「これはね、小学校1年生くらいね。私の実家に帰省してる時、夏祭りに行ったのよ。ほらほら、これ。可愛いでしょう?」
綺麗に整頓されたアルバムの中で、六歳の英介は白地に向日葵模様の浴衣を着て林檎飴を齧っていた。
やんちゃな少女にも、可愛らしさの際立つ少年にも見える。
中世的な顔立ちは天使のようね、なんて賛辞を集めたことだろう。
「この頃の英介が一番可愛かったのよねぇ」
甘い溜め息をつく英介の母が捲るアルバムには、天使の無邪気な笑顔が大切に飾られている。
それが徐々に、冊数を重ねる毎に、表情が変わってくる。
成長に伴うそれは当たり前のことではあるが、小学校六年生の頃だという写真に写る英介は、可愛らしいだけとは言いがたい表情を見せていた。
少年サッカーチームの試合中、父がボーナスを叩いて購入したと言う高性能のカメラが捕らえた一瞬。
英介はユニホームの肩口で汗を拭っていた。
その横顔に滲む焦燥が、ゲームのスコアを見るものに悟らせる。
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中学生の英介は、ガッツポーズをしていた。
何かを解き放つような笑顔は、今の彼と変わらないように思える。
寮の部屋にも飾られているオレンジ色のユニホームを纏った高校生の英介は、仲間の肩を抱いていた。
顔を覆って俯くチームメイトの肩を右腕で抱き、左手でもう一人の頭を抱えている。
サッカーに侵食されるようなアルバム。
その合間に、自宅でくつろぐ別人のような顔をした英介が残されている。
「もう、本当にサッカーばっかり」
改めて実感するのか、彼女の口調に甘苦いものが混じった。
「あの子ね、高校あがってすぐの頃、突然夕食の片付けの手伝いするって言い出したの。お皿拭きながら、サッカー部に入ってもいいかって聞いてきたのよ? 改まっちゃって。可笑しいでしょ?」
その様子は容易に想像できた。
たぶん、ぶっきらぼうな口調で手伝いを申し出た英介は黙々と食器を拭いて、何度もタイミングを計っては躊躇い、ようやくの覚悟を決めて切り出したのだろう。
「時枝さんは、何て言ったんですか?」
初めて、彼女の名前を呼んでみた。
彼女は一瞬驚いて、しかし柔らかい笑みを見せてくれた。
「頑張りなさいって、それだけ」
「それだけ?」
「だって、怪我しないでねって言っても怪我することあるじゃない? サッカーしてるんだもの。心配かけないでねって言っても心配しちゃうじゃない。親だから」
茶目っ気を含んだ言い方は幼く聞こえてもおかしくはないのに、何故だか母親らしい慈愛に満ちた音に聞こえた。
彼女は、希望と諦めの狭間を何度行き来してきたのだろうか。
優しそうというイメージそのままの女性の奥にある、強さを垣間見た。
この強さを、英介は引き継いでいるのだろう。
「瑠璃ちゃんも、きっと同じよ」
「え?」
自分の母の名前をちゃん付けで呼ぶ人は、彼女くらいだろう。
母はいい歳になってできた友人を尊敬し、慕っている。
この前は旅行に行ってきたのだと、滅多にないほどはしゃぎながら報告してきた。
夢を追いかけ続けた女優には、ドラマや舞台の他には大っぴらにできない小さな家族だけが世界の全てだった。
そんな母の手をとって他にも楽しいことがあるのだと導いたのは、料理上手な彼女だった。
「浩二くんがサッカーするのとか、英介と一緒にいてくれてるのとか。色んな気持ちを飲み込んで、頑張りなさいって言ってるのよ」
わかってあげてねと、女の厚い友情を訴える。
そして彼女が開いた新たなアルバムは、一気に時代をさかのぼる。
白い毛布に包まれた赤ん坊の寝顔。
二回目の出産は、一度目のそれから覚悟していたよりもずっと痛くて苦しくて、だからこそ生んでやろうと踏ん張れたのだと彼女は笑った。
写真には小さな紙片が添えられていた。
『英介、生まれて初めてのガッツポーズ!』
盗み見た女性の眼差しから、俺は慈しみという言葉を視覚で学ぶ。
罪悪感に苛まれながら自分の母としての立場を手放すことができなかった女性も、こんな顔をして古い写真を眺めることがあったのだろうか。
きっと、あったんだと思う。
そう思うと、滅多にないことに、いや、今までなかったことなのだけど、母に会いたいと思った。
今度、飯に誘ってみよう。
多くの言葉を声に変えることが下手くそな俺は、食卓を賑やかにすることはできないけれど。
それでも彼女はたぶん、笑ってくれるだろうから。
2007/11/1
タカと義母(笑)
親と言う生き物の覚悟を書く時、どこかこうあって欲しいと希望を込める。