2006独W杯記念企画
FEVER PROJECT

終わってしまったワールドカップ。
サムライの残してくれた結果に満足できますか。
できないのならまた走り出そう。
悔しさを飲み込んで痛みに耐えて、この島国のサッカーはもっと強くなる。
のっかって開催してきましたこの企画もこれで打ち止め!
四年後には喜びを表すSSを書きたいぞ!

Three night sighs


 列島が一つのスポーツに釘付けになった三夜。
 深夜のスポーツバーは人で埋まり、眠い目をこすりながら未来のサッカー少年達もテレビの前で祈りを捧げた。
 そして三つの夜明け、人々は溜め息と失望で空を白く明けさせた。
 熱視線を送った日本代表は帰国し、それぞれのチームに戻っていった。
 遠いドイツの地で続くハイレベルの熱戦に、笹岡もまた釘付けの日々を送り、業務に多少の支障を感じていた。
 欠伸を噛み殺しながら、同じ姓を名乗ることになった幼馴染の待つ2DKの慎ましき我が家のドアを開けたのが昨日のこと。
 玄関には男物の靴。
 不穏な空気よりも喜びを感じて飛び込んだ狭いリビングで、先日までドイツで青いユニホームのエースナンバーを背負っていた親友が眠っていた。
 その傍らで、大きなおなかを抱えた妻がそっと口元に手を当てる。
 手元には広げられた絵本。
 読み聞かせの練習をするのだと、演劇部出身の妻が柔らかな声で読み上げた『赤頭巾ちゃん』が、彼の子守唄になったらしい。
 家に帰ったら、自分の不在中に男が上がりこんでいて、妻の読み聞かせを子守唄に眠っていた。
 それがあの江口英介だなんて、最早どこから突っ込めばいいのかわからない。
 それでもそこに英介がいるのが嬉しくて、笹岡の顔には微苦笑が浮かんだ。
「おかえり」
 随分と遠いところから。



 サイドを駆け上がった英介がボールを受け、二人のディフェンダーを抜いた。
 最後の一人をかわしざまに振りぬいた右足が放ったシュートは、キーパーの股を抜いてゴールラインを割った。
 英介はまるで獣のように一つ咆え、それからスタンドの青をぐるりと指差し、その手で自分の左胸をトンと突いて笑った。
 その体が見えなくなったのは、小さな体がチームメイトの抱擁に覆われたせいか、自分達の視界が滲んだせいか。
 あの瞬間の喜びを忘れないだろう。
 嬉しくて泣いたのは何年ぶりだっただろうか。
 それでも、日本代表は前大会の記録を塗り替えることができず、敗退となった。
 敗退が決まった瞬間、英介は痛いような顔をして俯き、そのままピッチに膝をついた。
 悔しさを隠し切れず、目の淵を赤くして歯を食いしばり、深くサポーターに頭を下げた。
 残酷なシチュエーションとなったインタビューでは、どこか放心したような眼差しをマイクに向けて、ただ一言、悔しいと振り絞るような声を出した。
 涙をどこから出せばいいのかすらわからなくなったような、そんな痛々しい表情の英介を、笹岡たちは見たことがなかった。
 欠点は多々上げられて、世界との差を確かに感じて、批判の声も多く上がった。
 そして、帰国した選手を空港で迎えたのは慰労の声だった。
 その後のインタビューで、英介は彼らしくないと言われるほどに口数が少なかった。
 これまでとは違う状況に英介はいる。
 世界を見上げる立ち位置を実感し、及ばなかった自分達の力を噛み締めている。
 あの時、もっと早く走れていれば、強引にでもシュートを打っていれば、あのボールを追いかけていれば。
 尽きないもしもを並べながら、英介は出口を探しているのだ。
 四年後への出口。
 明日への出口。


 それを探しに笹岡邸へとやって来た英介はそのまま眠り続け、チームから数日の休養を貰っているのだと事情を聞けたのは翌朝だった。
 高山浩二はどうしたのかと尋ねれば、休んでるんじゃないのかと素っ気無い返事があった。
 喧嘩でもしたのかと思えば、そうではないらしい。
「今は離れてないと駄目なんだ」
 思いつめたような口ぶりで言うから、なんでと突っ込んでしまった。
「どっちかがしゃんとしてるんならいいけど、どっちも折れてる時に俺らは一緒にいたら駄目だ。慰め合ったら、終わる」
 会いたい。
 会って、ボールを転がしあって、くだらないことで笑って、触れ合いたい。
 そんな本音が、頑なに合わせようとしなかった瞳の奥で揺れていた。
 立ち直るのにお前の手なんか借りねぇよという姿勢は、英介と高山には似合いのものなのだろうけれど。
 家族でもなく、高山浩二でもなく、一番苦しくもどかしい時を一緒に過ごした高校時代の友人を選んでくれた英介に、してやれることがあるとすれば一つだ。
 『英介がサッカーをしたいと言っている。集合せよ』
 簡潔なメール文がびゅんびゅんと夜空を飛び交った。




 汗を流した。 
 六月下旬の校庭。
 梅雨の晴れ間。
 昼下がりの炎天下。
 汗は水分をとった分だけ流れていって、顎の先からボタボタと流れた。
 OBや現役高校生を相手に英介は数本のミニゲームを容赦ない力量を見せつけながら消化して、もう何点入れたかわからない。
 駆けつけた同窓生の女の子達が、リタイヤしていった者に急いで水分を与えている。
 陽炎の立つグランドに立つのは英介一人。
 日陰でのびた笹岡の聴覚には、どっというインパクトが聞こえてくる。
 まだ動き足りないと、英介は笹岡たちに背を向けたゴールに向かって黙々とシュートを打ち込んでいた。
 ピッチの中で対峙して、英介との距離を痛感した。
 その英介は、世界との距離を感じて、自分の力不足を胸に刻みつけて、絶望するのではなく前へと進もうと足を踏み出し始めた。
 汗を吸って色を変えた水色のTシャツの背中が、遠く大きく見える。
 じりっと腹の底が焦げるような嫌な気持ちを感じた。
 英介は同じような気持ちをもっと強く深く感じている。
 重圧も申し訳なさも、不甲斐なさも。
 サッカーでは無名だったこの高校で、英介は走り続けて進化して輝いて見せた。
 フットボーラー江口英介の原点となった地で、世界において無名の自分を感じ、それでも走り出す。

 スニーカーが地面に吸い付き、もう一方の足が力強いスイングで振られる。
 ボールの芯を捕らえゴールへと放つための体の動きは絶妙で美しい。
 ボールは全て錆付いたゴールの枠の中に吸い込まれていく。
 足元に転がっていた最後の一球は、破裂しそうな爆音を立ててゴールネットに突き刺さった。
 それと同時、英介の喉が叫びを上げた。
 悲しみや怒りを込めたソレではなく、放出しきれずにいる熱を発散させるような咆哮。
 喉を破りはしないかと不安になる大声を上げた後、英介は汗まみれの両手で顔を多い、しばらく沈黙した。
 殻が破れる。
 失意や不安でできた、殻が。

 もっと。

 もっと、強くなれ。

 英介。

 もっと、もっともっともっともっと。


 お前が、自分自身の弱さに悲しむことがないように。
 お前に笑っていて欲しいから、お前にはもっと強くなって欲しいのだと勝手な願いを課す。
 お前は応えるだろう。
 俺達は、痛みを覚えるだろう。
 頑張っているお前に、もっと頑張れと鞭を振るう勝手さに。
 頑張れと叫ぶ声は、それが走る者への重圧になることを覚悟しなければならない。
 それでも叫ばずにはいられない人たちの思いを選手は知る。
 頑張れ、走れ、勝ってくれと喉を嗄らす人々もまた、叫ぶことで痛みを感じる。
 よくやったと激励の声を掛けたいのを耐えて、もっと頑張ってくれよと勝手な願いを託す。
 痛みを覚悟して。
 その先に、開く扉が必ずある。

「もっと」

「強くなる」


 力強い囁き。
 地面に足をつき、堂々とそこに立つ背中に視線が引き寄せられる。
「……あ」
 不意に景山が自分の腹部に視線を戻した。
 妻の突然の仕草に敏感に反応した笹岡がどうしたのかと尋ねれば、
「今、蹴った」
 驚いたように自分のおなかを摩り、笑った。
「マジで?」
「蹴ったの、初めて?」
「そう。あ、また蹴った」
 高校時代、美人でクールだった景山の表情にじわりと母親の喜びが滲んだ。
「あーあ、こりゃあ、立派なサッカー少年だか少女だかが生まれてくるぞ」
「英介のせいよ」
「パパの遺伝子だろ」
 英介に肘で突かれた笹岡の表情にも、いつもの飄々とした雰囲気とは違う、照れ臭そうな笑みが浮かんだ。
 英介は汗を拭い、親友の妻の腹部にそっと手を添える。
 他の男にはなかなかできないような接触でも、英介なら自然に見えるし不快感もないし、何よりもそれが許される仲でもある。
 英介は微笑む。
「早く出ておいで。最高に面白いもんがこの世にはあるから、それを俺が見せてあげるよ」
 ね、と景山の顔を覗き込む。
「親子二代で英介の影響受けちゃったか。責任とってよね」
「とるとる。ササはもう知らないけど、この子が物心つくのって六年後くらいだろ。十分現役でいけるじゃん」
「もう知らないって何。そんで、俺の子の責任を英介にとらせるって、何」
 ないがしろにされた笹岡に対して、ゲラゲラと賑やかな笑い声が上がった。
 ほんの数日前の三試合で、日本代表フォワードの江口英介は日本中に、そして身近な人たちに悲鳴と落胆と失望を与えた。
 我らが親友の英介は、休日の河川敷に充実感と安堵と希望を抱かせる。
 ドイツで失くして来たものが、今ようやく英介のもとに戻ってきた。
 おかえりと、英介の魂に笹岡は胸の中で告げた。


 勝利の女神は時に残酷だ。

 容赦なく、いい男達を振る。

 それでも彼女に微笑んで欲しくて、何度つれなく振られても、どんなに残酷に努力を手折られようとも、彼らは戦うことをやめない。

 テレビでは既に後任監督候補の名前がツラツラとあがってきている。

 もうすぐ国内リーグも再開される。

 日本のサッカーは前へと進む。

 ドイツで戦ってきた選手も関係者も、それぞれのペースで前を向こうと、思い思いの時間を過ごし、またボールを追いかけ始める。



 サッカーに抉られた傷に、サッカーの喜びは沁みて、その歓喜を倍にする。

 二〇〇六年六月。

 三つの夜の溜め息は、いつか歓喜に生まれ変わることを夢見てプレーヤーとサポーターの胸にひそむ。


悔しさを継いで、歴史を重ねて、歓喜を目指して。
これからもサッカーが好き。
日本のサッカーを愛してる!

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