「あー、寝ちゃいそう」
整体ベッドの上で伸びながら、英介がぼんやりとした声を発した。
ふふっとアフターケアをしてくれているトレーナーが笑う、その笑い声のトーンですら心地よいと、欠伸を一つ。
「明日は雨かもな。気圧が低いから、英介も眠いんだろ」
隣で高岡清二のマッサージをしているトレーナーが解説してくれた。
「動物的ってことでしょ」
それを要約したのが、マッサージの順番待ちで手持ち無沙汰にバランスボールの上でゴロゴロしている樋口夏木だった。
「なっちゃん語はよくわかんない」
「あったま悪ぃなぁ、エースケ」
「ちょー、清二―、早くなっちゃんと順番代われよー。暇になったからって、俺のことイジメだしただろー」
「英介、それは横暴」
「清二まで頭いい言葉使いはじめた。オーボーってなに」
眠気の感じられる声が発した言葉に、一瞬室内が静かになった。
「……ウソだよ。横暴くらいわかるよ。馬鹿にすんなよ」
「はいはい。江口、伏せて」
トレーナーが笑いながら姿勢を変えるのを促せば、もぞもぞと脱力した体をひっくり返す。
有孔ベッドの穴に顔を突っ込んで、体内の疲労を解していく手に身を委ねる。
「なっちゃん、新婚どうよ?」
「普通」
「普通だって。照れちゃって」
「嫁さんとの付き合い高校ん時からだぜ? 今更ラブラブーなんて、恥ずかしいだろ。英介こそ旦那とどうよ?」
「旦那なんていませんからー」
脱力しきった声に、明日は使い物になるのかと不安になる。
大丈夫かと心配する清二に、トレーナーが今から気を張ってるようじゃ駄目だと笑う。
極度にリラックスした状態から、明日の試合前にはビリビリするほどの闘志を滾らせる。
英介の感情は伝染しやすい。
今から気張られたのでは周りが眠れなくなってしまうと。
「指輪、嬉しかった?」
伸ばした左手の薬指を突かれて、英介は投げ出していた手を引っ込める。
耳を赤くして、小さく唸る。
「タカも案外ベタだよな。ハワイで指輪」
「えっ、ハワイで渡したの?」
「そうそう。優勝旅行の新婚旅行。なんて言ったのかは当然、あいつの性格上教えてくれないんだよな」
「そりゃあちょっと聞いてみたいところだな」
「でしょ?」
ゴロゴロと玉乗りピエロの如くボールを転がして、夏木は英介が横たわるベッドに近付いていく。
「そこんとこどうなのよ?」
英介が黙秘を続けていると、ボールから降りた夏木は整体ベッドの穴を下から覗きこんで見せた。
ぶはっと噴出した英介はむくっと起き上がり、トレーナーを仰ぎ見る。
「もう、いいっス」
「だーめ。もうちょっと大人しくしてな。それで樋口も、あんまり江口をからかわない」
トレーナーにたしなめられて、はぁいと二人そろって行儀のいい返事をしたと同時に、
「繁盛してまっかー」
ふざけた声を掛けてきたのは水内純平で、マッサージ室にいた面子を確認するなり、ラッキーと呟いた。
「おっせーじゃん、純平」
「コーチ、話長いねん」
「お前に理解してもらえるように話を噛み砕いてたら長くもなる」
「あらー、なっちゃんご機嫌斜めかいな。清二くーん、何やらかしたん?」
「なんで俺よ」
「えっちゃんなんてなっちゃんの餌食やんか。つつきまわして機嫌アップするだけや」
「純平。お前、遠征にエロ本持って来てたことホームページに書くぞ」
「すみませんでしたっ」
好き勝手なやりとりに、トレーナー達は忍び笑う。
仲間の特徴を理解して、弱点も長所もわかりあって、たまに突き合って高め合う。
結果にこそ恵まれていないが、この世代はいいチームになってきた。
明日の試合では是非とも結果を残りして、名実共に良いチームになってもらいたい。
「失礼します」
次に入ってきたのはやや硬質な声の主で、水内とは逆に室内の面子を確認してから僅かに顔を顰めた。
「どうした?」
既にケアを終えている高山にトレーナーが問いかければ、いや、と言葉を濁す。
「……、英介の同室、山内なんですけど……、英介の姿がないから、探して来いって」
結局、ぼそぼそと告げられた言葉に、ふっと笑いを噛み殺す気配が室内に充満した。
「迷子発見機だな」
「……迷子じゃねぇー」
「体のケアは終わり。あとはタカ、機嫌とっとけよ」
トレーナーに笑われて、高山は室内のチームメイトに剣呑な視線を向けた。
一人は薄笑いで流すし、大男はせせら笑う。
清二だけがあたふたと英介の表情を窺おうとする。
それらを眺めて溜め息をついて、高山は英介が寝そべるベッドに近付いた。
「部屋、戻るんだろ。山内が心配してんだよ」
英介はのそりと顔を上げ、「おんぶ」と単語だけを口にする。
無言で「はぁ?」と表現した高山は、五秒後には大人しく背中を差し出す。
そのどことなく甘ったるい空気に、
「あめぇ」
と舌を出したのは夏木だった。
ナマケモノよろしくずりずりと腕の力で高山の背中にへばりついた英介を背負って、高山はそろりと立ち上がる。
水内の剣呑な視線と、清二の複雑な視線には目もくれず、高山はトレーナーだけに会釈をしようとした。
しようとして腰を曲げた瞬間に、
「いってぇ!」
悲鳴を上げた。
何事だと目を丸くした面々は、首筋を押さえた高山の仕草に背中の英介が噛み付いたのだと知る。
「くそっ、寝ぼけやがって……!」
忌々しそうな舌打ち交じりに愚痴って、高山は背中の荷物を乱暴に抱えなおす。
拍子に英介の手がぶらんと揺れたから、やはり寝ぼけているのだろう。
「あれ、甘いか?」
「うーん、スパイシー」
さすが英介と呆れているのか感心しているのか、それぞれに呟いた言葉を高山は無視して再度トレーナーに挨拶をした。
その首筋にくっきりと、明日もしも上半身裸のシーンがテレビに映し出されたのなら言い訳ができないような歯型が浮かび上がっていた。
あーあと思いながら見送った高山も、以前に比べると信じられないくらいに丸くなった。
会話の方法を知らないのかと思うほど寡黙だった男が、皮肉を言うようになった。
少年のような笑顔をのぞかせて笑い声を上げるようにもなった。
感情を凍らせてしまったようだった高校生は、サッカーを通して英介と出会ったことで柔らかく心と表情の動かし方を知ったらしい。
「妬けるか? 純平」
「否定はせんけどね。明日の試合、うっかり高山のゴールをセーブするかも」
「ははっ、それは勘弁。って、清二、今更なんだからそこで凹むなよ」
「何の話だよ」
「まだ自覚ねぇのかよ、鈍いなぁ」
「それが清二くんのえぇとこやで」
「だから、何の話っ?」
「はい、高岡もケア終わり。さっさと部屋戻って寝る準備しな。明日はどどーんとゴールを頼むよ。次、水内―」
「はいな。ほな、清二くん、えぇ夢見ぃや〜」
「おやすみ〜」
「もー、なんなんだよー!」
理解してたまに落として突いて救って生かして、少年達は世界へ挑む。
158851Hit(鏡番)で憂祈さんからリクエストいただきました〜v英介世代の登場人物のお話』ということでした。憂祈さん、リクエストありがとうございました〜v
ユース代表の試合前日のホテルにて、という設定にしてみました。DVD「六月の勝利の〜」で、中田コとイナが部屋に行く来る云々、寂しいんだ云々の会話をしてたのが元ネタです。夏木が整体ベッドの穴から覗くと場面は隊長の悪戯が元です。わかる人にはわかってしまう(笑)スミマセン(汗)