高校に入学して間もなくのこと。
神妙な顔で英介が一枚の紙切れを差し出してきた。
希望する部活動は、サッカー部。保護者欄には父の名前が書き込まれていたが、承諾印がない。
「父さんが、ハンコは兄ちゃんに押してもらいなさいって」
緊張を滲ませながら英介はそう説明し、待った。俺の反応を待っている。
父は承諾した。母も、おそらくは同じ気持ちでいるのだろう。一度は失うことを想像した息子が選ぶ道がどんな道であろうと、元気に笑ってくれているのなら
支えていこうという覚悟をしている。
父はあの事故の瞬間を目撃した俺の気持ちを察して承諾印を空けてくれたのだろう。
けれどこれは、うっかりと押し渋ってしまいそうだ。
英介が再びサッカーをすることは悪いことではない。頭ではそうわかっているけれど、英介がサッカーに出会っていなければ事故は起こっていなかっただろう
し、事故で負った傷にあれほど傷つくこともなかったという思いもある。これからまた、ピッチを駆け巡ることで怪我をすることもあるだろう。サッカー無名校
での活動にもどかしさを覚え、苛立つ日だってあるだろう。舌足らずに語った夢を諦めることもあるだろう。
どうしたらこの子を守れるだろう。
悲しませずに済むだろう。
父さん、心遣いは有難いがこれは困る。
兄と言うポジションに預けるには重過ぎる責任だ。判子一つつくのに、こんなに悩んだことはない。
言葉も探せず行動にも移せない俺を、英介が耐えかねたように見上げてきた。
「……兄ちゃん」
お願いします、と続いた声は俺を動かすのに十分な力を持っていた。
父の署名の横に兄としての承諾を記す。
英介はそれを神妙な手つきで受け取って、真っ直ぐな視線を向けてきた。
「俺、頑張るから」
無邪気さのない、力強い響きだった。
不敵ささえ見てとれる男の目をしていた。
けれど差し伸べた手で頭を軽く撫でると、機嫌のいい猫のような表情に一変する。
支えていこうと、そう思った。
一分一秒の成長を見守り続け、とうとう我が弟はワールドカップのメンバーに名を連ねるかどうかと言うところまで到達してしまった。
メンバー発表の記者会見が始まった。
どうしても落ち着くことができず、よほどストレスが溜まらないと口にしない煙草を銜えては消しまた銜えるを繰り返し既に三箱目が開こうとしている。胃薬
は一昨日から一箱開けた。
指先がひんやりして、胃が引き絞られ、心臓がマラソンの後のようにバクバクと振動としている。イライラするような、怖いような、高揚するような、抑える
ことのできない感情に引っ掻き回されている。
尋常ではない様子に、応援してくれている会社の面子も遠巻きに見守っている状態だ。
会見の空気が一変した。
代表監督がスーツのポケットから一枚のメモを取り出す。
神様。
サッカーの神様。
一度はあんたを死ぬほど恨んだりもしたけれど。
こんなお願いは都合が良すぎるとは思うのだけど。
お願いです。
俺の可愛い弟はあなたのことを愛してやまず、あなたに微笑んでもらいたい一心でこの世に留まってくれた。
頼むから、あの子の魅力に落とされてくれ。
ほだされてくれ。
名前を呼んでくれ。
お願いです、神様――――――――!
2013/1/1
久々にBSシリーズ更新です。PC変えて初更新なので、違うソフトで編集してるんですが大丈夫かなー?このサポーター達へ
の10のお題はコンプリートです。最近サッカーと遠ざかってるんですが、今後は日常編なんかをちまちま書いていけたらと思います。時々、BSシリーズキャ
ラが脳内で暴れるのです。