たぶん、それは、恋。
続く猛暑。
クーラーを効かせた室内はオアシスだ。
風呂上りの体に水分を補給して、ひんやりサラサラのシーツの海にダイブして得られる満足感に浸っていると、夏も悪くないなどと思えてくる。
低めに温度設定してあるクーラーは、冷たい空気をガンガン送って体の表面を撫でていく。
内側からホコホコと沸いて来る熱が心地いい。
カーテンを開けっ放しの窓の外はまだ暗くなりきっていない。
紫色の空が広がっていた。
さぁて、これから寝るまでの時間、何をして過ごそうか。
ゲームはあんまりしないし、DVDも手持ちの分は全部見てしまって、レンタルもしてない。
テレビを点ける気にもならず、読みかけのまま一年近く放置してあるハードカバーの本を開いてみた。
一ページ捲ったところで、突然ドアが開いた。
ノックもなし。
挨拶もなし。
そんな無礼な奴は一人しかいない。
「エースケ……」
「うわ、本とか読んでるし」
「わりぃかよ。今日は相手しないからな。俺は読書をする」
自分と同じく風呂上りらしい英介は、突然手にしていたアイスクリームのカップを投げつけてきた。
ハーゲンダッツのラムレーズン。
甘いものは好きじゃないが、ハーゲンダッツは別。
入口に立ったままの英介は仁王立ちで俺を見下ろしている。
「スプーン、要る?」
「……いる」
それが入室許可だった。
フフンと鼻で笑うと、ズカズカ部屋に入ってきてどっかりとベッドに腰かけた。
ほらよ、と乱暴にプラスチックのスプーンを放る。
読書は諦めて暫らくはアイスクリームに集中した。
英介の手にはチョコクッキー味。
一口自分のアイスを差し出すと、自分のカップからもたっぷり一口掬って差し出す。
「そんなにいらねぇ。好きなんだろ?」
「好きだからじゃん」
「……そっち、甘すぎるから、その半分でいい」
「じゃあ、そっちのも半分でいいよ。アルコールっぽいから」
自分の好物を惜しみなく分け与えてもらえるほどには、自分は英介に気に入られているんだろうと思う。
「ハーゲンダッツってマジで美味いよな。値段と味がつりあってるもんな」
「高校の頃、俺、カチ割り氷ばっか食ってた」
「あー、あれ美味いよな。部活帰りのアイスって美味いんだよな」
同期で同い年というのはいい。
生まれた場所も同じで、何かと話が合う。
悩みも割と素直に打ち明けられるのは、プロ一年目という同じ境遇同じ環境だから。
そして、俺達が親友だから。
今までの人生でこんな風に他人と打ち解けることがなかったから、英介との会話はなんだかんだと言いつつ楽しいし、二人で部屋にいることに息苦しさを覚えない自分を感じることを、最近は嬉しいと思うようになっていた。
他愛のない会話の途中、のしっと背中に体重がかかった。
「重い」
「うそ、軽いって」
うつ伏せ状態の俺の背中に、英介が乗っかっている。
「夏のさ、クーラーのきいた部屋で風呂上りで、人とくっつくのって気持ち良くて好きなんだー」
すり、と肩甲骨あたりで英介の頬が左右に動く。
「実家だと兄貴と友里がいるんだけど、寮だとタカしかいないしー」
高校生の頃に参加した海外遠征中。
ホラー映画を見た直後に、眠れないからと同室だった俺のベッドにもぐりこんできた英介だ。
スキンシップが好きだということは前から判明している。
「彼女つくれ」
「出会いがない」
「スバルさんに合コン連れてってもらえば?」
「女の人、怖い」
「……」
「俺、取り得サッカーだけだもん。呆れて厭きられて捨てられるんだー」
「経験談かよ」
「女の子は怖いからいい。男の方が頑丈だから弄っても飛びついても平気だから、そっちでいい」
背中の上でゴロゴロと身を捩ると、さすがに痛い。
執拗なディフェンスに制裁を与えて、ゲームを止めることが稀にある肘が当って痛い痛い。
痛いけれど、サラサラした布の感触を通してじわりと伝わる体温が気持ちいい。
暴れ止んだ英介は口も閉じて、じっとしている。
眠ってしまうのかもしれないと、再び本を開いた。
最初こそ戸惑っていた英介の触れたがりだが、今ではすっかり慣れた。
例えばこれが食えないチームドクターが触れたがってくると、ぞぞぞと背筋に寒気が走るのだろうけど。
自分は無愛想だし会話で相手を楽しませる性格ではないが、昔から子どもと犬猫等の動物には好かれてきた。
英介のも、たぶんそれだ。
たぶん、それ。
……それって、何だよ。
好物のアイスクリームを分けてもらって嬉しがってるソレはなんだ。
女の子に興味がないと言われて安心しているソレはなんだ。
触れ合ってトクトクと特別な音を奏でるソレは。
英介の一挙手一動に、必要以上に喜怒哀楽を揺さぶられている自分がヤバイ。
ヤバイと思っている時点でもうアウトという気も薄っすらしている。
ふと背中を指が這い回る感覚に気が付く。
「わかった?」
寝たかと思っていたら、背中での伝言ゲームだったらしい。
「わかんねぇ」
「もう一回な」
するすると背中を動く指先の感触。
集中すると、
「祝?」
「そう」
一文字目が祝ならば、あとの文字は書かれなくてもわかった。
今日行われた試合で初のフル出場を達成したから。
「サンキュ」
「絶対に俺が先に達成すると思ってたのに」
カプリと。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
カプリと、俺の体の一部が英介の口の中に含まれたのだと気が付いて、それが耳朶だと認識して、怒鳴るべきなのか叫ぶべきなのか突き放すべきなのかわからなくなる。
ぺろりと舌が皮膚の上を這い、離れていった。
ぱくぱくと口だけが動く俺の姿が、間近にある英介の大きな目に映っている。
「ははー、赤くなってやんの。かーわーいー」
これが思わせぶりな表情だったり、はにかみ笑いだったり、挑発的な眼差しだったら俺は、決定的な答えを弾き出せたのに。
目の前にあるのは何もわかってなくて、意識もしていない、無邪気なガキの笑顔だった。
背中越しの体温は子ども体温だからやたらと温いのか。
「あー、眠くなってきた。寝ていい?」
「寝ろ寝ろ。俺の読書の時間を邪魔すんな、ガキ」
「同い年だろー」
軽口の叩き合いは、英介の寝息で途絶えた。
遠慮なく預けられた体が呼吸を繰り返すのが、ぴったり触れ合っているからよくわかる。
緩く握られた手が投げ出されて俺の視界にちらついている。
闘志や安らぎは伝染するのに、なんでこの鼓動のスピードは伝わらないんだろう。
今。
蹴ったら入るんだろうか。
そういう距離まできているんだろうか。
シュートレンジは定かではなく、決定率も計算できない。
もどかしい。
これがサッカーの話なら、背中にいる奴は『打っちゃえよ』と気軽に言うんだろう。
外したとしても、シュートを打ったことを後悔しない。
だけどこれはサッカーの話ではなく。
たぶん、恋の話。
勢いと度胸で打てるシュートじゃない。
あー、くそ。
なんで好きかもしれない奴を背中に乗っけて本なんか読まないといけないんだよ。
サラサラしたシーツの感触と人の体温を感じて、英介は気持ちよさそうに眠りの淵。
布団に甘んじてやるから、これくらいはいいよな。
無防備に力を失った指先に口唇を寄せた。
ほんの少し伸ばした舌で指の腹を舐めた。
風呂上りのそこからは甘い味がした。
ラムレーズンに似た、甘い味がした。
一時間後にパチリと目を覚ました英介は、俺の背中でケラケラ笑い出した。
なんだよと尋ねたら、夢を見たと言う。
「なんかねー、誰かを好きになる夢なんだよ。夢の中なのになんかドキドキしてさー、嬉しかったりふわふわしたりしてるの」
「誰かって?」
「や、俺もわかんねぇんだけど。あー、なんか気持ちいい夢だったー」
コロリと俺の背中から降りた英介が、すぐ横に転がって笑う。
「恋してーなー」
恋かもしれない。
恋でも、いいかもしれない。
2004/10/10
両思い前の二人です。くっつく前(「コンタクト」以前)の二人の関係は、高山が薄っすらと英介のことを特別に思い始めてて、英介の方はあくまで親友の枠を越えないという感じです。微妙な距離感が好きだったりします。