「ササのとこ、夏には合宿してるんじゃなかったっけ?」
「お、そうそう。8月、合宿と。あとは……、追いコンとか書いた?」
「うちは書いてないけど、そっちは試合とかするんじゃなかったっけ? 書いとけば?」
「くっそ、面倒くせぇな」
「予算要るんでしょ。真面目に書きなさいよ」
生徒会執行部に提出しなければならない年間行事表の締切りを、すっかり忘れていた。
昨年の資料を探そうにも、あってないような存在だったサッカー部には運営上に必要な書類など残ってはいなかった。
仕方ないとサッカー部部長を引き受けている笹岡は、書類の書き方を知っていそうな人物を一人捕まえた。
捕まえられた幼馴染の景山は嫌そうな顔をしながらも、付き合ってくれることになった。
「マジ、わりぃ。練習、平気?」
「この前、大きな大会が終わったばっかりだからね。今日は倉庫の片付けと次の台本探し」
「ごくろうさんです」
景山が指揮をとるのは演劇部。
文化部の活動が盛んなこの高校の中でも、幾つもの賞を受賞している定評のある部活動だ。
「あー、これで俺はまた演劇部員の反感を買ってしまった」
熱心に演劇に打ち込む部員達の憧れの的が、笹岡の幼馴染である景山なのだ。
スラリとした長身に、出るところ出た完璧なスタイル。
綺麗と評されることの多い顔立ちは整いすぎていてクールな印象を与えるが、少し笑って目を細めると女性らしい温かみが伝わってくる。
サラサラしたミディアムヘアをかき上げた指の爪には、いつも薄いベージュのマニキュアが塗ってある。
さぞ舞台映えするだろう容姿をしているが、景山が役者として舞台に立ったのは一度きりだ。
部長としてだけではなく、監督として景山は演劇部を引っ張っている。
インカムを付けてキャストやスタッフに的確な指示を与える姿は、凛としてかっこいい。
サバサバして要領も頭も良く、考え方もしっかりしている。
どこか男前で、でもちゃんと女っぽい。
男女問わず人気があり、特に演劇部員は景山信者だ。
幼馴染と言うだけで、笹岡は目の敵にされている節がある。
特にひどいのが女の子達で、ご近所さんのよしみで忘れ物など届けてもらおうものなら、大ブーイングを浴びる羽目になる。
笹岡ももてないことはないのだが、景山には負ける。
「私もこれでサッカー部の反感を買うかな」
「そんなに大事にされてねぇよ。お前と違って」
「うっそ。誰よりも信頼されてるじゃない」
「それ言うなら英介だろ」
「その英介から信頼されてる人が何言ってんの」
仕方ない奴と笑う景山の口元は甘い。
手元の書類は大方出来上がっている。
お互いに部長という身で、早く部活動に顔を出さなければならないし、そうしたい気持ちもあるのだけれど、ここのところお互いに多忙でゆっくり話しもしていなかった。
たまには唯一無二の幼馴染と言葉を交わすのもいいだろうと、なかなか腰を上げられないでいるのはお互い様らしい。
「ははっ、なんかササの顔しみじみ見るの久々。男前になったじゃん」
「やっと気付いたのかよ。おせぇよ。何年かかってんだよ。十七年?」
「だって前は格好悪かったじゃない? 拗ねてて、何もしてないくせに達観しちゃって。かわいくなかった」
「え、かわいくなったって言ってんの、お前」
「そう」
「あー、喜んでいいのか微妙なところ……」
ふふ、と柔らかい声で景山が笑う。
物心ついた頃からずっと一緒にいて、時々は泣かせたり泣かされたり一緒に泣いたり。
兄弟のように育ってきて、思春期の頃には仄かな想いを自覚しながら、他の男と手を繋いで歩く景山の姿に激しく打ちのめされたりもした。
それが年上の男だったりして、どんなにもがいてみても敵いそうになくて、いつしか諦め癖をつけてしまった。
たかが十年とちょっとの人生で諦めることを覚えてしまった笹岡の根性を叩きなおしたのは、英介だった。
強引に手を引くようで、実は手招きしているだけ。
立ち上がり走り出したのはお前の意思だぜと笑ってみせる、そういう親友と出会った。
中学時代は見向きもしなかったのに、高校二年になってから景山は笹岡の試合の応援に来るようになった。
サッカーって面白いと言ってくれるようになったのは、笹岡自身が面白いと感じているせいか。
可愛いでもなんでもいい。
見直してくれるのなら、それで十分だ。
途中、それぞれに寄り道もしたけれど、想いはいつの頃からか一緒だった。
幼い頃、大きくなったら結婚しようねとシロツメクサで作った指輪を贈りあった、あの他愛のない約束を大事に大事に思っている。
気持ちはたぶん一緒の方向を向いていて、時々遠まわしな言葉のやり取りで確認しあってもいる。
男らしく告げてしまえないのは、今はまだやることがあるからだ。
「ちょっと、妬けるわ」
「英介に?」
「ササに」
「え、意味深だな、それ」
「私も好きよ。英介のこと」
見惚れてしまうほど綺麗に景山が笑った。
衝撃発言には苦笑するしかない。
「俺のことは?」
「崖っぷちにあんたと英介がぶら下がってたら、英介を助けるわ。今はね」
「……傷ついた」
「よく言う。自分だってそうじゃない」
「まぁ、そうかもしれない。今は」
今はとお互い強調し合う。
今は、少しでも高見へと駆け上がろうとする英介の後押しをしたい。
どこまで行くのか、見届けたい。
サッカー無名校から走り出した一人のフットボーラーが、一体どれほどの栄光を手に入れ、自分の親友と呼べる人物が何万の歓声を浴びる存在になるのかどうか。
見ていたい。
力になりたい。
景山は楽しそうに笑って、待ってるよと歌うように言った。
放課後の教室は、二人以外に人がない。
遠く、ブラスバンド部の合奏の音色が聞こえてくる。
限りなく完璧に近いシチュエーションに流され、笹岡はついと机の上へと乗り出した。
近すぎる距離は笹岡のしようとする行為を明らかにしている。
景山は少し考える素振りを見せて、やがて仕方ないわねと笑い、頬杖を外して目を閉じてくれた。
たまにはいいじゃない。
ご褒美があれば俺だって、もっともっと早く走って飛んで、がむしゃらになれるよ。
あまりに自然すぎて忘れそうだが、これは二人で交わす最初のキスだ。
西日差し込む放課後の教室。
手元には、今日中に執行部に提出しなければならない書類。
グランドではサッカー部の声が響き、演劇部の大道具倉庫では演劇部員達が埃まみれになっている。
これも青春の一ページだ。
今刻んでおかなくていつ刻む。
サラリと揺れた景山の髪の毛から香ったシャンプーの匂いを感じた瞬間だった。
「ササ、まだ終わんねーのかよ! お前いねぇと紅白戦はじま……んね……」
バッターンと壊れるくらい勢いよくドアを開け、声と一緒に英介が飛び込んできた。
「……う」
慌てて離れることもしなかった景山と笹岡の距離は不自然なほど近く、奥手な英介にも何をしていたかは一目瞭然だった。
状況を把握しきるまでに数秒、ややあって頬を真っ赤に染め上げた。
「わぁあああああっ! しっ、っつれいしましたー!」
見たことがないほどの狼狽ぶりを見せた英介は、まさに脱兎の如く教室を飛び出していった。
どんなに慌てていても足音は軽やかなのが可笑しいと、景山が至近距離で笑っている。
「あーあ、教育上良くなかったね、今のは」
「でもあいつ、キスまでならけっこうやってるぜ」
「襲われてるんでしょ。かわいそうに」
「今の俺も相当かわいそう」
「さーて、私も部活行こうかな」
あっさりと景山は立ち上がり、完成間近の書類をトントンと綺麗な指先で叩いた。
それが合図であったかのようなタイミングで、先ほど英介が開けたドアがガラリと開いた。
「景山せんぱーいっ、まだですかー?」
鈴のような声が三種類ほど転がり込んできた。
演劇部の二年生の女の子達だ。
「あぁ、ごめんごめん。もう終わるとこ」
パンツが見えそうなスカートをひらひらさせながら、後輩達は景山の元へと駆けてきた。
まるで笹岡の姿など視界に入らないかのように。
「倉庫整理終わりました。これから綾子が作ったケーキで打ち上げしようって言ってるんですけど、景山センパイが来ないと始まらなくて」
「綾子、センパイのためにレアチーズケーキ作ってきたんですよー」
宝塚か、ここは。
どうしてだか景山は女子にもてる。
男勝りなわけでもないのだが、女の子達の憧れの的となっているらしい。
証拠に、後輩達の指先には景山の指先と似たピンクベージュが塗られている。
メイクや服装は派手なのに、指先だけ地味目な色なんて似合わないぞと忠告してやりたい。
君たちの指先には水色とかオレンジとかピンクとか、そういうのが似合うよと。
「あー、じゃあ、景山、サンキュな。行ってやって」
余計な事を言う前に、書類の一番下に今年度の目標を殴り書いて立ち上がれば、やっと気付いたとでもいうように女の子達の厳しい視線が笹岡に向けられた。
(また笹岡かよ)
(サッカー部の雑用を景山センパイに押し付けるんじゃねぇよ)
(教室に二人きりなんて、許せない)
見た目は可愛らしいのに、視線に込められた敵意はそこらの不良よりもピリピリするものがある。
「早く提出して、王子様とサッカーしてあげて」
カバンを手にとりながら、景山はさっき微かに触れ合った口唇で微笑んでくれる。
取り巻き達の視線は、
(景山先輩だけでなく、えっちゃんまでも!)
と、いっそ険しくなったけど、立ち去る様子の男に喧嘩を売ってここに留める気はないらしい。
「今は王子様の相手を全力でするけどさ、いつか女王様迎えに行くからよろしく」
睨まれるだけでは格好悪い。
ここで一発宣戦布告と、笹岡は完成させたばかりの書類を景山に突きつけた。
『今年度の目標:全国制覇!』
地区大会で一勝するのもやっとの弱小高校が掲げた目標は、あまりに遠くその影すら捉えられない。
それでも目指すのだと、笹岡の荒々しくも堂々とした筆跡が訴えている。
そしてその後に、人気者の幼馴染をさらいに行くと。
鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした景山だが、すぐに余裕の微笑を見せた。
「待っててあげるわ」
付き合っているのかいないのか、真偽がはっきりしない噂ばかりをたてる二人が始めて見せた明確な意思表示に、後輩達は驚愕顔をさらしている。
(ナニ、ソレー!)
黄色い声の大絶叫が響き渡るより早く、笹岡は大きなスポーツバッグを持って教室を飛び出した。
向かうは好きな子の元ではなく、部活仲間の元。
走ることを諦めていた自分に、走る楽しさを教えてくれた友人がいる。
頑張りなさい、待っているからと背中を押してくれる好きな子がいる。
勉強よりも部活中心の生活になった息子の将来を憂い、笑顔を見せてくれなくなった両親もいるけれど。
こうなったら突っ走って走り抜けて、どこまでも行っちゃおうぜと笑い合える仲間もいるのだ。
たまらなく楽しい。
たまらなく苦しくもある。
だけど、世界で一番幸せなんじゃないかと思える瞬間がある。
今は良くても将来必ず後悔するわよと母親は怖い顔をして言ったけれど、そうとも言い切れないんじゃないかなと、親の心を知らない息子は思うのだ。
大人の気持ちはよくわからないけど、でも、きっと、大人と呼んでもらえる歳になった時、高校時代を思い出したらきっと自分は笑っていられる。
誇らしげにこの三年間を語ることができると思う。
格好の悪い時期もあったけど、それを含めて語ることができると思うのだ。
そんな楽しい想像ができるから、今はひぃひぃ言いながら走り続けるのも苦ではない。
笹岡の足が階段から浮き上がる。
飛び降りるようにして階を下り、部室へと一直線に向かう。
自分の喜怒哀楽を呼び覚まし、研ぎ澄ました戦場へと。
君に笑顔を向けてもらうための場所へ。
恥ずかしい。
猛烈に恥ずかしい。
どうしよう。
ササと景山が、キスしてた。
キスしてた!
付き合ってるって噂は聞いたことあるし、ササは景山のこと好きっぽかったけどっ。
景山はナニ考えてんのかイマイチわかんねーから、わかんなかったけどっ。
キスしてた!
邪魔したっ。
わりーことした。
ごめん、ササっ。
マジごめんっ。
……。
……。
景山、キレーだった。
いっつもかなり美人だけど、見たことない顔してた。
かわいかった。
ササも、かっこよかった。
あーゆーのがキスって言うんだろうな。
俺が女の子に「不意打ち!」っつってされちゃうのじゃなくて。
…………。
気持ちよさそうだった。
…………。
俺も、あんなのしてみたい。
誰かと、してみたい、かも。
燃え出しそうな頬を自分で数発叩き、顔を前へと向ける。
階段を飛び降り、玄関を飛び出し、まっすぐにグランドへ走る。
本気の走りにすれ違う生徒が何事かと視線を向けてくるが、かまっていられない。
主軸二人を待ちわびて、部員達は簡単なミニゲームを始めている。
白と黒のボールが転がるのを見て、悶々とした心は一気に晴れた。
今は、サッカーの方がいい。
事故から回復してサッカーが出来るようになって、これは奇跡なんじゃないかと思った。
この奇跡と引き換えに、自分は何か失くさないといけない気がしていた。
高校に上がって、それはひょっとしたら『友達』なんじゃないかと思い込んで、頑なに自分だけのサッカーに没頭してきたけれど、仕方ないなと手をとってくれた友人達は現れた。
サッカーの代償は、友情ではなかった。
ならばそれは、『恋』なのかもしれない。
好きな人は両手の指でも数え切れないくらいにいるけれど、特別な誰かを挙げろと言われてもなかなか答えられない。
心をサッカーに獲られてしまった自分は、もう特別な誰かを愛することはできないのかもしれない。
それでも、サッカーができるのなら悔いはない。
愛してくれる家族がいる。
一緒に走ってくれる友人達がいる。
そして自分はサッカーができるのならば、これ以上の幸福などあるものか。
「集合―!」
乾いたグランドに砂埃を巻き上げながら、英介は声を張り上げる。
「紅白戦すっぞー!」
「エースケ先輩、ササ先輩呼びに行ったんじゃないんスか?」
「うるせー、うちの部長は忙しいんだよっ」
「遅いって文句言って呼びに行ったくせに」
「うるせぇー。組み分けじゃんけんすっぞー!」
「おーい、俺も入れてくれー」
「あ、ササ先輩きたー」
「っしゃー、今日もがんばろーぜー!」
声を上げる。
それに応える声がある。
その幸いを噛み締めて、僕らは走るよ。
英介高校時代。
笹岡って誰?って方は「Spicy Honey」をどうぞ!って、前置きがいるくらいな脇役・ササです。
こういう男女の恋愛話を合間に挟むのはけっこう楽しいです。詳しく書くのは苦手ですが、エピソード的に挟むのは好きです。