虹明寮の食堂は寮生にとっての憩いの場だ。
 食事時に限らず、誰かしら食堂に留まり馬鹿騒ぎやちょっとシリアスな相談や、寮監の馬越さんを相手に愚痴を零したりする。
 そんな憩いの場にはマガジンラックが置いてあって、サッカー雑誌やスポーツ新聞、それに加えてチームメイトが取材を受けた雑誌の献本なんかも置いてある。
 時にそれは男所帯のプロスポーツ選手寮に似合わない、女性ファッション紙や経済紙だったりもする。
 そこにもう一冊、新しい雑誌が加えられた。

BE HAPPY !


「……え、これ、誰の?」
 何気なく目に留めたマガジンラックに、ピンクピンクしい表紙を見つけてユーキは首を捻った。
 表紙はシンプルなイラストで、目を閉じた女の子が頬を染めているカットだった。
 タイトルを見れば「Be Happy」と言う文字が躍っている。
 これはひょっとしてアレだろうか。
 ウェディングマガジンと言うヤツだろうか。
 コマーシャルでもお馴染みの、兵庫県内の結婚情報誌でしょうか。
「ユーキ、何してんの」
 ラックの前で立ちすくんでいるユーキの姿を見かけた同期の遠山が声を掛けてきた。
「なぁ、コレ、誰の?」
「あー? なんだ、それ。ウェディング情報紙ぃ? 誰か結婚するっけ?」
 そんな話は聞いていないと首を捻りながら、ユーキは雑誌を手にとった。
「あ」
「誰誰?」
 目次の中に、それらしき記事の見出しを見つけた。
『彼の指にアナタのシルシを 〜江口英介選手、片岡昴選手、高山浩二選手、富永真吾選手〜』
 地元神戸のいい男と言えばこの四人ということか。
 確かに、タイプもそれぞれだ。
 パラパラと雑誌を捲ってみる。
「俺、こういう雑誌初めて見た」
「俺も」
 用がある人でないと開かないだろう雑誌の主は式場やら貸衣装屋やらの宣伝で、合間に雑貨の特集があると思えばそれは引き出 物としての特集だった。
 何より、白いドレスに身を包んだ女の子がキラキラしているのが目に入る。
「お、この子、可愛い」
「あー、俺、こっちの子だな」
「って言うかみんな可愛い」
「花嫁ってのはやっぱ特別なもんなのかね」
 思わず感心してしまう。
 モデルの子は本当の花嫁ではなく、ただのモデルなのだろうけど普通のファッション雑誌で流行の服を着ているよりもずっと清楚で 可愛く見える。
 それが花嫁衣裳だというだけで。
 ドレスと花と女の子とジュエリーとに飾られた雑誌をパラパラ捲っていくと、毎日見る顔がちらついた。
 ページを戻してみると、特集のトップには我らがキャプテンの写真が載っていた。
 エンゲージリング、マリッジリングは女の子だけのものじゃない。
 男性の指にも似合い、しっくりくるデザインの指輪を特集するというものだ。
 それでタイプも様々な神戸RCの四選手がモデルに抜擢されていたらしい。

 トップの写真の富永キャプテンは、カフェテラスのような場所で新聞を開いている。
 スポーツ選手なのに、寮内ではあんなにオヤジなのに、見開きに移っている我らがキャプテンは男前で、どう見ても紳士でエリートだった。
 ネクタイこそしていないがジャケットに品のいいシャツという姿は、会社の一つや二つや三つや四つは持っていそうなイメージを抱かせる。
 オマケに開いているのが英字新聞。
「嫌味なくらいに男前だよなぁ」
 普段があぁなのに、と若手二人は尊敬すべき主将の二面性に呆れる。
「富永さんって、指綺麗だよな」
「うん。意外とな」
 英字新聞を開く富永の指には、美しい流線を描く三連のリングが輝いている。
 愛、友情、忠誠を表すトリニティリングは複雑に交わり、富永の左手薬指を一周している。
 女性のように白く細いわけではないが、富永の指はすらりと長くさほどゴツゴツしている印象でもない。
 関節も出張っておらず、スポーツマンの指とは思えない。
 その指に、三連リングは綺麗に絡まっている。
『愛、友情、忠誠と聞いて誰を連想しますか?』
 そんな質問に、愛ならばモーグル選手の婚約者、友情ならば片岡昴、忠誠ならばサッカーに、と彼は答えている。
「ある意味、詐欺だよな」
「あの人もわざとやってるわけじゃないんだろうけど、俺らの前でリラックスしすぎなんだよ」
 今日も今日で、昴が自分のゲームのデータを消去してしまったと大喧嘩を繰り広げ、とてもこの写真と同一人物とは思えない幼稚で性質の悪い暴言を吐きまくっていた。
 どちらもが富永の本当の姿なのだろうが、あまりにもギャップがありすぎる。
 溜め息をつきながら一枚捲ると、今度は我らがエースストライカーの片岡昴の姿が現れた。
「……なんでこの人は結婚指輪の特集で、合コンチックなコンセプトで写ってるの?」
「キャラだろ、キャラ」
 写真の中の昴が実に楽しそうなのは、おそらくは撮影場所に綺麗な女性を見つけたせいだろう。
 半分ほどに減った淡いピンク色のドリンクを片手に、キャバクラで見るのとそう変わらない楽しそうな笑顔を浮かべている。
 昴の左手薬指には、重厚なゴールドの指輪が輝いている。
 ゴージャスに見えるが嫌味な成金趣味にも見えず、ほどよい派手さが昴のごつい指を飾っている。
「遊び人だ」
「純粋な遊び人だ」
 真似できないと、若手二人はこれまた溜め息をつく。

 次のページを捲れば、今度はおぉっと驚きの声を上げることになる。
「なに、この人。ちょーかっこいいんですが」
「誰ですか、この人は」
 感嘆と疑問の入り混じった声を上げさせたのは、明るいキッチンに立つ高山の姿だった。
 コーヒーメーカーのポットを傾けている。
 どうってことのないシンプルなTシャツに黒いパリッとしたギャルソンエプロンが絵になっている。
 高山は寮生の中でも数少ない家事ができる男で、休みの日には時々エプロンをつけて寮の厨房でごそごそしていることがある。
 ユーキと遠山も何度か口にしたことのある高山の手料理は、男料理らしい雑さは見えるものの味は上等で、十分に美味しくいただけた。
 普段、台所に立ち慣れている男のエプロン姿は浮くことなく、彼によく似合った。
 いつもは硬い表情の写真しか見ることが出来ないのに、今回の写真はリラックスした笑顔で写っていた。
 その指には幅が広めのシルバーリング。
 そのサイドを、細い青色のラインがぐるりと一周している。
 サムシングブルーだとか言う聞きなれない説明は流し読みして、写真をしげしげと眺めてみた。
 男らしく骨張った大きな指におさまったリングは、寡黙なミッドフィールダーをやたら爽やかに見せていた。
 家庭を持っていてもおかしくないような落ち着きと、浮かべた表情の優しさが心を動かすような、滅多に見られないいい写真だった。
 高山は表情豊かな方ではなく、口数も少ない。
 人見知りも激しいからとっつきにくいタイプだが、一度距離を詰めた人間に対しては優しく、面倒見もよくなる。
 心の狭い人間なのだと高山自身は言うけれど、自分が本当に大切に思える人間を全力で大切にする、そういう誠実な人間なのだと若手達は思っている。

 そんな高山の一番近くにいる人物が、次のページに載っていた。
 場所は、先刻のページの続きらしいキッチンのカウンター側。
 スツールに腰掛け、両足の踵も引っ掛けて行儀悪く椅子の上で体操座りをしている江口英介が、マグカップを両手で包んで穏やかな横顔を浮かべている。
 英介の外見的魅力の最大のポイントは、華やかな女顔なのにそれがまぎれもない男性であるというギャップにあるらしい。
 一目見て可愛いと思った存在が実は男でしたという事実に、人は一度抱いた恋愛感情を含んだ好意を持て余す。
 その持て余した部分が人を惹きつけ続けるのではないかと分析したのは昴だったが、その意味を理解してしまった。
「フツーに可愛いじゃん……」
 英介のためにセレクトされた指輪には、キラリ輝く石が埋め込まれていた。
 白く光るプラチナのリングに、小さいくせに存在感のあるダイヤモンド。
 削られ輝きを増す、世界で最も硬い石は、まるで英介の分身のようにも見えた。
 いつものスポーツマンらしい緊張感を石に潜ませたかのように、視線を斜め上に向けている英介の表情は柔らかい。
 この記事は結婚指輪の特集なのだと、高山と英介の表情を見て再認識する。
 同じ撮影場所、同じ日時に撮られた写真は別々のページにレイアウトされても、二人の親密さを感じさせる。

 『結婚』が主軸の雑誌としては、高山と英介の起用はかなりの冒険だっただろうけど、これはかなりのヒットじゃないか。
 高山と英介の写真を交互に見ていると、
「……結婚してぇー」
 そんな気持ちにもなってくる。
「遠山ちゃんはまず相手見つけなよ」
「ん〜、ユーキちゃんはまず告白からだねぇ」
 紙面の隅には、普段二人が身に付けている銀色の指輪の写真が掲載されている。
 傷だらけになって光の反射も荒々しくなっている、そろいのリングだ。
 英介の指輪には太陽が、高山のものには向日葵が掘り込まれたカジュアルな指輪。
 現行法で二人の関係を表現しようと思えば、『親友』で『同僚』で『恋人』で、そこまでの関係でしかない。
 全ての人の認められなくても共に歩み続けるのだという、二人の誓いの証拠。
 ささやかで密やかなその誓いを、二人は手放さない。
 相手を自分の懐に受け入れることで感じることになる痛みや苦しみを甘受し、それよりももっと楽しくて気持ちのいいことがあるからと、傍に居続ける。
 愛し合うということに必要な努力や、痛みや、喜びをありのままに受け止める。
 そういうのを近くで見ていると、自分が誰かに対して抱く好意が尊くて、その誰かが自分に向けてくれるちょっとした言葉や笑顔や我慢が、たまらなく愛しくなる。
「……最初はさぁ、どうなるんだろうってヒヤヒヤしたけど、なんか……、いいよな」
 考えていたことは同じらしい、遠山が誰がと主語は置かずにポツリと言った。
 うん、とユーキも頷いた。
 幸せな未来を思い描く人たちが開くのであろうこの雑誌に、相応しい人選のように思えた。

 ほのぼのした気持ちのまま、雑誌をラックに戻そうとしたユーキの手は、飛び込んできた怒声に驚いて雑誌を床に落としてしまう。
「信じらんねぇ、普通あそこで空ぶるかよ」
「仕方ねぇだろ! 足場悪かったんだよ!」
「プロならそのへん計算しとけ!」
「計算でどうにかなり問題じゃねぇだろ! ってか、あんくらいのセンタリングもったいぶってんじゃねぇ! ボンボン放り込んでこいっつーの」
「どん引きで守られて、どうやってボンボン放り込めるんだよ。だいたい、放り込んでも、お前の背じゃ足りねぇだろ!」
 誠実なミッドフィールダーと可愛らしいスピードスターの壮絶なやり取りの内容は、どうやら先日の試合の決定的チャンスを逃したことについてらしい。
 高山の精度の高い絶好のセンタリングを、フリーだった英介が受けて派手に空振りをしたのだ。
 スタジアムを溜め息に包ませたあのシーンを蒸し返して喧嘩を始めたらしいが、高山の『お前じゃ背が足りない』発言は禁句だった。
 英介の顎のラインに力が入ったのを、若手達は目撃した。
 次の瞬間にはバッチーンと肌を打つ音が響く。
「……っつぁ」
 呻いた高山は張られた頬を押さえるよりも早く、ざまぁみろとしたり顔の英介の頭に拳骨を振り下ろした。
 ゴツっ、と言う重い音がして、英介は声もなく旋毛のあたりを押さえて俯いた。
 食堂の入り口で繰り広げられた暴力沙汰に、ユーキと遠山はピクリとも動けず凍りつく。
「手加減しろよ、馬鹿力っ」
「……いったぁ……っ。人のこと言えるか、ばぁか!」
「馬鹿言うな!」
「るっせ、お前なんてバカ山で十分だ! ばーか、ばーか!」
「ガキ!」
「同い年だろ! 老け顔!」
 二人揃って食堂に用があったのだろうに、結局背を向け合って廊下に散ってしまった。
 ドスドスと言う勇ましい足音が聞こえなくなったところで、
「……いいよなって、何が?」
 遠山が自分の発言を振り返り、首を捻る。
「俺に聞くな」
 あれも、信頼の証と言えなくもない。
 お互いの頑丈さを信じているから、意見のぶつけ合いに容赦がなくなる。
「まぁ、あれだよな、アレも、慣れてしまえば他愛のないスキンシップ?」
「だから聞くなよ」
 同意を求める遠山の視線から逃げるように、ユーキは床に落としたままの雑誌を拾い上げる。
 気をとりなおしてラックに戻そうとしていると、今度は別の足音が近づいてきた。

「ごめーん。マジでごめんって。なぁ、どうしたら許してくれる?」
「時間を巻き戻してくれたら許してやるよ」
 あまりに幼稚な言い合いが聞こえてきて、遠山とユーキは眉をひそめた。
 ベテランの域に達しているはずの富永と昴の声だ。
 食堂前の自動販売機コーナーの前で、つっけんどんな物言いの富永に昴が情けない声を上げて食い下がる。
「あ、コーヒー奢ります。奢らせてください、真吾お兄様」
「コーヒー一杯で済むと思ってんのか」
「思ってません。思ってませんが、せめてもの誠意を示したいのです」
「一日の内に人のセーブを二回も消すような奴には誠意なんてねぇもんだと判断するのが普通の人間の神経なんだよ」
 どうやら昴は、二度も富永のゲームのデータを消去してしまったらしい。
 富永の声のトーンからするに、かなりのご立腹らしい。
「もー、いい加減機嫌直せよなー。いい大人なんだからさー」
 その言い草はヤバイだろうと思っていると、
「あぁ、そうだな。いい大人なんだから、いい加減諦めをつけるところはつけていかないとな。例えば、学習能力の欠片もなくて反省するってことも知らない、アホでガキでどーしよーもねぇ幼馴染との付き合いにもそろそろ終止符を打つべきなのかもな」
 更に声を低くした富永がまくし立てた。
「え、え? マジギレ? 怒っちゃった? 真吾―、ちょっとー、そんな怒るなよー。マジでー?」
 富永の声にびびったらしい昴の態度が一気に低姿勢になる。
「クソガキ! てめぇとなんか絶交だ!」
 三十云歳の発言とは思えない発言をかました富永の足音を、機嫌をとろうとする昴の猫撫で声が追いかけて遠ざかっていく。

 静かに、ユーキは雑誌を戻した。
 落としてしまった雑誌の角は不恰好に折れてしまっているが、それを直す気にもならない。
 格好いいだとか、男前だとか可愛いとか、自分達が心の底から口にした言葉達のなんと空しいことか。
「俺さ、嫁さんにするなら腕力の強くない子がいいなぁ」
「基準がタカさんえっちゃんコンビかよ。いよいよ俺らの常識も侵食されてんなぁ」
「あとさ、やっぱ下手に格好つけたりしなくてもいいんだってことだな」
「あぁ、素が一番ってことだよ」
 ウェディングドレスを纏った女の子には、お澄まし顔よりもくしゃくしゃした満面の笑顔が似合ってて、それがたまらなく可愛く見えるのと一緒だ。
 心を飾らずありのままで在る人は、自然と人を惹きつける表情になる。
 多少の子どもっぽさもご愛嬌だ。
 どうせ、数時間後には高山と英介は仲良く食堂に顔を出すだろう。
 先刻の暴力沙汰などなかったかのような気さくな顔を突き合わせて、そろいのシルバーリングが輝く指を自然に動かし、一緒に食事でもするのだろう。
 少し時間はかかるかもしれないが、富永と昴も次の公式戦までにはおそらく仲直りしているはずだ。
 富永は自分の絶交宣言など忘れ去ってしまって、昴は二度もセーブを消去してしまったことを忘れてしまっているだろう。

 嵐の後には蜜月の夜がやってくるはずだ。


たまたまウェディング情報誌を見る機会がありまして、こういうのって見る人限られるよなーと思ってネタになりました。
なんかキラキラしてて可愛いものですね(^^)若手視点で主要キャラを描くのも楽しかったです。

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