電話はイタリアからだった。
 新たにジョカトーレとなろうとしている選手の移籍に際して、今まで愛用していたスポーツメーカーを鞍替えしなければならなくなったらしい。
 その鞍替え先が勲の勤めるメーカーで、急遽の出張が決まったらしい。
『急に決まった出張だから、部屋そのまんまにしてあるんだよ。暫らく帰れないから、部屋使ってていいよ。冷蔵庫の中身もほっといたら腐っちまうから』
 長くても二週間あれば帰国するらしい。
『今週末の試合、見に行く予定だったのになぁ。残念だ』
 本当に残念そうな声の向こうからは、会社なのかザワザワと人の声がたくさんする。
 忙しいのかと尋ねたら、心配してるのかときた。
「いいから、仕事しなよ。部屋、使わしてもらうし、掃除もしとく」
『お土産、楽しみにな〜』
 いつまでも自分を子供扱いする兄は、どうしようもないブラコンではあるが仕事はできる。
 いつも自分の試合を見に来たりかまってくれたりするけど、本当は忙しいのだろう。
 頑張ってと最後に言えば、おうっと嬉しそうな声が答えた。

ドアの向こう


「勲さんが最も望まないことをしようとしている気がする」
「好きにしていいって言ったし。俺の行動が読めないようじゃ、兄貴もまだまだだってことだろ」
「お前はプラス思考すぎるんじゃないか」
「タカが気にしすぎるんだよ。っと、電気のスイッチどこだっけー」

 寮スタッフの馬越に出した外泊届は、なんと二週間分。
 二週間もどうするのと素朴な疑問に、兄の部屋をウィークリーマンションのかわりにするんですと、英介は嬉しそうに説明した。
『ちょっと二人暮らししてきます』
 そこが食堂だったのが運の尽き。
 からかいの的になるのは必至。
 楽しんでおいでと見送られ、たった今、勲の部屋に辿り着いた。
「相変わらず綺麗にしてるんだな。勲さんは」
「几帳面だからねー」
 何度か訪れたことがある部屋は、男独り所帯にしては整っている。
 かと言って、潔癖すぎるわけでもない。
「恋人、いないのか」
「いないんじゃない? スバルさんみたいに遊べる人でもないし。母さんがとうとうお見合いの話を持ってきてるらしいよ」
 もてるだろうに、弟を溺愛するが故にお見合いを押し付けられるまでになった哀れな男だ。
 そしてその弟も、自分が横から掻っ攫ってしまった。

「さー、飯作ろう!」
 冷蔵庫を開けて、英介は主がいないのに遠慮している高山を振り返る。
「タカー、何作れる?」
「何があるんだよ」
 英介は料理ができない。
 父子二人暮らしで鍛えられたせいか、高山は簡単なものなら作れる。
「……肉じゃが」
「肉じゃがっ? 作れるの? マジで?」
「ジャガイモの皮くらい剥けるだろ?」
 冷蔵庫脇のダンボールに入っているジャガイモを取って放ると、嬉しそうな返事をして受け取った。
 温かく理想的な家庭で育ったせいか、英介が画く家庭のイメージは温かく明るい。
 まだ二人の仲が純粋な友情で繋がれていた頃に、聞いたことがある。
 家庭を築く時には、部屋にソファを置く。
 そこは奥さんといちゃいちゃしたりのんびり過ごす場で、自分は料理ができないけど奥さんの手伝いをするし、ゴミもちゃんと出しに行く。
 何か一つ、奥さんよりも上手く作れる得意料理を身に付けたい。
 実家のリベロを連れていけたらいいけど、犬を飼いたい。
 奥さんが淋しくないように。
 一緒に暮らす家や、食事のこと。
 最初は女の子みたいなことを言うなと思っていたが、その発想は英介が相手を思いやる優しさを持っているからできるのだと、今ではわかる。
 英介が語った『奥さん』の部分は、『彼氏』に変換されてしまったのだが。

 カシャカシャと皮むきを不器用に扱いながら、英介はオーディオから流れてくるラジオの音楽に合わせて鼻歌を歌う。
「なぁんか、母さんの手伝いしてるみたい」
 トントンと一定のリズムで玉ねぎを切っている手元を覗き込んで、英介が笑う。
「俺に親孝行しても仕方ないぞ」
「そうだけど、小さい頃は出来なかったからさー」
 ジャガイモの芽と悪戦苦闘する姿は、本当に母親の手伝いをする子供のようだ。
「おい、手の皮まで削るなよ?」
 わかってると、やはり子供のような声が続けたセリフはちょっとイメージと違った。
「なんか、新婚家庭みてぇ」
 みたい、じゃないよ。
 心の中でだけ呟いて、いつまで経っても剥きあがらないジャガイモを急かした。

 いただきますと声を出して箸に伸びた英介の手が、ふと止まった。
「何?」
 気付いて問えば、へへっと笑う。
「だって、タカと二人だけで飯食うのって、初めてじゃん?」
「……あぁ」
 食堂は勿論だが、二人で外食するにしても衆人環境には違いない。
 この勲の部屋で一緒に食事をしたこともあるが、それには何より怖い兄が一緒だった。
 二人きりの空間で顔を合わせて食事をするのは、確かに初めてかもしれない。
 そう認識すると、少し照れた。
「美味い。タカがいいお嫁さんでよかった」
「手際の悪い旦那をもらったもんだ」
 ふざけて言ったのだろう言葉に切り返すと、英介は不意をつかれたのか言葉を詰まらせて顔を赤くした。
 時々、妙なところで恥ずかしがる。
「お前、この前馬越さんになんか教えてもらってなかったっけ?」
「焼鮭」
「……焼鮭の作り方を教わってたのか」
「そう。タカが好きだから」
 確かに鮭は好きだし、その気持ちは嬉しいが、英介がどれだけ料理ができないかを思い知らされるエピソードだ。
 片付けは自分がやるからと英介が台所に立っている。
 目が離せないのは、愛しさよりも危なっかしさが拭えないからだ。
 無事に片付けを終えると、風呂掃除をする。
 料理ができない分、他の仕事をしようとしているのだろう。
 そうやって、相手につくそうとする英介の態度がくすぐったい。
「タカー、風呂先に入る?」
「……」
「……あっ、一緒には入らないからな!」
 邪な思考に一瞬潜ってしまったのがいけなかった。
 一足早く、高山の思考に気が付いた英介が牽制を入れる。
「なんでわかるかな?」
「中盤の考えてることがわからないで前線やれるかっつーの」
 通じすぎるのも大変だ。
 まぁ、甘すぎないのが英介で、そこに惚れたのだから仕方ない。
 時間もたっぷりあることだし。
 英介が尊敬する高山浩二の潔さは、義兄の部屋で新婚ごっこをするこんな時にまで発揮されていた。

 いつだったか矢良ドクターから、スウェットよりもパジャマを着た方が体が休まると聞いてから、英介は眠る時は肌触りのいいパジャマを着るようになった。
 高山もそれにならうようになったのは、英介の誕生日に富永と昴がお揃いのパジャマをくれたからだ。
『本当はピンクと水色が定番なんだろうけど、さすがにそれだとピンクをどっちが着るって喧嘩をしそうなので、黒と水色にしてみました』
 とかなんとか言いながら。
 結局じゃんけんの末に英介が水色を着て、高山が黒になっている。
 無難な結果だと幼馴染コンビが笑ったのは、付き合い出して半年した頃だった。
 同じデザインなのにやたら可愛く見えるパジャマ姿の英介は、高山の隣でスポーツニュースを見ている。
 土日の試合のダイジェスト。
 丁度、神戸の試合が映し出されている。
『この試合、先制したのは神戸RCでした。後半開始直後のコーナーキックを高山がゴールに直接結び付けます。後半30分にも高山のセットプレーからの得点で、神戸RCは高山の2ゴールで勝ち点3を手にしました』
「かっこいー」
 本気なのかからかう気なのか、判別し兼ねる調子で英介が声を上げる。
「タカってさぁ、セットプレー蹴る前の顔が抜群にカッコイイよね」
 ひょいと顔を覗き込まれる。
 英介の表情はからかっている様子もない。
 時々、臆面もないことを言い出して、あとで照れることがある。
 たぶん、今もそれだ。
「惚れる?」
「惚れてるけど?」
 言ってしまった口唇を、自分のそれで掠めるように触れるとやっと自分の発言の危うさに気が付いたらしい。
「……やだ」
 拒否の言葉には甘さが滲んだ。
 本当に嫌なら、鳩尾にストライカーの利き足で手加減なしの蹴りを一発お見舞いできる奴だ。
 頬に手を添えもう一度口付けようとしたところで、
『首位神戸を追う大阪は攻撃陣を怪我で欠きましたが、安定した守備陣の働きと急成長中のゴールキーパー水内のファインセーブで、強豪山形を完封でスコアレスドローに持ち込みました。次節には攻撃陣も復活予定。これからの追い上げが期待されます』
 そんなアナウンサーの声に、英介の意識が引っ張られた。
「うわっ、純平かぁっこいぃ〜」
「……」
 画面の中では、大きな体で地面と水平に飛んでボールをキャッチする水内の姿がある。
 完璧に意識をスポーツニュースに向けた英介のパジャマの裾を捲って、その素肌に触れた。
「なに」
 不満げな目をする。
「そりゃこっちのセリフだ」
 言いながら胸までパジャマを捲り上げる。
「やめろっつーの」
 ぴしっと手をはたいてリーグの順位表を注視する。
 ニュースのせいで、今の彼は職場モードに入ってしまったらしい。
 切り替えの早さに呆れるが、その横顔の真剣さは悪くない。
 長くなってきた前髪を、少し鬱陶しそうな仕草でかきあげるのも。
 勿論、可愛く笑っているところや、素直に甘えてくれる時の顔もいいけれど、こういうアンニュイと言うか、厳しい顔も高山は気に入っている。
 見ていて飽きるものではないが、相手をしてもらえないのは辛い。
 手を伸ばし、肩を抱いてやや強引に引き寄せる。
 文句がなかったから、そのまま自分の脚の間に抱き上げてすっぽり抱え込む。
 そんな高山の仕草に、英介は徐々にだが甘え始める。
 ニュースは天気予報に切り替わっていた。
 居心地がいいようにと英介は高山の手をとって自分の前で絡ませ、体重を預けた。
 テレビを切ると、思ったよりも静かになった。
「寮よりも外の音がうるさいのに、静かに思える」
 英介が呟いた。
 市内にある勲のマンションの周りは車の通りも多く、電車も近くを走っている。
 閑静な場所にある寮に比べると、外の騒音は多い。
 その分、寮は同僚だらけだ。
 よく知っている人間のふざけあう声や生活音がする。
 この部屋の隣にも誰かが住んでいる。
 ただそれが知らない相手だというだけで、人の気配はずっと薄いものになる。
「いつスバルさんが顔出してくるかなんて心配しなくていいからな」
「確かに」
 過去、いいムードになったところを何度もスバルの出現でぶち壊されている。
 その時の高山の憮然とした表情を思い出し、英介は声を上げて笑った。
「笑いごとじゃねぇよ」
 耳朶を食む。
 英介が過剰に反応して身を捩ろうとするのを、易々封じ込める。
 大人しくなった英介が、肩越しに高山を見た。
「あんまり、激しいのはなしな?」
 ゴーサインが出て嬉々としてパジャマの裾から手を入れ、張りのある肌の感触を楽しむ。
 プレゼントされた当初、この布地一枚を剥ぎ取ることを考えて高山は悶々とした日々を過ごしていた。
 そうしてみれば物凄い進展だ。
「あー、だいぶ感触が変わってきたな、ココ」
 高山が触っているのは、上半身強化に鍛えている腹筋。
「胴回りもなんか……」
「ウェイトは変わってねぇし。それとも男の子体型な僕は嫌いですかー?」
「最高だ」
 くびれも何もあったもんじゃない。
 最近ますますがっしりしてきた胴回りに、張りがあるとも言えるが結局のところごつごつした筋肉。
 抱き心地を今まで付き合ってきた女性と比べるのなら、良くはない。
 何せグラマーな大人の女性ばかりだったから。
 肋骨を指の腹で辿ると、ほんの少し息を詰める。
 あぁ、でもサイズはジャストサイズ。
 今までのどの人よりも、しっくりくる。
「もうちょっと増やしてもいいんじゃねぇの?」
「うーん。薫さんもそう言うけど、俺は今くらいが軽い感じがして走りやすいんだよ。大事なのはバランスだろ」
 徐々に上がっていく手の動きも、体の話をしながらだと邪に感じないのか、恥ずかしがりもせずされるがままになっている。
「体重調整とか、上手くいかないから嫌い」
 パジャマの下にもぐりこんでいる手を気にしているのかいないのか。
 後者なんだろうなぁと溜息を一つついて、悪戯をしかけた。
 しっかりと触れるのではなく、くすぐるように胸の突起に触れた。
 英介の体が強張る。
「このままでもいいよ、俺は」
「……それはっ、……選手の立場を忘れてる意見だ」
「選手としての意見だ。最近、ますます早くなったからパスを通す力加減に困る」
「嘘つけっ。いっつも容赦なしのキラーパスだろ!」
「追いつけると信じて蹴ってる」
「あ、ちょっ……っと。……もうっ、ムカツク!」
 指先に感じる突起は芯をもってたちあがっていた。
 項に口唇を押し付けて、耳朶を舐めると身を捩る。
 危うくソファから転がり落ちそうだったところをしっかり抱きとめる。
 責めるような視線が向けられていたが、気にしていたらはじまらない。
 伸び上がって額にキスをすると、鋭い視線が閉じられる。
 頬に滑らせ口唇の端へのキスは焦れるのか、自分から口唇を寄せてくる。
 最初のキスは、罰ゲームだった。
 二回目のキスは、英介からの挑むようなキス。
 三度目はお互いの気持ちを伝え合って、受け入れあってのキスだった。
 今は、どうだろう。
 何度か深くはない口付けを繰り返すと、徐々に英介が伸び上がるような仕草を見せる。
 喉を反らし、重たげな溜息をつく。
「キスだけで感じすぎ」
 濡れた口唇を指先で辿ると、睫毛を震わせ瞳を露わにする。
「誰のせいだよ」
 熱を含んだ視線。
「俺のせいか」
「違う人のせいだと思ってるんだ?」
「俺のせいだな」
 目を合わせたまま、上からボタンを外していく。
「俺はなぁんにも知らなかったのに」
「すっかり淫らな体になって」
 乗り上げている英介の腹筋に力が入る。
 咄嗟に押さえつけた膝頭は案の定、動き出そうと力を溜めていたところだった。
「俺もこう言う状況での蹴りの防ぎ方を身に付けられるとは思ってなかったな」
 足を封じられた英介の手が伸びてきた。
 脅威を増してきた腕力を警戒して高山が体を起こそうとするよりも、英介の手が高山の首裏に回る方が早かった。
 引き寄せられ、貪るようなキスの仕打ち。
 これなら大歓迎だ。
 英介がリードし、角度を変える。
 呼吸が篭り、後頭部にある英介の指が髪の毛に絡んだ。
 こんなキス、知らなかったくせに。
 言えば今度こそ黄金の右足が炸裂しそうだから、黙ってキスに没頭した。
 小さな顎を掴んでリードを奪うと、素直に従って体の力を抜いた。
 濡れた音と、英介の苦しそうな息継ぎの音がいつもよりも大きく響いている気がする。
 口付けを口唇から顎の裏、首筋へと移動させていくと、また英介が体を反らすように伸び上がる。
 気持ちいい時の癖なのだろう。
 まるで猫のようでおかしいが、わかりやすくていい。
 風呂上りのボディソープの匂いがする体は美味そうで、鎖骨に噛み付いたら髪の毛を引っ張られた。
 肌触りのいいパジャマが、英介の肌の上を滑り落ちる。
 胸の突起を舐めて愛撫し、呼吸がすすり泣くようなものになったのを聞く。
 もう後戻りできない合図。

 さすがに勲の部屋のソファーでと言うわけにはいかない。
 誰のために用意されているのか尋ねるのも怖い2DK。
 一部屋は勲が使っているが、もう一部屋は英介や友里が泊まりに来た時に使う以外に使用されている形跡はない。
 その部屋のベッドで、高山を体の中で感じて英介は背中を反らした。
「……ふ、あ」
 小さな声を切れ切れに零しては、慌てて息を飲む。
「声、出せばいいだろ。寮じゃないんだから」
 噛み締められる口唇を舌先で擽って解く。
 同時に英介の奥を突く。
「あぁ……っ」
 いつもの英介の声よりも高く、艶めいた声があがった。
 辛そうに顰められる眉も、濡れた眦も、高山を興奮させた。
 密やかに呼吸すら殺すようにして交わるのとは違う。
 これは解放感だろうか。
 いつもより、快楽が濃い。
「……やっ、ちょっと……、まって……っ」
 つい外れかけた箍は、英介の悲鳴交じりの喘ぎでどうにか防いだ。
「わりぃ……」
「……、もっと、丁寧に扱え」
 呼吸を整えてから、高山の頬に触れて微笑む。
 抱く方、抱かれる方で負担は随分違う。
 我慢くらいしなければならないとは思っているが、時々そんな忍耐もかなぐり捨てて抱き倒してやりたいと思うことがある。
 健気に微笑む英介を見た時、陶然とした溜息をつくのを見た時。
 愛しむ気持ちが加虐心になりそうな時が、確かにある。
 英介もそれに気付いていて、だけどどうしようもなくて困っているのも高山は知っている。
 溜まる熱ではなく過ぎていく熱だから、素通りすればそれで終わるのだけど。
 いつか英介を傷付けてしまいそうで怖い。
 そんな葛藤が高山を遠慮させる。
「……それじゃ、さ」
 英介が熱い息をつきながら言う。
「ん?」
「足りない」
 おずおずと、自ら腰を揺らめかす。
「……っ、我がまま」
 英介が何を考えてそう言いだしたのかわからないけれど、思わず笑ってしまった。
 額を押し付けると、英介も破顔した。
 笑いあいながらセックスすることなんてなかった。
 こういう瞬間に、あぁ自分は幸せだなぁと思うのだ。
 ゆっくり高山が動き出す。
 英介の表情の変化を観察するように見つめながら。
 ちゃんと気持ちよくさせているか、自分の行為を確かめるように。
 英介の目尻からポロリと涙は零れたが、苦痛の色はそこにない。
 いつもは目が合えば見るなと怒る英介だが、今日は熱いほどの高山の視線すら刺激となるのか、甘い声をかまわず発する。
 時折薄っすら開く瞳が、高山をとらえてはすぐに閉じられる。
「や……、タカ、もう……っ」
 背中を抱く手に力が入った。
「もうちょっと……」
「駄目っ、も、限界っ」
「もうちょっと、我慢」
 愚図る英介の涙の筋を辿って、昂ぶりきって解放を待つそこを戒めるように握りこんだ。
「タカ!」
 非難を込めて名前を呼ばれる。
「もうちょい、な」
 本当は自分も限界が近かったが、焦らされて悶える表情が見てみたかっただけ。
 こんな本心知られたら、たぶん黄金の右足の餌食になる。
「ぁあっ、あ……やっ……だ、もうっ」
 ギリギリと背中にたてられた爪が肌の上を滑った。
「イきたい?」
 何度も頷いて、強請るように腰を揺らす。
「くそっ、このやろう……!」
 そんな痴態とは裏腹に、悪態だけはしっかり口をつく。
 けれど観念したように、何度か唾液を飲み込んで高山が聞きたかった言葉を紡いだ。
「早く……っ、してっ」
 焦らすような動きを繰り返す高山の頭を抱え込み、熱い息と甘い言葉を耳に吹き込む。
 高山も限界だった。
 数度深く突き上げる。
 英介の悲鳴を吸い取るように口付けた。

 緊張から弛緩。
 このまま眠りにおちてしまいたいような解放感に飲まれながら、うっそりと顔を上げた先。
 気持ちいいんだなと見ればわかるような表情の英介が、ゆっくり睫毛を震わせ目を開けた。
 濡れた瞳は、照れたような甘えるような複雑な感情を見せている。
 恋人という関係になってから初めて知った表情だ。
 上がった息がおさまってくるのを待って、汗で濡れた前髪を掻き分けて額にキスをして再びその目を見ると、今度は軽く睨んでくる。
「明日、おぼえてろよ」
 笑い混じりのその言葉は、高山が一人余裕そうに見えるのが気に食わないと言いたいらしい。
 お互いの体をざっと拭いながら、高山は苦笑を浮かべた。
 明日の練習は熾烈を極めそうだ。
「辛いだけだったか?」
「俺、サッカーはマゾ的かもしんないけど、私生活はそうでもねぇよ」
「そういう言い方、薫さんに似てきたな」
「やっべー」
 そんな冗談を言いながら、英介は頬や項を撫でる高山の手を受け入れる。
 時々、英介とセックスしているのが信じられなくなるのは、あまりに色気のないピロートークのせいなのか。
 甘味のない言葉を口唇に乗せながらも、体を寄せ合って指を絡める仕草は熱の名残をみせる。
 伸びてきた英介の手が高山の体に絡まり引き寄せる。
 眠そうな欠伸を一つするとごそごそと楽な体勢を探り、満足そうな溜息を一つ。
 おやすみと、半ば夢の中で告げられた。
 首筋を柔らかく擽る髪の毛を撫でて返事の代わりとして、高山も目を閉じた。
 新婚ごっこに夢中になりそうな自分を自覚して、明日は気を引き締めて練習グランドに顔を出そうと心に決める。
 そうでなければ本家本元、遠回りながらも的確に人の痛いところをつくドクターのマシンガントークに蜂の巣にされてしまうから。


 新婚ごっこは思わぬ効果をもたらした。
 プレーの調子がすこぶる良いのだ。
 寮生活に不満はない。
 食事は作ってもらえるし、広い大浴場もある。
 何よりグランドが近い。
 心地良すぎて、富永真吾は入団からベテランと呼ばれている今までずっと寮暮らしだ。
 世話をしてくれる馬越がいない二人だけの生活は、食事も掃除も自分達でしなければならない。
 寮生活よりも、しなければならないことが増えた。
 それでも、調子は良かった。
 全ての管理を自分達だけでしなければならないという責任と、新鮮さのせいだろうか。
 英介は毎日楽しそうに家事をした。
 料理は任せられる腕ではないが、一日だけ高山は手を出さなかった。
 メニューは焼鮭とインスタントの味噌汁と惣菜のサラダと野菜の煮付け。
 手際の悪さに何度も口を挟みそうになったが、なんとか堪えた。
 会話は寮内で交わすものと変わらない。
 サッカーの話、その日の練習の話や、くだらない話。
 話題がつきて二人の間を支配する沈黙も、無理に追い払おうとは思わない。
 なんだかんだ言って、高山も楽しんでいる二人きりの空間。
 充実しているのだ。
 心が。
 とても。
 ただ高山はあまり表情に出ないタイプだから、他の人は気付きにくい。
 英介が楽しんでいるのは一目瞭然。
 寮には戻るんだろうなと、心配して声をかけてくる人もいる。
 新婚ゴッコの折り返しに行われた神戸RCのホームゲーム。
 強豪となった神戸を迎えた相手チームの過密した守備陣の間を、二人で細かいパスを4度5度と回してゴールを上げた。
 高山のセットプレーの精度も冴え渡り、高さのある昴をピンポイントで狙ったアシストをした。
 英介はタッチライン沿いを駆け上がり、観客を沸かした。
 監督にも誉められる大活躍を見せて、みんなと寮の近くの焼肉屋で食べた。
 そんな皆との食事も楽しくて楽しくて。
 寮生活が恋しいなとちょっとだけホームシックになって、新婚ゴッコの舞台で二人きりになれば、それはそれでもうちょっと続けばいいと思ってみたりした。


 そんな試合の翌日、英介は玄関先で意味深に笑っていた。
 高山はプライベートで出かけるにしてはややフォーマル気味な姿で革靴に足を突っ込み、俯いた拍子に溜息を零した。
 これから雑誌のインタビューの仕事が入っている。
 喋れずに相手の記者を困らせる自分が簡単に想像できて、困る。
「気楽にさ」
「苦手なんだよ」
「知ってる。でもファンがタカのことをよく知れば、きっともっと楽しくサッカー見てくれるよ。タカだからあんなプレーができるのかって」
 多くのファンを持ち、そのファンを大切にしている英介がニコニコと笑っている。
「そんなかっこいいこと言わなくても、タカが思ったままを言えばいいんだよ」
「それができないからこんなに憂鬱になってるんだろ?」
「ま、愛想のいいタカなんて気色悪いだけだからね」
 もう一つ、大きな溜息。
 それでも仕事は仕事だ。
 行ってくるとドアを開ける。
「タカ」
「あ?」
 呼び止められて億劫そうに振り返る。
 口唇に、柔らかな感触。
「行ってらっしゃい、アナタ!」
 満面の笑みを浮かべた英介の前で、高山の頬が紅潮した。
 慌てて体半分開いたドアの向こうに人気がないか確認する。
 それからまた満足そうな笑みを浮かべている英介を見て、がっくり肩を落した。
「イッテキマス……」


「最近、英介くんとはどう?」
 どうにかこうにか、記事にできるだけのことは喋った。
 おつかれさま、と声をかけられた途端、相手には失礼なほど大きな溜息をついてしまった。
 顔なじみの安原記者は気にした様子もなく、ニコニコしながら温かいコーヒーのおかわりをくれた。
「まぁ、それなりに」
 これから先は記事にはならないと思うと、会話の調子も変わる。
「落ち着いてきたね」
「前に比べたら。スタッフも気を使ってくれますから」
「いいチームだ」
 ベテラン記者の言葉に、ちょっと誇らしくなる。
 確かに未だに英介と自分の関係について、抗議や中傷といった内容の手紙やメールが届いているらしい。
 どれも二人の目に触れることがないのは、スタッフの心遣いのおかげだ。
 本当なら解雇されてもおかしくないのかもしれないが、それもない。
「いいチームっすよ」
 心からそう思えるチームだ。
「でも、やっぱまだまだかな」
「不安?」
「なんつっても、江口英介ですからね」
 自分のものだと公表しても尚届く、自分のよりも一桁多いファンレターの数。
 練習グランドに響く黄色い声援に律儀に応えていく姿に、時々苛立ちすら感じてしまうのはマズイだろう。
 ファンはファン。
 広い心をもたなければ。
『イッテラッシャイ、アナタ!』
 つい自分に自信をもたせるために、今朝の英介の行動を頭の中でリプレイさせてしまった。
 かっと頬が熱くなる。
「思い出し笑い?」
「え?」
「顔、歪んでるよ」
「……スミマセン」

 3時前には解放された。
 帰りにケーキを買った。
 マンション近くになると、つい足が早足になるのを自覚した。
 本当に新婚夫婦みたいだと、自分で自分を笑ってしまう。
 普通の夫婦なんて言うのは、こういう気分で過ごすのだろうか。
 例えば奥さんは食事を作って、それを食べた旦那が美味しいと笑みを見せるだけで嬉しくなったり。
 家に帰ればあの人が待っていると、つい早足になってしまったり。
 一生、こういう気持ちでいられればいいと思う。
 どうやったって新鮮味は年を重ねれば消えてしまうのだろうけれど、噛み締める愛しさとか相手を喜ばしたいという気持ちはずっとずっと持っておきたい。
 自分も英介に負けず、思考が乙女だ。
 インターホンに指を伸ばしかけてやめた。
 預かっている鍵を使って部屋に入る。
「……ただいまー」
 どういう出迎えがあるだろうかと、ほんの少し胸を躍らせながら靴を脱ぐ。
 英介は姿を見せない。
 玄関からダイニングに移動して、その姿を見つけた。
 ベランダでは秋の陽射しを受けた洗濯物が揺れている。
 その影を体の上に落して、英介は眠っていた。
 フローリングの床の上にまるで猫のように丸まって、頭はクッションに預けている。
 その周りにもクッションが散乱しているから、干そうと思って窓辺にかき寄せたのだろう。
 温かな陽射しは降り注いでいるが、寒かったのかブランケットに包まっている。
 英介は基本的にどこでも眠れる奴だから、固いフローリングも気にならないらしい。
 すぅすぅと、穏やかな寝息も聞える。
 ジャケットを脱ぎ、足音を消して忍び寄る。
 彼を包む日溜りに影を落さないように。
 微笑ましい光景に口元が緩む。
 クッションに広がった髪の毛は陽射しを受けて、その髪の一筋一筋が琥珀のように艶を帯びている。
 彼の表情を彩る睫毛は伏せられて、クルクルと変化する感情を映す瞳は見えない。
 今朝柔らかく触れてきた口唇は薄く解かれていた。
 隣に座り込み、自分も温かな陽光を浴びた。
 外は寒いが秋の陽射しは強すぎず、昼寝には丁度いい。
 起きるかなと思いながらも、つい手を伸ばしてしまう。
 触れた髪の毛もすっかり陽光を吸収して温もっている。
 サラサラと指先から零れる様子は、格別に綺麗。
 その一房から頬へ、キスをして口唇の動きだけで呼びかける。
「……ん」
 小さく呻いた英介が動いたが、目は醒まさなかった。
 なんて似合いの光景だろう。
 転がっている体を跨いで、首筋に顔を近付けると日溜りの甘い匂いがした。
 獲物の匂いを嗅ぐ肉食獣のようだと、自分でも思うような体勢。
 顔の前に投げ出されている手に、光る指輪。
 そろそろもうちょっといいのを揃えたいのだけど、英介が自分だけ新郎気取りするなと怒るので、独断で買いに行けない。
 指輪を割り勘で買うなんてどうにもかっこう悪いとは言うのだが、聞き入れてもらえないでいる。
 もう一度、頬に口唇で触れる。
 いつか、二人だけで過ごす穏やかな日々を想像する。
 自分達はその時、何をしているだろう。
 何処にいるだろう。
 サッカーに携わっているだろうか、それとも違う何かを見つけているだろうか。
 ただ一つ確かなのは、隣には英介がいると言うこと。
 約束もしていない。
 保障もない。
 これは夢だから、掴むために存在する。
 遠い未来、英介と過ごす日々を掴むための努力なら惜しむものか。
「英介」
 今度は声を出して呼んでみた。
 眠りを妨げられて抗議の唸り声を上げながら、寝惚け眼で高山の姿をとらえる。
「あー、おかえりー」
「ただいま」
 腕の下で英介がぐっと体を伸ばす。
 反り返る体はシャツの上からも、そのしなやかさがうかがえる。
 綺麗なライン。
「いつ帰った?」
「さっき。気持ちよさそうに寝てたけど、相手して欲しかったから起こした」
「ふぅん。んー、よく寝た」
 まんざらでもない顔をして、硬い床で眠ったせいでギシギシ言う体をもう一度、思いっきり伸ばす。
 力を抜いて弛緩するところを狙ってキス。
 触れるだけのそれが気持ちよかったらしい。
 触れるだけ。
 お互いにしかけて、繰り返す。
「あ、ケーキ買って来た」
「マジ? ありがとー。コーヒーいれる」
 思い出して告げた言葉で、あっさり甘い口付けは終了された。
 ぱっと腕の下から抜け出して台所へ駆けて行った背中を見て、英介らしくていいかと思った。
「インタビュー、ちゃんと受けた?」
「あー? まぁまぁ」
「本当に慣れないな」
「そういう性格なんだよ」
「バラエティのトーク番組の出演依頼、俺とお前とセットでって言うのがきてるの知ってるか?」
「知らねぇ。なんだ、それ」
「きてるらしいよ。でも広報の人が一生懸命断ってるらしい。高山には不可能ですって」
「本当にうちのチームはいいチームだな」
「善処する気なしかよ」
「無理無理」
 インスタントコーヒーの顆粒を、それぞれ好きな分量だけ入れる。
 お湯を注いで、英介はそこに砂糖と牛乳を加えた。
 高山も珍しく牛乳を加え、マグカップの中を柔らかな色で満たした。
 窓辺に二人で座って、のどかなティータイム。
 寮ではもっとだらけた感じで、何時の間にか日が暮れる。
 二人だけの時間はぼんやりするだけでも濃密だ。
「……タカ」
「あ?」
「なんか、いいことあった?」
「なに?」
「ニヤニヤしてんの、気色わりぃ……」
 本当に退き気味に英介が見上げているから、慌てて顔の下半分を手で覆う。
「なんか、最近増えたな。思い出し笑いとか。ちょっとキャラ変わってきてんじゃねぇの?」
「……かもな」
 そこは素直に認めて、自分の分のケーキを一口分差し出す。
 釣堀の魚のように、英介はすぐさまそれに食いついた。
「何考えてた?」
「うーん……。何って言うか、週末に大勢の観客に囲まれてすげぇハードな試合こなして、次の日にはこうやってすげぇのんびり二人きりで過ごすの、悪くねぇなぁって思ってた」
 今の自分が、どんな顔をしているのか。
 鏡を見なくても、英介を見ればわかる。
「赤いよ」
 頬をつつくと、その手を払われる。
 苦笑しながら言葉を続けた。
「こうやってさ」
「……なんだよ」
「くだらねぇ喧嘩とか、シャレにならん喧嘩とか、苛々することがあって八つ当たりとか、スランプとか、気まずくなることとか、あるかもしれないけどさ」
 英介は不思議そうに首を傾げて、高山の言葉を聞いている。
「怒ったりしても、俺はお前のこと好きだから」
「……どした?」
「いや、なんとなく。末永く、仲良くしていくために、一応」
 照れ臭そうな表情で、英介は曖昧な角度に首を傾げる。
「結婚とかできたら、一番わかりやすいんだけどな。なかなか形とか区切りとか、つけにくいから」
「……うん」
「普通の夫婦みたいにできないことは多いけど、チームとか、家族とか、ファンとか、助けてくれる人が大勢いるから、そういう人たちのためにも俺達って上手くやっていかなきゃなぁって。そういう周りへの責任を持つことも夫婦円満の秘訣だって、坂本さんに聞いたし」
「……いろいろ考えてるんだな」
「考えてるよ。好きだから」
 自分達はまだ現役の選手で、しかも選手同士。
 自分達の世話は自分達でしなければならなくて、お互いを支えたいと思うのに自分のことで手一杯。
 本当はもっと負担を軽減してやりたいし、自分の傍を安らぎの場にして欲しい。
 なかなかそれも叶わないので、言葉で埋める。
「こんな風にのんびり歳くっていけたらいいなって思うな」
 コーヒーを飲んでガラス越しの青空を見て、呟く。
 年寄り臭かっただろうかと隣を窺うと、頬を染めて両手で包んだマグカップを口に運んでいる。
(……可愛い)
 照れ隠しの姿が可愛くて、初初しくていい。
 こうやって、隣でクルクル変わっていく表情を眺めながら過ごしていく日々はきっと穏やかで楽しくて、自分は幸せでいられるんだろう。
 カップからちらりと目を上げて、英介は高山の様子を窺う。
「一緒にさ、歳くってくの」
「俺がオジサンになっても?」
「そう。熟年夫婦になってくると、色気も可愛げも甲斐性もなくなるってよく言うけど、お前んちの両親とか、歳重ねるたびに仲良くなってるし。そう言うの、いいよな」
「……うん」
 カップを置いて、英介はコトンと高山に寄りかかる。
「なんか、今日は出血大サービスなくらい舌の滑りがいいな」
「時々サービスしとかないと拗ねるだろ」
 自分の喋りは英介を喜ばしたらしい。
 もたれた片腕に、額を擦り付け甘える仕草を見せる。
「無口な人はこういう時に得だ。言葉に誠実味がでる」
「スバルさんにゃできないだろ」
「うん」
 笑いあう、その振動が伝わるのすら心地いい。
「タカってさぁ」
 よいしょと高山の膝の上に向き合って座り、コツンと額を触れ合わせた。
 幸せそうな笑顔が目の前にある。
 幸せそうな、なんて判断は高山の主観でしかないけれど、たぶん、きっと当ってる。
 英介が表情豊かな性格で本当に良かったと思う。
 表情だけで全てを判断するわけではないけれど、表情に拠るところは大きい。
 英介が笑えば、自分は満たされる。
 英介が顔を顰めていれば、自分を省みる。
「無口なくせに、たまにすげぇ嬉しいこと言うね」
 英介の表情やたくさんの言葉に喜ばされて支えられているから、たまには自分もと思ってしまうのだ。
「無口で無愛想で、悪かったな」
「無口な人って、なんで無口になるか知ってる?」
 高山の腕が英介の腰をゆったりと抱き、英介はそれに少し体重を預ける。
 切れ長の双眸の眦にそっと触れ、額から硬い髪の毛を指先は辿る。
「なんで?」
 その手付きも眼差しも、普段の子供っぽい彼とは違い、慈しむような深い優しさを感じる。
「無口な人は、不用意な言葉で人を傷付けないようにって、喋らないようになるんだって」
 タカもそうだった?
 瞳だけで問い掛けられて、どうだったかなと首を捻った。
「タカは無口で無愛想のまんまでいいよ」
「いつもはそれに文句言うのに」
「それは、それ。俺だけに、そういうすげぇ恥ずかしいセリフ言ってればいい」
「恥ずかしいって……、一生懸命言ったのに」
「俺以外の人が聞いたら、たぶん鳥肌たつんじゃない? たぶんねぇ、俺だけが喜ぶんだと思うよ」
「愛想も悪くていいのか」
「俺にはわかるから」
「お前の方がよっぽど恥ずかしいこと言ってるな」
「嬉しいだろ?」
 誘導尋問なのだろうか、これは。
 それでもコクリと頷けば、よしよしと頭を撫でられる。

 外で風がごぉと鳴った。
 ここは温かい。
 英介の手は高山の頭を抱え、自分の肩口に押し付ける。
 驚くほど柔らかな手付きにされるがままになって、高山は目を閉じる。
 甘く乾いた太陽の匂いがする。
「週末、遠征かぁ」
「勲さんも帰ってくるんだろ?」
「うん」
 頷く声に力がないのは、気のせいじゃない。
「でも、馬越さんのご飯も恋しい」
 この擬似的な二人暮しが名残惜しいのはどちらも同じだ。
 遠征を区切りに、二人は寮に戻る。
 賑やかで居心地のいい、愛すべき虹明寮に。
「楽しみは先にある方が、頑張れていいかもよ?」
「……サッカーを?」
「そう」
 溜息と笑い声。
 二人だけの声が響くこの空間とも暫し別れ。
 短い二人暮らしはもう少し続くけれど、勲がくれた時間は貴重だった。
 こんな風に二人でなら暮らしていけるのだとわかったから。
「勲さんに感謝しなきゃな」
「うん。帰って来たら、ちょっとだけ優しくしてやろう」
 それまでは、もう少し二人きりで。

「タカ」
 呼ばれ、顔を上げる。
 英介の手が頬を撫でた。
 自分の膝に乗っている英介の頭の方が、少し上にあり見下ろされている恰好。
 ゆっくり眉毛を撫で、鼻筋から薄い口唇を辿る。
 角度をつけて近付いてくる口唇を受け止めるのは、少し受身になった気分だ。
「今日の晩御飯は牡蠣フライが食べたいな」
 名残惜しみながら離れた口唇は、そんな言葉を可愛げたっぷりに言い放った。
「駄目?」
「……わかったよ」
 亭主関白なのかカカア天下なのか。
「もうちょっとしたら買い物行こう」
「もうちょっと?」
「だって、気持ちいーから」
 ゴロゴロと抱きついてくるのは嬉しいけれど、なんだか子供をあやしているようで。
「タカとこうしてるの、セックスしてんのと同じくらい気持ちいい」
 言うことは色っぽいのかそうでないのか微妙なところ。
「同じくらいなら、するか」
 軽く体を上下に揺すり上げる。
「ん〜?」
 意外にも検討してくれるらしい。
「どうしよーかなー」
 英介にとっては、日向ぼっことセックスは本当に同等らしい。
 暫らく悩んでから、視線を合わせる。
 その微笑が既に返事をしているようなものだが、英介は口唇を開いた。
 いいよ。
 その返事に被るように電話が鳴り響く。
 携帯ではなく、勲の部屋にある電話が。
 出ないわけにはいかない。
 英介が慌てて電話に駆けて行くのを、嫌な予感を抱えて眺めていると、
「はい、江口です。勲兄じゃん。元気にやってるよー。え? は? 空港っ? って、日本じゃん!」
 予感的中。
 しかも事態はあまりよろしくない方向へ転がろうとしている。
「ちょっと、早すぎねぇ? あっ、ちょっと、兄ちゃん!」
 電話は突然切れたらしい。
 眉間に皺を寄せた英介が、受話器を乱暴に元に戻す。
 無言で高山を見た。
「すぐに帰ってくるな」
「……うん」
 のそりと立ち上がった高山に、申し訳なさそうな視線を向ける。
 擬似的な二人暮らしを楽しんでいたのだが、それも急に幕を閉じることになってしまった。
「もうちょっと、楽しみたかったな」
 ぽつりと英介が素直な感想を零し、
「俺も」
 高山の言葉に、そうだねと淋しげな微笑を見せた。
「買い物行って、飯三人で食って、明日は寮に帰るか」
「うん」
「馬越さんの飯も食いたいし、富永さんとスバルさんが喧嘩してねぇか心配だし?」
「ユーキが八つ当たりされてないかも心配だ」
「それに、一番重要なのはお前がいることだし」
「恥ずかしいヤツだな」
「お前といる時だけな」

 二人してちょっと照れながら、手をつないで部屋を出た。
 自分達を取り巻く家族やチーム、サポーターやスタッフには感謝しきれない。
 世界はとても優しく、自分達を支えてくれる。

 けれど。

 感謝してるし、その人たちがいなければ生きていけないけど。
 パタンと閉じたあのドアの向こうの二人だけの空間も愛しくて、ベッドの中で、キスの途中で、食事の支度をしながら、歯磨きしながら、『世界に俺とコイツだけいればいい』なんて思ったのも事実。
 それは、周りの人にはちょっと申し訳ないけれど、幸せな認識。


ラブラブーな話を書きたくて。

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