01.凍傷(内田&矢良)
02.こたつでみかん(英介&水内)
03.ポケットの中の手(英介&勲)
■お借りしたのはコチラ……COUNT TEN.
「12月でこの雪どうよ。ありえない。ありえねぇって。ふざけんな」
「怒っても仕方ねぇだろ。自然は偉大なのよ」
ちぶちと不満を垂れる矢良の傍らで、内田は素っ気無く手袋を外した手でファイルを捲っている。
目の前のグラウンドは一面の白。
照り返しが眩しく目に沁みる。
ぐるぐるに巻いたマフラーを鼻のあたりまで引き上げて、矢良は尚も毒づく。
「どこよ、ここ。神戸でしょ」
「今日はどこのグラウンドもこんな感じだ」
普通なら屋内練習といくところだが、天皇杯を勝ち残っている神戸としてはフォーメーション練習をしっかりしておきたいところ。
しばらくは寒波も落ち着くらしいからと、今日のグラウンド整備を優先させた。
「スバルー! 雪だるま作る暇あったら、さっさと雪かきしろ! 埋めるぞ!」
スタッフ、選手、コーチ総出の雪かきで、グラウンドの脇には雪山が出来上がりつつある。
その脇には既に、幾つかの雪だるまが完成してしまっている。
こんな大雪も珍しい。
昴でなくとも、はしゃいでしまう気持ちもわからないではないが、ここは一喝しておかなければ示しが付かないと、内田は声を張り上げる。
「エースケ! お前、寒がりのくせにその薄着、どうにかしろ!」
「だって動きにくいんスよー」
「黙れ! 見てる方が寒い! ベンチコート羽織れ! 裸にむくぞ!」
こちらの一喝は完全な八つ当たりだが、大事な時期に風邪でもひかれてはかなわない。
ドクターの機嫌を察して、英介はいそいそと長いベンチコートに袖を通した。
「あーあ、いつになったら練習できるんだよ」
「まったくだ」
パタリとファイルを閉じて、内田はグラウンドに視線をやった。
「お前、よく平気な顔してるな」
さっきからガチガチと矢良の歯は鳴りっぱなしだ。
涼しい顔の内田は、片眉を上げてみせる。
「標高の高いところで育ったからかな。あとは心頭滅却ってヤツだろ」
へぇ、と関心していると、
「ま、嘘だけど。カイロを発明した人のおかげだけど」
ケロリとそんなことを言う。
「お前の冗談が一番寒い」
「年相応でいいだろ。俺も雪かきしてくるかなぁ」
ひょいとファイルを差し出される。
「俺も行く」
「ドクターは駄目」
「えー」
「その足じゃ、濡れた芝生で滑る」
指差され、矢良は自分の足に視線を落とした。
キンキンに冷えた金属製の足では、確かに今日の芝生は危険かもしれない。
「動いてないと寒い」
「基本的にドクターは動かない方がいいんだけどな。じゃ、そのファイルの中の気象データをパソコンに入力しといて」
「それは基本的にドクターの仕事じゃない」
「今晩はキムチ鍋だ。よろしくー」
ひらひらと手を振って、内田は白いグラウンドに足を踏み出した。
今日中に果たして練習は再開できるだろうか。
空はもったいないほどの晴天。
グラウンドは雪かき途中のグズグズ最悪コンディション。
寒さに震えつつ雪をかく同僚達には悪いと思いつつ、矢良はコーチから請け負ったバイトのために暖められた室内へと引っ込んだ。
役得と思われたその役目だが、開いてみればファイルの中にあるのは過去十二ヶ月分の気象データで、パソコンを開いてみればそのデータは一月三日までの入力で止まっていた。
気温、湿度、風向き、光の向き等々、役に立つのか立たないのかわからないデータは膨大で、矢良は思わず窓の外で雪かきに勤しむ友人に殺意を覚えた。
冷え切った体で室内に戻ってきた内田コーチの首筋へ、雪玉一つ放り入れたとしても罰は当たるまい。
あとがき>神戸にこんなに雪は降らないと思いますが、異常気象ってことでひとつ!
「あ。この蜜柑、甘い。美味い」
「やろー。梶本さんの出身が和歌山で、親戚が蜜柑農家やっとんやて」
それで毎年大量に送ってくれるのをお裾分けしてもらっているのだと、純平は説明した。
独り暮らしの純平の部屋の隅には、オレンジ色がたくさん詰まったダンボールが置かれている。
「それで大阪は風邪知らずなんだ」
「自分やって風邪、ひかんやろ」
そうだねと返事をしながら、英介の手の平は新しい蜜柑を転がし続けている。
「食べんの?」
「こうすると甘くなるって言わない?」
「へぇ、初めて聞いたわ」
「小さい頃におばあちゃんが言ってた」
「ふぅん。凍らしたら甘なるとは言うけどな。冷凍蜜柑」
「給食によく出てたな」
「あったあった」
実に他愛のない会話の後、天板に手を伸ばした英介がふわっと欠伸をする。
「やっぱ日本人はコタツだなぁ」
去年の冬に購入したコタツを、英介はお気に召したらしい。
寮生活の英介の部屋にはコタツを置けるスペースは当然ない。
純平も何気なく購入したそれだが、遊びに来た英介が今までにないほどくつろいでくれて、これは嬉しい誤算。
実は一九〇センチを超える純平の足は、このコタツの中だとどうにも窮屈になってしまうのだ。
大きなサイズにすればいいのだが、あいにく部屋はそこまで広いわけでもない。
失敗した買い物だったと思っていたが、英介を呼び寄せるのには格好の道具となった。
英介は蜜柑をころころと手の平で転がしながら、コタツに潜り込んで横になった。
猫のように体を丸めて、パラパラと雪のちらつく大阪の空を見上げた。
「タカ、まだかなぁ」
可愛い仕草に目を細めていれば、英介はあまり聞きたくない名前を待ちわびるように呼んだ。
寄ってもいいかと電話で聞かれ、勿論と答えて迎え入れた想い人だが、どうやら相方の高山浩二の取材が大阪で行われ、それに引っ付いてきたらしい。
「何時に終わるんやっけ?」
「三時の予定だって」
「そら、あいつのことやから記事にできるほど喋られへんで、相手さん困らせとんやろ」
「ありえる」
ふっと溜め息をついた英介はますますコタツに潜り込んで、長い睫毛を伏せた。
寂しくなったのだろうか。
付かず離れず、適度な距離を保って付き合いを続けているのだと思っていたが、案外依存している部分もあるのかもしれない。
その甘えが自分に向けられていないことを苦く思いながら、純平は窓から差し込む陽光に照らされたチョコレート色の髪の毛に手を伸ばした。
頭を撫でると、くすぐったそうに首をすくめる。
「あいつも、よぉ俺んトコに預けていくなぁ」
無防備にもほどがある。
英介も高山も、純平が英介に片思いしていることを知っているのに。
「俺が大阪の街を一人でぶらぶらするのは危ないって」
「せやねぇ。えっちゃんの方向音痴具合と俺の下心言うたら、俺の下心の方が安全かもしれへんな」
「どういう意味だよ」
おかしそうに英介が笑う。
この後は、二人で夕食を食べて映画のレイトショーというデートコースらしい。
俺の部屋はハチ公前の代わりかと思わないでもなかったが、こうしてコタツに潜ってのんびり蜜柑を食べて過ごす時間も悪くはない。
肩までコタツに潜り込んだまま、英介は手の先だけを布団から出して撫で回していた蜜柑をむき始めた。
「……はらへった……」
切なそうな声を上げて、モクモクと蜜柑を口に含んでいく。
高山を待ちわびるのは、空腹感が募ってきたせいらしい。
「……かわいそぉ」
思わず、苦手なインタビューに四苦八苦しているだろう男に同情してしまう。
蜜柑を食べ終えた英介は、目の前でうつらうつらし始めた。
据え膳よりも、据え膳を前にした自分の方が危機感を覚えるというのも妙な話だ。
そのうち、苦行のような仕事を片付けた高山がここに駆けつけるだろう。
そして、どうやっても手を出せていない自分を見て、笑うのだろう。
英介はきっと、何も気付くことなく腹減ったと連呼するだろう。
蜜柑で空腹感も多少落ち着いたのか、英介はすうっと眠りに落ちていった。
ん、と英介が心地よさそうな溜め息をつく。
早く連れに来い。
忍耐力を振り絞るのは疲れるのだ。
「あかん。一番かわいそうなの、俺やん……」
ただでさえ狭いコタツの中は英介が占拠してしまって、純平が暖められるのは足先のみ。
苦く笑って独り言を呟いた純平は、自分の携帯電話を取り出して、こっそり可愛い寝顔の写真を撮る。
それを憎き恋敵へ送信して、早く来いと伝えてやった。
恋する狼は蜜柑で腹を膨らませ、山羊はコタツで夢を見る。
あとがき>純平は「あらしのよるに」を読んで、作者にファンレターを書いたと思います。
教授が今日の講義の終了を告げると同時に勲は立ち上がり、階段教室を駆け下りた。
あまりの勢いに注目を集める中、出席カードは忘れずしっかり提出し、初老の教授に会釈をして教室を飛び出す。
時計を見ると、午後五時半。
待ち合わせ場所は大学の校門前。
妙な虫がついていないかどうかが心配。
「お、江口―。合コン人数足りないんだけどー」
「無理無理。あいつ、今日は弟とサッカー観戦だから」
背中でそんな会話を聞いて、一直線に目指した校門。
守衛室の前で待ってろと言いつけた通り、校門脇の守衛室前でサッカーボールの入ったネットを手持ち無沙汰に蹴り上げている。
行きかう学生達の好奇の眼差しに、人見知りする英介は俯いて不機嫌そうに口唇を尖らせている。
好奇と言っても、一人でボール遊びをする少年の姿を『かわいい』と思って通り過ぎるだけなのだが、英介にはあまり愉快なものではないのかもしれない。
「エースケ!」
呼ぶと、はっとしたように顔を上げ勲の姿を確かめ、笑顔になった。
「にーちゃんっ」
ぱっと身軽に駆けてくる体を抱きとめると、ひんやりとした感触が伝わってくる。
「ごめんな。だいぶ待ったか?」
「ううん。へーき」
早く行こうと促されるが、その前にと呼び止めて、自分の首に掛けただけのマフラーを巻いてやった。
「動きにくい」
「だぁめ。風邪ひいたらサッカーできないだろ」
「んー」
むずがりながらも、サッカーができなくなるという脅し文句は効果的で、英介は渋々マフラーに鼻先を埋めた。
「今日はサカノ、ゴールするかなぁ」
「どうかな」
「サカノはきっと代表に選ばれるよ」
「どうして?」
「だって足が速いもん。今の代表は大きい選手ばっかりで、速く走れる人そんなにいないし。代表に入ったら、きっとすっげぇゴールするよ!」
もう気持ちはスタジアムに飛んでいるらしい。
キラキラと目を輝かせて、英介は熱心に俊足フォワードについて語る。
熱心にスタジアムに通うが、地元チームばかりを贔屓しているわけではないらしいサッカー少年は、他のチームの選手についても評価をはじめる。
少しずつ言うことが生意気になってきているが、白い息を混ぜながら興奮気味にサッカーを語る顔は純粋そのもので、可愛い。
「あ、江口くんだ。今日の講義終わり?」
大学の最寄り駅へ着くと、改札をくぐったばかりの同じゼミ生が声を掛けてきた。
「終わり。八島はこれからか?」
「今日は講義ないんだけどね。レポート提出が今日までなんだ。ギリギリ」
「うっわ、本当にギリギリじゃん」
「でっしょー。もう間に合わないかと思ったけど、根性で仕上げた」
「偉い偉い」
八島の奮闘を称えていると、ぐっと手を引っ張られた。
小さく冷たい手が、勲の左手をしっかりと掴み、体を寄せてくる。
「あー。ひょっとして、噂の弟くん?」
「そう、エイスケって言うの。可愛いだろ。英介、コチラ、大学のお友達の八島さん」
挨拶を促せば、コンニチハと固い声を発する。
目線を合わせて挨拶した彼女の目を、それ以上見ようとしない。
人見知りする英介にとって、今日受けた刺激はもう容量オーバーなのかもしれない。
これからデートだからと茶化して八島と別れ、勲は行こうかと不機嫌顔になってしまった弟に笑いかける。
改札を抜ける英介はむすっとした顔のままだが、先ほど強引に掴んできた手はそのままだ。
ひょっとしたら、ヤキモチを妬いたのかもしれない。
もう本当に、心底可愛い。
掴まれた手を包んで、勲はそのまま自分のコートのポケットに突っ込んだ。
「しもやけになったら辛いからな」
なんて言い訳をして、小さくて冷たくて柔らかい手を温める。
英介はすぐには笑顔にはならなかったが、乗り込んだ電車がスタジアムに近付くにつれて、表情を解き始める。
「腹減ったなぁ」
「おなかすいた」
同時に呟いた言葉は全く同じで、英介はそれをきっかけに笑顔を見せた。
スタジアムはもうすぐ。
着けば英介は握った手を自然と解いて、スタジアム脇で開放されているグリーンの上に駆け出すだろう。
それまではもう少し。
ポケットの中の小さな手を、自分の手ですっぽり包んでしまえる内はもう少し。
あとがき>英介9歳、兄19歳くらい。