※注意!!!
この作品は不朽の名作漫画、「観用少女(プランツ・ドール)」/川原由美子(朝日ソノラマ・ソノラマコミック文庫)を、BSシリーズでやっちゃったパロディです。
ご理解のある方のみお楽しみくださいませ。


観用少女パロ
Sweet Marble



 高山にとってその日は、あまり楽しくない一日だった。
 苦手なインタビューの仕事を受けて、仕事の最中は最中で気の効いた受け答えを出来ない自分への嫌気ばかりが募る。
 どうしたってインタビューと言う本職ではない業務は、すっきりした気分で終わることなどできないのだ。
 帰り道で一つ溜め息をついて、持参していたボールをネットに入れたまま軽く蹴った。
 サッカーを始めた頃に買ってもらったサッカーボールを、思い出の品として持って行ったのだ。
 駐車場へ向かうのに通りかかった路地は、幼い頃に高山がボール蹴りをして遊んだ路地と似ていた。
 旧オフィス街だったエリアは、今は小さな会社がちらほらと残り、空いた部屋には雑貨屋やセレクトショップが混在する、不思議な町並みを作り出していた。
 中にはぽかりと昔のまま残されたオフィスビルや古いアパートに囲まれた空間もあって、時代の感覚を失うようでもあった。
 懐かしさを感じる路地で、憂さ晴らしだと高山はボールをネットから取り出して、足元に転がした。
 十時を回る頃には、このエリアから人気はほとんどなくなるのだ。
 街灯の下と言うのも懐かしく、高山はアスファルトの上でボールを蹴る感覚を楽しむ。
 芝生の上とは違うインパクトでボールが跳ね、それを操ることで培ってきたボールコントロールの技術は高山が誇れる数少ない自分の長所だ。
 難易度の高いリフティングが成功して、沈み気味だった気持ちが上昇するのを感じた。
 そして、どこからかの視線を感じてボールを手中に戻した。
 ボールが跳ねる音がうるさかっただろうかと心配しながら振り返ってみると、街灯に隠れるようにして立つ子どもと目があった。
 こんな時間に子どもが一人で、こんな場所に。
 訝しくも思ったが、それよりも子どもが自分に向ける眼差しに惹きつけられてしまった。
 元々、子どもが好きな高山だ。
 ボールを指先でくるくると回してどう声をかけようか考えていると、高山の何気ない仕草に大きな目を更に大きくして、小さな口唇をぽかりと開けた。
 素直な感情表現がおかしくて可愛くて、ついふっと笑みが零れた。
 近付いてみれば子どもは少年で、黒い半ズボンに白いシャツ、襟元には細い赤色のリボンが結ばれていて、ずいぶんとレトロな装いだが、少年の白い肌やぱっちりした大きな目が印象的な顔立ちに良く似合った。
 童話に出てくる王子様を実写化すれば、こんな感じになるんだろうなと高山は思う。
 7歳かそこらだろうか、懐っこく輝く目はさっきから高山の持つサッカーボールから離れない。
「サッカー好きか?」
 声をかければ、ぱちりと音がしそうな瞬きを一つしただけだ。
「家はこの近く? こんな時間に一人で出歩くと危ないぞ」
 少年は曖昧に首をかしげ、ととっと軽やかな足取りで高山の方へと駆け寄ってきた。
 目線を合わせようと高山が膝を折ると、少年の手がおずおずと薄汚れたサッカーボールに伸ばされ、そっと触れた。
 渡してやると、興味深げに腕に余るほどのボールを見つめ、えいっとばかりに放り投げて足を振り抜いた。
 先ほどの高山の動きを真似ての、思い切っての動作。
 ボールはちょこんと折れそうな足先に当たって、高山の手の中に戻ってきた。
「上手いな」
 その言葉に、少年はにっこりと笑って見せた。
 花咲くようなという表現がぴったりの微笑みに、一瞬五感の全てを奪われた。
 言葉すら失っていると、
「あー、見つけた!」
 女の子の声がかかった。
 誘拐犯にでも間違えられはしまいかと焦って声の主を見上げれば、二十歳くらいの女の子が仁王立ちしていた。
「プランツ・ドールなんだから、もうちょっとおしとやかにしといてよねー」
 女の子も可愛らしい顔立ちだが、物言いがサバサバとクールに聞こえる。
 この子の姉だろうかと思ったが、
「プランツ・ドール?」
 聞きなれない言葉が引っ掛かった。
 聞き慣れないが、聞いたことがないわけじゃない。
 プランツ・ドール。
 観用少女。
 金持ちの道楽かなんだかで、人肌のミルクと砂糖菓子と愛情を与えれば極上の笑顔を返してくれるとか言う、超高級人形だとか。
 この子が持ち主なのだろうか。
「すみません、なんか、サッカーに興味あるらしくて」
 慌てて頭を下げると、女の子は高山と少年とを見比べて、
「まあ」
 と言った。


 意味深に微笑む女の子に連れて行かれたのは、こんな店があっただろうかというような一軒の店だった。
 装飾が施された家具やら内装を、ナントカ調と言うのだろうけれど雰囲気に呑まれた高山の頭はイマイチ働きがよくない。
「プランツ・ドールを扱う店なんです、ここ」
 広い店なのだろうが、あちこちに配置された家具と天井から吊るされている天蓋が視界を惑わす。
 女の子がぴらりと捲った薄いカーテンの向こうには、幾つものアンティーク調の椅子とそれに腰掛けた見目美しいプランツ・ドール達が目を閉じている。
「この子も、プランツ・ドール?」
 路地で出会った少年は、さっきから高山がネットにおさめてしまったボールを凝視している。
「えぇ。この子も他の子と一緒で、こうして目を閉じて自分に愛情を注いでくれる存在が現れるのを待っていたんですけど……。突然、目を覚ましたかと思うと店を飛び出してしまいました」
 笑いながら、この店の主らしい彼女は良い匂いのするお茶を出してくれた。
 目と閉じているプランツ達はどれも美しく、少年、少女とタイプは違えど手に入れてあの笑顔を向けられたなら、財産を全てつぎこんでしまうのも仕方が無いことなのかもしれない。
「この子は、あなたを選んだんですよ」
「俺っ?」
 意味深な笑みを向けられ思わず大きな声を出すと、ボールを凝視していた少年――プランツ・ドールが高山を仰ぎ見た。
「一度目覚めたプランツ・ドールは、他のお客様には目もくれなくなるんです。このままあたなに買ってもらえなければ……」
「……なければ?」
「枯れてしまうかも」
 いかにも悲しそうな顔をして溜め息をつく店主の視線は、無邪気に高山を見上げてボールに手を伸ばすプランツ・ドールに向けられる。
 プランツ・ドールを手に入れるなんて考えたこともないし、噂で聞く値段から想像もできない範疇にある趣味だと思っていた。
 だが、こうして目の前にその実物を見て、懐かれて、枯れてしまうと聞けば話は別だ。
 グラリ、と心が揺れる。
「……た、高いって聞いてます。俺の稼ぎでは……」
 プロサッカー選手として契約はしているからそれなりの額をもらっているし、堅実な方だから貯蓄もそれなりにある。
 だがそれは、いつクビをきられるかもしれない自分の将来のためのものでもあるのだ。
 自分に自信のない高山に、プランツ・ドールを囲えるだけの収入を得続ける約束はできない。
「そうですね……、お客様にご購入いただけなければ枯れてしまうプランツです。それなりにお勉強させていただきます」
 にっこりと鮮やかに微笑みながら、店主は少年を抱き上げて椅子に座らせた。
「それにね、この子は元々値引き対象のプランツなんです」
「値引き? その、おしとやかじゃないから、ですか?」
「そういうタイプを好まれる方もおられますから。性質ではなく、ココに」
 と、店主の綺麗な指先がプランツ・ドールの左足に触れた。
「腕のいい職人が丹精込めて育てた子なんですけど、運ばれてきた時に事故に遭ってしまって……。見えます? ココに修繕の痕があるんです」
 ついと指先が辿った箇所には、確かに人間の縫合痕のようなものが見えた。
 白い素足の中でも、更に色が白く血が通っていないかのような傷跡が。
「歩いたり走ったりはできるみたいですけど、傷跡は完全に直らなくて。まぁ、たまにこういう変わった特徴を持つプランツを好まれるお客様も存在し ますから」
 膝を撫でられたプランツはパタパタと細い足を動かしてみせる。
 カタカタと店主の指先が電卓に弾き出した数字は、ちょっとした贅沢をしたと思えば済むような額だった。
 だからと言って、安易に決めることができる代物でもない。
 プランツ・ドールの美しさと笑顔を保つに必要なのは、愛情だと言う。
 日に三度のミルクはともかく、愛情には自信がない。
 傍らの不思議な少年を可愛いとは思うし、心も惹かれる。
 不安なのは、自分の想いなんかで育つのだろうかと言うところ。
 沈黙して考え込む高山の顔を、プランツが覗き込んできた。
 艶々した大きな瞳は無邪気に高山を捉える。
 チョコレート色の髪の毛を梳いてやると、またあのなんとも言えない微笑を見せた。
 目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らす猫科の動物のように高山の腕に懐いてきた。
「真摯に注ぐ愛情に、質の良し悪しなんてありませんよ?」
 店主が静かな言葉を紡ぐ。
 自分を選んでくれた瞳は真っ直ぐに自分を見上げてくる。
 高山の口をついたのは、こんな言葉だった。
「……ローン、組めますか?」


 名前はお好きに付けて下さいと言われ、一晩プランツ・ドールの動きを観察して考えた。
 今日からの同居人は、連れてこられた部屋を駆け回った後、ミルクを温めていた高山の背中にへばりつき、人肌のソレを簡素なマグカップから飲み干して、すぐに眠くなったのかうつらうつらとし始めた。
 高山の広いベッドに寝かせると寒そうに体を丸めながら眠ろうとするから、片付けを済ませた高山も同じベッドに潜り込んで目を閉じた。
 未だ名無しのプランツ・ドールは高山の懐に潜り込むように近付いてきて、クウクウと安らかな寝息を立てる。
 間近にある寝顔は、暗がりで見ても華やかなのがわかる。
 清楚なと言うよりは、ぱっと目を惹く派手な顔立ちをしているタイプだ。
 高級なお人形さんと言うイメージから遠いのは、部屋中を駆け回った足取りの軽さのせいだろうか。
 自分以外の存在が傍にある時間を過ごすのが久しぶりな高山は、その違和感を覚えながらも少年の背中を撫でてやった。
 ふと唐突に、幼い頃、両親が離婚した後のことだが、父親が何の気まぐれか連れて行ってくれた動物園を思い出した。
 はしゃぐような可愛らしい子どもではなかったが、普段見ることのない動物達の姿を興味津々で見つめていたのは覚えている。
 その中でも記憶に残っているのが、仔ライオンだった。
 まだタテガミもない、猫のような小さなライオンは兄弟達とじゃれて、満足そうに目を細め、木陰で眠っていた。
 あのライオンの名前が不意に浮かんできた。
 檻の前の看板に、今年生まれたばかりの一番小さなライオンとして紹介されていたのは確か……。
 エイスケ。
 英介だ。

「お前……、それ、幾つの時の子だ」
「やっぱり隠し子いたのか」
 初めて練習場に英介を連れて行った時、あちらこちらからそんな声が掛かった。
「やっぱりって何スか」
 クラブハウスに入るなり、一斉に向けられた視線に怯えて英介は高山の背中にへばりついてしまった。
 活発に動き回っているから人見知りする性質はないのかと思っていたが、そうでもないらしい。
「プランツ・ドールですよ。なんか、縁があったらしくて」
 と、説明すると、今度は一斉に驚きの声が上がる。
「プランツ・ドール! お前が!」
「そんなに給料もらってるか、お前」
「やー、でもやっぱりかーわいーわ」
 チームメイトもスタッフも予想外な盛り上がりを見せ、英介は英介で意外な怯え方を見せている。
 大丈夫だよと頭を撫でてやる仕草を見て、またわぁわぁと声が大きくなる。
「何スか。俺がプランツ・ドール育てるの変スか」
「いやいや、変って言うか、意外は意外ですよ〜」
 笑いながら昴が真っ先に寄ってきて、英介に『怖くないでちゅよ〜』と何を勘違いしているのか赤ちゃん言葉で愛想を振りまき、頭に手を伸ばす。
 その途端に英介がビクりと首を竦ませるから、すかさず昴の手を叩き落としていた。
「怖がらせないでください」
 ぴしゃりと言い放つと、目を丸くしていた昴は泣きまねをして富永へと衝撃を訴え始めた。
「タカさん、ローン地獄っすか?」
「そうでもない。足に傷があるらしくて、かなりまけてもらった」
 もう自分以外の客には見向きもしなくなったという理由は、あまりにも照れくさくて伏せておいた。
「今まで家で留守番してくれてたんだけど、なんか調子悪くなってきたから連れてきた」
 同居が始まって二週間ほど、英介は部屋で大人しく留守番をしてくれていた。
 一日三回のミルクの内、昼の一回は高山が練習の合間に戻っていたのだが、午後の練習に向かう高山から離れがたそうにするのを引き離せなかった。
 何より調子が悪くなってきたのも事実で、英介のいた店に尋ねてみれば一緒にいる時間が足りないのではと言われた。
 元々の性格が活発らしい英介のこと。
 ひょっとしたら運動不足という可能性もあると言われ、チームに許可を得て連れて来たのだ。
「名前はなんて付けたんだ?」
「……あーと……、エースケって」
 昴をどこかへ押しやった富永の質問に答えれば、そりゃまた庶民的だなと笑われた。
「まぁ、タカにはいい同居相手かもな。お前、自覚ないまま寂しがってるから」
 富永は英介ではなく高山の頭をぽんと叩いて、茶目っ気たっぷりに笑って見せた。
 それから英介を見下ろして、
「エースケ、タカのことよろしくなー」
 そう告げて頭を撫でた。
 英介はその手に怯えることはなかった。

 練習場に連れてくるようになって、英介の調子はすっかり良くなった。
 高山がプロチームの一員として厳しい練習をこなす間、英介は他のチームメイトの子どもたちと一緒に練習場の隅で女性スタッフ達に相手をしてもらうことになった。
 他の子ども達とじゃれ回ることもなく、英介はじっと高山たちの練習風景を見つめていた。
 目覚めたてのプランツ・ドールは言葉を喋らない。
 慣れてくれば喋ることもあるのだそうだ。
 とにもかくにも、環境によって個体差が激しいとのこと。
 周りとコミュニケーションをとろうとしない英介は、午前の練習を終えて引き上げてくる高山の足取りをじっと見ている。
 華やかな顔立ちのプランツ・ドールを女性スタッフ達は構いたがる。
 視線を合わせたり、言葉に頷いたりはするものの、英介の意識は絶えず高山に注がれていることが、練習中の高山自身にも感じられた。
 持ち主だけに懐くプランツ・ドールらしい特性は、少々型破りな英介にも備わっているらしい。
「タカさん、飯行きませんー?」
「わりぃ、今日も弁当持参」
「もうすっかりパパさんですね。俺も今度弁当にしてこよーっと」
 後輩の誘いを断って英介へと視線を送り手招きすると、弾かれたように駆けてきた。
 持参した自分用の弁当と英介のためのミルクを持って、クラブハウスの屋上に上がる。
 天気もいいし、風も柔らかい。
 高い所からの景色に英介はしばらく屋上の四方のフェンスを駆け回り、やがて高山が腰を下ろしたベンチにちょこんと座った。
 大ぶりのカップに並々満たしたミルクを差し出し、自分は見た目は悪いがボリュームのある弁当に手を付ける。
 高山が大口で頬張るのを見てから、英介はカップに口を付ける。
 穏やかな春先の日差しの中で、英介の髪の毛はキラキラとチョコレート色に輝き、白い肌も太陽の光を浴びて人間の少年と変わらない色合いを見せる。
 足の傷も、太陽光の下だとあるのかないのかわからない。
 喋らないプランツ・ドールと寡黙な高山の間には、言葉は飛び交うことがない。
 だがそれを不服とも思わないのだろう。
 英介は寡黙な持ち主に、言葉の替わりになるスキンシップを求めるだけだ。
 高山も自分に懐いてくる温もりに慣れ、なくては物足りなさを感じるようになった。
 カップ一杯のミルクを飲み終えた英介に、小さな砂糖菓子を差し出す。
 英介は嬉しそうにそれを口に入れ、もぐもぐと頬を動かしている。
 あれだけ動いておいて、ミルクと砂糖菓子で足りるのだろうか。
 アスリートである高山は不思議に思う。
 そんな高山の心配をよそに、英介は随分と簡単な食事を終えてにっこりした。
 プランツ・ドールを扱う例の店で購入した砂糖菓子は特別なものなのか、それともプランツ・ドールの生来の特性なのか、英介からは仄かに甘い匂いがする。
 くせのない、陽だまりの匂いがする。
 うとうとし始めたソレに膝枕をして、高山も午後練習に備えた休息に入った。
 英介のそばで取る休息は、高山にとって至上の安息だった。

 寒い、と目が覚めた。
 体を起こすと、自分の膝を枕にして眠っていた英介の姿がない。
 またどこへ駆けていったのかと、一抹の不安も感じながらあたりを見回すが、屋上に英介の姿はなかった。
「どこ行きやがった」
 英介に掛けていたベンチコートだけが、まるで抜け殻のように残されている。
 それを拾い上げて、高山は屋上から練習場を見下ろした。
 人気のなかったグランドには、内田コーチと矢良ドクター、そして英介。
 三人の間をサッカーボールが転がっている。
 英介が、小さな体をいっぱいに使ってボールを蹴る。
 内田コーチがそれを褒めた。
 矢良ドクターもそれを見て笑っている。
 英介が、口唇を、瞳を、頬を、綻ばせる。
 花が開くような甘い笑顔。
 それが自分ではない人に向けられる。
 胸がすっと冷えるような思いを覚えた。
 最近はチームメイトに慣れてきて、声を掛けられれば反応を示すようになっていた。
 練習後にボール遊びをしてもらえば、嬉しそうに笑っていた。
 しかしその笑顔は、遊び相手ではなく高山へと向けられていたはずだ。
 もう、自分でなくてもいいのだろうか。
 突きつけられた可能性に高山の胸が痛む。
 そしてもう一つ、高山には不安なことがあった。
 英介の背が、少しだけ伸びている。
 着せた服の袖が足りないことに気付いたのは、英介を連れての練習場通いを始めて三ヶ月ほど経ってから。
 相変わらずミルクと砂糖菓子しか与えていないのだが、これが店主の言う個体差だろうか。
 大きく軌道がずれたボールを英介が追いかける。
 速いなぁとコーチが感心するほど英介の足は速く、あっと言う間にボールに追いついた。
 どうも、英介の笑顔の原因はサッカーにありそうな気がする。
 だからと言って、サッカーから遠ざけるのも大人気ない。
 まさかサッカーで飯を食っている自分が、そのサッカーに嫉妬する日がくるとは。
 情けない、と溜め息が零れた。
 それを聞きつけたように、英介が屋上を仰ぎ見る。
 にっこりと笑いかけてくれるのに手を振って応えると、英介はまたサッカーボールに夢中になり始める。
 今度は本当にこっそりと長い息を吐き出して、高山は空を仰いだ。
 高い空は、今の英介のようだと思った。


「しけた面してんなぁ」
 曇天模様の練習場でアップを始めていた高山に近付いてきたのは内田コーチだった。
「……何スか」
「ちょっと前まで子持ちのパパみたいな顔してたのにな。ここ最近は倦怠期の旦那みたいな顔してるぜ?」
 この人の観察眼には敵わない。
 何も言い返せず不機嫌な視線をよこせば、手にしていたファイルで口元を隠してみせた。
 目が笑っている。
「それにしても英介は可愛いねぇ。さらっちゃいたい」
「……蹴り倒しますよ」
 おどけたセリフに半分以上本気で返せば、わざとらしく驚いた顔をしてみせる。
「まぁ、それは冗談だけど。うちのチームにスカウトしたいのは本気だな。なぁ、アレ、育たねぇの?」
 アレ、とグランド脇でリフティングの練習をしている英介をちらりと見た。
「あいつはあのまんまでいいんです」
「はは、本当に嫉妬に狂った顔してるな。あれだけ懐かれておいて、まだ足りないか。心の狭い男は嫌だねぇ」
「……」
 これ以上このコーチの相手をしていたら堪忍袋の緒が切れて、とんだ非礼をかましてしまいそうだった。
 その場から移動しようとする高山を、内田は呼び止める。
「本題だ」
 まだあるのかと睨みを利かせれば、
「今度の欧州遠征のメンバー入り、おめでとう」
 とんでもない本題が待っていた。
 言われたことを理解して、喜びと安堵が体を駆け巡る。
 そして次の瞬間には、ミルクを飲み干し満面の笑みを向ける同居人のことを思った。

 合宿を兼ねた海外遠征の日程は十日間。
 渡されたスケジュールを見て高山は眉を寄せた。
 英介と過ごし始めて以来、代表戦は設定されていなかった。
 リーグ戦の遠征は一泊のこと。
 その間、英介は大人しく待っていてくれるし、高山の出場する試合の中継があれば安心するらしく、それをじっと見て待っている。
 だが十日もの間、家を空けるのは初めてのことだ。
 部屋においていくわけにもいかないだろう。
 路地裏のあの店は、メンテナンスや一時預かりはしてくれるから頼めばどうにかなるだろうけど。
「十日、か」
 独白を聞く唯一の存在は、既に夢の中だ。
 ベッドに仰向けになった高山に半分乗り上げるように覆い被さり、くぅくぅと寝息を立てている。
 育ってきている兆候の見える体は、それでもまだまだ軽く上に乗られても大した重みではない。
 間接照明だけの灯りに浮かび上がる天井を見上げ、ベッドルームに香る英介の匂いを感じる。
 自分が離れてしまっても、英介は割りと平気なんじゃないか。
 思えば出会いもそうだった。
 英介は高山浩二と言う人間ではなく、サッカーに惹かれて目を覚ましたのではないか。
 そんなことを思って勝手に凹んでしまう。
 サラサラした髪の毛を梳くと、英介は気持ちよさそうに頬を摺り寄せてくる。
 自分は意外と嫉妬深く、そして愛してほしがりなのかもしれない。
 苦い自覚をして、高山は眠った。

 ふとした瞬間に覚える物足りなさから溢れそうになる溜め息を殺して過ごした遠征は、それなりの結果を残して終えようとしていた。
 眠りが浅かった十日間は飛行機が陸に下りると同時に終わり、召集された選手達はそれぞれの帰途へつく。
 高山はまっすぐに、あの店に向かった。
 出発前に立ち寄った店で、英介は高山を手を振って見送った。
 持ち主の不在がどれほどの期間になるのか、わかっていなかったのかもしれない。
 どうしているだろうか。
 平気な顔をして迎えてくれるのだろうかと、卑屈な思いも抱えている。
 それとも、寂しかったと訴えてくれるだろうか。
 恋しさと寂しさを募らせた胸が鼓動を早め、足取りも速くする。
 息を切らしながら店のドアを開けるとオーナーが一瞬驚いた顔をして、すぐに綺麗な笑みを浮かべた。
「おかえりなさいませ」
 労いの言葉を掛けながら、店主の足は店の奥へと向かう。
 一刻も早く預け物を確かめたいという高山の気持ちを察しているのだろう。
 店の奥の天井から垂れた天蓋を、店主がそっと開いた。
 天蓋に囲まれた空間に置かれた長椅子に、英介は横たわっていた。
 目を閉じたその姿は、目覚めを待つプランツ・ドールのように美しく静謐なものに見えた。
 美しいけれど、それは英介らしくはない。
「足元にお気をつけください」
 段差でもあるのかと足元を見ると、キラキラと輝くものが一面に散らばっていた。
 屈んで一つ摘み上げると、それはビー玉のような小さな青色の球体だった。
 それが床一面に散らばっている。
 店主の趣味のインテリアとも思えない。
 何なのかと尋ねれば、彼女はゆったりと微笑んで見せた。
「天国の涙と呼ばれています。プランツ・ドールの涙ですよ」
 涙、と聞いて理解するまでに時間がかかった。
 だとすればこの膨大な量の涙は、英介が流したものだということか。
「貴方の試合をテレビで見ていたんですけど、貴方、一試合目は出場されましたけど、二試合目は出ていなかったでしょう? それで不安になってしまったようで。泣くだけ泣いて、ここ二日はミルクも飲んでいません」
 カツンと硬質な音がして、また一粒床に零れ落ちる。
「英介」
 たまらず名前を呼べば、投げ出されていた本当の人形のような手がぴくりと動いた。
 椅子の傍らに膝をつき、未だ目を覚まさない英介の頬に触れると、睫毛が震えた。
 ひんやりとした頬が、じわりと熱を持ち始める。
「ただいま。遅くなって、ごめんな」
 蕾が綻ぶように、ふっと英介が目を開く。
 茫洋とした瞳はくすんだようにも見え、高山の胸が軋む。
「英介」
 柔らかい頬を摩ると、英介の瞳の焦点が絞られていく。
 硝子玉のような瞳に自分の姿が映る。
「ただいま」
 囁くように伝えると、英介は縋りつくように高山の首に腕を回して抱きついてきた。
 その力に英介の感じていた心細さや不安を知る。
 胸の中で、勝手に英介の気持ちを疑っていたことを謝罪した。
 ポロポロと肩口から零れ落ちた涙は、またあの不思議な結晶に変わっていく。
「帰ってくるよ。お前の傍に」
 涙を拭うと、おずおずと視線を合わせてくる。
「お前、俺の家族だもんな?」
 涙の一粒さえ愛しくて微笑みかけると、英介は涙に濡れた頬を綻ばせて笑った。
 心が満ちる。
 乾いた大地に澄んだ水が染み渡って満ちていく。
 カツカツと硬質な音を立てて床に散らばった最後の数滴は、切ないほどに透き通った藍色ではなく、淡い桜色の天国の涙となった。



 「絶好調じゃないですか、高山くん」
 練習前のアップ中に内田コーチが意味ありげに話しかけてきたら、それは七割がバッドニュースで三割が良い報せだと言われている。
 今日もアップ中の高山に、絶好調だと褒める割には表情のない面が近付いてきた。
「……どうも」
 警戒しつつも素直に礼を言った。
 好調ではあるのだ。
 ここ三試合は連続ゴールで結果も上々。
 体も軽い。
「私生活もどうよ? 若者らしく充実しているかね?」
「コーチは人の心配の前に自分の私生活を固められたら……いてっ」
 たまには口答えをと思ったのだが、頭上から分厚いファイルを振り下ろされた。
「この俺に口答えするとは、相当ストレスが溜まってるんじゃないのかね? グランド脇からの熱視線不足かな?」
「ストレスなんて溜まりませんよ。口答えは男の甲斐性です」
「おぉ、言うね〜。この前まで嫉妬全開だった男が」
「……」
 所詮、この人に口で敵うわけがないのだ。
 慣れないことをするもんじゃないと、高山は再び口にチャックをしてランニングに行こうとコーチに挨拶もないまま背を向けた。
「まぁ、待て。タカ。本題だ」
 この前も、この『本題』でとんでもないニュースが飛び出した。
 身構えて、半身振り返る。
「お前の可愛いプランツちゃんのことだけどな」
 そこでまた言葉を切って、コーチはニヤリと笑う。
 もうグランド脇から自分に向けられる視線はない。
 またからかわれるのかと嘆息して、この場を去ろうとしたら、
「来年からトップチームでプレーしてもらうから」
 背中からとんでもない言葉が掛けられた。
「嘘でしょうっ? だってこの春にジュニアからユースに上がったばかりじゃないですか」
「や、そうなんだけどな。元が一応プランツ・ドールだろ。その成長速度ってのがまぁ、ちょっと普通じゃなくてだな。ジュニアからユースに上げたのは、明らかに見た目が高校生に育っちまったのもある。最近は背の伸び率も落ち着いてきたんだけど」
 珍しく内田も困惑を隠せない様子だ。
 十日間の欧州遠征後、英介は何故だか思う存分に育ち始めてしまった。
 慌てて店主に相談すれば、それは愛情過多じゃないですかとからかわれた後に、
『サッカーが、したかったのかも?』
 とあり得そうな答えをくれたので、おそらくはそうなのだろう。
 グランド脇で遊ばせておくには、英介は活発すぎた。
 そして、上手すぎたのだ。
 スカウトしていくぜと内田コーチに本当にさらわれてしまい、帰ってきた英介はジュニアユースの一員だった。
 最初こそ人見知りする英介だが、打ち解ければ笑顔を見せる。
 チームにも溶け込んでいるらしい。
 こうなれば三度のミルクと砂糖菓子では追いつかず、育ってしまったのならもういいかと食事は高山と同じメニューになった。
 更にスクスク育った英介は、体格こそ小柄ではあるが年齢的には高校生くらい。
 確かに、ジュニアユースでは許されない部分もあるだろう。
「でもユースからトップに上げたのは、実力だぜ?」
「……マジっすか」
「マジっすよ。トップで十分通用する。あの足の速さとセンスは即戦力だ」
 今度は内田コーチの口や目元が嬉しそうに変化するから、その言葉に嘘はないとわかった。
 路地裏で出会ったプランツ・ドールはサッカーに恋をして、育ち始めてしまった。
「今日の午後から、今更ながらのクラブハウス見学だとよ。ホラ、来た」
 内田コーチが顎で示した先、グランドに飛び込んできた彼は真っ先に高山を見つけた。
「タカ!」
 凛と響く声を得た英介は、真っ直ぐに高山の元へと駆けてくる。
 確かにそのスピードの速いこと。
 高山の広げた腕の中に突っ込んできた彼からは、相変わらず太陽の匂いがするし、その笑顔があれば高山の胸は満たされる。
 路地裏で英介と出会った自分は、彼に求められて成長していくのだ。


2006/02/24
やってしまった観用少女パロディ。書いてる間はすーっごく楽しかったです。プランツ英介にタカはいつから手を出すのか。

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