練習終了後のグランドで、内田コーチが一声発する。
「ジャンケン大会をします」
充実した練習後の爽やかな空気が一瞬にして暗雲に覆われた。
また……、ろくでもない……。
クラブハウスには資料室なるものが存在する。
別名・内田部屋と呼ばれている。
天井まである大きな書架にぎっしりと、他のクラブをはるかに凌ぐ映像資料が詰め込まれているらしい。
年に数度、そこの掃除と整理が行われる。
借り出されるのはクリーンスタッフではなく選手だ。
「内田―! お前、自分の部屋少しは片付けろ! 昨日、うっかり入ったら雪崩が起きたぞ!」
と昨日、矢良ドクターが喚いていたから、嫌な予感はあったのだ。
「ごめんごめん。この前ひっくり返したんだった」
「ごめんじゃねぇ! 頭上からアホほどディスクの入った資料箱がどかどか降ってくるんだぞ。俺はあの部屋に殺意を感じた」
「大変申し訳ない」
「……おまえに、謝らせようとした俺が馬鹿だったよ」
がっくりと項垂れて退散する矢良ドクターの姿を見ると、やはりこのチームで最も恐ろしい男はチーム在籍年最長のコーチなのだと思い知る。
予感的中。
突発的かつ理不尽に行われた選手のみのジャンケン大会で、見事に敗者となったのは高山とユーキだった。
己が生贄ではないとわかればこっちのものとばかり、解放された選手たちは晴れやかな笑顔で一日の厳しい練習を労いながら散っていく。
「おーつかれーっした!」
「おつかれー。タカ、俺、先に帰るから」
その流れに混じって、英介も手を振って背中を向ける。
「あ、昴さーん。車、乗せてくださーい」
神戸RCに入団すると人情が薄れるという噂があると言うが、あれは真実だ。
可愛さ余って憎さ百倍の恋人の背中に裏切り者と呟いて、傍らでズドーンと沈んでいる後輩の背を叩いた。
「お前、何回目?」
「……俺、四回目っす……」
年に二回ほどの整理に、入団二年目のユーキが借り出されるのが四回目。
極まった不運に慰めの言葉も思いつかない。
「よっし、あとは頼んだぜ! タカ! ユーキ!」
そうして内田部屋の扉は開かれた。
矢良ドクターが被害にあったそのままらしい混沌とした様相を見せる資料室を、蛍光灯の容赦ない灯りが照らし出した瞬間、
「帰りたい」
高山とユーキは同時に呟いた。
天井近くの棚から落ちたであろうダンボール箱からはDVDのディスクが溢れ出し、試聴するためのデッキと画面が置かれた机の上にもディスクが山積にされている。
整理方法は簡単だ。
公式戦ならば節順に並べ、相手チームの分析ならチーム別に並べる。
それだけならばただの整理整頓と言うだけなのだが、この資料室には恐ろしい資料が存在する。
ぎっしり詰まった書架には、神戸レインボーチャーサーに所属する選手の名前ごとに分類する棚がある。
「タカさん、俺、もう見たくないっす。“佐藤優輝、効かなかった小技集”とか“上がったきり、帰ってこれなかったボランチ”とか言うタイトル目にしたくないっす!」
「言うな。俺だって“絶好機のキャッチアンドリリース”の08シーズン版とか死んでも見たくねぇ」
「うわぁあ! 見てください! “見ないで!奪われたGK、屈辱の股抜きゴール”だって! こんなん見たら神尾さん死んじゃうかもしれません!」
「しかもジャケット凝ってるからな……。内田さん、これ気に入ってるんだ……」
「神尾さんにモザイク入ってる……」
「それ、奥の方に閉まっとけ。二度と日の目を見ないようなところに閉まっとけ。うちの防御率保持のためだ」
神戸イレブンをありとあらゆる方向から分析し解剖し暴きつくしたディスクの数々には、内田コーチが趣向を凝らしてタイトルをつけている。
普通のチームにGKの股抜かれシーンのみをフューチャーした資料は存在しないだろうが、神戸レインボーチャーサーには存在する。
そしてこれを夜な夜な作成するヘッドコーチも存在する。
己の弱点のみを寄せ集めただけのDVD映像が赤裸々なタイトルを付けられて並んでいる巣窟も存在する。
過去、チャレンジャーな片岡昴が、“飛べないヘディンガーはただの石頭”とネーミングされたディスクをデッキに自ら突っ込んだことがあったらしい。
それから数週間、陽性の男は泣きながらヘディング練習に励んでいたと言う。
また我らがキャプテン富永真吾は“アナウンサーじゃないからね”と不思議なタイトルが自分の並びにあるのに気付いて、これまたデッキに突っ込んだ。
試合後のインタビューで噛んだり文法がおかしい部分を編集され、テロップで突っ込みが入れられていたらしい。
それからシーズン半分、富永は試合後のインタビューで多くを語らずにっこり笑っていただけだったと言う。
さらにはその笑顔はどこか切なそうだったと言う言い伝えが残っている。
とにかく、怖い。
試合で結果が出せない時の荒治療として、自分達のミスを客観的に見つめなおし、改善すべき点を見出す資料として活用しているものもあるのは確かだが、この部屋に潜む精神的ダメージは計り知れない。
あまりタイトルを見ないように、分類として書かれている選手名だけを視界に捉えて棚に戻していくのだが、自分達のことが書かれているのだと思えば人間どうしても気になるもの。
「タカさん……」
「……」
「それ、……俺の名前が書いてあるっぽいんスけど……」
黙々と作業を続けていたユーキの指が、床に散らばっている一枚を指した。
「……。あぁ、これは“ロングフィードからの結実”だって。お前の楔のパスからの得点シーン集だよ」
そしてこの部屋の最も恐ろしい点は、たまにこうして好プレー集が紛れていることだ。
しかもさすがは分析能力に長けた内田コーチの眼力。
メディアが気付くことのできなかった、プレーした本人のみが満足するようなボールがないところでの動きにまで目を届かせている。
努力が認められたような気になる映像集がこの魔窟に潜んでいるとなれば、あまり直視したくはないディスクにもつい目をやってしまう。
「ちょ、ちょっとだけ、見てもいいっすか?」
生きる屍のような状態からやっと明るい笑顔を取り戻した後輩のお願いを拒否できず、やまだ雑然と散らかる資料室を眺めながらちょっとだけならと了承してやる。
「俺、この前漫画で読んだんですけど、パンドラの箱ってのがあるじゃないですか。開けたら世の中の悪いことが溢れ出してきたって言う」
デッキをセットしながらユーキは、その箱とこの部屋が似ていると笑う。
「あれってね、悪いことが出尽くした箱の中から、希望が出てくるんですって。内田部屋と似てますよね」
「……ユーキ」
「はい?」
「お前、一年でいいからレンタル移籍して、他のチームの内情を知って来い」
「えぇ! なんスか、タカさん、俺のこと追い出したいんスか! つか、タカさんも他のチーム知らないじゃないっすか!」
「いや、まぁ知らないけど。お前よりこのチームに染まっていない」
どういう意味ですかと不服の声を上げる後輩を慈愛の眼差しで見据え、高山は世の中の本当の姿を教えてやる。
「こういうのをな、世間一般では、飴と鞭と言うんだよ」
7周年記念企画のお題募集でいただいた「部屋」から。
……やりすぎた、と思ってはいます(笑)とてもじゃないが、記念企画向けじゃない。
だんだんと愉快なチームを通り越して混沌としたチームになりつつあります。
そして内田はどんどん変態の域に深く食い込んでます。
でもそれが楽しかったりも、しています。