グラウンドを囲んでいたギャラリーも立ち去った夕刻、頭上でカラスが鳴いた。
ふっと集中力が切れかけるのを自覚して、高山が居残り練習に付き合ってくれた内田に向かって、礼を言った。
「おーつかれー。際どいところに入るようになったな」
「枠ん中に飛ばないと意味ないですけど」
「実戦で使えるかどうかだ。あがるか」
「はい」
滴る汗をタオルで拭いながら、そろってクラブハウスに足を進める。
練習グラウンドのラインを超えるか超えないかのところ、高山がぴたりと立ち止まり、息を呑んだ。
「どうした?」
問いかけた内田の方にゆっくりと視線を流した高山は、滅多にないほど狼狽したそれに、内田の方もぎょっとする。
「……や……っべ」
のろのろした動作で口元を覆って、汗を流したグラウンドを振り返る。
「なんだよ」
「……ぉ、わ、まじ……、やべー」
どうしたのだと、もう一度問いただそうとした内田が開いていた口をそのまま閉じた。
口を覆った高山の左手に、どうにも足りないものがある。
そこだけ白く焼け残る左手の薬指。
そこにあった銀色の指輪がない。
「……マジかよ」
内田も練習グラウンドを振り返る。
「いつから」
「……や、昼、にはあったと思うんで。たぶん、午後錬から」
一歩、グラウンドに後戻る高山を見送る形で内田は言ってみる。
「素直に失くしたことを告白して、土下座してみてはどうだろうか」
もっともな内田の意見を元に脳内でシュミレーションしたらしい高山は、しかし内田に背を向けてフリーキックを 蹴りだしていた辺りへと戻っていく。
「賞金は?」
その背中に声を掛けると、指を一本突き出したので無視してやる。
しばらくすると指が二本になった。
「そりゃ諭吉さんか?」
がっくり肩を落とした高山は、ややあって内田の方を見て、
「よろしくお願いします!」
居残り練習に付き合って欲しいと伝えた時の倍は気合のこもった声で、頭を下げた。
「お前、痩せたのか」
「は?」
「指輪が抜け落ちるって、痩せたってことだろ」
「あー、少し、落ちてるかもしれません」
内田は勘弁しろよと毒づきながら、しっかり管理された芝生を撫で回す。
グラウンドに這う二人の姿を見たスタッフが何人か加勢してくれたが、未だ指輪は発見されていない。
正直、内田やスタッフに礼をすれば軽く指輪の金額を超えてしまうような、そういう指輪だ。
けれども、送った自分がうっかり失くしてしまったなんて格好悪すぎる。
「そろそろ、もうちょっとランクが上のやつ買ったら?」
二万円で手を貸すと言ったくせに、内田は高山を諦めさせようと言葉を重ねる。
「給料三か月分ってのは難しいかもしれないけど、ゴール三発分とかさ。英介もそのへんはこだわらないだろ」
「あれを英介は気に入ってるんです」
「普段あれだけ男らしいのに、そういう感覚は乙女チックなのがよくわからん」
「俺だってわかりません」
当の英介は、今日はこれから取材があるのだと出掛けて行った。
英介がミサンガ以外で初めてつけた装飾品が、高山が差し出した指輪だった。
重すぎるかなとも考えたが、放っておけばどこまでも奔放に走り抜けてしまいそうな英介に細い糸でもいいから絡めておきたくて。
自分の容姿など自分のコンプレックスになるだけだという認識しない彼に、いらぬ手が伸びてこないようにと、そういう意味もこめて。
ショーケースに並んだ中から選ぶような物はまだ早いかと、気軽なアクセサリーとして販売しているデザイナーにオーダーしてみた。
幅が広めのシンプルなシルバーリングに、繊細なタッチで太陽のイラストが掘り込まれたのが英介の指に。
太陽を仰ぐ向日葵が高山に手にあった。
嫌がるかに思えた英介だが、意外なことに喜んでくれた。
そういうところは、内田曰く乙女チックなのだろう。
「本当は、もっといい物買おうかって話しもしてるんですけど、今度こそ自分が買ってやるって言い出して。どっちも譲れないし、割り勘ってのもなんか……」
広大なグラウンドを這いずり回りながら高山は若者らしい意地を口にして、内田に笑みを浮かばせる。
「見つかったら、今度あのパフォーマンスしろよ。ゴールして、左手薬指にちゅーって」
「勘弁してください」
「なんでよ。既婚者はけっこうやってるだろ」
「そんなことする間には、本人がすっ飛んできます」
「おぉう、確かに」
「あー。見つかんなかったらマジどうしよう」
べたりと芝生に伸びた高山の頭を叩いて、内田はさっさと探せと促す。
英介はたぶん、しょうがねぇなと笑って、自分の指輪も外してしまうだろう。
それがなんとなく、切ないのだ。
気をとりなおし、高山は目を開ける。
「内田さん」
「なに」
「……あった……!」
「なに!?」
開けた視界、手を伸ばせば届くところに光を見つけた。
寝そべったまま手を伸ばしてソレを掴み引き寄せる。
開いた手の平の中、扱いの悪さのせいかくすんでしまったシルバーの輝きがあった。
「あった……。よかったー」
心の底から安堵する高山の頭を叩いて、内田は未だ芝生を這うスタッフ達に召集をかける。
「あったの? 良かったねー」
自分のことのように喜んでくれるスタッフ達に囲まれて、高山の顔には少年のような笑顔が浮かぶ。
「ありがとうございました!」
さっきまでのバテ具合はどこへやら。
腹に力の入った声で頭を下げた。
失くし物はするっと左手薬指におさまった。
「ゆるゆるじゃんか」
「体作ります。指も太くしてみせます」
「頼もしいこった。あー、腹減った。今日はタカのおごりで焼肉だー」
「やったー」
「え、それ、二万じゃおさまらないでしょっ」
「馬鹿たれー。口止め料じゃ」
「内田コーチ、さすが! この悪代官!」
「もっと言ってもっと言って」
盛り上がりをみせる一行に、迷惑をかけた高山には何も言えるわけがない。
新しい指輪を買うのはまだまだ先のことになりそうだと思いながら、高山は起き上がり自分の左手を見る。
フィールドの上、指輪越しに喜びを伝えなくても、真っ先に飛びついてきてくれる人がいる。
小さな意地でできた指輪を、この広いフィールドから探してくれる人もいる。
大食漢をつれた食事会の出費は痛いけれど、幸せだなぁと高山は思い練習グラウンドを後にした。
2006/10/10
へタレ丸出しタカさんも楽しいです。