坂本さんに夕食に誘われ、坂本さんの奥さんと愛娘のヒカルちゃんとテーブルを囲むことになった。
坂本さんは若手の面倒をよく見てくれるから、俺もタカもちょくちょく飯に誘ってくれる。
相談にものってくれるし、チームのメンタルに気を遣ってくれる。
こんなベテラン選手になりたいと思えるような存在。
そんな坂本さんの奥さんは、元ナースのはつらつとした健康美人。
大人の女性の微笑みで俺たちの食欲を呆れもせずに見守っていてくれる。
「タカくん、はい。あーん」
見守っているのは俺たちじゃなくて、
「あーんじゃなくて。ヒカリ、ピーマンを高山くんに押し付けないの。ちゃんと食べなさい」
タカの膝の上の愛娘かもしれない。
小学校に入学したばかりのヒカリは、ぱっちりした目とふわふわの髪の毛をもった本当に可愛い女の子で、神戸RCの練習場に来ると選手たちは競って遊んでもらいたがる。
ちょっとませてきたところもまた可愛い。
そんな彼女の最近のお気に入りは、無口な大男らしい。
「じゃ、えっちゃん、あーん」
今度は俺に向いたフォークの先のピーマンに、食いついた。
「ん。食べてやったんだから、俺の膝来いよ」
「やー」
「えぇー」
ぷいっとそっぽを向かれてしまった。
「ヒカリ、男の趣味悪いっすよ」
俺の忠告に坂本さんは、人の娘のことを言えるのかと笑った。
「えっちゃん、タカくんの膝に座りたいんでしょー」
「ちげーよ。ヒカリを抱っこしたいの」
ぽんぽんと膝を叩くのにヒカリは、黒いふわふわのスカートから伸ばした足をパタパタさせてみただけだった。
「えっちゃんは、ヒカリじゃなくてタカくんが好きなんでしょー?」
「……どっちも」
「えー。だってタカくんとえっちゃんは恋人どーしなんだよー? タカくんが一番じゃないなんてかわいそー」
タカは複雑な表情でビールを口に運んだ。
「タカは怖そうに見えるのに、子供に懐かれるな」
グランドに遊びに来たチームメイトの子供たちは、何故かタカの周りに輪をつくる。
タカは笑顔を大盤振る舞いするでもなく、目線を合わせたり肩車をしたりして相手をしてやるだけなのに。
「俺の方が絶対に人気ありそうなのに」
「お前の場合は人気と言うより、仲間意識だな」
坂本さんがおかしそうに笑う。
タカはヒカリの前にピーマンを指したフォークを差し出し、偏食改善に努めている。
「ヒカリはタカのことが好きなんじゃねぇの?」
「んー、タカくんはかっこいいし優しいけどー、一番じゃないよー。それに、タカくんはえっちゃんのことが一番好きだからね」
タカがもういいからと言うように、ヒカリの口に大きなポテトを押し込んだ。
文句を言いつつそれを咀嚼する娘の様子や盛大に照れている後輩の様子を見ながら、坂本さん夫婦はおかしそうに笑っている。
「ヒカリ、うちの妹みたいだ」
「あぁ、そりゃあいい。大きくなったら友里ちゃんみたいな女の子になってくれたらなって、いつも話してるから」
確かに友里はいい子だし可愛いけど、でも今からこんなにマセていてもいいものか。
「えっちゃんもね、きっとタカくんのことが大好きよ」
もぐもぐと小さな口を一生懸命動かして飲み込んで、ヒカリは言いたかったことをタカに伝える。
慰めるような物言いは女の子らしく、タカは少しだけ苦さの見える笑みを浮かべた。
「タカくんとえっちゃんが結婚できるようになったら、ヒカリが二人の子供になってあげるよ」
突然、突拍子もないことを真面目な顔で言うのは子どもらしいと言えば子どもらしい。
どこまでわかっていて、どこからわかっていないのか、女の子という生き物は不思議だ。
タカは珍しいほど驚いた顔を晒して、ヒカリを凝視した。
困ったように俺を見るけど、俺はわざと視線を外してやった。
子ども好きなタカは、自分の子どもを抱きしめてやることができない。
そのことを俺が気にしてると思ってる。
そりゃ俺だっていい気分になる話題じゃないけど、タカは気にしすぎなんだ。
そりゃ、生めませんよ。俺には。
生めませんけど、だからこそ気を回しすぎると多少気に障るわけですよ。
知りませんよとアピールするため、俺は皿に残ったレタスを頬張る。
俺の機嫌を窺っていたタカは、視線をヒカリに戻したらしい。
「ヒカリが俺らんトコの子どもになったら、パパとママが寂しがるだろ」
「いいの。パパとママのところには新しい赤ちゃんができるの」
おや、爆弾発言。
思わず坂本さん夫婦を見ると、幸せそうに、でもちょっと困った様子で笑っていた。
おめでとうございますと、早くも下の兄弟に対してヤキモチを妬き始めたヒカリの前では言えず、俺とタカは目でお祝いの言葉を伝えて軽く頭を下げた。
「だから、ヒカリはタカくんとえっちゃんの子どもになる」
拗ねた顔も可愛い子だなぁ。
「ヒカリは、俺達と友達でいるのと子どもになるの、どっちがいい?」
タカはこっそりヒカリの頭上で笑い混じりの溜め息をついて、ヒカリの顔を覗き込んで言った。
「ヒカリが自分の子どもになったら、好き嫌いしてるのを叱らないといけなくなる」
タカには保育士の素質があると、チームの子持ち選手は口を揃える。
ニコニコと笑うわけでもないし、率先して一緒に転げ遊ぶわけでもない。
見守り、抱き上げ、時に呪文のような優しい言葉を口にする。
まだまだ掴みきれない男だ。
「それに、パパはサッカー頑張って、ママは元気な赤ちゃん生むのに頑張らないといけないんだから、ヒカリが二人を支えてあげないとな」
タカの大きな手がふわふわしたヒカリの髪の毛をくしゃりと乱す。
ヒカリはぷーと頬を膨らませていたが、小さく微かに頷いた。
よし、とタカが笑いながらヒカリを抱えなおす。
その仕草に満足したのか、ヒカリは頬に入れていた空気を抜いてエクボを刻んでタカを見上げた。
そのついでとばかりに俺にも視線をやって、あっと声を上げる。
何だよと思う間もなく、
「えっちゃん、すっごい不機嫌顔―。やっぱりヤキモチ妬いてるー」
「妬いてねぇよ! っつか、坂本さんも笑わないで下さい!」
嫉妬なんかじゃない。
子どもに嫉妬なんかしないし。
不機嫌顔になってたとしたら、それは俺に対して気を回しすぎるタカに腹が立ったからだ。だから、決して、決してこれは嫉妬のせいで不 機嫌顔になってるんじゃない。
……けど、やっぱ顔を覗き込んで優しく笑うのとか、それは俺だけが知っててもいいじゃないかと、乙女チックなことを考えたり……しないこともない。
「ヒカリもっ、妬いてるって思うんなら、そこどけろっ」
「やっぱ妬いてるんじゃーん。男の子って、本当に素直じゃないね」
コロコロ笑いながらヒカリはタカの膝から立ち上がり、両親の元へ行くのかと思ったら俺の膝にポスンと納まった。
これでいいの?と、黒々キラキラ輝く大きな目に見上げられ、思わずこくりと頷いてしまった。
……かわいい。
軽くてふわふわする体をやんわり抱き締めて幸せに浸っていると、タカが隣から俺の顔を覗き込んできた。
「それ、俺が嫉妬しそうなんですけど」
「タカくん、我慢きかないねー」
「お前は一人でヤキモチ妬いとけ」
ごめんね、可愛くない反応で。
優しいお前はきっと仕方ないと笑ってくれるから、俺は俺でいられるんだよ。
いつも応援してくれているファンのみな様へ
今日はみんなへ報告があります。
ここのところ一部報道でも伝えられていると思うけど、チームメイトの高山浩二と僕とのお付き合いについてなんだけど、あれは本当のことです。
色々と心配や不安や誤解を与えてしまって、ごめんなさい。
事実を伝える事で、ますます心配になったり不愉快な気分になる人もいるかもしれないけれど、僕とタカは僕らなりに本気で恋愛をしようとしているので、わかってくれたらいいなぁと思っています。
今回、僕とタカの関係を隠そうとしたせいで、チームや関係者、ファンのみんなにもすごく迷惑をかけてしまいました。
自分自身、こんなに精神的ダメージを受けるとは思っていなかったんだけど、今はもう前向きです。
僕とタカが一緒にいるということは、まだ認められない恋愛の形なのかもしれないけれど、タカと一緒にいるということは、僕に勇気と安心感と幸せをくれることなので、非難されることがあっても離れることはできそうにありません。
だから、できることなら、これまでと変わらず応援してもらえたらと願っています。
獲れなかった勝ち点を早く取り戻して、サポーターのみんなに興奮してもらえるようなゴールを見せたいです。
なのでぜひぜひ今週末はスタジアムへゴー!ってことで、ひとつよろしくおねがいいたします。
江口 英介
「……なんで最後まで真面目口調を通せなかったんだ」
トントンと、富永さんの指先が食堂の白いテーブルを鳴らす。
「集中力切れ?」
「延長戦にPKサドンデスのオマケがついてもケロっとしてる奴が何だって?」
「スタミナと集中力は違う話です」
「語彙が足んねぇだけだろうが」
正面で小さくなって弁解を続けていた英介も、富永真吾の眼力を前に口を噤んだ。
富永さんはノートパソコンをバタンと閉じると、長い脚を組みなおしてかなり濃い目のブラックコーヒーを一口飲み、英介の前髪を僅かに揺らすほど大きな溜め息をついた。
「こういう問題はデリケートなんだ。最後まできちんとした印象を通さないと、バッシングの対象になるぞ。誰か相談できる奴はいただろ」
「ちゃんと俺の考えた言葉を載せたかったんです」
「……まぁ、お前らしいけどな」
本気でお怒りモードに見えた富永さんは、意外とあっさり許してくれた。
俺と英介の交際が世間に暴露され、ちょっとした騒動になった。
プレーの調子を落とした英介はなんとか復調したが、その間騒ぎの収拾にクラブ側は最善を尽くしてくれた。
そして、この尊敬すべき大先輩も。
堅実なプレーと姿勢で育んできた半端でない信頼を、俺たちのためにフルに使ってくれた。
感謝しきれない恩があるから、俺は英介を呼んで来いと富永さんが低く言うのに素直に従ったのだ。
富永さんが見つけたのは、英介個人の公式ホームページの英介本人からのメッセージページらしい。
そこに書かれたコメントを、英介がどんな気持ちで書いたのかを確かめたかったのだろう。
結果、英介がふざけて書いたものではないと知って、安心しているらしい。
俺たちのことを心配してくれているのは、十分伝わってくる。
「しっかし、今回のことで喜んだのはタカだけだね」
面白いものが見れそうだから見物すると言って、食堂に残っていた昴さんが珍しく俺たちの分までコーヒーを淹れてくれた。
「喜んだだけじゃないっすけどね」
「喜んだのは事実だろ」
「否定はしません」
「最近、タカ、可愛くない」
ちくしょうと言いながら、昴さんは自分用のスティックシュガーを一本俺のコーヒーに流し込んだ。
抗議するのも大人げないので、そのまま黙って口に運ぶ。
甘すぎるが飲めないほどじゃない。
確かに今回のことで英介の本音が聞けたりしたけど、でも悲しんだり苦しんだりもさせた。
喜んでいるだけじゃ駄目だ。
「このコメントで反応はどうよ?」
「んー、なんかぼちぼち来てるみたいですけど。ショックーとか、頑張ってーとか。一番多いのは、タカのファンからのお叱り」
そのお叱りとやらも、俺の元に届く英介のファンからの抗議文よりは少ないだろうけど。
英介がこの文章を書き終えた時、俺にも読ませてくれた。
英介の決意にちょっとドキドキして気を引き締めて、後半思わず笑ってしまうような文章。
英介のメールは、いつも俺を喜ばせる。
ブラジルで過ごした独りの夜。
パソコンを開けば届く一通のメール。
消え入りそうだった闘志を蘇らせ、サッカーの楽しさを思い出させる文字の羅列。
少ない語彙と、同じような言い回しで綴られた決して長くはないメールがあったから、俺は潰れずに帰って来ることができた。
「タカはホムペ、持ってないんだっけ?」
「持ってません」
「だろうな。面白くない」
べ、と昴さんが舌を出す。
どうも最近、この人は俺に対して好戦的すぎる。
「昴さん、妬いてるんですか」
疑問をそのまま口にしたら、昴さんも富永さんもひどく驚いた顔をして、次の瞬間には富永さんは大爆笑、昴さんは頬を引きつらせて俺に歩み寄った。
呆気にとられている俺の背後に回った昴さんは、容赦のないスリ拳を食らわしてきた。
「くそ生意気なガキだな、お前は!」
「痛いんスけど!!」
「痛くしてんだよ、ばぁあか!!」
「ギブギブ! 生意気言ってすみませんでした!」
わかりゃあいいんだよと、昴さんは手を離す。
腹を抱えていた富永さんも、ようやく笑いをおさめようとしていた。
当の英介は、小腹が空いたと食堂の冷蔵庫を漁っている。
「あー、タカも言うようになったなぁ。面白い」
クツクツと富永さんは喉を震わせる。
昴さんの態度の理由は、やっぱり嫉妬のせいらしい。
可愛い後輩の英介が、誰かとくっついてしまったのが悔しいのだろう。
自分は方々に愛を囁き振りまいて、来る者は拒まないくせに、お気に入りをとられるのは癪に障る。
「どっちがガキだよ、まったく」
俺の言いたいことは富永さんが代弁してくれ、昴さんはうるさいと子どものような返事をした。
子どもっぽいくせに、妙な気は回してくれるようになった。
俺と英介の関係を知らせてから、昴さんは英介に過度のスキンシップをしなくなった。
以前なら、一発どうよ的な発言は普通だったのに。
昴さんには昴さんなりの流儀があるのだろう。
その自制で溜まったストレスが、俺にくるわけだ。
「馬越さん、このプリン食ってもいいっすかー?」
厨房からは平和な声。
いいよと言う返事を受けて英介が歓声を上げながら食堂の方へと戻ってきた。
「昴さん、半分こね」
「おぉ、サンキュー」
会話だけは可愛いが、甘く見ていたら痛い目を見る我らが誇る2トップは一つのプリンを仲良く半分ずつ分け合っている。
「お前も妬くなよ、タカ」
「妬いてません」
富永さんは細めた目に、黒縁のシックな眼鏡を掛けた。
再びパソコンの画面を開き、おそらくは依頼を受けている雑誌か新聞の記事を書き始める。
その合間に俺たちをからかって、サッカーをして、ファンサービスをして。
この選手会長も暇じゃない。
「頑張るしかねぇなぁ」
カタカタとキーを叩きながら、富永さんが溜め息交じりに小さく呟いた。
「是非スタジアムへ、なんて英介が言うんならファンはスタジアムに来るだろうよ。それでゴールを見せたいって英介が言うんなら、俺らが アシストするしかねぇだろ。こりゃあ、頑張るしかねぇなぁって」
溜め息には楽しげな雰囲気が滲み出て、眼鏡の奥の双眸も悪戯っ子のように輝く。
ファンへ向けた英介の優しさは、同僚達の闘争心に火を点ける。
周りがそういう心積もりでいるのなら、俺は週末のスタジアムで誰よりも英介のゴールに貢献するプレーをしなければならない。
週末、英介からのメッセージを受け取ったファンはスタジアムに集う。
彼彼女らに認めてもらえるプレーをしよう。
俺も、英介と共にあることで勇気と安心感と幸せをもらっている。
それをみんなに伝えるためのアシストを。
俺が英介の最高のコンビネーションを、万単位の人たちに見せ付けてやろう。
言葉足らずの俺が伝えることのできる、最大限の表現方法で。
2005/05/21
坂本さんの娘を書くのが楽しかったです。子ども好きなタカ。英介の優しさはあんまり上手く表せなかったです。優しくないのか……(笑)