自覚症状


いつからだっけ?

傍にいるのが当たり前だって思い始めたのは。


「荷物持ちジャーンーケーンでぇ、ホォイ!」
 十七歳以下日本代表のロッカールームに、奇妙な掛け声が響き渡る。
 一拍の間を置いて、完成と絶叫が続いていた。
「ほらな? 言い出しっぺが負けるんだって」
「湯浅コーチ、頑張ってー」
 賑やかなギャラリーに囲まれて対峙しているのは、江口英介とその父親くらいの年齢の湯浅ヘッドコーチだった。
 二人とも拳を腰のあたりで構えている。
「っしゃ! ジャーンーケーンで、ホォイ!」
 勢いよく突き出された湯浅の手はチョキ、英介の手はパーだった。
 その結果がロッカーを爆笑の渦に包む。
 湯浅は大人気なくもガッツポーズで喜んで、ハイタッチまで始めている。
 負けた英介はその場に蹲り、恨めしそうな視線をコーチに向けている。

 AFC U-17選手権出場のための遠征。
 練習後のロッカールームで、大量の洗濯物の荷物持ちを賭けてジャンケンをしようと言い出したのは英介だった。
 そして負けたのも英介だった。
「もー、信じらんねぇ」
 ぶつくさ言いながら自分の荷物を入れたカバンを肩に掛け、ロッカーの中央にデン! と置かれた荷物に手をかける。
 パンパンに膨れ上がったゴミ袋の中には、脱ぎ捨てられた練習着が詰め込まれている。
 勝負はついたとばかりに、他のメンバーはゾロゾロと部屋を出てバスに向かっている。
 今回の代表は同年代だけが召集されているから、遠慮がないのだ。
「ちょー、誰か手伝おうとか思わねぇのかよ!」
「言い出したのお前だろ。自分の言動には責任持とうぜ、えっちゃん」
「うっそ! 薄情しぎねぇ? こんなに持てねぇって!」
 バイバイと手を振って、スタッフも部屋を出て行く。
 信じられないと呟いて英介は、はちきれんばかりのゴミ袋を抱えるが、もう一つの袋が持てない。
「あ〜! もう!」
 腕をいっぱいに伸ばしてなんとか二つの袋を抱えようとするが、上手く行かない。
 四苦八苦していると、ひょういっと一つの袋が宙に浮いた。
 驚いて顔を上げると、呆れた顔の高山浩二が立っていた。
「……あ、ありがと」
「おう」
 片手で荷物を抱えて先をスタスタ歩き始める高山に、英介はパタパタと着いて行く。
 一回り大きな背中は、同い年とは思えないほどしっかりしていて頼り甲斐がある。
 日本代表として召集された十七歳には、いろんな十七歳がいる。
 英介は決して呑臭い方ではないし、特別不器用と言うわけでもない。
 ただ、メンバーの中で最も小さく発達しきっていない体が、時に遅れをとることがあるだけだ。
「なぁ、タカー」
「んー?」
 高山の大きな歩幅に早足で着いて行きながら話し掛けると、少し視線を下げてくる。
「俺って見てらんない?」
「は?」
「いや、見てらんないから手、貸してくれるのかなと思って」
「別に。困ってそうだなって思ったから」
「……サンキュ」
「いいよ」
 口数は少ないが、高山は自分のことを馬鹿にするでもなく真剣な答えをくれる。
 いい奴だなぁと思いながら、荷物を待っていたスタッフに渡してバスに乗り込む。
「また、タカは英介の世話焼いてんのかよ」
「お前は英介の兄貴か」
 乗り込んだ途端にそんな一斉攻撃を受ける。
「うるせぇな! タカはお前らと違って優しいんだよ。ハートが違うんだ。ハートが」
 前の方に空いていた席に座りながら、後ろを見渡して舌を出す。
 英介はからかいの対象にもなるが、みんなから愛されている。
 英介の存在があるから、チームのムードが明るくなるのだ。
「タカ、英介の兄貴会ったことある?」
 バスが発進してから、後ろの席から話かけられる。
 この代表チームが結成された当初は、寡黙で無表情な高山に積極的に声をかける者は少なかった。
 英介と一緒にいることが多くなってから、高山の周りにも輪ができるようになった。
「応援とか送り迎えに来てるのは見たことあるけど」
「すっげぇぞ。英介兄は」
「凄い?」
「俺、一回泊まりに行ったことあるんだけどさ、もー、すっげぇブラコンっぷりで」
 英介の兄は大手スポーツメーカーに努めていて、英介の十歳年上だ。
 父親似だと言う兄は、英介のようにぱっとした華やかな顔立ちとは違い、地味ではあるが好青年らしい容姿だ。
 仕事もできるし見た目の通りの好青年だが、ブラコンだという点が唯一最大の欠点になっている。
「どういう付き合いなんだって、根掘り葉掘り聞かれた。そんで更には、英介に変な虫がたかってないかって尋問されるんだ」
「俺もそれ、聞かれた」
 そんな声が他にも数名上がる。
「過保護なんだな」 
 前の席の監督も面白そうに振り返り、話に参加してくる。
「兄貴だけだよ。過保護なの」
「親はそうでもないんだ?」
「うん。母さんなんか好きにしなさいってタイプ。父さんは心配そうにしてても、あんまり言ってこない。その分兄貴が激しいんだ」
 恥ずかしそうにしながら、不本意なんだと訴える。
「昔、悪さしてたんじゃねぇの?」
「してねぇよ。サッカーばっかりだし。でも小学校の頃に女みたいっていじめられたことがあったから、それ気にしてんのかも」
「えっちゃん、いじめられてたの?」
「ちょっとだけ。すぐにサッカーで負かしてやったけどさ」
「足を怪我した時も心配かけたんだろうが」
 可愛い娘を持つ監督には、兄馬鹿な英介の兄の気持ちが多少わかるのかもしれない。
 兄の肩を持つような言い方だ。
 英介は中学生の頃に交通事故で全治六ヶ月の怪我を負って、一時期サッカーから離脱したことがある。
「あー、心配かけたかも。でも、俺もう高校生ですよ? なのに夜遅くなると心配するし、夕方とかにロードワーク行こうとしたら、危ないからってついて来るの。過保護すぎるって!」
 危ないと思う気持ちはわからないでもないな、とバスの中にいたほとんどの人間が思ったが口にはしない。
「英介、家でもタカの話とかするだろ?」
「するよ?」
「ぜってぇ、気にしてるよ。タカのこと。どんな奴なんだ〜って」
笑いに包まれたバスの中は、それからホテルまで兄弟や家族の話で盛り上がっていく。
「そんなに兄貴、すげぇの?」
 勝手に盛り上がり始めた背後は放っておいて、高山は英介に尋ねる。
 会話したことはないが、そこまで激しい性格の男には見えなかったのだが。
「凄いと思う。妹も凄いけど」
「あぁ、英介って三人兄弟の真ん中か」
「そう。妹が一個下で、こっちの方が激しい。俺のことえっちゃんって呼ぶし、寝てる間にマニキュアとか塗ってくるし、兄貴の過保護具合を叱るし」
「賑やかだな」
「タカは一人兄弟だもんなぁ。それもちょっと羨ましいけど」
 大家族の英介とは違い、高山は父親との二人暮らしだ。
 育った環境も性格も全く違う二人だが、移動の際の席は必ず隣同士になっている。
 英介は相槌すら少ない高山にかまうことなく話を弾ませ、時々喋りすぎたかなと言うように高山の表情を窺う。
 ただ視線が一瞬合う。それだけのことに英介は安心して、話を続ける。
 時々、高山が喉を震わせて笑うと、英介の頬に笑みが浮かんだ。

 そんな、他愛のない会話をした時から?



  クルクルと、ホテルのドアは回っている。
 回転ドアだ。
「……怖いー」
 ぼそりとバスを降りて呟いた英介は、このドアに到着した日に額を、今日の練習へ向かうときには踵をぶつけている。
「ホラ、行くぞ」
 躊躇している英介の背中を高山が押す。
「えっ! ちょい、待って!」
「ホラ」
「ぎゃー!」
「回転ドアくらいで騒ぎすぎ」
 ひょいと英介の脇に手を差し入れて抱え上げると、すっとドアの間に入って、抜ける。
 エントランスに入ってから高山は英介の体を下ろした。
「まぁた、高山は江口の世話を焼いとんのか」
「いつまでもホテルに入れないと困るでしょう」
 後ろから湯浅コーチが笑いながら通り過ぎていく。
「……ちょっと、今のは、強引すぎない?」
 真っ赤になってしまった英介は、礼より先に文句を口にする。
「確かにあのドア苦手だけどっ、ドアくらい自分でくぐれるんだよ!」
「そりゃ、悪かった」
 あっさり非を認められては、英介は何も言えなくなる。
 荷物を抱えなおして、去り際にはありがとうと小さく言った。

 あの時から?


 「何持って来た?」
 ホテルに帰って夕食をとって、やっと訪れた自由時間。
 何故かみんなが続々と英介の部屋にやって来た。
 誰かが持って来た小型のDVDをさっそくテレビにセットして、持ち寄ったディスクを吟味し始める。
「誰だよ、リングとか持って来たの!」
 そう叫んだのは英介で、
「俺」
 挙手したのは樋口夏木だった。
 意地悪そうな笑みが浮かんでいる。
「決まりだな」
「えぇ?」
「リング見よう」
「ヤダ!」
 猛烈な抗議に、部屋に集まった面子は気が付く。
「リングがいい人〜」
 夏木が同意を求めれば、は〜いと声を揃えて手が上がる。
「ヤダ! リング見るんなら、他の部屋で見ろよ!」
「ヤダ〜。俺はえっちゃんとリングが見たいよ」
「鬼! 悪魔! いじめっ子!」
「なんとでも言いたまえ。ホラ、始まるよ」
 そして若い日本代表の映画上映会は始まった。
 画面は最も恐怖心を煽るシーンに突入する。
 嫌がっていた英介は固唾を飲んで画面を見ていたが、そのシーンになると顔を抱えていた枕に伏せる。
 しかし、そろそろと顔を上げる。
 怖いのなら見なければいいのに、好奇心がそうさせるのだろう。
「……うぅうう」
 泣き出しそうな呻き声をあげて、そのシーンが終わってから顔を伏せる。
 面白いなぁと、部屋にいるほかの連中は画面ではなく英介を観察していた。
 そこへコンコン、とドアをノックする音が飛び込んでくる。
「うあぁあああ!」
「うお、なんだなんだっ?」
 英介の悲鳴を聞いて、飛び込んできたのは湯浅コーチだった。
 ノックのタイミングと英介の悲鳴とで流石に一瞬固まった面々も、一拍置いて笑い出す。
 爆笑に包まれた部屋とテレビに映っている映画を見て、悲鳴の意味を理解すると湯浅も笑いを零す。
「怖いなら見なきゃいいのにな。そろそろ寝るようにしろよ。明日の予定はわかってるな」
「はーい」
「調子整えとけよ。何かある奴は早めに申告すること」
「はーい」
「英介、大丈夫か?」
「……大丈夫です!」
 罪のないコーチを睨みつける。
 笑いながら部屋を出た湯浅に続き、たむろしていた連中も引き上げ始める。
「英介、一人で寝れるのか?」
「トイレついてってやろうか?」
「ふっざけんなよ! 明日、ぜってぇ練習でしめてやる! 夏木! お前、絶対股抜きしてやるからな!」
「はいはい。タカ、後頼むわ。おやすみー」
「おやすみ」
「さっさと寝ろ! 呪われちゃえ!」
 パタン、と扉は閉まり部屋はすっかり静かになる。
 残ったのは、部屋の主である英介と高山だけだ。
 高山は枕を抱えたまま動かない英介をちらりと見る。
 愛され気質も、時には不幸なものだなと思ったり。
「寝るか」
「……おう」
 モゾモゾと布団の中に入って、丸くなる。
「電気消すぞ」
「サイドランプは点けといてもいい?」
「いいよ。おやすみ」
「おやすみ」
 暗闇に耐えられないらしく、薄明かりが灯ったままの部屋で横になって数十分。
 部屋の外での物音に敏感になって、布団が揺れている。
「……英介」
 見ていられなくて声をかけると、ひっと悲鳴が喉の奥で絡まったような声が答えた。
「寝れないんだろ」
「……ごめん」
布団から顔を出して、心もとなげな表情を見せる。
「本当に駄目なんだな。ホラー映画」
「……頭ん中でまだ映画流れてるんだけど」
「フィクションだろ。考えすぎるな」
「……うん」
 高山は体を起こして、英介の気分を変えようとする。
 けれど口下手な高山に気のきいたことは言えない。
 奇妙な沈黙を破ったのは英介だった。
「……タカ」
「ん?」
「一生のお願いがあるんだけど」
「何?」
 がばっと英介も起き上がり、薄暗い中でもわかるほど頬を赤く染め、けれど真っ直ぐに高山を見る。
「一緒に寝てくんないっ?」
 決死の覚悟で口にしたらしい言葉を、高山は瞬時には理解できず返事に窮した。
 それを困惑や拒絶と思ったのか、英介は慌ててやっぱり嘘だと前言を撤回しようとする。
「あ……、いや。別にいいぜ? ちょっと狭いけど、お前小さいし」
「……ありがと」
 ベッドの端により空いた場所をぽんと叩いて促せば、安心したような照れ臭いような表情を浮かべてベッドに上がりこむ。
 シングルベッドが二人分の体重を受けて軋む。
 いくら英介が小柄だからと言って、さすがに二人が転がれば狭い。
「やっぱ狭いか」
「ゴメン。やっぱり俺、あっちで寝る」
「大丈夫だろ。もっとこっち来て。落ちるなよ」
 ゴソゴソと布団の中で動いて、なんとか落ち着くポジションを探し当てる。
「……ちょ、近い?」
「や、でも、じゃないと落ちるし」
「気になんねぇ?」
「俺は大丈夫だけど」
「俺も、大丈夫」
 落ち着いたのは思ったよりも近い距離で、目を合わせようと英介が顔を上げれば謝ってキスになってしまうような、そんな距離。
「寝ろよ」
「うん」
 言われて目を閉じれば、驚くほど近くに鼓動が聞えた。
 決して耳障りではなく、ぴりぴりしていた神経が休まるような音。
 二人の体の間で縮こまっていた高山の腕は、思い切ったように伸びて英介の背中を抱いた。
 広がった安堵の波に素直に身を任せると、英介はすぅっと眠りの中に引き込まれていった。
 その寝息を聞いて、高山は呆れ混じりの溜息を一つつく。
 大家族で育った英介だから、極近距離に人の気配がある夜なんて言うのは珍しくないのかもしれないが、高山は慣れない。
 合宿の雑魚寝も本当は苦手だ。
 繊細と言うわけではない。
 家に人の気配が滅多にないから、慣れないのだ。
 自分でOKしといてなんだが、十七歳の男子高校生が狭いベッドで添い寝して安心できるものなのかと不思議に思う。
『俺、中子なんだけど、末っ子並に甘ったれなんだよね』
 バスの中でそんなことを言っていたことを思い出した。
 なるほどね、納得だ。
 それにしても、こいつ、体温高ぇ。
 ぬくぬくして気持ちがいい。
 

 そんなことをつらつら考えているうちに、いつの間にか眠りについていた、あの夜から?


 ざざっと芝を削るような音をたてて、英介の体が吹っ飛んだ。
 ホイッスルが鳴って、英介を吹っ飛ばした選手にイエローカードが出された。
 ペナルティエリアぎりぎり、ゴール斜め前の絶好のフリーキックを得る。
「っしゃ!」
 起き上がりながら英介が声を上げる。
 アウェイ用の白いパンツに芝の緑がこびり付いていた。
 汗で濡れた頬にも芝が付着しているが、本人は気にした様子もない。
「タカ、決めてくれ」
 自分でボールを追い縋り、二人のディフェンダーに囲まれても粘りに粘った末にとったFKを、英介は高山に託す。
 突き出された拳に自分の拳をぶつけて、信頼を受け取る。
 荷物がもてないと困惑していた顔、回転ドアに躊躇していた顔、ホラー映画に怯えていた顔も、嘘のよう。
 幼さは消え失せ、ゴールに飢えた獣の目をしている。
 前へと向かうその姿勢に、チームは感化されて強くなる。
 高山がボールをセットし、数歩下がる。
 張り詰めた空気の中、高山が走り出した。
 独特の弧を描く助走でボールを蹴り上げる。
 ゴールの端を目掛けてぐっと落ちる高山のセットプレーは、見事に落ちてキーパーの手をすり抜けゴールネットを揺らした。

 百パーセントの信頼を託された時から? 

 FKを決めてから、これ以上ないほど嬉しそうな笑顔を向けてきた時から?


 決勝のスコアは二対三と逆転を許し、残り時間もあと僅かになった。
 焦りが足の動きを鈍くし、判断力も低下させる。
 呼吸が圧迫されたように苦しくなり、胸に諦めが過ぎり始める。
「前向け! 前! まだ試合は終わってねぇんだよ!」
 そんな中でピッチに響く声。
 切れ切れの呼吸を押し殺して叫ぶ英介は、動き出したボールを追う。
 見せ付けられるのは、その圧倒的なスピードと瞬発力だけではない。
 十七歳とは思えないほど強靭な精神力。
 途切れない集中力。
 どうしても劣るフィジカルを補うだけのメンタルを、英介はもう備えているのだ。

 自分にないものを、英介に見た時から?


 ピッピッピー!
 ゲームの終わりを告げるホイッスルが鳴り響いた。
「……ふ、ぅっ」
 膝を折っていくイレブンを眺め、高山も空を仰いで重い溜息をついた。
 そしてすぐ近くで聞えた、押し殺したような泣き声に気が付く。
 さっきまで声を張り上げて激を飛ばしていたのに、敗戦が決まった途端にボロボロと涙を零し始めたストライカーは、声を殺して何度も涙を拭いながら整列に加わっていく。
 涙を押し止めようとする努力は打ち砕かれ、苦しそうな嗚咽が聞えてくる。
 こんなにも小さい体で、九十分間を戦い抜いたのか。
 驚きと同時に、羨望が生まれてくる。
 この強さを羨望し、嫉妬する。
 それを踏み台に、高山もまた強くなろうと前進する力を手に入れるのだ。
 ぽんっと頭に手を置くと、感染したように悔しさが込み上げてくる。
 勝てなかったことへの悔しさ。
 タイトルが獲れないことへの悔しさ。
 ミスをしたことへの悔しさ。
 まだまだ力不足の自分への悔しさ。
 まるで湧き水のように、英介の傍にいると様々な感情が込み上げてくる。
 もっと強く、もっと上手く。
 貪欲になれる。
 表彰式が始まる。
 優勝国チームの選手の首にかけられていく、金色に輝くメダル。
「次は、アレ、獲ろう」
 くしゃっと柔らかな髪の毛を掻き乱した。
「おう」
 赤くなるほど目元を擦って、目の前の表彰式をしっかりと見据え英介は答えた。

 それでもまだ溢れて、大きな瞳を潤ませた涙を見た時から?



『……タカ? 今、いい?』
「ん。大丈夫。なに?」
『オファー、どれくらい来た?』
「オファー? 言うの?」
『えっ。言いたくないならいいんだけど……』
「いや、いいよ。鹿児島と高知と神戸」
『どこ行こうかとか、決めた?』
「監督や親父と考えてるところ。まぁ、大学は考えてないからどっか入りたいけど」
『そっか』
「お前、もっと来てるだろ?」
『えー、そうでもない。同じくらい』
「決めた?」
『ううん。まだ……なんだけど』
「なに?」
『いや、別に』
「らしくねぇな。どうした?」
『あー、あのさぁー』
「ん」
『俺さぁ、タカのサッカー、好きなんだよね』
「……」
『そんでさ、タカの性格も好きなんだよね』
「……」
『黙られたら困るんだけど、たぶん、タカ、何言っていいのかわかんないと思うから続けるな? そんで、えっと、俺は、タカのこといい友達だと思ってるわけ。だから、できたら一緒のチームでサッカーしたいわけ。勿論、仲がいいからってずっと一緒のチームにいられるわけじゃねぇし、いつかバラバラになることだって覚悟してるんだけど、最初のちょっとの間くらいは一緒にいたいんだ』
「……」
『だから、さ。どこ行くのかなって』
「……」
『嫌なら言わなくてもいいけどさ』
「……」
『いいかげん、何か言ってよ。微妙に傷付くんだけど、この沈黙』
「……あ、あぁ……。って、言うかさ」
『んだよ』
「お前、ストレートすぎるんだよ。言い方が。すっげぇ、照れる」

 そんな電話があった日から?


 入団会見の会場で再び同じユニホームを纏い、拳を付き合わせたあの頃から?
 俺のコーナーキックを、地面に並行に飛ぶヘディングで得点に繋げてプロ入り初得点を決めたあの瞬間から?
 ブラジルに行くと言った俺の背中を、痛いほど強い力で叩いて送り出してくれたあの日から?
 契約を打ち切られて帰ってきた俺を支えてくれた、あの雨の日から?
 疼き始めた恋心を、勢いに任せるように告白しあった合宿所から?

 気が付けば、傍にいる。



「何、ニヤニヤしてんだよ。気色わりぃ」
 胡散臭そうな視線を寄越してくる英介は、真正面。
 さっきから親に頼まれたのだと言う大量の色紙にサインを書き続けていたはずなのに、いつのまにか振り返っていたらしい。
「昼間っからトリップしてんなよ。キショイよ」
 眉間に皺を寄せ、ベッドの上で壁に背をつけて座っている高山の顔を覗き込んでくる。
「ちょっと酷くないか?」
 さすがに気色悪いと連呼されれば、図太い神経の持ち主でも多少ショックを受ける。
「やらしーこと考えてたんだ?」
 意地悪い笑みを口唇に浮かべる。
 その背後のテーブルには、まだ半分ほど残っている真っ白の色紙。
「考えてたこと、実行してもいい?」
「よくない」
「即答かよ」
 ごつ、と壁に後頭部を押し付ける。
  距離は縮まった。
 暮らしていた環境は、壁一枚隔てたものに。
 戦う場所は、同じピッチに。
 精神的な距離も近付き、心の壁はほぼゼロに。
「何で笑ってた?」
「昔のこと思い出してたから」
「年寄り臭いな」
 クスクスと笑う英介の肩口で、少し伸びたチョコレート色の髪の毛が揺れる。
 手を伸ばして頬に触れると、大きな瞳が何だよと強気に語る。
「俺はいつから据え膳前に大人しく待ってるんだろ、と思って」
 この気持ちを、本当に自覚したのはいつからだろう。
 壁から背を離し、伸ばした手でやんわりと英介を抱き締める。
 想いを伝え合って数ヶ月。
 未だに英介は奥手のままで、二人の進展はキス止まり。
 抱擁だって、少しでもセクシャルな匂いを感じると逃げ出してしまう。
 だから、悶々とした想いは隠して柔らかく抱き締める。
 甘えるように首筋に頬を擦り付けると、珍しい仕草が可笑しいのか英介の体が震える。
 頭上から笑い声。
 子供がするような抱擁でも、英介が相手だと気持ちいいと思う。
 絆されてるのか、と思ってしまわないこともない。
「英介」
「なに?」
「お前、犬の躾方知ってるか?」
「知ってるよ。実家、犬いるもん。セントバーナードのリベロ。タカも知ってんじゃん。アイツ、利口だろ?」
「犬の躾方の大原則は?」
「言うこと聞いたらご褒美あげる」
「正解」
「なんなんだよ」
「俺にもいいかげん、ご褒美ください」
 腰を抱き上げ膝立ちにさせると、英介の顔の方が上になる。
 時々美味そうだなと思ってしまう色の髪の毛から覗く耳が、真っ赤になっている。
 いつも人を真っ直ぐに見つめる瞳は、そわそわとあらぬ方向を彷徨っている。
 高山だけが顔を上げると、目の前には日に焼けた喉。
 舌を伸ばして舐めると、ぎゃっと色気の欠片もない声を上げて高山の頭を押さえつける。
 もう、本当に、このお子様は。
「キスだけでいいから。今日は」
 英介のシャツを歯で引っ張ってみると、頭を押さえつける手は退かされた。
 英介は高山のお願いに弱い。
 そんな弱点を知りながらも、その術を利用できない高山は根本的に英介に弱いまま。
「キスだけだからな!」
 出会った頃からあまり変わらない英介と、出会った頃に比べたらよく喋るようになった高山は現在進行形で傍にいる。

 気が付けないほど自然に、当たり前に、隣にいるのは君。


まだタカの本願が叶っていない頃の話。だんだんとタカがエロ親父みたいになってくるので、そろそろお初の話も書かんと呪われそうだ(笑)
私の中でこの二人は、ピッチを降りたら英介が馬鹿な飼い主、タカが飼い主よりも頭がいい大型犬、みたいな感じです。
ちらっと会話の中に出てきた犬の名前は、従兄弟の家の犬の名前です。セントバーナードではなくて、カンガルーみたいなレトリバーみたいな奴。すっげぇうるさくて、マジでうるさくて、可愛いんだけどアホな犬です。ちなみにリベロはサッカー用語で「マークについていないセンターバック」です。

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