桜色のふっくらした口唇が、幼げな響きをもった声を紡ぎだす。
実家の両親へ電話をする時、英介の声は幼さを蘇らせる。
「母さんも風邪早く治しなよ。母さんが寝込んだら、誰が父さんのご飯作るんだよ。友里に作らせる気? 台所のリフォームが必要になるよ」
どうやら実家の母親は風邪気味らしい。
ぶっきらぼうに聞こえる言葉に込められた気遣いは、十分電話の向こうに届いているだろう。
「リベロも元気にしてる? うん、また帰るけど。兄ちゃん? あー、元気元気。さっきも電話してきた。って言うか俺が電話に出るまでに着信十件だよ。何とか言ってやってよ」
微かに、電波に乗った笑い声が聞こえた。
「え? だから大丈夫だって。大したことなかったし。そんなに深い傷でもないよ。顔とか、女の子じゃないんだから気にしないって。あー、もーわかったよ。はいはい、気をつけます。うん、じゃあ早く風邪治してな。うん、じゃあね。おやすみー」
うんざりした風を装いながらも、電話を切る際には優しい声になっていた。
携帯電話を閉じ、一つ溜め息をついて見せた英介が振り返る。
顔が歪んでいる。
「平気じゃなかったのか」
「喋りすぎた」
口唇の端に指をやる。
柔らかそうな口唇の右端に赤黒い傷が出来ている。
今日のリーグ戦で相手選手と転倒した時に自分で噛み切った傷だ。
ダラダラと口から血を流す英介は、すぐにピッチから出されて治療を受けた。
中継ではクローズアップして伝えられたのだろう。
試合終了後、携帯電話を見た英介はうんざりしたような困ったような複雑な顔をしていた。
ようやく各方面へ報告を終え肩を回しながらミネラルウォーターを取り出し、慎重な動作で一口含む。
「みんな大げさなんだよ。そりゃ、脚の故障とか骨折とかなら心配するのかもしれないけど、口切っただけじゃん」
そうは言うけれど、綺麗な顔にその瘡蓋は痛々しい。
けれど本当に痛々しいのは、自分が怪我をしたことで家族や友人に心配をかけてしまったと悔いる心の方だ。
サッカーと共にある自分を見せることで、英介の大切な人たちは幸福になる。
けれど怪我をすれば心配するのは当然。
サッカーを職業にする限りリスクは高いまま。
心配はかけたくないけれど、サッカーから離れたくもない。
葛藤を、英介はピッチの上で振り切る。
結局どんなに迷ったって、笑っていて欲しいと願う人たちを心配顔にしたって、サッカーに捕らえられた心を解放することはできないのだから、走るしかないのだ。
心配かけてごめんねと、言葉にはしないまでもいつも胸の中で謝りながら。
浮かない顔を更に歪め、英介がくっと奥歯に力を込めたのが頬の筋肉の動きでわかった。
呻き声を飲み込んだのだろう。
さっきから、赤い舌先が口唇の端をチラリと舐めては引っ込んでいた。
「舐めるなって」
「だって、気になるんだよ」
つい口唇を尖らせて、また顔を歪める。
さっきから、王子様と呼ばれる綺麗な顔が台無しな表情ばかり。
「薬は?」
「さっき塗った」
「舐めただろ」
ベッドサイドにチューブを見つけて手を伸ばすと、英介も手を伸ばしてきた。
リーチ分、俺の手の方が早く届く。
「自分でするよっ。いつものリップクリーム塗るんじゃねぇんだぞ! 怪我だぞ、怪我! お前、加減がわかんねーだろ!」
「大丈夫って自分で言ってただろ」
抗う体を腕の中に収めて、指先に薬を乗せた。
「暴れるとうっかり突くかも」
「なんだよ、サド野郎」
「英介馬鹿」
「あほばかうどのたいぼく」
「ちょっと黙ってろ」
減らず口は自然と閉じ、ついでに大きな目までぎゅっと閉じられた。
赤黒く腫れた傷にできた瘡蓋の上から、白い軟膏をそっと塗りつける。
指の腹に硬いくせに脆い瘡蓋が当たった瞬間、英介がびくりと身を竦ませた。
今にもはがれてしまいそうな瘡蓋の感触が怖くて、俺も早々に治療を終える。
手を離すと英介は恐る恐る目を開けて、その目と目の間に皺を刻んだ。
あぁ、キスがしたい。
治療中の口唇を避け、眉間と額に触れるだけの口付けを。
「……フェチかマニアか」
口唇をほとんど動かさない不明瞭な声は悔しそうだ。
「お前の彼氏だよ」
もう一度、怪我をしたのとは反対側の口唇の端を掠める。
早く治りますようにと、願いをこめて。
2007/6/17
相手が多少流血しても、あまり気にしない二人がいいな。
どっちがかピッチ脇で矢良ドクターにホッチキスで傷口止められていても気にしない。
歯が折れてなきゃいいな、くらいは考えてる二人。