フッボーで30のお題
空08:アドバンテージ



痛みはあるけど、それは自分にとっては有益な流れだ。


タックルなんかで痛みを感じながらも、それは自分にとってはチャンス。

痛いけど、走らなきゃいけない。

痛いけど、潰しちゃいけないチャンス。



アドバンテージ。

笛はない。

それはチャンスだ。


「もう、あいつに得点させるな」
 滴る汗を何度も拭い、ドリンクを喉に流し込みながら厳しさを含んだ声がイレブンの背中を押した。
「削りにいけばいい」
 彼らしくもない言葉が、いかに本気かを物語る。
「もう一点もとらせるな。二人で徹底マーク」
 十一番を背負う小さな体に、今日だけ巻いた黒いキャプテンマーク。
「全国に行きたい。国立に、行きたいんだ」
 仲間を見据えた瞳に浮かぶ悲愴なまでの勝利への飢餓感。
 既にユースの日本代表として活躍し、プロからのオファーもある江口英介ならば高校生タイトル一つに固執する必要はないように思われた。
 サッカーでは無名のK高が挑んだ県大会。
 K高は初めての三回戦進出を決めた。
 全国への切符へ一歩一歩近付いていたが、三回戦で行き詰まった。
 相手は県大会常勝高。
 エースにハットトリックを決められて、刻一刻と切符から遠のき始めた。
 江口英介にとって最後の高校生タイトルへの道は、閉ざされかけていた。
 上手くいかないチームプレイ。
 積み上げられていく得点に、足も気持ちも重くなる。
 募る苛立ちを闘志に変えて、チームメイトの肩を抱いた。
「最後まで走ろう」
 そうして最後に笑って見せて、喝を入れてから円陣を解いた。
 あと四十分で、三年間の挑戦が終わる。




 入学した時には、県大会で敗れて涙する選手なんて一人もいなかった。
 終わった終わったとユニホームを脱いで終わりだった。
 今は違う。
 ロッカールームには啜り泣きが聞こえていた。
「わりぃ」
 本来ならキャプテンマークを巻くべきだった主将の笹岡が、小さく謝ってきた。
「何、謝ってんの」
 笑って茶化して、腕の腕章を外した。
『今日の試合が山だろうから、これ頼むわ、ゲームキャプテン』
 そう言いながら渡された腕章だった。
「これ、さんきゅ」
 おう、と彼は腕章を受け取った。
 のんびりサッカーすればいいじゃんと言う笹岡とは、随分衝突してきた。
 最後には、英介の良き理解者としてともに戦えた。
 親友だと言える仲だ。
「お前さ、プロになっても今日の試合のことは振り返るなよ」
 笹岡が泣いているところを、初めて見た。
「俺達はこれから、何度も振り返って後悔するだろうけど、お前はこの三年間は悔やまなくていいから。結果らしい結果は残ってないけど、きっとこれから何年か先の後輩がお前がしてきたことの結果を出してくれて、お前が行きたかった全国にも行ってくれる」
 冷静で飄々としている笹岡らしくない。
 けれど、息が詰まるほど嬉しかった。
「だから英介にはプロに必ず入ってもらって、うちの学校の名前を広めてもらわないと困るんだよ」
 涙が溢れた。
 自分の夢に勝手にみんなを巻き込んで、こんなにも優しくされて。
 こんなにも、大事に思える友なのだと胸を切りつけるような痛みを伴い思い知る。
「良かった。俺、よかったよ。お前とサッカーできて、すげぇよかった」
 これから自分は前を見て、前に進まなければならないのだ。
 悔いるなとみんなが言うのなら、自分はそうしよう。
 この三年間の挑戦を、俺は誇ろう。



「ただいまー」
 できるだけ明るい声を廊下に響かせると、ダイニングにいた家族がみんな振り向いた。
 食卓には豪勢な夕食が準備されている。
「おかえり」
「おかえりなさい」
 優しい声が迎えてくれる。
 今日の敗戦を、家族も見守っていたはずだ。
 高校生タイトルへのラストチャンスを、みんな期待していた。
 でも必ず温かく迎えてくれるのはわかっていた。
「おつかれさま」
 家族はまだ英介に結果を求めない。
 中学生の頃に負った大怪我の件もある。
 ただゆっくりでいいから、英介が望む道へ進めばいいと見守ってくれている。
 だから今日の結果にも何も言わない。
 残念だったね、なんて言葉じゃなくて、よく頑張ったねと言ってくれる。
「……、へへ、負けちゃった」
「最初から最後まで走りっぱなしだったじゃない。おなか空いたでしょう?」
「……うん」
 笑って応えようとして、上手くいかなかった。
 最後まで走った。
 けれど、手にできなかったものがあった。
 もう二度と手を伸ばすことが叶わない、高校生としての結果。
 間に合わなかったという思いが、英介の中にはある。
 もっと早くリハビリを始めていれば。
 もっと早く勇気を出せていれば。
 もっと早く……。

 ごめん、ササ。
 俺、どうやったってやっぱり悔しいよ。
 がんばったから、悔しいよ。
 お前等が最高のチームメイトだったからこそ、すげぇ悔しいよ。

「えっちゃん?」
 友里がひょこりと英介の顔を覗き込む。
 食い縛った歯がほどけて、嗚咽が零れた。
「頑張ったじゃない、えっちゃん」
 でも勝ちたかったんだと、声にはできなかった。
「……っ、くや、しい……」
 こんなに悔しい負けははじめてだった。
 胸が軋むほどの後悔も、悔しさも。
 嗚咽を噛み殺す英介を抱き寄せたのは勲だった。
 自分の胸に顔を埋めさせて、ポンポンと一定のリズムで背中を叩く。
「ふ……ぅ、く、やし……よぉっ」
 引き絞られた泣き声が洩れ聞こえた。
「チャンスだよ、英介」
 弟を優しく包んで、兄は言う。
「これはチャンスだよ。もっと上手くなるチャンスだ。だから、その悔しさを忘れちゃいけない。これからだ。だから、今の悔しさや後悔は、忘れちゃいけないんだ」
 試合終了のホイッスルを聞いた長兄の顔は、悲痛に歪んだ。
 ゆっくりと顔を覆って、長い長い溜息をついた。
 そして、まだだと小さく呟いた。

 まだだ。
 まだ、これからだ。
 これからのために、終わる『今』がある。
 今までがあるから、これからがある。
 繋がってるよ、未来に。
 君のがんばりは、未来に繋がっている。


「これはアドバンテージだよ」
 試合の流れは君の中にある。
 英介の手が勲の背中を掻き抱いて、泣き声を抑えようとする。

 例え、今は痛みを背負っていようとも。
 激しいチャージを受けたとしても、そこで倒れちゃ流れは途切れる。
 ゲームは途切れてなんかない。
 ほら、前を向いて。
 痛みを感じたとしても前へ。
 前へ。
 そして得られるチャンスがある。
 流れを自分のものに。
 だから、前へ。
 チャンスは、その先にある。


 アドバンテージ。

 心はジクジク痛みつづけている。

 でも、前へと踏み出す。

 痛みと引き換えに得られたチャンスを、掴み取るために。




2004/6/12
アドバンテージは、試合中ファウルを受けた瞬間、すっごいチャンスだったり流れがそのチーム側にある時に、ゲームを止めて流れを断ち切るのではなく、そのままゲームを続けてファウルを受けたチームのチャンスに繋げるというルールです(……あってる、よね?)
英介の高校時代はまたいずれ書きたいです。ちょろっと出て来た笹岡君の性格設定もできてるので、おそらく彼は後日にも登場。

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