虹明寮の端っこに停めてあるスカイラインがタカのアシ。
家を出る際に、お父さんから譲り受けたらしい。
かなり年季が入っているらしく、駐車場に並ぶ寮生の車の中じゃ一番古い。
でも乗り心地は悪くない。
いつだったか乗せてもらった一つ下の後輩が運転するスポーツカーの方が、ふわふわした感じで怖かった。
運転手の力量でだいぶ違うんだと、国産車愛好の富永さんは言う。
タカは運転上手らしい。
運転上手の女性のような運転をするとは昴さんの感想。
男はどうしてもかっこつけたがるからなぁ、と寺井さん。
俺だって運転は下手じゃない。
ただ道を知らないだけだ。
だいたい、道に番号があるって何?
繋がってるから道って言うんじゃないの。
それに番号がふってあるってどういうこと。
だから俺はハンドルを握らせてもらえない。
「何、ここ。塗装剥げてるよ?」
俺の愛車でもあるスカイラインのバンパーの角、少しだけ黒い塗装が剥げているのを発見した。
「昴さんが酔ってチャリ乗ってぶつけたんだとよ」
「倍返しだな」
「請求してる」
車体を挟んで言葉を投げあう。
手にはスポンジ。
絶好の洗車日和にタカは当然のように俺を誘った。
水はまだ冷たいけれど、我慢できないほどじゃない。
さぼり気味だった久々の洗車に力を入れていると、体も暖まってくる。
「よし、綺麗になった。乾くまでちょい休憩」
水を弾き流しながら、スカイラインは徐々に漆黒の輝きを取り戻す。
花壇に腰掛けて缶コーヒーで一服する。
なんか、すげぇ平和。
「買い換えようかな」
のんびりした口調でタカが隣で呟いた。
「え?」
「次の車検に引っ掛かりそうな気がする」
乗り心地は悪くないが、ガタが来ているのは認める。
「新しいの、買おうかな」
新型もいいんだけど、と他の車の名前を幾つか挙げていく。
ガタがきたスカイラインのハンドルを握った回数は僅かだけど、助手席で過ごした休日は数え切れない。
旧式っぽい内装なのに新型のステレオを搭載して、お互いの好きな音楽を掛けてテンションを上げながら練習場を往復した。
どんな車がいい?
話を振られたけど答えられなかった。
ただの車だと思っていたのに、自分でも知らず愛着が湧いていたらしい。
「まぁ……、コイツが息切れし始めるまで頑張ってもらうか」
淋しいと思った俺の胸の内を見透かしたのか、タカはそんなことを言う。
新車が欲しいという気持ちもあったのだろうけど、それを抑えて。
ずっとずっと乗れるわけではないけれど、大切な空間なんだとせっかく自覚したのだからもう少しだけ。
「気合入れてワックス塗ってやらないとな」
もうちょっとだけ、年季の入ったスカイラインには俺達にお付き合い願おう。
天才的方向音痴の英介のアシは、俺のスカイラインの助手席。
父親から譲り受けた旧型のスカイラインのシートにおさまって、神妙な顔で地図を睨んでいる。
「……そこっ、そこの信号を右」
「俺の記憶が確かなら、もう一つ向こうの信号を右折」
「……」
地図を読めない女、なんてフレーズを含めたタイトルの本を、富永さんの部屋で見た気がする。
江口英介が女脳と言う説には頷けないが、方向に関する信頼はゼロだ。
市外にある美味いらしいケーキ屋の道順は予め頭に入れてある。
暫らく地図を凝視していた英介は、諦めたように後部座席に地図を放った。
毎年利用しているキャンプ地のホテルで迷子になるのも恒例だし、海外遠征では絶対に英介を一人にできない。
江口英介の迷子癖はいっそ天晴れと言ってしまえる。
「脳みその中にさ」
仏頂面で突然英介が話し出した。
「方向感覚をコントロールする場所がないのかもしれない」
「そんな大袈裟に考えなくても」
「そうとしか思えない。薫さんに調べてもらう」
むくれてしまった。
気分転換にCDをかけて、車を走らせる。
気まずくはない、なんとも可笑しな空気が支配する車内に流れるのは、女性シンガーの可愛らしいラブソング。
数の少なくなった信号に引っ掛かり、ゆっくりとブレーキを踏んだ。
カチンと鳴った音が、シートベルトを外した音だと気がついたのは運転席に身を乗り出してきた英介の口唇が俺のそれに触れてからだった。
そっと触れるだけで離れたキスに、思わず助手席を凝視してしまった。
シートベルトを留めながら、英介はチラリとだけ俺を見た。
「アシ代」
つまらなそうに言った癖に、耳が赤くなっている。
ナビも出来ずに助手席にただ座っているのが嫌だったらしい。
長距離のドライブになると代わろうかとしきりに訊いてくる。
それは自分が運転したいからじゃなくて、俺が疲れてないか心配して繰り返す申し出。
そういう英介の気遣いに沸き起こるじんわりした感情を、愛しさと呼ぶんだろう。
「今ので地球一周走れるよ」
信号が青になり、ゆっくりとスカイラインは走り出す。
ばーか。
小さな悪態は甘さを含んでいた。
噂のケーキ屋は空へと続くような坂道の先にあるらしい。
年老いたスカイラインは気合の入ったエンジン音を上げ、俺達を運んでいく。
2005/01/30
タカの愛車がスカイラインになったのは、単に杉山がBDファンだからです(笑)