小児科病棟の多目的広場に設置した大型テレビ。
映画館へ足を運べない子供達が映画鑑賞をしたり、揃ってビデオ体操をしたりするのに活用されているそれは、週末になると子供達に囲まれる。
興奮しすぎるのはよくないけれど、ドキドキした眼差しを画面に向ける子ども達の横顔は真剣で、あまり注意もできない。
注がれる視線の先では、プロのサッカー選手が国内リーグを戦っている。
時に地元・広島ジョウィナーズの試合を。
そしてこの病院の子供達が楽しみにしているのは、神戸レインボーチャーサーの試合。
「エースケ選手は出てるの?」
子ども達に問いかけると、スタメンに決まってるじゃんと返事がある。
「みんなはどっちを応援するの?」
「どっちも!」
地元チームにも勝って欲しい。
けれど、この病院で足を治し、プロのアスリートとなった先輩も応援したい。
彼らの答えは明確だ。
どっちも頑張って欲しい。
こちらを向きもせず画面を食い入るように見つめる子ども達から視線を壁へと向ける。
大きな模造紙一杯に、カラフルな絵が描かれている。
昨年、多忙なスケジュールを縫ってこの病院を訪れた彼が、子ども達と一緒になってサッカーをしている絵を描いた。
絵の具やマーカーに汚れながら、転げまわるように模造紙一杯に描かれた絵は、見る者の気持ちを明るくする。
ビタミンカラーを散りばめた病棟に寄り添う悲しみを拭うような一枚の脇には、その時に撮った何枚もの写真も飾られている。
試合前のように男の子達と肩を組んでいる様子、照れる女の子の肩を抱く写真。
どの写真も笑顔が咲いている。
「今、エースケ選手は得点王なんだ!」
男の子が胸を張る。
“得点王”というタイトルの重みが、胸を熱くする。
昔を振り返り、月日を数えて指を折ると左手の小指までが必要になった。
十年。
もう、十年になる。
救急で運び込まれたサッカー少年が数日の昏睡から目覚め、目指した夢を諦めなければならないかもしれない残酷な告知を受け、泣きながら夜をすごし、ここを飛び立って十年。
絶望に自分の将来を恐れ泣き叫んだ少年が、顔を上げた瞬間に立ち会った。
夜の巡回であの子がまだ眠っていないことはわかっていた。
テレビを見ていたのだ。
カーテンの隙間からのぞき見ると、彼は無音でサッカーを観ていた。
時差のため、深夜に放送することになっていたらしい日本代表の試合。
サッカーはもうできないかもしれません。
そう告げられて泣き崩れた少年が、サッカーを観ている。
眠りを促す注意をすることができず、そっとその場を立ち去った。
夜明けを目前にした頃、たどたどしい松葉杖を突く音に気がついて詰め所から外を覗くと、目覚めて以来自分の意思でベッドを降りなかった彼が廊下を移動していた。
不器用に松葉杖を扱い、時にふらつきながら階段を目指す。
屋上を目指しているのだとわかり、胸騒ぎを覚えた。
多感な年頃だ。
私たちが日夜そこから遠ざけようとしている終焉が魅力的に思えたり、どうしようもなく求めてしまうこともあるだろう。
屋上に辿り着いた彼は、高いフェンスに手を突いて松葉杖を床に放した。
まだ重いギブスで固められた自分の足に視線を落とし、掴んだフェンスを揺する。
怒りをぶつけるような仕草に、フェンスがカシャンカシャンと音をたてる。
それに、泣き声が混じった。
こんな人気のない場所で、彼は声を殺して泣いていた。
声をかけるのを躊躇う。
どのくらいその背中を見つめていただろう。
空が白みを帯び、自動車のエンジン音が徐々に増えてきた。
彼の絶望に関わらず、世界は日常を綴る。
目覚めた鳥達が空を渡る。
その時、彼は顔を上げた。
街に棲む鳥の後を目で追い、ゆっくりと深く息を吸う。
ふと、十四歳の背中が大きくなった気がした。
「サッカー、したい」
体中に溢れた思いを破裂しないために吐き出す。
何かが変わったのだ。
それを確かめたくて踏み出した足は、ベンチに当たって音をたてた。
少年が振り返る。
驚くでもなくこちらを見た少年は、やがて綻ぶように笑って見せた。
「飛べなくても、歩いて、走っていけばいいんだ」
そうでしょう?
そう首を傾げた彼の足は、治る。
後遺症なく完治して、きっと走り出せる。
根拠などないけれど、そう思った十年前。
骨を復元し肉を繋げた彼の足は、何万人もの人の心を躍らせる。
子ども達が興奮と喜びに小さな体を震わせ、飛び跳ねる。
走ると言った君の思いは飛んでくるよ。
2008/7/10
リアルな選手にも、きっと鍵となる場所や人があるんだろうなーと思いながら。