※「Brother」の勲視点のお話になります。
律儀にも、弟の恋人になった相手は実家に挨拶にやって来た。
ファニーフェイスに明るく懐っこい性格でスポーツ万能な弟に、『彼女』ができたことは一度だけあった。
押しの強い女の子に一方的に押し切られて、一方的に別れを告げられただけの交際は数の内に入らないだろう。
幼稚園の頃には担任の女性保育士が好きだと柔らかい頬を染めて教えてくれたことがあったが、それ以来可愛い弟の口から特 定の人物に特別な感情を抱いているという報告を聞いたことはなかった。
だから、たぶん今日連れて来る『恋人』は、初めての本気の恋。
それがたまたま同じサッカー選手で、男同士だった。
そしてそれは、障害にはならなかったらしい。
お互いがプロサッカー選手だということで起きた騒動は、二人がピッチ上で毅然とした姿勢と質の高いパフォーマンスと結果を示すことで収束したのだが、弟の恋人は真面目な顔で頭を下げた。
寡黙すぎてインタビュアー泣かせとして有名な彼が、きちんと言葉を紡ぎ真剣だということを伝えた。
喜ぶ母と、緊張しきりの青年に何か感じるものがあるらしい父は快諾。
英介の恋愛問題については最も敏感で厳しい友里も、何故か手放しで歓迎している。
俺だって、反対するつもりなんかない。
ただ、心配なだけだ。
交際発覚でこれだけ騒がれて、プレーに影響が出るくらい英介の心は揺れた。
腹を括ってからは調子は戻ったが、同性愛という市民権を獲得していない恋愛の形はこれからも標的にされるだろう。
一つのミスが、僅かな隙が。
信じあって認め合って支えあって、そして愛し合う。
多くの人と何ら変わりのない恋愛を、理不尽に叩かれることが心配でならない。
英介を守りたいと思ってきた。
歳の離れた泣き虫な弟。
泣き虫で体も小さいのに、負けず嫌いで頑張り屋で。
あの事故以来、理不尽に与えられる痛みや悲しみや苦しみはできるだけ除いてやりたいと思ってきた。
英介は困ったように笑いながら、俺の差し出そうとする手をやんわりと押し止め、困難に向かっていくのだけど。
そんな俺の過保護具合を見通して、英介はあどけない口調で愛を語る。
『男同士だし、サッカーして生きていくから離れることもあるかもしれないけど、大丈夫って自信あるし。タカのこと信じてるし、信じてもらえてるよ』
史上最強の惚気だった。
「で、君はうちの英介をいつから好きだったの」
このまま素直に英介を渡してしまうのはあまりにも癪なので、夜中に高山浩二と二人きりで飲んだ。
文句を言う英介を寝かしつけ、手酌でいこうと断ってからあまり楽しくもない飲み会は始まった。
「……いつからって言うか……」
寡黙な彼を相手にするには焦らないこと。
「英介はあの通り鈍いし、お子様だし、恋愛だってろくにしたことがない。友人だと思っていた君に抱くのが恋愛感情だと、自分で気付くわけがない」
恋愛としての好意ならば、抱くよりも抱かれる方が多かった。
高校の頃から、英介が困った顔で持ち帰ったラブレターの差出人は男女問わず。
降り注ぐたくさんのラブコールの中から一つだけを大切にはできない英介は、ピッチ上で何万の人間に感謝の気持ちを示すためのプレーに全力を注ぐ。
その英介が握り返したたった一人の手の主は、精度が高く絶妙な球種を手繰るミッドフィールダーだった。
あまりにもらしいと言えば英介らしい選択。
「たぶん、男だけど好きだと意識したのは、君の方が先だったんだろうと思う」
そうだと思いますと、低い声が答えた。
きっかけがキャンプ中に行ったゲーム大会の罰ゲームだと言う話は聞いた。
「惑わされた?」
悪戯っぽく問えば、高山浩二は一瞬驚いた顔をしてから破顔した。
「そうっすね」
笑いながらビールを呷る。
英介の幼い顔立ちが、ピッチの上ではギラギラと攻撃的に変化するように、大人しそうなこの男の顔もホイッスルが吹けば一変する。
声を上げ、体をぶつけていく。
定評のある当りの激しさで、選手を負傷退場にすることもある。
静かな面の下には確かに英介と同じ獣性が秘められている。
それが今、ちらついた。
英介の話題で、危険な顔つきになる。
惑わされたとも言い切れないらしい。
惑わされたのは英介の方かもしれない。
「勲さん」
不器用な男が積極的に紡ごうとする言葉は真摯。
「メディアとか偏見から、英介を守りきる自信は、正直ありません」
いつか、一人の男の正直な胸の内を聞くことになるだろうと思っていた。
それは友里が連れて来る男の胸の内だと思っていたのだが。
「俺は噂は気にならないけどプレッシャーには弱いから、潰れかけることもあるかもしれません。みっともないプレーを見せることになるかもしれない。だけど」
散々の弱音の後の、『だけど』。
「だけど、最後まで諦めない。最後まで英介の手離さない。そのための、努力をします」
嘘のない言葉に涙が出そうだった。
どんな逆境も、静かに耐えて前を向く力を、彼は確かにもっている。
決断する力をもっている。
その力をもって、彼は英介を愛すると誓う。
そしてあの可愛い可愛い英介を、コイツは確実に連れて行ってしまうのだ。
台風の夜には風の音に怯えて泣きながら俺の布団に入り込んできた英介を。
事故後の病院のベッドの上で、両親に気丈な笑顔を見せた英介を。
もう一度、サッカーをするのだと歯を食いしばりながら立ち上がった英介を。
「一つだけ、約束して欲しい」
彼は真っ直ぐに、静かな視線を向けてくる。
「英介の歩みを止めるようなことだけは、決してしてくれるな。英介は行きたい場所へ行く。君がどうするのかは君の自由だけど」
目標はもっと広い世界にある。
高いレベルにある。
英介はいつか必ずこの国を発ち、活躍の場を世界に広げるだろう。
そうでなくてもサッカーの世界で移籍は頻繁に行われる。
その足枷になるようであれば遠慮なく引き離すつもりでいる。
「俺も、行きたい場所へ行きますよ。そこだけは俺も譲れません。俺も、プロでやらせてもらってますから」
高山浩二はきっぱりとそう言った。
こいつだから、英介の相手ができるのだと思った。
そして英介だから、この男を愛せるのだと、思った。
『タカと何話してたの』
律儀な報告を終えて戦場へと戻った戦士は、暇を見つけて電話を寄越してきた。
「可愛い可愛い英介くんを、大事にしないと地獄に落すぞって話」
兄と自分の恋人の間で会話が弾むはずもないと思っているから、不安が募っているのだろう。
英介が過ぎたことに関して尋ねてくるのは珍しい。
『タカ、言ってたよ』
「何って?」
『勲兄はゴールポストみたいだって』
「ははー、上手いこと言うな、浩二くん」
無口だが、表現力は豊かだ。
イマジネーション溢れるパスが生み出される要因だろう。
ネットを揺らすよりも、よほど当てるのが難しそうなたった12センチの枠だが、それが得点を邪魔することは少なくない。
『俺さぁ、もっと反対されるのかと思ってた』
意外な結末の里帰りをずっと不思議に思っていたと英介は言う。
つまりは、俺が本心を伝えていないのではないかと。
本当にいいの? と聞きたいらしい。
「好きになったんだろ」
『うん』
「信じてるんだろ」
『うん』
「信じてもらってるなら、いいんじゃないか。特別だって思えるんなら、それが運命なのかもしれない」
我ながら聞き分けがいい。
気持ち悪いほどに。
「実を言うと兄ちゃんは、英介は結婚できないんだと思ってた」
『は? 失礼だなぁ』
「だって可愛すぎるから。女の子よりもずっと可愛いから、相手の娘さんは劣等感に負けちゃうだろうと思ってたんだよ。だから兄ちゃんが一生見守ってやろうと思ってたんだ」
『……そんな、勝手に決めないでよ』
「ずっと俺達の手の届くところで笑ってくれるんだと思ってたから、淋しいよ」
事故から暫らくは、家から出すものかとすら思っていた。
だけど事故から立ち直ろうとする英介は自分の足で苦難に立ち向かい、ついにはユース代表、そしてプロ入りという夢を掴んだ。
一度は死をも覚悟させられた可愛い弟は、今や日本サッカー界になくてはならない存在になろうとしている。
『俺はそんな遠くになんていないよ。ずっと、兄ちゃんの弟だもん。兄ちゃんがいないと、困る。すごく。淋しいし、怖い』
Jリーガーで代表選手で皆の希望。
だけど英介は、俺の弟。
大切な家族。
「英介」
『んー?』
「愛してるよ」
『……っ、そろそろ家族以外の人に言いなよ、そういう言葉はっ』
照れて怒って、でもちょっとだけ嬉しそうなはにかみを頬に浮かべる。
電話越しに、君のクルクル変化する表情が見える。
「何があってもずっと見てるから。安心して、頑張れ」
『……うん。うん。頑張る』
どんどん進んでいってしまうくせに、帰る場所や包んでくれる腕がないと不安がる。
英介の我侭っぷりが発揮されるのはこういう所。
俺達家族だけの愛情や温もりだけじゃ、もう満足しない。
かと言って高山浩二の真摯な愛情だけでも足りないのだ。
どちらも揃ってないと不安になる。
まったく、我侭で可愛らしい王子様。
愛しすぎて放っておけない。
だからまぁ、クロスバーに甘んじることもできるのだけど。
普段、当てることなんてないのに決定的に邪魔をする。
だけどなくてはならないのだ。
ゴールが存在するために、12センチ幅の邪魔者は。
2005/9/22
ブラコン好きっす。