<感謝企画小説まえがき>

3周年4周年+十万ヒットと、今までやると言いながら何もしてこなかった記念企画をまとめてやっちゃお企画の続編です。
2004年の秋から四周年まで行ったチーム名募集で採用させていただいたチームとの対戦小説です。
プエルヴェニール横浜vs神戸レインボーチャーサーの元旦国立決戦と言う設定になっております。
時間をかけた企画で、杉山自身は楽しんだりドキドキしたりできた企画でした。
皆様にも楽しんでいただけたらと思っています。
サッカー色満載なので、おまけのラブ編もご用意しました。

★この作品はフィクションです。登場する大会、地名は実在のものとはいっさい関係ありません★


Thanks Project 2004
Catch the Rainbow



 国立競技場メインスタンドで様々なアスリートの活躍を見つめてきた二つの壁画を、近くで見たいとずっと思っていた。
 それは著名な芸術家によって製作された像を間近で見たいなんて崇高な思いではない。
 遠く霞むように見つめてきた二つの像に勝利者として並んでやりたいと思う、そんな野心からだった。
「左が野見宿禰。右がニケって言う勝利の女神」
 そんな野望だけは皆持ち合わせていたのだが、あの像の名前なんて知るわけもなく。
 なんなんだろーなー、俺は昔は仁王像だと思ってたんだけど、違うんだよなー。
 なんて会話をしていたら、富永があっさりと解答をくれた。
「のみのすくね?」
「相撲の神様か元祖かだったかな? 勝利の女神はギリシャの神様だ」
 象徴するのは美と力。
 モザイクで形作られたと言う国立の守護神は、明日、どちらに微笑むのだろうか。
 今日は大晦日と言うよりは、決戦前夜。
 振り返るのはこの一年ではなく、天皇杯トーナメントを勝ち上がってきた自信、そこで敗者となったチームの思いだ。
 プロもアマも巻き込み、プロチームを持たない地方スタジアムでの試合も多数実施される大会。
 日本全土のサッカーファンを燃え上がらせ、熱は元旦国立決戦へと集結する。

 このスタジアムを上空から写した写真は、杯に見える。
 観衆と選手を飲み込む巨大な杯だ。
 このスタジアムよりもハイテクな設備やピッチコンディションをもったスタジアムは、今や全国に建設されているけれど、このスタジアムが持つ歴史には到底敵わない。
 おそらくは、永遠に。
 Jリーグが生まれた場所には、どのスタジアムも敵わないものがある。
 アスリートの活躍や、世界規模の大会の開催だけではなく、悲しい歴史をも見つめてきたスタジアムは聖地と呼ばれる。
 どのチームのホームにも属さない、聖地だ。
 そして今日も五万の観衆と神戸レインボーチャーサー、プエルヴェニール横浜の二チームをその歴史ごと飲み込んで共に酔おうと誘うのだ。
 先頭に立つ富永が、横浜のキャプテンマークをつけた選手の肩を抱いている。
 富永と同世代で仲もいい選手だが、今日のような状況ではその気安さもピリピリした空気になる。 「まぁ、よろしくやろうや」
「フェアプレーの精神でな」
 笑う口元、笑わぬ目元。
 九十分間、若しくはそれ以上の時が過ぎた後、この二人のどちらかが優勝杯を手にする。
 どちらかは手にできない。
 その時にはきっと素直に差し出すことの出来ない手を、今、握っておく。
 そんなやり取りを見ながら、英介は目を閉じた。
 合掌するようにぴたりと合わせた手を額に押し付ける。
 このスタジアムでプレーするのはもう初めてではないけれど、この場所を求めてきた。
 それこそ文字通り、体の内側の大切な場所が焦げてしまうような、恋よりも愛よりももっと激しい思いを抱き続けてきた場所だ。
 その頃の気持ちを思い出す。
 ジリと内側が再び焦げ付くような焦燥と、けれどここに自分は立っているのだという高揚が、焼け焦げた絶望の中から再び炎を激しく燃え立たせる。
 鎮火の見込みなど立たないほどの熱が肌にまで昇ってくる。
 目を開き、とんとんとその場で飛んだ。
「緊張してんの?」
 隣に立っていた青いユニホームの選手が珍しいとでも言うように声をかけてきた。
 古豪プエルヴェニール横浜の高岡清二だ。
「テンション上げてんの」
「なーんだ」
 残念、と舌を出す。
 百八十センチのディフェンダーは、出会った頃と変わらない屈託ない様子でベンチコートに包んだ体を揺すった。
 同い年の高岡清二は共に無冠の世代と呼ばれた戦友だ。
 下部組織からがっつりとタイトルを食らってきたプエルヴェニール横浜が生み出した、怪物ディフェンス。
 高校生の頃には既にトップのプロ選手としてプレーしていた。
 羨望なんて可愛らしいことは言わない。
 自分の中にあるあらん限りの嫉妬を向けていた存在だ。
 徐々に英介自身が高いレベルに近付くにつれ、高岡清二の事が良く見えるようになった。
 天真爛漫という言葉がよく似合う。
 昴と良く似ているが、昴よりもずっと大胆でマイペースだ。
 怖いもの知らずでなければ、十代にしてプエルヴェニール横浜のレギュラーの座は掴めなかっただろう。
 時に人の古傷を悪意なくざっくり抉ってくる男だが、その発言の全てが思ったままの偽りのない言葉で形成されているのが憎めない。
 図太いくせに、遠征になるとホームシックになりやすい所が可愛い。
 高岡清二の長所や弱点が見えるにつれて、嫉妬は薄れた。
 自分がプロとしてサッカーができるようになった頃、清二は英介と同じ目線にいる存在であることに気が付いた。
 他に大勢いるライバルの中でも、彼を特にライバル視したのは、たぶん。
「さぁ、今日もかけっこしよーぜ」
 同じ、スピードという特性を持った選手だからだ。
 片やフォワード、片やディフェンダーだが、同じ武器を持っている。


 中堅以上、強豪未満。
 それが今のところの神戸レインボーチャーサーの位置だ。
 どのチームに対しても絶対的な強さを見せつけるプエルヴェニール横浜と、目の前のタイトルを巡る決勝で対戦するのはこれが初めてだった。
 入場曲が流れ、フィールドへと足を踏み出す。
 元旦の空は旭日だけを楽しませて、曇ってしまった。
 厚い雲に覆われたスタジアムの気温は凍てつくようで、吐き出す息も白く流れた。
 早く温めてあげなきゃな。
 駆けつけたサポーター達が青と白とに染め上げたスタジアムを視界に入れて思った。
 神戸からの遠征とあって、さすがに人数的には青色に押され気味ではあるが、それでもゴール裏とメインとバックスタンドの端っこは白く染められていた。
 極寒の中に駆けつけたサポーターを心配するなら、魂を炙り、寒さなど忘れさせ、自分達の姿に熱中させればいい。
 酔えば寒くなくなるから、と言うのが神戸の酒豪キャプテンの弁だ。
 キャプテンマークを巻いた反対の腕には、三本足の烏を模ったマークがある。
 前回の同大会優勝チームであるレインボーチャーサーのユニホームの袖には、天皇杯王者だけに与えられるチャンピオンマークが存在している。
 一年間、そのマークはユニホームの一部としてそこにあり続け、対戦チームに誇ることができるのだ。
 言わば、チャンピオンベルト。
 これを守り抜くための試合でもある。
「先手必勝。ボール繋げて、とにかくシュート。先に波掴むぞ」
 ぐっと肩を抱く腕に力が入り、それが感染して円陣が強く組まれる。
 声を上げ、それぞれの持ち場に散る。
 背中には白いユニホームを纏ったサポーターの波。
 その合間に揺れるのは虹色のフラッグだ。
 目の前には青い波。
 横浜の港に打ち寄せて世界とのルートを開いた波と同じ色だ。
 それを背負ってディフェンスラインに並んだ清二の姿を、英介はチラリと確かめる。
 怪物の持ち場はサイドバック。
 横浜のスリーバックを形成する選手はいずれもマンツーマンに異常に強く、なんだか一昔前のディフェンダーの職人気質が抜けきらないタイプが多い。
 そのくせ気を抜いていると、ラインコントロールでせっかくの攻撃をオフサイドで無効にする。
 清二もスタメンに名を連ねるだけあり、一対一には絶対的な自信を見せる。
 この決勝、注目すべき点はたくさんあるけれど見物の一つにあげられるのが、江口英介と高岡清二のマッチアップだ。
 嵌めた手袋をぎゅっと引っ張り、少し背後を振り向いた。
 緊張気味の高山が、トントンと拳で胸のエンブレムを叩いていた。
 たった一人の主審が吹くホイッスルで、五万の観衆が沸き立った。


 ガウンと、鈍い音が響いた。
 富永の放ったミドルシュートはゴールポストにあたり、鋭く跳ね返る。
 しまった、と思った時にはもう風向きが変わっていた。
 強烈な衝撃を受けた分、大きく跳ね返ったボールをものにしたのは清二だった。
 一度胸でトラップして足下に落すと、一気にスピードを上げた。
 カウンターに、スタジアムが沸き立つ。
 攻撃に加勢していた神戸守備陣も全速力で戻るが、スピードスターのカウンターアタックは伊達じゃない。
 絵に描いたような見事なカウンターが、緑のピッチに青い点をぽつりと記す。
 悲鳴と歓声とが、歓声のみに変わる。
 ゴール前でセカンドボールを狙っていた英介が、一気に駆け戻ってくる。
 そのスピードに神戸サポーターからも歓声が上がったのだ。
 これは陸上競技なんじゃないかと思わせるような疾走。
 ボールを足下にもった清二にぐんぐん近付き、やがて並走する。
 高岡清二の武器は、安定感のある守備力だけじゃない。
 持ち前のスピードを生かしたカウンター攻撃だ。
 そして神戸イレブンの誰よりもそれを警戒していたのが、英介だ。
 このピッチ上にスピードスターは一人で充分。
 速さという特徴を輝かせるようなプレーは、さしてやるものかと思っていた。
 並び、体を寄せる。
 神戸の守備陣も横浜の攻撃陣も二人には追いつけない。
 お互いにフォローは望めない状況での完璧なる一対一。
 清二の太い枝のような腕が突き出された。
 これは陸上ではなくてサッカーだと示さんばかりのガード。
 清二の懐に潜ろうとする英介を、清二は巧に制する。
 体を投げ出すようなディフェンスという選択肢を頭に描く。
 この体が清二の体躯に勝てるかどうか、自信なんてこれっぽちももてない。
 攻撃に有効なスピードを持ちながらも清二が最終ラインを担うポジションを選んだのは、その恵まれた体躯があるからだ。
 百八十センチはディフェンダーの中で特筆するほど大きくもないが、清二の体の作りはパーフェクトだ。
 岩のような筋肉を持つのに、それをしなやかに躍動させてスピードに乗る。
 もしも自分が砕かれた時に、フォローしてくれるだけの守備陣は整っただろうか。
 清二との駆け引きを繰り広げながら、英介は周囲に目を走らせる。
 ゴール斜め前に坂本の姿があった。
 後方にはおそらくユーキが上がってきている。
 逆サイドに青いユニホームは見えなかった。
 なら、勝負だ。
 ぐっと体を寄せ、ガードの腕を押し退けるようにして足を突き出す。
 思い切って仕掛けた瞬間、体が弾かれた。
 衝撃だ。
 どっと横から重力をかけられるような。
 英介が寄せていったのと同じタイミングで清二は一瞬だけ、英介に体をぶつけたのだ。
 清二のスピードを緩めることすらできず、弾き飛ばされた英介はタッチラインを超えて転倒した。
 ボールを巡る駆け引きに笛は吹かれることもなく、清二はそのままゴールへ向かう。
 坂本が寄せる前に、清二はフィニッシュの体勢に入る。
「……っ、上!」
 神尾は前目のポジションをとっていた。
 英介の声は一足遅く、大きく引いた清二の足はそれをそのままボールにぶつけるのではなく、柔らかく押し出すようにボールを蹴り上げた。
 ふわりと柔らかな軌道で、でもそれなりのスピードをもって。
 慌てて下がりながら飛んだ神尾の頭上をすり抜けて、ボールはネットを軽く揺らした。
 スタンドの青はまるで津浪のように神戸イレブンに降りかかり、清二の背番号は仲間達の祝福に隠されて、見えなくなる。
 ずぶりと腹の奥に何かが刺さったような、そんな痛みに顔を顰めながら英介は顔を上げて起き上がる。
 カウンターの要となる清二。
 スピードと一対一に負けないボディバランス。
 清二の長所を幾つか頭の中で上げていく。
 センターサークルに戻る英介の顔に浮かぶのは苦痛や悔しさではなく、笑みだった。
「オーケーオーケー作戦通りっすよ」
 手を叩き、声を上げる。
 前半は間もなく終わる。
 見てろよと英介は呼吸を整える。
 サッカーの1−0は気持ちの持ちよう一つでスコアレスに等しくなる。
 横浜の守備ががっちり守りに入りだすと厳しいが、こちらにはとっておきの切札がある。
 頭が軽い分高く飛べるらしい真打がベンチには控えているのだ。


「後半は高岡、俺とユーキの二人で見るから」
「うぃー」
「タカが下がり目で、あと昴が入るんなら前はお前と昴でいけるだろうし」
「富永さんがトップ下?」
「零れてきたら直接行くよ。高ければ昴、低ければお前でセカンド拾ってがんがんいって。セットプレーは慎重に。俺とタカとでいくけど、練習通りに。横浜の高さと昴だったら昴だから、高めにいく、と見せかけてお前かもしれないし。こっち見といてな」
「はい」
「英介は高岡を意識しすぎないこと。下がりすぎてせっかくのスペースが生かせないのは勿体無い」
「はい」
「昴」
「あん?」
「お前が入る意味はわかってんな?」
「もちろん」
「英介」
「はい」
「スタミナは?」
「この後、箱根のピンチランナーいけますよ」
「上等。さぁ、いこう」
 代表ではスーパーサブとしての役割を与えられる昴だが、チームに戻ればスタメンに名を連ねる主力だ。
 その昴を敢えてベンチに置いた監督は、この決勝で一か八かの作戦に出たのだ。
 ピッチに戻ると、視界に白いものがちらついた。
 紙吹雪ではなく、雪だった。
 寒そうに体を震わせていた両軍のサポーターは、選手が戻ってくるなり立ち上がり声を上げ始めた。
 昴の投入が放送され、神戸側スタンドが沸き立った。
 希望の光を見つけたように、昴の名を呼ぶ。
 勝てば横浜通算タイトル十冠目。
 勝てば神戸が大会連覇。
 互いにプレッシャーがかかる試合でもある。
 神戸が円陣を先に解く。
 横浜の円陣から一際大きな気合の声が上がった。


 敵は相手チームやプレッシャーやサポーターの声だけじゃない。
 体の中に生じた乳酸との戦いも選手は繰り広げている。
 雪を吸い込んだピッチが、徐々にそのコンディションを変化させていく。
 これからが勝負だった。
 監督が描いた試合プランはスロースタート。
 攻め手こそ先手必勝と口にしたが、勝負は後半。
 主力の一人を温存し、後半出場でかき回す。
 横浜ディフェンスは個々の強さはあるが、高さを誇る昴ならば苦にならない壁だ。
 前半、英介をはじめとする前線が激しく動き回った。
 ボディブローは徐々に効いてくるはずだ。
 でも、と英介は手袋を引っ張る。
 プエルヴェニール横浜は大舞台に慣れているチームだ。
 試合巧者で時間の使い方も巧い。
 そんなチームを相手に、監督の描いた作戦は消極的すぎだったのではないか。
 不安が過ぎったことに驚いて、英介は慌てて自分の頬を叩いた。
 自分の本当の仕事はこれからだ。
 監督は自分の武器を信じてこのプランを選んだのだ。
 信じて走ればいい。
 その信頼に答えれば、結果は出るのだ。


 英介はまだまだ若い選手だが、既に一つの伝説を持っている。
 若い代表で親善試合の遠征に召集された。
 水には充分気をつけていたが、料理か飲み物に使用されていた氷かが悪かったのだろう。
 チームは壊滅状態に陥った。
 選手だけではなくスタッフ、コーチ陣、監督までもが体調を崩してしまったのだ。
 これは惨敗だろう、試合を終えるのも難しいのではないかという状況で、同じ物を食べ、飲んできたのに英介一人だけがピンピンしていた。
 そしてなんとか試合は開催され、英介一人の独断場。
 体調が完全ではないチームメイトを率いて、一人でピッチを駆け回り一勝一分け。
 勝利は英介のニ得点、分けは英介の一得点でのドローだ。
 他の十人のサポートが完全ではない状況で九十分のゲームを駆け回った。
 日本と気温が大きく違う赤道直下の気候で、英介は結果を出した。
 揺るがないコンディションと底なしのスタミナ。
 それが英介のスピード以外の武器だ。
 底なしのスタミナは九十分のどの時間帯でもトップスピードを出させる。
 八十九分のその時にも、目の前にボールが転がれば英介は他の誰よりも早く走ることができた。

 高さがあるフレッシュな昴とスタミナに自信がある英介が、横浜ディフェンスをかき回す。
 捨て身といえば捨て身の作戦。
 体力を消耗するのは横浜選手だけじゃない。
 同じように神戸の選手も消耗する。
 スロースタートで後半攻めるという作戦を胸に、どこまで後半踏ん張れるかが決め手だった。
 先に足が止まりだしたのは横浜。
 徐々にディフェンスラインに穴が空き始めるところを攻めるが、枠に飛ばなければチャンスも無意味だ。
 富永も宣言とおりに零れてきたボールは直接放り込むが、枠を捉えない。
 一点のビハインドを抱えた後半の滑り出しに焦りはなかったが、徐々に気持ちが落ち着かなくなる。
 波状攻撃はいつか結果に結びつくはずだった。
 それなのに放っても放ってもシュートは枠をとらえない。
 なんで? どうして?

「英介」
 時計が止まっている間に給水をしていると、清二が声をかけてきた。
「ココ、落ち着かせて」
 ココ、と自分の左胸を指す。
「エキサイトしてる奴とやるのは楽しいけど、苛立ってる奴とするのはきっついからさ」
 ニヤリと笑って見せるが、その肩が大きく上下しているのがわかる。
 楽しもうぜ、この舞台を。
 そんな風に清二がスタンドを見上げた。
 自分の名を呼ぶサポーターを誇るようなその横顔に、英介は一瞬目を奪われる。
 憧れだった。
 同い年にして誰よりも大きな歓声を浴び、名を連呼され、期待され、監督に信頼され、チームメイトに受け入れられるこの男が。 
 追いかけてきて、並んだと思ったら器の大きさを見せ付けられる。
 悔しさもあったが、まだまだ追い越せないでいる目標があると言う発見が喜びを生んだ。
 まだ走れる。
 自分の顔に笑みが広がるのがわかった。
 清二が、しまったと言う様子で顔を顰める。
 ボトルをラインの向こうに投げ、同時に持ち場に散った。
 いい奴。
 思いながら遠ざかっていく背中に視線をやった。
 倒れていた選手は立ち上がり、試合が再開された。


 ボクサーの体には、一ラウンド三分のリズムが染み付いているらしい。
 それならば、サッカー選手は四十五分が染み付いている。
 そろそろだと思うと、せっかく清二に沈めてもらった焦りが浮上してくる。
 後半開始と同時に振り出した雪は、まるでこの試合のように激しく降る。
 良好とは言いがたい視界の中、白いユニホームのサポーターは掻き消され、虹色のフラッグだけが鮮やかに浮かび上がっていた。
 ユーキがインターセプトしたボールを高山に送る。
 ボールを受けた高山が素早く前線のポジションを確かめた。
 清二につられて戻りすぎていた英介と目は合っていない。
 だけど。
 たぶん。
 ボールはくる。
 根拠のない確信を抱いて英介はタッチラインを駆け上がった。
 英介の目の前にはスペースがある。
 清二の気配がぐんぐん近付いてくる。
 英介の方が横浜ゴールに近いなんてことは、ディフェンスが本職の清二にとって許せない事態だろう。
 スタジアムの声が大きくなった。
 スプーンのラインをイメージしろと教えられてきた軌道が描きたい。
 もう少し中へ。
 中央へ。
 ゴールに近い方向へ。
 そう思って中央へと軌道を変えたいのに、半歩後ろの清二が内側にいるから巧くいかない。
 角度がないところまで追い詰められたら、センタリングの精度にかける英介のこと。
 せっかくのチャンスを潰してしまう。
 もう少し内へ。
 願うような気持ちでスピードを上げると、背後にぴたりとつけていた清二の気配が突然なくなった。
 一瞬背後をうかがうと、足を攣ったらしい清二が倒れていた。
 遠慮なく中へと走り込む。
 高山の足が数度ボールを弄ぶように動き、まるで手品のように足元から消す。
 遊ぶような動きから、目に止まらないほど小さなモーション。
 高山の足下から叩かれたボールと英介は、まるで線が交差するように出会う。
 清二はいないが他のディフェンダーが対処しにくる。
 英介が選んだのはフィニッシュではなく、届いたボールをふわりと浮かすだけのタッチ。
 高さを得たボールは寄せてきていたディフェンダーの頭上を越え、その向こう。
 英介が望んだ人のスパイクがピッチを離れた。
 水中から飛沫を上げて飛び出してきたイルカのジャンプのような、勢いと高さのある跳躍。
 あいつのジャンプは無駄に迫力がありすぎるんだと、富永が呆れる躍動だ。
 きっちりマークについていた横浜ディフェンダーを振り切っての助走と、誰も追い縋れない高さを見せつける。
 ボールはネットを揺らし、吹雪の中に虹がかかった。



 勝者は敗者の涙を欲する。
 悔し涙を流させるような激戦こそが、スポーツマンの快感に繋がるから。
 敗者は勝者の笑顔を欲する。
 もっとすんなり勝てたらと惜しみながらも、やはり優勝杯を掲げる時には笑っていてもらいたいから。
 そんな人々にニケは微笑むのだ。

 ロスタイムだった。
 攻め込まれ、神戸のマークがずれた。
 横浜はその一瞬のチャンスをものにした。
 劇的な決勝点でその年最初のサッカーは幕を閉じ、この国のサッカー大会の中で最も歴史ある大会にまた一ページが加えられた。
 プエルヴェニール横浜十冠目。
 どのチームよりも早く、二桁台のタイトルを獲得した。
 揺るがない強豪っぷりを見せつける勝利だった。
 表彰台から降りた英介は、メインスタンドを見上げる。
 天皇杯が掲げられたところだった。
 その誇らしげな顔。
 普段、表情を変えない選手も顔をくしゃりと崩して笑っている。
 その笑顔はきっと、ピッチから見上げるのが最も眩しく映る。


 試合終了後、清二は英介に悔しいなぁと言いながら手を差し伸べた。
「俺はね、えっちゃんが目標なの。憧れなの。同点された時、俺、追いつけないって途中で思っちゃったんだよね。そしたら足攣っちゃってたわ。そういうところ、まだまだだなって思った」
 ポンポンと英介の頭を叩きながらそう言って、優勝したのに贅沢だよねぇと笑った。
 本当だよと言い返した声は、試合終了直後だからという理由とは別の原因で掠れた。
「俺は、英介を見てたら怖くなる。俺は折れたら立ち直れないかもって、いつも怯えてる。いっつも英介の背中を見てる。そうしたら、負けてられないって踏ん張れるから。だから正直、高山のもんになったってわかった時は嫉妬したんだけど」
 だからと言う繋ぎの言葉が正しいのかどうか、英介にはわからなかった。
 見上げた清二はにんまりと子どものように笑って見せたから、英介もつられて笑った。
 羨望と嫉妬は紙一重で、自分達の世界にはそれが溢れている。
 それはたぶん、ドロドロした形状をしてるんじゃなくて、キラキラと輝くものなんだろう。
 それがぶつかり合って弾けて閃光を放ち、人々を魅了する。
「次は負けない」
「俺も負けないよ?」
 チームメイトに呼ばれた清二は、英介の胸をトンと拳で叩く。
 英介も同じ仕草を返し、表彰台へと上がる清二を見送ったのだ。

 追いかけて追いかけられて、例え十個のタイトルを持っていようと俺達は常に挑戦者だ。
 今、メインスタンドの野見宿禰とニケの眼差しの下で、清二が天皇杯を掲げ上げた。
 先制点を上げたサイドバックの歓喜に青い波が共鳴する。
 勝利は手の中にあったのに、掴もうとしたその瞬間に指の間からすり抜けていった。
 激戦すぎて、なんだか笑えてきた。
 笑えてきたはずなのに、目の奥がツンと痛んだ。
「泣くなよ」
 隣にいた昴が肘で突付いてきた。
 吹雪のせいですという言い訳は、あんまりだろうか。
「きっついなぁ」
 本当にあと数分。
 三十秒か一分だったと思う。
 それだけ凌げれば延長戦だった。
 そうなれば神戸が有利だったはずだった。
 全部過去形になってしまったけれど。
 無冠の世代と言われる中で幾つかの大会を戦ってきた英介は、目の前で優勝者が喜ぶ姿を幾つも見てきた。
「なんか、今年、こんなんばっか」
 加えて今季の神戸レインボーチャーサーは、リーグの両ステージで二位、ナビスコカップで準優勝と言う結果ばかりだった。
 一年間誇ってきた天皇杯のチャンピオンマークも手放さなければならなくなった。
 中堅以上強豪未満が余計に浮き彫りになった一年になってしまった。
 不甲斐ないと自分を攻めながら、もう交わしてしまった契約を思い出す。
 この決勝を最後にチームを去る同僚がいることを思い出す。
 俯いてなんかいられない。
 プエルヴェニール横浜の万歳に、青いサポーターが応えている。
 スタンドに残っている神戸のサポーターは優勝チームに拍手を送り、次は俺達だと涙を拭う。
 そうだ、次は俺達だ。
 力と美の像は、きっと立ち上がる敗者の姿も表しているはずだ。
 ベンチコートの裾で涙を拭って、英介はそっと拍手を送る。
 悔しかったけど、その分楽しかったゲームに拍手を。



「あぁ、やっと年が明けた」
 しみじみとそんなことを言いながら、富永が英介と昴の肩を抱いた。
 本当は不調の両足を抱えての試合だった。
 途中交代したが、負担は大きかっただろう。
 高山もやって来て、英介の体を挟んで富永の肩を労うように叩いた。
「飲みながら反省して、疲れも痛みも癒して新しいシーズンだ。無冠からのスタートなんだから、気合も入る」
 そうだろと、この国立で何度も挫折と勝利を味わってきたベテランは笑った。
 勝者の笑みには到底敵いはしないけれど、いい微笑だった。
 国立競技場と言う大きな杯は、この酒豪までを心ゆくまで酔わせたらしい。
 引き上げて飲もうぜと富永がチームメイトの背を叩いていく。
 吹雪は止んで、今はゆるゆると国立に降り積もる。
 それはプエルヴェニール横浜を優しく祝福する紙吹雪のよう見えた。
 また、スタンドの青い波飛沫のようにも見えた。
 国立に新たな歴史が刻まれた。
 それは穏やかに降り続く雪と共に語り継がれるのだ。
 激戦を繰り広げた、敗者の存在と共に。


END


とにかく、難しかったです。サッカー描写の一部とか、大会の抽象的表現とかは書いたことがあったのですが、がっつり試合描写は難しい!!選手視点での試合って言うのは想像が及ばないところがあるのと痛感。素人視点での試合描写になってしまいました。まだまだ力不足だな、もっと勉強しなきゃな、と得るものが多い作品になりました。
要さまからいただいたチーム名、プエルヴェニール横浜はいかがでしたでしょうか。もうなんか、力及ばずな感じがモロに出てしまっているようで申し訳ないです。新チーム所属の新キャラ登場しました。彼は他のサッカー小説で考えていて、アウトラインが一番しっかりしてきたのでこっちに引き抜きました(笑)彼も今後の作品に登場させて、もっと深い登場人物にしていきたいなと思っています。
感謝企画、楽しんでいただけたでしょうか。自信はないのですが、感謝の気持ちはたっぷりなのです!

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