練習の終了が告げられて、グラウンドの空気が一気に緩んだ。
呼吸も楽になるような、そんな開放感。
ある選手は慌しいスケジュールをこなすために早足でロッカールームへと向かい、またある選手は丁寧にファンサービスに応じている。
スタッフは片付けに走り回り、指導陣は難しい顔を突き合わせていたり。
学校の放課後に似た空気を嗅ぎながら見上げた空はまだまだ明るく、そう言えば今朝のニュースで夏至がどうのこうのと言っていたっけと思い出す。
今日の予定はこの後に何もなく、寮に帰ってのんびりと疲れを癒すのも良いけれど、梅雨の合間に覗いた青空と自分の近頃の調子を考えればこのまま帰ってしまうのも勿体無い。
足元にあったボールを転がしてリフティングで一人遊びをしていると、ひやりとした風が肌を撫でていった。
夕立の気配だろうか。
見えるはずもない涼風を追いかけるように流れた視線の先に、タカが立っていた。
「PKする?」
無言のまま差し出した手を上下に揺らし、俺は手を開く。
タカは拳を作る。
先攻を選んだ俺に、タカが問う。
「三本勝負で、何賭ける?」
「またー?」
「うるせ。今日こそ俺が勝つんだよ」
タカにしてはガキっぽい主張と表情は楽しいけれど、この勝負ももう何回目だろう。
「じゃあ、俺が勝ったらケーキ奢って」
頷いて見せたタカの条件はいつも同じ。
指輪だ。
買ってくれと言うのではなく、買わせてくれと言うのだからおかしな話だ。
俺とタカの左手薬指には、銀色の指輪が収まっている。
幅広のシルバーリングはずっと前にタカが用意してくれていたもので、装飾品着用が許されない試合中以外は肌身離さず身につけている。
俺が初めて愛用しているアクセサリーは、法律上のゴールがない二人の関係を明確にしてくれる道具でもあると思っている。
若いアーティストの手作りである指輪は、いつの間にか多くの傷を作っていた。
タカは、もうワンランク上の指輪を揃えたいと思っている。
それも、できれば自分の出資で。
指輪のプレゼントは思いがけず嬉しいもので素直に受け取ったけれど、二度目もタカに買わせるのは俺の男としてのプライドが受け入れ難いと訴えるのだ。
タカがゴールマウスに立つ。
タカは幼い頃のほんの僅かな期間だが、GK経験がある。
J公式戦で交代カードを使い切った後のGK負傷というハプニングが起きた際には急造GKとしてファインセーブを見せた。
侮れないのだ。
真ん中に立ったタカが腰を低くする。
俺はボールをセットして、数歩下がる。
「行くぞー」
声を掛けてから助走。
ゆるやかに二歩、踏み込みからスイングを素早くしてタイミングをずらす。
単純な緩急だが、これが案外成功する。
構えていたタカもタイミングをつかめず、左に体重を掛けたまま動けなかった。
悔しがるタカとポジションチェンジするのはいいけれど、GK未経験の俺にセットプレーの魔術師が蹴るPKがキャッチできるわけもなく、ボールは軽やかに俺の頭上のネットを揺らす。
悔しいけれど、まだ余裕。
2巡目も互いに決め合って、先攻の俺が3点目を決める。
次、俺がタカのゴールを阻めばサドンデス。
ポジションチェンジですれ違う時、
「俺、この指輪好きなのにな」
ぽそっと呟いてみる。
ボールをセットしたタカは数秒静止する。
その後方へ、俺は手を振る。
ちらりと背後へ視線を投じたタカが見るのは、監督とコーチが並んでコチラを見ている姿だ。
一瞬で広い肩が力む。
凝りない奴だと呆れながら、タカのキックを待つ。
監督の眼差しを感じながら、タカが踏み込む。
シュートは豪快な放物線を描いてゴール上へと飛んでいく。
グランドに残っていた人たちの失笑が聞こえてくる。
監督達はオーバーリアクションで肩を竦め、やれやれのポーズ。
高山浩二のファンは、PKを決める彼の勇姿を当分拝めそうにない。
脱力して芝生に伏せたタカは可愛げはあるけれど、ささやかなプレッシャーを二つほど仕掛ければ呆気なく潰えるファンタジスタはいかがなものかと不安にもなる。
PKゲームは今のところ俺の全勝だ。
「ケーキ、どこの店のにしよっかな」
転がったままのタカの隣に座り込むが、タカは反応しない。
「指輪もいいけどさ、俺はPKの成功率の高いチームメイトが欲しいなぁ」
ちょんっと背中を突くと、唸り声を上げる。
「そんで指輪よりさ、タカと美味しいもの食べたりする時間の方が欲しいな」
唸り声が止む。
それに、とこれ以上は声に出さずに胸の内で呟く。
今の自分の体の一部になっている指輪を外すのが、怖いのだ。
新しい物と取り替える瞬間も、居場所を失くした最初のリングの行方が引き出しの奥になってしまうのも、怖いと思う。
装飾品一つに気持ちを持っていかれそうで、怖い。
ささやかな不安だ。
タカのことを笑えない。
投げ出したタカの左手の指輪に触ると、凹んでいたタカが顔を上げた。
「俺は器が小さい」
妙にきっぱりと自分の短所を言い切るから、噴出してしまった。
「そんなの、出会って三日目くらいには気付いてたよ」
「……早ぇな」
「プレッシャーに弱いのも、自分の手が届く範囲の幸せばっか願ってるのも、指輪一個で俺を所有しちゃうのも、タカの器が小さいせいだよ」
「……」
「そういうところが、好きなんだけどね」
タカの指輪には、もう見辛くなってしまったけれど向日葵のイラストが掘り込まれている。
俺の指輪の太陽に顔を向けてくれる花の絵が。
「だからまぁ、これに凝りずにPK挑んできてね」
こっちを向いててね。
タカの左手薬指にキスをすると、タカが目を丸くした。
2008/9/11
なんぼほどプレシャーに弱いねん、と言いたくなるような高山氏。考え方が古風で、ステイタスとかちょっと拘ってればいい。