「笹岡」
 あの時のことを忘れたことはない。
 灰色の世界に差し込んできた光のような声を。
「連れてってやるよ」
 この手をとれと、伸びる腕。
 輝きを放つことすらないと思っていたちっぽけな俺達が、輝くことを望んだ瞬間。
 輝けるのだと信じた瞬間。
「俺が、国立に連れて行ってやる」
 あまりに遠く、憧れさえも抱けなかった場所。
 聖地へ導く手を
 俺達は、掴んだのだ


Spicy Honey


 キックオフを告げるホイッスルが短く吹かれ、センターサークルからボールが零れる。
   ――――5
 足下に蹴り出されたボールを、あいつが獲った。
 ボロボロのスパイクがグランドの砂に食い込む。
       ―――――4
 オレンジ色のソックスに包まれた脚がしなった。
 地面を蹴り、前へと飛ぶような一歩を刻む。
 ボールは、あいつから近くもなく遠くもなく転がり続け、
            ――――3
 不意に再び、スパイクが地面に食いついた。
 スピードに乗って前へと進もうとする体と、その場に留まろうとする足。
 両者が絶妙なバランスをとりあって、体が綺麗なラインを描いた。
                  ――――2
 その瞬間を切り取って彫像にでもしたならば、さぞかし美しい形になっただろう。
 ただ綺麗なだけじゃなく、力強い。
 斜め後ろからしか見えなかったけれども、その横顔はゴールを見ていた。
 ディフェンダーの向こうの、ゴールネット。
 奥歯が重力を受け止めて軋むように、頬の筋肉が動いた。
 食い縛った白い歯が、乾いた口唇の合間から見えた。
 目は、輝いていた。
 ギラギラと。
 でも、どっか怯えているような。
                    ――――――1
 性的なイメージすら湧くような。
 闘争心を煽るような。
 だけど怯えているような。
 でも、確かな輝きだ。
 体が全ての力をボールに与え、一瞬脱力する。
 視線の先で、

―――――0


 ゴールネットが揺れていた。
 満足そうに、でも物足りないと、赤い舌が口唇を舐めた。
 開始5秒のゴール。
 審判はホイッスルを吹くのも忘れ、ただ沈黙がピッチを支配した。
「あっれー、今日ってぇ、練習でしたっけ? 試合でしたっけ?」
 場を嘲笑うような声が、静寂を破壊する。
「練習ならうちのグランドでもできたじゃないっすか。移動時間、超もったいねぇーし。試合なら、何ぼーっとしてんスか?」
 高慢に言い放つ声は、暴力に似ていた。
「試合に練習もくそもねぇだろってーの」
 踵を返す。
 当然のようにセンターサークルに立つ。
「で? 今の俺のシュートはゴールなんですか?」
 征服者は冷たく、人の心を抉るように言い放った。
 開始5秒のゴールは、三十秒後のホイッスルで確認された。

 俺達が三年間過ごしたK高校は、どっちかと言うとインドアな校風だった。
 過去に芥川賞作家と直木賞作家を輩出しているし、世界的に有名なピアニストや画家もK高校を母校とする。
 だだっ広い図書館や美術室に音楽室。
 そっちの設備は県下どころか日本屈指のくせに、グランドや体育館は標準以下。
 グランドは狭く、どっかの部活が使用してると他の部活は片隅でストレッチか外周ランニングしかすることがないため、自然と活動日は制限される。
 そのせいか、運動部は数が少なく本気で打ち込む生徒も少ない。
 インドアに染まりきれない連中が体を動かすために集まる程度のレベル。
 運動部の残したトロフィーは参加賞以外にはないとのもっぱらの噂で、たぶんそれが真実だろう。
 のんびりしていて絶えず学校を彩る花がとても似合うような、春の木漏れ日や、古いストーブの上に置いたヤカンから立ち昇る蒸気が似合うような、そんな学校にあいつは舞い降りてしまったのだ。


 同じクラスの江口英介が、中学サッカー界で注目を集めていたあの江口英介だと知ったのは、入学後初めての部活動に参加した時。
 俺も近所のサッカークラブに所属していて、全然強くはなかったけど大会にはチラホラ参加していたから知っていた。
 サッカー強豪校の推薦を目前に事故に遭って以降名前を聞かなくなった選手の第一印象は、最悪だった。
 我侭、高慢、自信過剰。
 熱血で、冷血。
 サッカー部の週二の練習を見て、ありえないと怒り出した。
 そんなんで勝てると思ってるんですか。
 黙ってれば可愛い顔を歪めて怒っていた。
 別にそこまで結果を重視してるわけじゃない。
 うちは楽しんでサッカーできたらいいんだ。
 たじろいで弁解する部長に向かって、冷めた声で一声。
「勝てねぇサッカーのどこが面白いんだよ」
 場の空気を凍りつかせた新入生は、翌日には顔に痣を作って登校してきた。
 それを見た上級生がニタニタと笑うのを俺は見ていた。
 あの頃のあいつは、今のあいつを見れば信じられないほどに攻撃的で暴君で、性格が悪かった。
 今でも充分攻撃的かもしれないが、それはピッチ上での話。
 ピッチを降りた教室でも部室でもあいつは、攻撃的だった。
 まるで進む先を失った台風のようだった。
 それなのに味方と呼べる人間を心底欲していて、そんな欲と性格とがアンバランスで空回りしていて、一人ぼっちだった。
 今だから言えるけど、それは。
 それは、たぶん。
 自虐行為
 破滅行為
 這い上がるために何かを犠牲にしなきゃと思い込んでいた。
 馴れ合いを捨てれば、チャンスを与えてもらえると思い込んでいた。
 絶望と希望の狭間で苦しんでいたのだと思う。
 諦めたことなんかないですと、決まり文句のように答えるのは自己暗示の続きだ。
 俺達は知っている。

 勝手にハードなトレーニングをこなし、部員に発破をかけようとする江口の存在は当然、上級生に疎まれた。
 のんびりした校風ではあったが、血の気が多い生徒がいないわけではない。
 そしてそういう気質の生徒は自然と運動部の部室に集った。
 ある日の部活終了後の部室。
 誰よりも遅くまで練習をしていた江口が部室に戻ってくるのを待っていた上級生が、嫌味をツラツラと口にし始めた。
 中学の頃はそれなりの実力だったらしいが、もう駄目なんじゃないのかと。
 明らかな挑発に、部室の空気が張り詰めるのを感じた。
 今まで些細な嫌がらせは続いていたが、あの日の上級生は本格的に江口を嬲る気でいたのが俺達下級生にも伝わってきた。
 それまではどんな嫌味もさらりと流してきた江口は、ボコボコにされたロッカーを静かに閉めると言った。
「挑む気もねぇ負け犬がぎゃんぎゃん吠えんな。みっともねぇ」
 感情の波の見えない低い声は、上級生の悪口よりもずっとずっと迫力があった。
 一瞬確かに怯んだ上級生の一人が、血が引いた反動かかっとなり、先に手を出した。
 江口の体がロッカーに打ちつけられた鈍い音が響いた。
 俺にはゴングの音に聞こえた。
「おい、笹岡」
 先制攻撃を受けながらも江口の声は静か。
「先に手ぇ出したのはどっちだ?」
「……せんぱい、だ」
 しどろもどろの俺の答えは、江口の口の端を吊り上げさせた。
 締めたばかりのネクタイの結び目に指を突っ込むと、ぐいっと緩める。
 物憂げなのに乱暴なその仕草の男らしいことと言ったらなかった。
 誰もが一瞬、見惚れた。
 こんな童顔の高校生に、男らしさを見るなんて。
「販売は致しておりませんが、高価買取の安心保障はいたしております。この喧嘩、買ってやる!」
 実に楽しそうに啖呵を切ったと同時に、江口の腕が動いた。
 その時、部室にいた上級生は四人だった。
 数分後、四人は部室から走り去り、呆然と乱闘を目撃した俺達と鼻血を拭う江口だけが残っていた。
 江口の腕は、積もり積もった鬱憤を晴らすように振り回された。
 足こそ出さなかったが、細っこい腕が繰り出すパンチは重そうで的確だった。
 怯むことなく堂々とした立ち回りは経験の成せる技か。
「うぇ。口も切れてるじゃん。最悪」
 殴られた顔を鏡にうつして、鼻血を拭いながら顔を顰めた。
 顰めた割りにすっきりした顔をしているのは、憂さ晴らしが出来たからだろうか。
「あのさぁ、俺、この喧嘩のこと誰にも言うつもりねぇんだけど、もしも表沙汰になったらさっきの証言よろしくね」
「証言?」
「先に手ぇ出したの、あっちって」
 なるほど、安心保障だ。
「シャツに血ぃついちゃった。捨てるしかねぇか。体操服着て帰ろうかなー。鍵当番誰だっけ? ちょっとだけ待ってくれる?」
 鼻血のついたシャツを躊躇いなくゴミ箱の放る。
「クリーニングにでも出せば?」
「心配かけるから。破れちゃったとか、誤魔化しとく」
 切れた口唇の端を舌先で探りながら、江口は小さく言った。
 ジャージを羽織って荷物を取りに屈んだ拍子に、江口の体が傾いだ。
 音をたててロッカーに凭れる。
「……、平気か?」
「どってことねぇよ」
 頑なな子どものように立ち上がる。
「こんくらいのこと、どうってことねぇ」
 立ち上がりまた進む。
 江口が目指す場所はもっともっと高い場所で、俺達の目にはおぼろげにも映らないほど遠いところにある。
 だけど江口が今進もうとしている道の先にあるのは自滅のような気がして、でもそれを伝える術を俺は持っていないのだと勘違いしていた。
 持っていないのは術ではなくて、柔和な顔をしてトゲトゲピリピリした可哀相な同級生の隣に立つ勇気だった。


 その年の秋には、最高権力者の三年生は引退していった。
 いつのまにか同学年の部員は俺を中心につるむことが多くなって、新二年生にして部長を押し付けられてしまった。
 もっとも、新三年生なんて言うのは江口と前の三年生のいざこざに嫌気が差してほとんど辞めていったのだ。
 そして部長としての最初の仕事は、江口との喧嘩だった。
 江口が提案した練習メニューの厳しさに退部者が相次ぎ、このままだと廃部の危機が見えてくるまでになっていたのだ。
 お前のプロになりたいって夢にみんなを巻き込むなよ。
 それぞれのペースがあるだろう。
 お前一人の夢のせいで、楽しくやっていきてぇ連中が行き場なくしてるんだよ。
 ちょっとは他人の気持ちも考えろ。
 正直、迷惑だ。
 とかなんとか。
 勢いに任せていろいろと俺は言ってしまった。
 最後の方はかなり感情的になっていた。
 江口をスゴイ奴だと認める気持ちはあっても、ついていくだけの覚悟が俺達にはなかった。
 江口の力になろうとすることは半端な思いじゃ叶わないだろうし、腹を括ってしまった先に生じるかもしれない変化を怖がっていた。
 我武者羅な態度よりも、少し余裕ぶった態度の方がかっこいいんじゃないかなんて、ガキらしいことを考えてもいたし。
 一息に溜まったストレスをぶつけると、江口は蹴られても殴られても嫌がらせを受けても見せなかった涙を、見せた。
 ポロリと溢れて頬を伝うソレを、俺は愕然と見つめてしまった。
 諦めないよ。絶対に。
 声がガタガタ震えていた。
 あいつはどんなに暴力を受けても泣かなかった。
 その江口が、俺の言葉で泣きやがった。
 諦めない諦めない諦めない。
 俺はサッカーしかないから、諦められない。
 子どもの我侭のようでもあり、祈りの言葉のようでもあった。

 おまえ等のために諦められる夢じゃない。
 俺は全部捨てたって、サッカーで生きていく。
 そんなの意味ないって言われるかもしれないけど、でもそうじゃなきゃ生きてる意味なくなりそうだから、俺は嫌われたって何されたって諦めないよ。
 ここから、這い上がるんだ。

 無名に成り果てたかつての少年ストライカーは、どん底をスタートラインに走り出している。
 こんな学校で目指せるわけがない。
 早く諦めとけと俺は怒鳴った。
 叶うわけねぇ。
 昔の栄光に浸って、それが今も通用すると思うな。
 ここは、そんな光が当る場所じゃない。
 何か捨てて叶える夢に価値なんかない。
 夢を持ったことも、叶えたこともない俺の、説得力に欠けた言葉は虚しく俺の中に反響した。
 何時の間にか殴り合いになっていた。
 自分よりもずっと小柄な江口の体が吹っ飛び、何度かロッカーにぶつかって鈍い音をたてた。
 そして江口の拳も俺の頬を打った。
 それは思いのほか痛くて……、や、痛くないわけがなくて、俺もみっともなく泣いてしまったかもしれなかった。
 一度殴られる度に俺の中で変化が生じて、その変化はまるで俺を追い詰めるようで。
  走り出せと。
   目を開けと。
     覚悟を決めろ、ギリギリ感を味わえ、剥き出しの感情を他者と共有してみろと。
 江口の拳は甘く残酷に誘う。
 お前は何を守るために拳を振るうのか。
 お前の守りたいプライドってなんだよ。
「お前、今、最高にみっともねぇとこ、俺に見せてるんじゃねぇのかよ」
 江口の存在は、それ自体が罠だ。
 江口は自分の胸を開いてみせる。
 見てみろと、ドクドク脈打つ魂を見せつける。
 俺の脈動が、早くなる。
 強く、強く、強く。
 まるで江口の鼓動に引き摺られるように。
 眩暈がしたのは、江口のパンチが決まっているせいじゃなかった。
 散々の殴り合いは、周りにいた連中が死に物狂いで止めてくれた。
 荒い息を整えて、乱暴に周りの手を払って、
「笹岡」
 君は言う。
「俺を支えてくれたら、連れてってやるよ」
 どこへ、という問いは無粋だったかもしれない。
「全国」
 泣き顔に笑み。
「リアリストに夢が叶う瞬間、見せてやるよ」
 だから。
 と、江口は続けた
 掠れて上擦り、震えた声で。
 懇願と表現するには尊大な言い方だけど。
「だから、俺と、サッカーしてみろよ。好きなんだろ?」
 その声も、顔も。
 綺麗だと、思わず思っていた。
「サッカー、好きなんだろ?」


 江口が自主トレとしてずっと一人で行っていたメニューに、ちらほらと参加者が増え始めた。
 確実に、K高サッカー部は変わりつつあった。
 地区大会一回戦で当った県内最強の高校に、江口が六得点をぶち込んだ。
 シャレにならんくらいの高慢チキだが、高慢でありえるくらいのテクニックは持っていた江口が得たのは勝利だけではなく、なんと代表へのお誘いというご褒美だった。
 ご褒美、なんて言ってはいけないのかもしれない。
 あいつはついに、欲しくて欲しくて欲しくて、本来の江口英介らしさを見失うほどに欲しかった場所を手に入れたのだ。
 校長室に呼ばれた江口は三限目の授業の途中で戻ってくると、真っ赤な目をして体を僅かに震わせて静かに席についた。
 自分の手をぎゅっと握り締め、嬉しいだとかそう言うのを通り越して、苦しそうな表情で白いノートを見つめ、嗚咽を殺していた。
 迸る感情という言葉がどんな様子を意味するのか、俺は江口から学んだ。
 夢が叶った瞬間を、俺は目撃した。
 シンデレラストーリーなんて言わせない。
 あいつには魔法使いがいなかった。
 這い上がってきたんだ。
 たった一人で。
 羨望を隠し遠巻きに送る俺達の視線の先で、跳躍した。
 掴んだものを二度と離さないように握り締められた拳が、震えていた。
 それがあの時のあいつにできる、唯一の喜びの表現だった。

 俺は後悔する。
 これからもずっと。

 もっと早くにあいつと一緒に走っていれば、俺はあの小さな体を抱え上げることができたのに。
 震えるほどに力を込めた拳は、俺の背を抱いてくれただろうに。
 嗚咽ではなく、歓喜の咆哮を聞くことができた。
 あいつは、あの瞬間確かに、喜びを分かち合える誰かを求めていたから。
 俺達の関係は以前よりは友達に近く、俺が江口に抱くイメージも好意的なものに変わってはいた。
 けれど、代表入りを果たした江口と喜びを分かち合える権利を手にするのには、その変化の訪れは遅すぎたのだ。
 その後悔こそが、友達になろうと言うたった一言を言えずにいた一年間への償い。

「さー、今日もサッカーするぞー!」
 これ以上ないくらいに幸せそうな笑顔で、泥まみれのサッカーボールにキスをしたあいつを見て、
「本格的に、ついてっちゃうか」
 俺達はすっかりソレに魅せられた。
 重すぎた腰を上げたのだ。
 俺と英介の仲直りの方法は、単純だった。
 部活中のミニゲーム。
 酸欠になるほど駆け回って、スライディングで削りに行った俺を見て、薄っすら痣の残る顔をくしゃりと歪めて笑った。
 全力でのぶつかり合いが、俺達の握手の代わりだった。
 俺達が無名だったストライカーのことを、
「英介」
 そう呼ぶようになってから、K高校のサッカー史は大きく動き始めた。
 その頃の俺達には転換期なんてものを感じられるわけもなく、ただ前に進む小さな体をひたすら追いかけた。
 振り向くことなんてしなかったあいつが、それからチラチラとこっちを振り向いてくれるようになったから。
 俺達が後をついていくのを確かめては浮かべるふわふわした笑顔を喜びとして、三回目の桜の季節を迎えるまで走り続けた。
 彼女もできなかったし、部活に力を注ぎすぎて成績も下がった。
 サッカーに打ち込むことで、親との仲が上手くいくようになった奴がいる反面、逆に理解してもらえないと仲違いする奴もいた。
 生徒会とグランド使用権でもめたりしながら、美観を損ねると言われても必要に迫られてフェンスに洗濯したユニホームを引っ掛けて、校風まで変えて。
 家と学校を往復するだけの日々は濃密だった。
 我武者羅に、青春を謳歌した。




「ササって、俺んことそんな風に思ってたんだ」
 五年後にあったソイツは、軽く俺を睨んできた。
「それってね、嫌いだったってこと?」
「嫌いとか好きとかの次元じゃなかったな。なんだ、コイツ、どうしたらいいんだ! って感じ?」
「ひどい……」
「ひどくねぇよ。お前に人生変えられた俺のセリフだ」
「まったくだ」
「でも悪くねぇなって思ってるだろ?」
「……あぁ。悪くねぇよ」
 昔と変わらない顔が微笑んでいる。

 高校二年生になってからの英介の周りには必ず誰かがいて、一緒に笑っていた。
 夢の成就が棘を溶かして咲いた花は、サッカー部員やクラスメートを惹きつけた。
 輪の中心で屈託なく笑い、放課後のグランドでは凛とした顔を見せた。
 伝説の開始5秒ゴールの時に見た、ギラギラしてオドオドしてるアンバランスな輝きではなく、夏の太陽みたいな、夏の空みたいな、胸がすっとするような表情でゴールに向かった。
 結局、俺達は全国へは行けなかった。
 幾つかの後悔は確かにまだある。
 けれどその後悔もやがて消えるかもしれない。
 今年、K高校は県大会で準優勝を飾った。
 全国まであと一歩。
 確実に近付いている。
 そして頼もしい後輩達は、俺の教え子でもある。
 江口英介に憧れて、K高校サッカー部に入った生徒も増えている。
 多くのプロ選手を輩出しているような強豪校との差は大きいのに、江口英介たった一人の母校であるがために、あのおっとりした高校でサッカーをしたいと願う中学生は多いのだ。
 それに対して英介は、
「ちょっと悔しい気はするけどな」
 そんなコメントを漏らし、目を細めて久々に集まったOBの顔を見渡した。
「笹岡センセイに任せとけよ」
 思いは伝染してって、ずっとずっと大切に扱われて、五年経った今も俺達の夢はあの部室の中で生きている。
『目指せ、全国!!』
 あの張り紙を作ったのは俺達だった。
 あの頃はでかすぎる夢だと周りに笑われたけれど、今は誰も笑わない。
 そろそろ新しく作り変えさせよう。
『目指せ、国立!!』
 って文句も変えて。
 江口英介と過ごした三年間は俺の自慢話だった。
 生徒達には俺の臆病さも包み隠さず伝えてやっている。
「けどよ、やっぱり全国への道は遠く険しい」
「そりゃそうだ。本格的にサッカー部が動き出して十年も経ってねぇもん。そんなホイホイ全国行かれたら他の学校に恨まれるぞ」
「悪くはねぇんだけどな」
「今日の試合なんか安心して観れたぜ?」
「そりゃそうだ。今日は英介が応援に来るからなって言ったら、万歳して喜んでたからな。いつもの倍、気合入ってたよ」
「英介もたまには母校に顔を出して攻撃陣の指導してやれよ」
「ばっか、英介に指導とか無理!」
「やってみないとわかんねぇじゃーん」
「無理だって。だって英介は正月の国立に集中するんだろ」
「そうそう。英介は自分のサッカーしながら、心の片隅でK高のこと考えてればいいよ。何せね、英介はさぁあ」
「どうせ我侭とか高慢チキとか女王様気質とか、そんなんだろ」
「ちげーよ。英介は」

 俺達の、勝利の女神だから

 ぶわっと、英介の顔が真っ赤になった。
 耳まで真っ赤。
 高一の頃の英介は必死すぎて、一度剥き出しにした闘志を引っ込める術さえ忘れていて、周りに誤解を与え続けた。
 高二からの英介は、自分を愛せるだけの余裕を持った。
 それはたぶん、周りがあいつを包んでやれたからだと思う。
 英介は基本的に、戦う個体。
 周りが優しく守ってやってはじめて、穏やかな時間を手にすることができる。
 出したくない棘を引っ込めてやることができる。
 それはピッチの上でもそうだった。
 周りがサポートしてやることで、英介は安心して前を向ける。
 背後までピリピリ警戒することなくプレーできる。
 俺達に笑いかける笑顔が、やたら綺麗になった。
 俺達は何よりも、ゴールが決まった後の英介を抱き上げることが誇りだった。
 試合終了のホイッスルを聞いて、勝利を確かめあう瞬間が好きだった。
 負けた時に流した涙を、あの頃は焼け付くような悔しい思いで拭ったが、今ではそれも愛しい。

 上手くいかなかった一年目の季節も

 友情を深め、江口英介の友だと胸を張れるようになった二年目も

 先を行く君がもっとずっと先にある場所に辿り着けるようにと、それぞれがちょっと無理をしてみながら同じフィールドで過ごした三年目も

 それから先の、女神の活躍も。

 テレビで見る度に、実際に目にする度に、記事で読む度に、話題にのぼる度に、あれは俺達の江口英介なのだと誇りたくなる。
 そうあることができるのは、英介と一緒に必死になってみたからだ。

「ばっかじゃねーのっ。恥ずかしい連中だなっ」
 真っ赤な顔で俯いて、隣の奴に肘を叩きながら喚いている。
 あの頃の自信はどこへ行ったんだと、笑いが起こる。
「エースケ、前髪触らして」
「勝利の女神の前髪って? お前の売りは現実主義者ってことじゃなかったっけ?」
 とか言いつつ、前髪に触る手を払うこともない。
 ぐしゃぐしゃ髪の毛を掻き乱すと、やめろと言いながら嬉しそうな顔をする。
 こんな天使みたいな面をしてる奴と俺は殴りあったのかと、今では不思議に思う。
 さらりと後ろに梳いて、サンキュと笑ってやると、どーいたしましてと気のないふりの返事。
「俺さぁ、この前雑誌でタカヤマコージのインタビュー読んだ」
 誰かが突然、話を変えた。
 変わった先の話題に対して英介は複雑な表情で、ふぅんと相槌だけを打つ。
「エースケんこと聞かれてたぜ。なんかねぇ、向日葵みたいな奴だとかそんなクサイことを言っておったぞ」
「向日葵ねぇ。素人考えだな」
「まったくだ。まだまだあいつは英介を理解してねぇな」
「……いいじゃん、向日葵で」
「駄目駄目。俺達の知ってる英介は、タンポポなの」
「雑草魂って言うんだろ。そっちの方が安直じゃねぇか」
「安直? 普通の連中は思いつかないぜ」
「俺達は、英介がいっちばーん弱ってて、足掻いてて、みっともなくて黒くてやんちゃなとこ見てるから」
「今じゃ考えられないけどな」
「だよなー。先輩相手に啖呵切ったところなんか、俺強烈すぎて覚えてるもん」
「卒業式に先輩に呼び出された時なんて、非はないけど過剰防衛で停学三日だもんな。びっくりした」
「そんなやんちゃな英介も、俺達だけが知ってるわけですよ」
「そうそう。可愛い顔して割とやりすぎる英介をよぉく知ってるのは、高山浩二じゃなくて俺らなわけよ」
 思い出話に花は咲き、
「仰る通りかもしれねぇよ」
 我等の蒲公英も笑うしかなくなる。
 手入れされて一輪だけ大きく咲いた花じゃない。
 踏み潰されて、蹴散らされて、それでも咲くといったら咲くんだと咲いた花だ。
 道端で生まれ、道行く人の足を止めさせる力を得た蒲公英。
 江口英介の高校時代をともに過ごした俺達だけが、そう形容できる。
「俺らはさ、英介の綿毛から生まれたの〜」
「うわ、キショイ〜」
「キショイ言うな」

 俺達だけが、知っている。
 彼を愛する家族もサポーターも、そして高山浩二も知らない。
 高校生の頃の江口英介は、俺達の英介だ。
 俺達の誇りだ。
 そして俺達も、英介の誇りであればいいと願う。
 胸を焦がすように、願うのだ。


BGMにBUMP OF CHICKENの「オンリーロンリーグローリー」を聞きながら書きました。影響があちらこちらに見えてます(笑)
高校生英介の話でした。英介のダークな部分ややんちゃっぷりを書くのが楽しかったです。
一度最後まで書ききってしまって、それからかなり書き直しをしました。高校生の頃の熱い気持ちとか書き出したらキリがなく、ちょっとくどくなったかなと反省。
私は演劇部だったのですが、揉め事もしょっちゅうだったけど楽しかったなと思えます。大会前とか燃えてたな〜と。幕が上がる前に皆で円陣組んだのとか、青春だな〜と思えます。そんな思い出も頭に浮かべながら書きました。
皆さんにもちょこっと当時を振り返ってもらえたらウッシッシです(笑)
K高校サッカー部は未来編も構想中です。

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