フッボーで30のお題
空02:空中戦



 高校生の頃、片岡昴は怪物と呼ばれた。
 決して背が高い方でもないのに、ずば抜けた跳躍力でゴール前に突っ込んでいく。
 怪我もファウルも恐れない豪快なゴールを見せておいて、ピッチを降りれば妙に呑気でマイペース。
 大胆不敵とも表現できる性格から、幼馴染は怪物と呼ばれた。
 本当は、甘ったれで自分の能力などこれっぽっちも自覚せず、ただ叩き出した結果だけを見て進んできたただのガキんちょだ。
 周囲が甘やかして環境を整えて、さぁ好きにやりなさいと手を放してやらないと動き出せない。
 焦燥や絶望を感じる競争が嫌いだから、周りにあまり関心を抱かない。
 自分を優しい言葉でおだててくれる可愛い女の子達が大好きで、花から花へと移動して回るミツバチのごとき浮気が許されている。
 父親は日本代表経験のあるミッドフィールダーで、幼馴染も代表選手。
 七光りとの声も、昴は気にする様子もない。
 何が言いたいかと言えば結局のところ、
「甘いんですよ」
 その一言に尽きるのだ。

 高校時代の恩師が、神戸観光にやって来るというので誘いをかけて旅先の一夜を貸してもらった。
 誘ったのは富永が常連となっているバーだった。
 世話になったサッカー部の元監督を労うつもりが、いつの間にか愚痴を零している。
 エースストライカーの、ここ六試合ノーゴールが気に食わないのだ。
 高校時代、鬼のようだと恐れたこともあった恩師はおかしそうに笑っている。
 サッカー強豪校の監督と言う重責から五年ほど前に解放され、かつての厳しい雰囲気はなくなってきた。
 少しふっくらとしてきた頬のあたりがそう思わせるのかもしれないが、常に穏やかな表情を浮かべている。
 かつては、この鬼監督の口元を綻ばせるためにどれほど走って飛んで蹴ったことか。
 富永も昴も世代こそ違うが、監督の笑顔を見るために全国優勝に手を伸ばし、掴んできた。
「お前も案外、甘いな」
 その恩師の思わぬ言葉に、富永は虹色のプースカフェから視線を上げた。
「俺も最初はいい素質はあるのに、闘争心がない困った奴だと思ってたよ」
 恩師はニヤリと笑って見せる。
「三年の、全国開幕前だったな。俺も片岡昴を見誤っていたと反省した。最後の最後にアレは正体を見せたよ」
 何を、と富永は眉間に皴を寄せる。
 五つ年下の幼馴染に関して、知らないことなどないはずだと思ってきた。
 本音を隠せるほど器用な男でもないし、自分の観察眼を持ってすれば暴けない嘘などないと自信をもっている。
「練習が終わって、片付けの最中だったな。勇んでくるわけでもない、軽口のつもりでもない。なんと言ったらいいかな。明日の天気を尋ねるような口調でな、聞かれたことがあった」
 昴はこう言ったらしい。
 最後の大会を目前にして。

『俺がいるこのチームと、真吾のいたチームと、どっちがいいチームだって思えますか?』

 ひたと見据えられ、監督は言葉がなかったと言った。
 昴が自分を誰かと比べるなんて、今までなかったことだった。
 ましてや七光りと、時に侮蔑の意を込めて囁かれる言葉の原因となっている、富永真吾と比べるなど。
 チームキャプテンとして名を残した富永と、エースストライカーとして名を上げた昴と。
 比べて欲しいと、昴は言ったのだ。
 噴出し流れ落ちる汗のような問いかけだったと、監督は言った。
「……答えたんですか?」
「いいやぁ? 指導者になってから、俺は一度も選手同士を比べた言葉を口にしたことはないんだ」
 笑って、彼はタンブラーを傾けた。
 ドクドクと鼓動が早打つ。
 不快なのか興奮しているのか、緊張しているのかもわからない。
 奇妙な感情を誤魔化すように富永はゆっくりと、一層分のリキュールを吸い上げた。
「七光りなんて侮蔑は、あいつにとってただの正論だ。実際、脚光を浴びてきた父親がいれば、サッカーを始めた息子は注目される。幼馴染も同じように日の丸を背負ってるって聞けば尚のこと。物心ついた頃からそうだったんだ。周りの目を特に気にすることもなかっただろう。だけど、さすがに思春期には思ったんだろうな。父親や幼馴染を、超えたいって」
 能天気に見えるけど、本人すら気が付かない深層心理で闘争心は常に燃えていた。
 父親に対して、五歳年上の幼馴染に対して。
「お前も闘将ってタイプじゃない。静かに闘争心をたぎらせるタイプだ。だけど昴はそれ以上に怖い」
 本人が無自覚の内に熱くなる。
 楽しい楽しいとボールを追いかけているその深層心理に、誰にも負けないと激しい思いを抱えている。
 爆弾みたいだ。
 卒業式が終わって、サッカー部の送別会で昴は監督に言ったらしい。

『俺、アホだし、要領悪いし、ノリだけだけど、せめて日本の制空権は支配してみせますよ。そんでアジア獲って、世界も獲りますよ。俺も一フットボーラーとして、欲しいですから。頭の冠』 

 そうしたら監督、俺のこと誇ってくださいね。
 俺のサッカー見て、美味い酒を飲んでくださいね。
 屈託のない野心をちらつかせ、昴は能天気に笑ったそうだ。

「甘ぇ……」
 それはグラスの底に沈んだリキュールの味なのか、あっさりと世界獲りを宣言したヘディンガーの認識なのか、自分自身の観察眼のことなのか。
 無自覚の野心を抱えて走る幼馴染には、どうやらまだまだ伸びしろがあるらしい。
 それはたまらなく興奮する事実。
「すみません、ウィスキー」
 カウンターの向こうのバーテンにオーダーを告げれば、常連客の珍しい注文内容に一瞬返事が遅れたが、すぐにかしこまりましたと品のいい声が返った。
「監督、今日は奢るんで、じゃんじゃん飲んでください」
「明日、練習だろ」
「午後からなんで、それまでには復活しますよ」
 きっと、明日からのサッカーはもっと楽しくなる。
 同じ芝生の上に可愛げはないが可能性はある幼馴染が存在するのだから。


2005/11/20
空中戦と言えばヘディンガー・片岡昴。
本人不在ですが、大好評の昴&富永コンビを楽しんでいただけたら……!!

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