「タカ、契約切れだってさ」
そんな話を聞いた。
神戸レインボーチャ―サーの独身寮の食堂でのこと。
「ワンアシストだっけ?」
複雑な感情を混ぜてぼそりと言ったのは富永さんだった。
それからちらりとこっちを盗み見た。
気付いたけど、なんですかとわざとらしく尋ねてくるのを、中堅とベテランは溜め息をつきながら無言の返事でいなした。
「帰国、いつ?」
「俺に聞かないでくださいよ」
「連絡とってただろう?」
「たまにです」
ぶきっらぼうになってしまう口調はどうしようもなかった。
いつもいじられキャラで通っているからみんな困っている。
気まずい空気はもう一人のいじられキャラが壊してくれた。
「真吾―。プリンくれー」
スバルさんだ。
「はぁ? お前、そこに積み重なってるのはなんだよ」
「これ、坂本さんとユーキから巻き上げてきた」
「腹壊すぞ」
「プリンは別腹」
それにあわせて会話は別の方向に流れていく。
スバルさんはそこまで空気の読めない人ではないから、プリンなんかの話をし始めたのはきっと気をきかせてくれて、それに富永さんがあわせてくれたんだ。
感謝しながら食器を片付けて部屋に戻った。
本当は、一週間前に電話があったんだけど。
タカ。
高山浩二はちょうど一年前にブラジルのクラブにレンタル移籍した。
裏をとるのが上手い技術のあるMFは、自分の能力を向上させるためにチームを抜けてブラジルでの生活を始めた。
神戸RCで俺の同期はタカだけだったから、なんとなく相棒が転校してしまったような、そんな気分に襲われていた。
明るく陽気なヤツだと思われている俺の塞ぎ様を心配した先輩達は戸惑うほどに優しくしてくれたし、言葉はなくても雰囲気や行動で励ましてくれていた。
だから、前向きになれた。
ブラジルで頑張っているタカが帰ってきたときに、胸を張って会えるように。
別に俺の頑張りなんて大したもんじゃなかったけれど、今シーズンはスバルさんとほとんどの試合を先発出場。
プロになって初めてフル出場なんてのも体験した。
チームは発足してから初めてのステージ優勝を経験。
チャンピオンシップに出場し、激戦を繰り広げて見事チャンピオンの座を得ることができた。
俺も富永さんの誰の文句も受け付けないほど完璧なアシストを決めて一得点に絡むことができた。
タカはその夜メールをくれた。
アンダー17の時に一緒に選ばれた。
どこか懐かしい訛りのタカが、同じ県の出身だということを知ってからぐっと仲良くなった。
タカは高校になって引っ越したから高校サッカーで知り合うことはなかった。
すぐに緊張して本番に弱くて、努力家で。
人付き合いが悪いようで、実は打ち解けた相手には懐っこい。
高校卒業する頃にはJリーグの数球団からオファーがあった。
タカと相談して一緒のチームを選んだ。
俺が楽観的でいつも笑ってるようなタイプだからタカとは時々険悪な喧嘩にもなるけれど、周りのおかげで仲直りに至る。
もうお互い19でガキじゃないんだからと思うのだけれど、どうもタカには遠慮ができなくてズケズケと言ってしまう。
仲のいいヤツは他にもたくさんいるけれど、タカはたぶん親友と呼べるポジションにいるヤツだ。
そんなタカが、一年前に俺に行った。
『ブラジルに、行ってこようと思うんだ』
神戸RCの司令塔には富永さんがいる。
アンダー17の代表で見てきて、タカは富永さんと同じ中央のポジションが一番あっていると思っていた。
でも神戸RCではタカは右サイド。
富永さんがいるからだ。
だから、行ってくるとタカは言った。
富永さんに憧れていたタカ。
だから、富永さんを超えることのできる選手になって、監督に富永さんじゃなくて自分を起用してもらえるだけの力を得てくる。
そう言って。
一年間、ブラジルと日本で違うチームでプレーした。
一年間。
俺が残した結果は、チームの年間王者と全試合への出場。
チャンピオンシップでは逆転ゴールを決めることができた。
それを評価されてのMVP。
タカが残した結果はワンアシスト。
いつも一緒であるようにこのチームに入ったのに、初めての優勝を味わったのは俺だけ。
タイミング、わるっ。
ブラジルに行ってからのタカは調子が出なくて、試合にもなかなか出してもらえなかった。
結果を出せないタカが時々寄越す連絡は曖昧で、タカらしく弱さを外に出さずに自分の中で消化しようとしている苦しみが、じわりと滲んでいた。
ネガティブな感情への対応も自分達は正反対。
俺はすぐに弱音を口にして、先輩やコーチや同期の連中に相談して外に外に出して対処していく。
でもタカは違う。
自分の中で解決する。
水臭いとも思ったけれど、そういうところがタカの強さだと気付いた。
タカはきっと俺なんかよりもずっと強い。
大人で、いろいろ考えて見てて。
将来を見る目をしてる。
ピッチの上でも、ピッチを降りても。
俺みたいに無謀じゃない。
ブラジルへの移籍にタカが描いたヴィジョンはきっと二つ。
成長か停滞、ひどいときには挫折。
タカは、一年間で停滞を描いた。
『契約、切れるから帰る』
一週間前の電話でタカは淡々と話した。
『今年は神戸でプレーするから、またよろしくな』
そんな話。
帰ってくるお前に、どんな顔を向ければいいだろう。
そんなことを考えたら、落ち着かないんだ。
サッカーで結びついた友情は、サッカーによって壊れることもあるでしょうか?
そろそろ短いオフも開ける。
俺はすることもないから、練習場に来て代表合宿に備えようと練習を開始したスバルさんや富永さんや神尾さんに混じってボールを蹴っている。
代表候補の練習再開を取材しようとカメラを持つ人も何人かいた。
「すげぇなー」
「えっちゃんだって取材受けてるじゃん。あの若手中心の雑誌とか」
「だって天下のサカマガとかの取材ってなかなかないですよ。いいなぁ。かっこいいなぁ」
「英介、この前インタビューでうちのチームで一番怖いのはって質問に俺って答えてただろ」
スバルさんと給水していると、突然背後から富永さんが声をかけてきた。
よりにもよって、そんな記事を。
「ななななっ、なんで知ってんスか!?」
「聞いたんだよ。俺、あの後ベテランインタビューってので会ったから。その時にこっそりと」
「でっ、でもっ、一番尊敬してる選手ってのにも富永さん書いたし」
「だから許してやるよ」
富永さんは怒ると怖いし厳しいけど、普段はこんな風に優しい。
若手をからかって遊んでいる。
本当にお兄さん的な存在だ。
「さぁて、あがるか」
タオルとベンチコートを手にしてスバルさんが立ち上がる。
「えっ、今日、もう終わりですか?」
「あぁ、取材受けてからイチさんの番組」
「えっ、二人で?」
「この前約束してたんだよ。忘れてたんだけどな」
苦笑を浮かべて引き上げていく。
神尾さんはキーパーだから練習メニュー別だし、さっきトレーニング室に入ってったし。
そういえば、今日は雨が降るとか言ってたかな?
リフティングを一人でしたって、なんだか虚しいだけ。
チームは優勝した。
調子はいいのに、何故かモヤモヤと胸がすっきりしない。
見上げた曇り空みたいに。
モヤモヤしたまま、仕方ないから走りこむ。
そのうちポツポツと雨も降ってきた。
冬の雨は冷たい。
聞えるのは自分の呼吸と雨の僅かな音と、それから自分の足音。
俺は、何をしてるんだろう。
ブラジルという厳しい環境を選んだタカに比べて、どうなんだろう。
焦りが、生まれる。
「……ちくしょ」
脚を止めた。
息が苦しい。
汗と雨が目に入って痛んだ。
ベンチに置いてあるタオルを取ろうと顔を上げる。
誰かの足が見えた。
神尾さんとは違う、私服姿の。
「……タカ……」
黒のダウンコートのポケットに両手を突っ込んだタカが、傘もささずに立っていた。
一年前よりも少しだけ、体つきががっしりした気がする。
短くて硬い髪の毛がツンツンとたっているのは変わらない。
「ただいま」
冷たそうな顔も変わらない。
ボソリと話す声も。
「……お、かえり」
「寮に荷物置いて、お前がここだって聞いたから来てみた」
「……お、おう」
タカの考えてることを読み取るのはだいぶ上手になっていたはずなのに。
「……」
「……」
今のタカが何を考えているのかわからない。
何を言えばいいのかわからない。
「なんか、帰ってくんの恥ずかしかった」
困ったようにタカが笑った。
そんな風に笑うの、得意じゃないくせに。
「意気込んで行ってきて、ワンアシストだもんな。情けねぇ」
得意じゃないくせに。
「………ば、馬鹿じゃねぇのっ」
「英介?」
「馬鹿じゃねぇの、タカっ。誰もお前のこと恥ずかしいヤツだなんて思ってねぇよっ。何ウダウダ考えてんのか知んねぇけどなっ、お前があっちでワンアシストって結果だったのは、お前のパスを生かせるフォワードがいなかったってだけのことなんだよ! 俺がお前と同じピッチに立ってりゃ、お前のアシスト数いくらでも大きくしてやるっつーのっ!」
感情の赴くままに、一気にまくしたててしまった。
だからガキだと言われるというのに。
タカは呆気にとられたような顔をさらした後に、一度深く俯いてから困ったように笑った。
それも一瞬のことで、次には堪えきれなかったように顔を歪めた。
いつもポーカーフェイスのタカがこんな風に感情を噴出させることは珍しい。
「……すげぇ、悔しかったよ」
手が伸ばされて、俺の肩を掴んだ。
ちょっと貸せとでも言うように、タカの顔が押し付けられた。
「悔しかったんだ。監督には使ってもらえないし、チームメイトは馬鹿にするし。調子もあがんない。何しに来たんだって自己嫌悪になって、最悪だった。行くんじゃなかったって、すっげぇ思った。本当に、嫌だったんだ。このチームが優勝してるのを俺はあっちで眺めてて、お前と差ができてるって思った。それも嫌だった。サッカー、やめたいって思った」
初めてだ。
タカが弱音を吐くなんて。
「すげぇ、自分が情けないと思った」
声が震えた。
タカが泣いてる。
「苦しかった。早く一年経てばいいと思った。日本に帰ってきたくて、そんな自分が嫌で、ほんとに……」
頷くことしかできないで、一つ大きく頷いた。
「これからだよ。タカ。これからだ」
タカも一つ頷いた。
「今年は俺がお前の前にいる。絶対に、決めてやるから。お前のパス、ちゃんと決めてやる」
苦しそうにしゃくりあげるタカの背をポンポンと叩いた。
「お前と、このチームで優勝したい。世界と戦いたい。今はうまくいかなくても、いつかもっと巧くなって世界を見返してやればいい。その時は、俺も戦うから。別々のピッチでも、お前と同じ気持ちで戦うから」
俺達の未来は始まったばかり。
子供の頃夢みたプロとしての戦いは。
将来を見ることのできるタカの目も、真実の将来は見抜けない。
タカが見るのはヴィジョンだけ。
現実はタカのヴィジョンから変化する。
変化させていく。
スバルさんや富永さんたちのように、厳しい風に吹かれてもしっかりと自分の姿勢を保って前に向かっていけるほどの強さもなくて、ぐらぐらと揺れてしまう自分達。
だけど先輩達のようにこの風に吹かれて、立ち止まって、そんなのを経験して強くなりたい。
「おかえり」
苦い経験を、屈辱を強さに変えれるように。
このチームでタカをもっと強くする。
そうすることが自分のレベルアップにも繋がるから。
「おかえり、タカ」
「……ただいま」
ブラジルに自分にないものを探しにいって、ないものばかりを目の当たりにして戸惑って、何もできずに帰ってきた。
でもタカは、この国に帰って、魂を取り戻す。
「見返してやる。強くなる」
熱い、魂を。
世界にとっては取りに足らない小さな火でも。
いつか。
「もっともっと強くなる」
願望ではなく、それは決意。
顔を上げたタカの目は、赤く充血していたけれど今まで見たことのないくらいにいい顔をしていたから。
やってやろうという気をそそられる。
濡れたコートの胸に拳をぶつけた。
同じようにタカも俺の胸に拳をぶつける。
そこにある、熱い魂を確かめるように。
「がんばろう」
「がんばろう」
心からそう思う。
自分のために。
チームのために。
お前のために。
「連覇の兆し、ありありだね」
「若いねぇ、青春だね」
取材を終えたスバルさんと富永さんがそう言って、カメラマンにシャッターチャンスを与えたことを、俺とタカは後日発売されたそのインタビュー掲載誌を見てはじめて知ることになる。
ホモにしようかどうしようか迷いながら書いてたから、妙にホモチックな健全SSになっております(笑)
なんかこのシリーズを書いてると、私は海外移籍を批判的に書いてる気がしてきた。もちろん、賛成ですよ。ただ時とかタイミング、状況は大切ですけどね。またこの人を中心の話を書くと、その時は80%の確立でホモになるでしょうね(断言)