01:向日葵を見上げて(江口家)
02:金魚すくい(昴)
03:登校日(英介高校生時代
04:海までの坂道(市井、内田、矢良)
05:午前0時のプール(タカ高校生時代)
■お借りしたのはコチラ……COUNT TEN.
「やっぱ夏は向日葵だねー」
短いオフを利用しての帰省。
迎えてくれたのは家族と、庭に咲いた見事な向日葵だった。
「最近の向日葵ってさ、花が小さくて迫力ないんだよねー。小学校の頃に学校で育てたみたいな、がーんとデカイ花の方が夏の花って気がするな」
ひんやりとした母手製のレアチーズケーキとアイスティを縁側に運んでの、夏のお茶会。
俺の賛辞を聞いて、夏の花を育てた父は嬉しそうに口元を綻ばせた。
「でも小さい頃、英介は向日葵嫌いだったのよね」
「そうだっけ?」
懐かしそうに言った母親の横で、思わず首をかしげた。
「大事に育てたのにね、向日葵は英介の背を抜いちゃうから」
脳裏に、幼い頃の記憶が微かだが蘇った。
夏の肌を焼く太陽の下を見上げる黄色い花を、それより更に下から見上げて泣いた自分がいた。 向日葵は夏だけの花だから時間がないの。
短い間にいっぱい大きくなって咲いて、また来年までバイバイしちゃうのよ。
英介にはたくさん時間があるでしょう?
来年の夏、またこの花が咲く頃には今の英介よりもきっともっと大きくなってる。
いつか追い越す年がくるから、悔しがらないでいいのよ。
そう言って、優しくなだめてくれた声を思い出した。
途端、冷たい紅茶を飲んでいるはずなのに、頬がじわじわと赤くなった。
「……そ、うだっけ?」
バツの悪さがただでさえ暑さを感じる体を、内側からも熱くする。
友里が可愛いと笑っているのを睨みつけても、あまり効果はなかった。
「ついでに言うと朝顔もね、蔓を伸ばしてどんどん登ってっちゃうから、好きじゃなかったのよね。夏の花は元気なのが多いわ」
ゆっくりと団扇で扇ぎながら、母は夏の庭を眺めた。
打ち水をしたおかげなのか、少しだけ肌に心地よい風が吹く。
「……。今は、ちゃんと好きだよ。向日葵」
赤くなった頬を冷やすように、忙しなく団扇を動かしてぼそっと呟いた。
ちゃんと育ててもらったから。
見上げていた向日葵を見下ろすほどに、大きくしてもらった。
消えかけた命もつないでもらった。
夏の花たちに似た生命力の強さを、自分の体の奥底に感じている。
畳の上に手足を投げ出す。
「大きくなったね」
向日葵の話か、俺の話か。
母の声は緩やかな風に溶けて、俺の肌を心地よく撫でた。
あとがき>最近の向日葵って小さいよね。
深入りしたいと思った女の子とは、必ず夏祭りに行く。
一緒に浴衣を買いにいったりして、当日は慣れない下駄で足を痛めることを考慮して絆創膏をポケットに忍ばせて、手をつないで縁日を歩く。
ちょっとした非日常風景を女の子は楽しんで、いつもと違う彼女の横顔を俺は楽しむ。
そうして、金魚すくいの露店で足を止めて、やってみなよと促すのだ。
反応は様々。
「金魚すくいの金魚って、すぐに死んじゃうから」
そう言って、躊躇するような子がいい。
そうしたら俺はこう言える。
「じゃあ、俺が世話しに行くよ」
金魚すくいの金魚は確かに少し弱く、一生懸命世話したとしても死んでしまうことがある。
そんなか弱い命を守ろうと、水槽の中をいつも綺麗に保っておいてくれる子が好きだ。
守りきれなかった命にごめんねと小さく呟く口唇が好きだ。
一つの、小さな小さな命を預ける。
その小さなものへ対する態度を見れば、人間性が透けて見える。
そこに確かに優しさがあるのだとわかると、俺は更にもう一歩彼女の懐に踏み込める。
金魚すくいは臆病者の罠。
俺がそっと掬い上げた彼女たちは何も知らないまま、俺の水槽を棲家としてひっそりとした鼓動を刻む。
そうして俺は夢を見る。
彼女たちの優しさをはかるために犠牲とした金魚に生まれ変わる、夢を見る。
あとがき>わかりにくいけど、昴の話です。悪い男を書きたかった。
部活動を通常よりも遅くまで行える特別延長の届けを出すのには、職員室に行かなければならない。
職員室の隅にあるホワイトボードに部活名を書くだけの作業で、それ自体は一瞬で終わるような簡単なものなのだが、その前後にオプションとしてくっついてくる教師陣の小言が面倒くさいのだ。
今日も今日でタイミングを見計らって、贅沢にクーラーの利いた職員室にもぐりこんだ。
部活名を記したまではよかったが、退室寸前でこともあろうか生徒指導担当につかまってしまった。
「サッカー部はまた特延か。大会前でもないのに、どういうことだ」
「まぁまぁ、センセ、限りある高校生活の良き思い出と言ったら、やっぱり部活動に汗したことでしょ。今のうちにしっかり思い出作り。大切なことだと思いますよー」
「思い出作りだけで前に進めなくなっても困るんじゃないのか。他の同級生はみんな必死になってるんだぞ」
高校三年の夏休みだ。
何をするにしたって、自分たちには時間がない。
「でもほら、一応、昼は補講も出てるし。部活出てるのって、有志だけだし」
高校三年生の夏休みは、休みじゃない。
地獄だ。
だけどその地獄の底であがきまくるのは、実は楽しかったりもする。
「笹岡は教育学部志望だったな。この前の模試の結果はどうだったんだ。お前はまだこれから受験が控えているのに、江口に付き合ってどうする。江口が勉強まで引っ張ってくれるのか」
模試では志望校にA判定が出た。
言ってやろうかと思ったが、黙った。
「江口は特別なんだ。この時期になっても巻き込まれてたら、将来が開けんぞ」
何が特別だ。
この学校の運動部に華々しい結果が出せるわけがないと言い聞かせ、出る杭を打ってきたのはあんたらだ。
代表に呼ばれ、プロ球団と契約を交わした途端に手の平を返したような態度をとる。
俺たちが必死で走ってきた距離を、まるで幻想でも見てたかのように言う。
確かに、自分たちが残した結果というのは僅かなもので、しかも形になっていないものばかりだ。主要な大会ではどれも表彰台を逃した。
残せた結果と言えば、県内最強高を大量得点で破っただとか、そういう細々した伝説じみたものばかり。
だけど、生み出したものは大きい。
「センセーさぁ、将来が開けないなんて、若者に言っちゃ駄目ですよ。俺たちはすぐに拗ねちゃう軟弱な現代っ子だから、先生の今の言葉を言い訳に本当に将来を閉ざしちゃうよ。ちょっと前の俺ならそうしてた。だけど、今はふざけんなって、すっげぇ頭にきた」
声が自然と大きくなった。
これでも教師の前では猫をかぶって、それなりの優等生として通してきたつもりだ。
そんな俺の態度にはっとしたのか、何人かの教師が視線を向けてきた。
このほのぼのした校風の学校で、教師から疎んじられるのはサッカー部だけで、こんな風に教師に逆らうのもやはりサッカー部だけだ。
「あんまり、ガキをなめないでください。ガキにだってガキなりに大切にしてるもんがあるし、見えにくい先のこと考えてる。俺らは先生たちほど視界が広くないから、アホくせぇ回り道とかしてるのかもしれないけど、それって無駄ですか?」
職員室は静まり返り、全ての教師や居合わせてしまった生徒の視線が注がれている。
生徒指導担当は、始めてしまった言い合いの不味さに顔をしかめて立ち尽くす。
俺の質問に、何度か口をもごもごと動かした。
「ササっ」
緊迫した空気を破って、英介が職員室に飛び込んできた。
あわてて、失礼しますと付け加えて、場の空気など無視して寄ってきた。
「シュウヘイの模試の結果見たっ? 志望校の判定Bに上がったんだって! すごくねぇ?」
「マジか。やっぱ、英介の英語訓練がよかったんだな。お前が英語でしか話かけねぇから、あいつ必死で聞き取りやるようになったもんな」
「もー、すっげぇ安心した!」
「今日はシュウヘイの合格祝いでサッカーするか」
「せめて45分は勉強しようよ」
「はーい。失礼しましたー」
「失礼しました」
上手いタイミングで入ってきた英介の言葉が教師の胸を刺せばいい。
俺たちは今、それぞれの道を歩もうと、その分岐点に立って必死で目の前のドアを叩いている。
進む道は違っても、別の道を行く友人の姿はきっと目で捉えることができるだろうし、口ずさむ歌だって聞こえてくるはずだ。
その歌が悲しげに聞こえたら、どこかで道を束ねて待避所にして、そこで語り合うことができるだろう。
そんな将来を俺たちは既に持っているから、新しいドアを開くことが怖くない。
毎日が登校日みたいに、忙しなくすごした夏も俺を支えるだろう。
あとがき>英介の高校時代の友人・笹岡。青さなんて自覚するもんじゃないけどね。
海に行きたいと言い出したのは薫だった。
車を出すと言ったのは市井だった。
目指すは太平洋。
車は途中でドック行きと相成った。
海に行きたいと人がわめき始める季節と言えば夏に決まっていて、晴れ男三人のドライブだから見事なピーカン。
それでも海が見たいのだと、もはやどこからわいてくる信念なのかわからない目的を掲げて海を目指すこと一時間。
四十路に足を突っ込んだ男三人でドライブというのも、今になって思えば気持ちの悪い話だが、オーバー40三人そろって徒歩で海を目指すというのもある意味怪談ものだ。
「焼き魚の気持ちがわかる……」
しみじみと市井が呟く。
上からは太陽、下からはアスファルトの照り返し。
両面焼きでこんがりと肌は焼けあがり、水分がじわじわと蒸発していく。
「俺、今が食べ時」
薫がどこかに食べてくれる美女はいないかと左右に目をやるが、陽炎の立ち上るアスファルトが続くだけ。
汗まみれで足取りを重くしながらも、アホ話はつきない。
「おーい、なんだこの坂ー」
海辺の町の角を一つ曲がると、そこは雪国だったらどんなに良いか、ともかくそこは坂道だった。
驚く気力も残っておらず、俺たちは立ち尽くす。
「誰だよ、海に行きたいって言い出した奴」
「すんません」
「誰だよ、車は俺に任せろって言った奴」
「すんません」
「「ってか、誰だよ、須磨じゃ近場すぎるから遠出しようって言った奴」」
「……すんません」
罪を擦り付け合って、でも結局は共有しあうしかない中年男達は、誰からともなく足を進め始める。
アスファルトに自分たちの影が焼きついてしまいそうな中、急勾配の坂道を登る。
苦しい時になお足掻くことにかけて、俺たちはかつてプロと呼ばれたのだ。
「ビール、カキ氷、水着美人」
薫がおかしな呪文を唱え始めた。
俺たちをあざ笑うかのように、ベンツが排気ガスを撒き散らしながら追い抜いていった。
シャツにしみた汗を気にして、市井が娘に嫌われると嘆く。
俺たちは何の名残なのか、こうして時々、過ぎてしまった青い春のレプリカのようなものをこしらえて、挑んでみる。
タクシーを拾うかと言い出さない、言い出せない俺たちは、まだまだ青い春の中にいるのだと、幻覚の海で泳ぎたいのだ。
「……見えた」
市井が坂の頂上で足を止めた。
煙る水平線は、炎天下を一時間以上歩いた俺たちに何も与えてはくれない。
けれど、わけもなく嬉しくて心動かされて、自分たちの加齢に打ち勝った四十路の男たちが上げることのできる歓声こそが、最高の褒美なのだ。
あとがき>内田コーチ一人称の、オーバー40夏物語。一番楽しく書けた。
夜の学校のプールにこっそり忍び込むというシチュエーションは、使い古されてきたものだろうと思う。
斬新な方法として、今俺は映画研究同好会の顧問の付き添いの下、深夜0時のプールに来ている。
そしてその使い古された深夜のプールを、敢えて、敢えてと強調して撮影したいのだと、映画研究同好会の主力部員は言う。
「高山、照明もうちょい上げて。そう」
ハンディカメラを覗き込みながら、宮川の真剣な声が響く。
映画監督を目指す友人に名前だけ貸してくれと縋られて、サッカー部と兼部という形で籍だけ置いた映研。
普段はサッカー部に忙殺されているのだが、たまの休みやスランプに陥ると、この文化部での活動が以外と気分転換になる。
映画は好きだ。
それもB級。
その製作過程に携わるのも面白いかもしれないと、今日の撮影の助手を請け負ってやった。
友情も、そこにはあるけれど。
撮影は順調に進んでいく。
同級生達の演技は真剣だが青さがあって、その青さを宮川は上手く加工するのだろう。
実際、去年の夏に撮った作品は小さいながらも賞を受賞したらしい。
空気は温く、雨雲が近づいているせいか少し蒸す。
顧問は団扇を揺らしながら、若者のパワーにはついていけないとぼんやりしている。
制服のままプールに飛び込んだ主役の女子が、「カット」の声を聞いて安堵の表情を浮かべた。
「いいなぁ、ユウちゃん、気持ちよさそう」
他の女子部員が主役に声を掛ければ、入っちゃえと誘惑されて一人二人と飛び込み始めた。
顧問は苦笑しながら、見守っている。
カメラを置いた宮川も、助走をつけて飛び込んだ。
大きな水音と、鈴のような笑い声が聞こえる。
熱帯夜のプールはさぞかし気持ちが良いものだろうと傍観していると、背中を蹴られてプールに落ちた。
じっとりと汗のにじんだシャツは、塩素の匂いのする冷たい水でしとどに濡れた。
髪の毛からはボタボタと水が滴り、理由もなく笑いたくなった。
着衣水泳だと開き直って、ゆっくりと水を掻く。
肌にまとわりつく衣類のせいで思い切りは泳げないが、冷たい水は心地よかった。
何人かが仰向けでぷかりと水面に浮かび、空を見上げている。
ぽつぽつと、星が見える。
「おっほー、なんかシュールな情景だなー、これ。先生っ、そこのカメラでちょっと撮っといてよ。どっかで使えるかもしれないから!」
水から顔だけ出した宮川の声に、顧問はぎょっとしつつおっかなびっくりの手つきでレクチャーを受けはじめた。
俺もみんなに倣って、力を抜いて浮かんでみた。
こめかみのあたりから、すっと力が抜けていくような浮遊感。
「高山くん」
広いプールの中、声を掛けられた。
主役の女子の、大崎だった。
彼女はプールの底に足をつけていた。
目だけを向けると、困ったように笑って、
「好きだよ」
そんな一言をくれた。
驚いた体が沈みかけて、慌てて足をついて彼女を見た。
濡れた髪の毛とか制服とかは非現実的で、大崎は教室で見ている姿よりも綺麗に見えた。
だけど、綺麗な彼女を恋愛対象として見ることは、今この瞬間も、想像の中でもできない。
「……、あー……、ごめ、ん」
その気持ちを素直に口にすれば、大崎はいいのと笑ってくれた。
「ちょっとね、夏の勢いってヤツです。ごめんね。これからも、うちの手伝いしてね。……ね、高山くん、誰か好きな子いるの? って、聞いてもいい?」
「や……、いないけど。今は、サッカーに集中してたいから」
「サッカーに負けちゃったか。仕方ない」
さっぱりした笑みを見せて、大崎は濡れた髪の毛をかきあげた。
失恋したなんて欠片も感じさせない気丈な表情は、大物の予感。
「大崎は、演技上手くなったな」
「本当?」
「一年の時、脇役で出たろ。その時は見てる方がハラハラした」
プールに飛び込んだ高校生達は、飛び込み台付近で顧問の機械音痴っぷりを笑っている。
「なーんだ」
「なに?」
「やっぱ高山くんのこと好きになって良かった。去年の私が、高山くんの視界の端っこに入ってて、良かった。いい恋したなーって、思ったの。高校二年生なんて、超貴重な時期よ。それを、高山くんに費やせて良かったなって。そう思っちゃったの!」
そう言って、大崎はザパンと水中に潜り、そのまま泳いで仲間の元へ向かってしまった。
彼女のことを、綺麗だと思った。
そして、恋をするということの本当の意味を、少しだけ理解した。
それは午前0時のプールの中で。
あとがき>タカはタカなりの青春を過ごしていたり。