風呂から勲ちゃんが上がってきた。
「お、英介帰ってたのか。おかえりー」
えっちゃんの姿を見て、満面の笑み。
「たらいま」
呂律の怪しい挨拶一つで、えっちゃんの体力のピークを感じたらしい。
「兄ちゃんが食べさせてやろうか?」
そんな提案を理解しているのかいないのか、えっちゃんはこっくり頷いた。
勲ちゃんはいそいそとえっちゃんの隣に座ると、箸をとって、
「はい、あ〜ん」
実に嬉しそうな声を出した。
あー、と半分以上夢の中にいるえっちゃんも口を開ける。
零さないように丁寧に一口、ご飯を運ぶ。
「1口30回は噛めよぉ」
もぐもぐとえっちゃんの口が咀嚼するのをじっと見ている。
くらりと倒れそうになる上半身を支え、まるで親鳥が雛に餌をやるような甲斐甲斐しさを見せる。
「可愛くてしかたないって顔してるよー」
私が茶化せば、
「かわいくってしかたないんだよ」
デレデレの顔を向ける。
駄目だ、この人。
激しく駄目だ。
「勲ちゃん、彼女の前でそれやったら即行でふられるよ」
「もうふられた」
「えっ、嘘! 今の彼女さん、サッカー好きだし、いい感じの人だったのにっ?」
「昨日、英介と私とどっちが大事なのって問い詰められたから、ついつい本音が……」
「……うわぁ……、勲ちゃん、もう一生結婚できないわ」
「やっとあんたのこと理解してくれる人が現われたと思ったのに……」
また結婚が遠のいたと、母さんは遠い目。
「いい。英介に責任とってもらうから」
長兄の未来を活字の中に探すかのように、父さんは一人離れたリビングで広げた新聞に顔を突っ込んでいる。
「そろそろえっちゃん離れした方がいいよ、勲ちゃん。えっちゃんも代表とかでいろんな人との出会いがあるわけじゃん? もてるわけじゃん?」
「それが怖いんだよなぁ。英介、可愛いから悪い男や悪い女に誑かされそうで、俺は心配で心配で」
「あんたに合格判定をした大学や会社が気の毒になってきたよ」
そんな家族の呆れっぷりも、この人には通じないらしい。
「えっちゃん、好きな人いるのかなぁ」
眠りながら食事を続ける兄の顔は、多少の精悍さは出てきたとは言え、まだまだ同年代の男の子に比べれば幼くて可愛くて。
誰よりもえっちゃんを理解している勲ちゃんは、私の呟きには答えなかった。
寝ながらもしっかりとご飯を食べ終えたえっちゃんは、心置きなくとでも言うように寝息をたてはじめた。
「このちっちゃい体のどこに、あのスピードとスタミナが隠されてんだろうねぇ」
母さんがしみじみ呟く。
「甘ったれだったのになぁ」
父さんも、同じように呟いた。
「甘えん坊で泣き虫で、人見知りで怖がりで。あの頃は英介の将来を憂えたもんだ」
どういう方向に憂いを覚えたのだろうか、この人たちは。
今では長男の将来に愁う両親は、優しい眼差しを次男に向ける。
今にも羽ばたいて、遠くへ行っちゃいそうなえっちゃんは、
「へい、ぱぁーす」
夢の中でもサッカー三昧らしい。
2003/8/21
一人称で書いていこうと思いながらも、結局三人称ばかりになっているなと思い直して友里視点です。
部活帰りの中高生っていいよね(危険発現)
勲兄さんにも、たまにはオイシイ思いを。