放ったパスが相手チームの手に渡る。
 いとも簡単なインターセプト。
 繋がらなかったパスの行方を追う時、たまらなく空しい気持ちになる。
 プレー云々の話ではなく、自分の思いを理解してもらえなかったのだと、大げさな失望感が胸を過ぎていく。
 わかって欲しい。
 だけど、理解されると困る。
 矛盾する心を抱えて生きてきた。
 降り積もる寂寥をぶち壊してくれるのがサッカーで、パスが一本通る度、それがゴールに繋がる度、抑えることも隠すこともない歓喜を分かち合う度、安堵で胸が満たされる。
 どこまでわかってくれるのかと図に乗って、どんどんと複雑なパスが上手くなって、繋げたいから精度も上がった。
 サッカーは高山にとって、一人遊びにも似た自己表現だった。


Tender Beast


『ごめんね』
 そう言って、母は出て行った。
 七歳の夏の終わり。
 台風の夜。
 生まれた街が暴風域に入ろうとする、その直前だった。
 母を見送った父はひどく疲れたような背中を高山に向けて、風呂に入って寝ろと告げた。
 風呂から出ると、父は一人ソファーに埋もれるように座り込んで、酒を飲んでいた。
 静かに口唇を湿らせながら、ツマミも何もなく。
 おやすみと声を掛けると、あぁと素っ気のない返事があった。
 素っ気無いのはいつものことなので、素直に部屋へ行こうとしたら、ソファーの父が動く気配がして振り返る。
 何か言いたそうな顔をした父は、高山の顔をしばらく凝視して結局、歯を磨いたのかとどうでもよさそうなことを口にする。
 磨いたよと返して、部屋にこもった。
 しばらく、父さんと母さんは別々に暮らすのという説明を残して母は出て行った。
 母さんは夢を叶えるためにここを出て行く。
 父さんと浩二と別れるのはとても辛いのだけど、一緒にいると夢を叶えることができないの。
 必ず母さんは自分の目標を達成して、帰ってくるから。
 待ってて。
 待っててね。
 複雑すぎる母の表情を、あの頃の自分はまだ理解していなかったのだけど、ただ印象にだけは残っていて、泣きそうな微笑を忘れたことはない。
 始終黙っていた父は、最後に母のことを他人に話さないようにと言われた。
 強要するのではなく、ぽつりと。
 そうでなければ、母の夢の妨げになるのだと。
 そうなのかと思っただけだ。
 誰にも家庭環境について語らず、口を閉ざしてきたのは自分の意思だ。
 選んだのは、自分だ。 

 無愛想。
 話し掛け辛い。
 とっつきにくい。
 何を考えているかわからない。
 そんな印象しか周囲に与えることができず、しかし最低限の会話を交わす友人はサッカーのおかげで得ることができた。
 サッカーをするための関係は良好だが、それ以外のところで深く信頼し合えるような、そんな関係を築くのが高山には困難だった。
 そして、深く知り合うことが、怖かった。
 大切な人を守るために、それ以上に大切な人を見出すことができなくなっていた。

 そんな高山に一人の災難が近寄ってきたのは、高校一年の夏だった。
 高校生活にも慣れ、部活のハードさにも体が馴染んできた。
 女優の前に大という冠がつき始めた母が挑んだ、新作の映画が公開された数日後のこと。
「高山ってさぁ、逢沢瑠璃子に似てるよな」
 同じクラスの変わり者が、好奇心に目を輝かせて高山を覗き込んで、言った。
 宮川……聡だったか。
 映像研究同好会に所属していて、自主制作映画に取り組んでいるとかなんとか。
 デジカメをいつも持ち歩いていて、廊下の真ん中で佇んでいる奴がいると思って見ていればこのクラスメイトがカメラを覗き込んで、窓の外にレンズを向けていたりする。
 キレイなものが好きだと言って、女子そのものから女子の持っているアクセサリーに興味を示して、男女問わず仲良くできる人物だ。
 地味で話題性のない高山とは交わした会話も、多くはない。
 その宮川が、昼食を終えた高山の前の席に座り、爆弾発言を投下した。
 一瞬、言われた言葉の意味がわからなかった。
 逢沢瑠璃子という名前を認識するのに時間がかかる。
 演技派女優として、自分の秘密の母親の名前は教室の中でもよく耳にする。
 だがその名前が自分に向かって発せられ、自分との関係性を指摘した言葉となると、その衝撃は桁が違った。
 「や、昨日、映画見に行ったんだよね。逢沢瑠璃子の出てるヤツ」
 必死で不自然にならない否定の言葉を探していた高山の沈黙を呆れととったのだろう。
 宮川は勝手に話をはじめる。
「今回の役どころ知ってる? 権力と戦う女刑事! ちょーかっこいいの。睨み効かせるシーンでさ、ふっと思い出したのがサッカーしてる時の高山だったから」
 似ていると、思ったことは一度もない。
 比べてくれる人もいない。
 ただ父親とは性格こそ正反対だが、外見や声はそっくりだとよく言われてきた。
 厳しくも優しくも、硬質にも柔和にも変化する女優の母。
 あの美しい人と自分が似ているなど、笑うしかない話だ。
「眼科行け」
 言葉になったのはそんな言葉だった。
「ははっ、高山、割とおもしれー」
 何も知らない宮川が、逢沢瑠璃子と高山浩二を結びつけた。
 それは恐怖であり、曖昧な希望だった。
 一生心に秘めていく母から受け継いだものが確かにあるのだと、何気ない友人の言葉を頭の中で繰り返して生きていける。
 母がスクリーン上で見せたひたむきな眼差しは、高山に奇妙な友人を作った。

 見抜かれることは恐ろしい。 
 恐ろしいのは安堵しようとする自分がいるからだ。
 たまに不安そうな声をして電話を寄越す人の歩みを止めることはしたくない。
 したくはないのに、理解してもらいたい。
 不思議な友人はどこまでわかっているのかいないのか、ほどよい距離を保って高山の傍にい続けた。
「その靴の汚れ具合、いいねー」
 などと言いながら、屋上のコンクリートに投げ出した足にレンズを向けてシャッターを切る宮川を自由にさせている。
「この前言ってた試写会、行けそう?」
「あー、わりぃ。練習」
「だよなー。どっしよっかな」
「行ってこいよ。感想聞くから」
「ビスクドールが世直しするってストーリーの感想が聞きたいか?」
「聞きたいね」
「マニアだねぇ」
 ケラケラと笑いながら、高山が見ていたB級映画雑誌を横取りする。
「ながら食いはよくないよ」
 高山の食べかけの弁当を指さし、雑誌を手中におさめた。
 食の細い映研部員は菓子パン一つで満足できる胃を持っているから、食事が早い。
 仕方なくハウスキーパーの作ってくれる弁当に集中することにする。
「代表の合宿、いつから?」
「来月の頭から」
 ふぅん、と気のない相槌を打ちながら、宮川はページを捲る。
 自己満足として打ち込んできたサッカーが、選抜やらに呼ばれるうち、ついには代表に呼ばれてしまった。
 高校のサッカー部史上三人目の代表召集選手となった。
 思いがけないことではあったが、純粋に嬉しくもあった。
 レベルの高いサッカーは複雑で厳しく、その分高山のパスセンスが生きた。
 一本通る度に楽しくなる。
「上手くいってるか?」
 雑誌に視線を落としたまま、宮川が問う。
 それはサッカーが、という意味ではなく、人間関係のことを聞いたのだとわかった。
 寡黙で愛想を振りまけない高山が、代表や選抜という多種多様な人間が集まった場所で打ち解けれるかというと難しい。
 どうしても一人はぐれていき、とっつきにくい奴というレッテルを貼られてしまう。
 実際、ユース代表召集という人気者になるには十分な活躍をしたにも関わらず、高山の周りには人が集まらない。
 好奇の視線だけが向けられる。
 居心地の悪いそれから逃れるようにして、昼食は肌寒い屋上で食べる。
 当然のようにやって来る宮川だけが、高山に遠慮せずに傍にいる。
 B級映画マニアという共通点もあるのだが、宮川は高山の無言を気にしない。
 勝手に話を進め、勝手に声をかけてくる。
 よく言えばマイペース。
 悪く言えば自分勝手。
 高山は賑やかな場が嫌いなわけでも、人との関わりを持ちたくないわけでもない。
 ただ自分の気持ちを上手く表現できずに口数が少ないだけ。
 拒んでいるわけではない。
 そのへんを理解してくれているのが、宮川なのだ。
 そしてもう一人、そういう友人ができた。
「江口って言う、フォワードがいるんだけど」
「あー、ちょっとちっちゃくて、足がめっちゃくっちゃ早い子だろ?」
「そう。あいつと仲良くなった。明るいから、他の連中ともちょっと喋るようになれたし」
 それなりに上手くやっている、と思う。
 ぼそぼそと付け足せば、宮川は目を細めて笑った。
 狐のような男だと高山は思う。
 そして、いい奴だなと思ったりもする。

「高山、飯、全然進んでねぇじゃん。調子悪いか?」
 ぼんやりと最近できた友人のことを思っていると、宮川が顔を覗き込んできた。
 指摘され始めて気付く、自分の食の進まなさ。
 いつもなら無意識のうちに弁当箱は空になり、菓子パンの袋を開けているのだが。
「自己管理もできないようじゃ、プロ入り危ういな。保健室行って、熱はかって来な」
 雑誌は預かっておこうなどと偉そうなことを言って、宮川は高山を保健室へと追いやった。
 指摘されれば体調が悪いような気もしてきて、高山は大人しく滅多に足を踏み入れない保健室へと顔を出す。
 校内の有名人の来訪に若い校医は喜んで見せたが、渡された体温計を返して驚かれた。
 二十八度を超えた数値に呆れ返った彼女は、案外と鈍感なのねと笑って早退届けを書いてくれた。
 あぁそうか、自分は鈍感なのかと気付いたのは、自宅を目の前にしてぐらぐらと視界が揺れ始め、ガンガンと頭が痛み出してからだ。
 普段体調を崩すことがないから、たまに熱を出すと心身ともに戸惑ってしまう。
 ぐったりしながら部屋に辿り着き、どうにか学ランを脱いでベッドに潜り込む。
 ただ寝るよりは、食って寝る方が回復は早いのだが、そんな気力も食欲も湧いては来なかった。
 もぐりこんだ布団の中には自分の乱れた呼吸がこもって気持ちが悪い。
 眠れば治る。
 人間の体も獣と同じだ。
 言い聞かせて目を閉じた。
 校医は父親の職場に連絡を入れたらしい。
 急な出張に出たという親父殿に情報が届かなかったことに安堵して、高山はより深く布団に潜った。


 母が始めてテレビに映った時のことを覚えている。
 二時間ドラマか何かの主役の男の、昔の女役。
 普段、テレビなどニュースと野球以外に見ない父親が、ありきたりな筋書きのサスペンスをじっと見ていた。
 母の演技は数回に分けての十分程度。
 婀娜っぽく、気の強い役どころ。
 画面の中の母は見たこともない顔をしていた。
 見たことのない服装で、聞いたことのない言葉を発していた。
 決して好感が持てる役じゃなかった。
 けれど、不幸な主役女優を罵って足を組み、煙草を咥えた姿を美しいと高山は感じた。
 放送直後に「見た?」と無邪気な声で電話を寄越した人は、結局二時間枠の中途半端なところで撲殺されてしまったのだけど。

 早退して眠りについて、目が覚めたのは十時を回ってからだった。
 喉の渇きと共に昔の夢で覚醒を促された。
 体は異常を訴えてあちこちが痛み、ひどい吐き気と頭痛がする。
 台所に辿り着くのも一苦労で、スポーツドリンクを口に含んだ瞬間、体が楽になった気がした。
 未開封だったそれを飲み干して、ベッドに戻るのも億劫でソファーに倒れこんだ。
 薬を飲めば早く治るだろうが、それには食事をしなければならないが、作る気力も食欲もない。
 でもこの苦しさから逃れたい。
 楽になりたければ、自分が動かなければ誰も助けてはくれない。
 その孤独を体の芯から理解して、高山は呻き声を上げた。
 体の辛さを紛らわすためではなく、胸の痛みを散らすために。
 辛いとか寂しいとか、そういうことを認識したことはない。
 自分は鈍感だから。
 どうすることもできないのなら、もう一眠りしてしまおうかと目を閉じかけた時、高らかにインターホンが鳴り響いた。
 居留守を決め込もうかと思ったが、欲しかった映画のDVDをネットで注文していたことを思い出す。
 そろそろ届く頃だろうかと昨日までは待ちわびていたのだが、タイミングの悪いこと。
 再配達にさせるのも惜しいと、ふらつく体で玄関に向かった。
 ドアを開けると、ドアチェーンの隙間から宮川の顔が見えた。
「……おう、大丈夫か?」
 いつもの薄ら笑いを浮かべていた宮川が、驚きから引きへと表情を変える。
 何か用かと声を出そうとしたのに、それが叶わなかった。
「保健室のケイコさんにお前の調子聞いたら熱が出てたって言うし。親父さん、つかまんなかったって言うし。まぁ、一応」
 手にはコンビニの買い物袋が提げてある。
 チェーンを外して希少な友人を招き入れる。
「死にそうな顔してんなー。薬飲んだ?」
「……いや」
 なんとか声を出せた。
 だろうなと返事をしながら、宮川はずけずけと部屋に上がりこんだ。
「本当は学校終わったらすぐに来てやろうかと思ったんだけどさー、聡子さんがレイトショーのチケットくれちゃってさ。好意を無駄にはできず、けれど友人を心配しつつ、見てきた」
 だからこんな時間になったのだと、宮川は勝手にべらべら喋りながら、勝手知ったる人の家と鍋に湯をわかし、レトルトのお粥を温めはじめた。
「週末の練習は無理っぽいですって、顧問にも言っといてやったからなー。あー、俺って友情に厚い男だなぁ」
 友情に厚い男は映画よりも友情を優先するんじゃないかと、突っ込んでやる気力もない。
 それでも、唸り声を上げてこみ上げた寂寥感を少しでも発散させたいとまで思ったさっきまでよりは、今の賑やか過ぎる状況の方がだいぶましだった。
 三口程度、粥を飲み込んだところで限界がきた。
 薬を飲んだところで記憶が途切れた。


 次に目が覚めた時、部屋はぼんやりと明るかった。
 夜が明けたからではなく、テレビの光だと気付いた。
 同時に自分が眠り込んだのが、自室のベッドではなくリビングのソファーであることにも気付いた。
 部屋のテレビが付いていて、床に座ってソファーを背もたれにしている宮川がそれを見ている。
 時々、スナック菓子に手を伸ばしている。
 画面に映っているのは数年前のドラマらしい。
 逢沢瑠璃子が出ていた。
 母親役の彼女が焦った顔で夜道を走っている。
 この作品も知っている。
 夫に先立たれた未亡人が、新しい恋に戸惑いながらも愛息子の育児に奔走するというドラマだったはずだ。
 仕事を終わらせた彼女は急いで家へと戻り、熱を出した子供の顔を心配そうに覗き込みながら、ごめんねと泣き出しそうな声で囁くのだ。
 そして綺麗な手をそっと汗ばんだ額に乗せ、もう一度甘く苦い謝罪の言葉を口唇に乗せる。

 残酷な人だと思った。
 とても酷いことをする女性だ。

 それなのに、憎いとは思わなかった。
 父親のことをどうしようもない男だと思っていた。
 子どものように一途すぎる。
 自分も、その父親の血をしっかり継いでいるらしい。
 溜め息をつくと、宮川が振り返った。
「どう?」
 短い問いに、わからないと答えた。
「敏感なんだか鈍感なんだか、繊細なんだかアホなんだかわっかんねぇな、高山は」
 ゆらゆらと、不思議と優しい笑みを浮かべながら宮川はそこに居続けた。
 今晩泊まるとも、看病してやるとも言わない。
 好きなDVDを漁って、そこにただ居てくれた。
 それが今の高山にとって必要なことだと、高山の少ない言葉と乏しい表情から読み取って。
 母は、残酷な人だ。
 決して自分を一番にはしてくれない。
 父の手をとる日のため、息子と距離をとることを厭わない人だ。
 そんな母と、そんな母を一途に愛する父の間に生まれた自分は、何か欠けた人間になっているのではないかと不安だった。
 それでも自分は、掴みどころのない友と、苦楽を一緒に味わえる友がいる。
 その心地よさを知る。
「……サッカー、してぇ」
 この喜びを無駄に溢れさせたくはないのに。
「元気になってからねー」
 熱を帯びた体がもどかしい。
 それでも、孤独を噛み殺しきれずに溢れさせていたさっきまでより、体は楽になっている。
 薬と、もう一つの何かの効果か。
「宮川」
「はーい?」
「お前の映画、いつできるんだ」
「さぁ。来年かもしんないし、五十年後かもしんない」
「ふぅん」
「ファンタジスタ高山浩二が絶賛!って売り文句は今からいただいておくよ」
「そんなもん、幾らでももっていけ」
 だから俺には、今日この夜の記憶をくれと、胸の内で呟いて目を閉じた。
 明日には完全復活してみせる。
 目標を見つけた獣は腹を満たし、胸を満たし、眠りを貪る。

 翌日、目を覚ますと宮川の姿はなかった。
 お大事にという言葉と、湯の中に浮かぶレトルトの粥と風邪薬を置き土産に、バイトに出かけたらしい。
 そのかわり、高山の集めているB級映画のDVDがごっそり持ち帰られていた。
 そして、一本の電話が入った。
 泣きそうな声をした大物女優からの電話だ。
 どうやら父親から連絡を受けたらしい。
 大丈夫なのかと問い詰められて、大丈夫だと答えた声が掠れていたのをまた心配された。
 すぐにそっちに行くと言われ、慌てて断ったらまたぐずぐずと鼻を啜る音が返った。
 これくらいでへばってられないから、あまり甘やかすなと告げると怒られた。
 甘やかさせてよと怒るから、じゃあ黙って見てろと笑いながら言った。
 ベタベタと甘やかされたら駄目になるから、一歩引いたところで見守っていてくれ。
 貴女の優しい眼差しを感じていれば、自分はなんとかやっていけそうだ。
 それでも大丈夫なのかと愚図るから、
「いざとなったら、見返り要求しながら看病してくれるトモダチもいるから、大丈夫だよ」
 舌に甘さが残るような言葉を声に乗せた。
 電話の向こうで、高山が心底愛されたいと願う女性は、悔しいけど嬉しいと泣き笑った。
 前言撤回。
 この人は、残酷なのではなく、性質が悪いのだ。
 たくさんの不満を抱えているのに、与えられる安らぎの甘さに絆されてしまう。
 まさに飴と鞭。
 性質の悪い連中に振り回されるのも嫌いじゃないのだから、自分は本当にどうしようもないと、高山は甘苦い溜め息をついた。


 逢沢瑠璃子が高山浩二の母親であるという事実が周知のものとなってすぐ、高山は宮川に連絡をとった。
 A級の完成度を誇りながらB級に拘ったマニアックな映画を撮り続ける自称アーティストに、ファーストコンタクトの真意を聴くためだ。
 宮川は、高山の積年の疑問に対し、事も無げに答えた。
『別に変な勘繰りなんかねぇよ? ただ単に、似てるなーって俺の感性で感じただけ。で、今回の件で俺は俺の感性の鋭さに感心してる』
 びっくりはしたけどなと、宮川はただ笑った。
 なんで黙っていたと責めることもなかった。
 寛大な友人に感謝しながらも、彼は謝辞など気味悪がるだけだと想像し、代わりに彼が欲しがっていた映画のDVDを手に入れたから送ると伝えた。
『それもいいんだけど、俺はむしろお前のダーリンと会ってみたい』
「却下だ」
 以前からの要望は切って捨ててやる。
『なんでだよ。会って話して握手するくらいいいだろー』
「良くねぇよ」
 宮川が手がける作品の中には、アダルトビデオも含まれる。
 芸術性が高いとかで、女性のファンが多いらしい。
 以前、そういったジャンルに英介を使ったら面白そうだと零したことがある。
 高山と英介が親友以上の関係になる前の話だ。
 厭らしい意味合いはなく、ただ綺麗な物が好きな宮川の目に江口英介という存在が美しく映っただけのことではあるが、放っておける発言ではない。
『別に裸に剥いて押し倒してアレコレ言えないような初体験をさせようって言うんじゃないんだから、そんなに警戒しなくてもいいんじゃない?』
「お前……、その言葉が耳に入ったら蹴り殺されるぞ」
 美しい獣のような魅惑的な外見に似合うのか似合わないのか、中身は粗雑で乱暴なところがある。
 自分も過去に何度か黄金の右足の威力を体感したことがあるが、あれは凶器だ。
『うん、まぁ、撮ってみたいって欲望もあるんだけど、普通に会ってみたい気もする。高山がそこまで特別に思う人間がどんなのか見てみたいし、そういう人の前でお前がどんな顔するのか見たいな』
 おそらく宮川は、電話の向こうでいつか見たあの曖昧に優しい笑みを浮かべているのだろう。
 踏み込んで手を差し伸べるわけでもない、放っておくでもない。
 ただ、お前を見ているからそれだけは知っておけと告げるだけの友人。
 英介も宮川も、高山が母親について黙っていたことを責めない。
 それは、自分が友達になったのは高山浩二その人だから、背景のことは詳しく知らなくてもいい、その必要を感じないと思ってくれているからだ。
『江口英介には、全部さらけ出せたのか?』
「話はした」
『イギリスまで追いかけてって?』
「あぁ」
『高山が人を追いかけるってのも、妙な話だ。わかって欲しいくせに、わかってもらうのが怖いって、性質が悪ぃよ』
 仕方のない男だねと笑われて、言葉に詰まった。
 ここまで自分を分析されるのも居心地が悪いが、安心しているのも確か。
 まさに宮川の言う通りの心理になって、さらにばつが悪い。
 性質の悪さは母親譲りらしい。
『まぁ、あの子がお前のこと扱えるような子で良かった。俺にお前は手に余るよ』
 どういう意味だよと問えば、趣味じゃないってことだと笑われる。
『あとマザコンは願い下げだから』
「誰がマザコンだ」
 逢沢瑠璃子が、自分には離婚こそしているが愛している男性がいて、更にはその間に子どもがいて、それが更に更にJリーガーの高山浩二であると公式に発表して以降、私生活に関しては気ままな独身貴族で通してきた彼女は堰を切ったようにして家族の話をし始めた。
 密やかな関係を育み続けた夫の誠実さ、プロサッカー選手としての息子の活躍っぷり。
 特に会社員の夫とは違い、サッカー選手の息子はテレビでも大っぴらに扱うことができる分、話題に触れることも多い。
 惚気のオンパレードに、演技派女優のイメージは随分と塗り替えられてきている。
 彼女のテレビ出演中の特別ゲストとしての出演オファーもあるらしいが、断固拒否しているところだ。
 これでマザコン扱いされるのは高山には不本意なところだ。
 例え根っこの部分で、そういう気が無きにしも非ずと思っているとしても。
『あ、時間だ。わりぃ、これから打ち合わせなんだよね』
「映画?」
『うんにゃ。ドキュメンタリー』
「珍しい」
『うん。面白い企画だからやってみようかなって。先方からの指名でさ』
「ふぅん。放送決まったら、また連絡して」
『オッケーオッケー。たぶん、ママから聞くことになると思うけど』
「……は?」
『そっちもぼちぼちやれよ。ママさんにはよろしく言っとくから。じゃね』
「宮川っ、お前、ふざ……けんな」
 叫んでいる途中で、携帯電話の電波は無情にも切断された。
 もう一度かけてももう繋がらない。
 ぎりぎりと携帯電話を睨みつけていると、ノックと同時にドアが開いて英介が入ってきた。
「うぉ、お前、何、その顔」
 入るなりぎょっとした顔をする。
「や、ちょっと、宮川が」
 携帯電話を放り投げて、高山はベッドに転がった。
 送ってやろうと思っていたDVDは何が何でも貸さないと決めた。
「宮川さん?」
 面識こそないものの、英介は宮川の作品を何本か見ているし、高山から話も聞いている。
 高山の口から出る、自分以外に親しい友人の名前だ。
「これからお袋のドキュメンタリー撮るらしい」
「マジでっ? すっげぇー」
「すごくねぇよ」
 不機嫌に言い切ると、英介は何故か可笑しそうに笑った。
「タカはさぁ、マジで宮川さんのこと信じてるよね」
「……は?」
「喧嘩したりすごくないとか悪口言っても、絶対に縁は切れないし、宮川さんがタカの本音のところ拾ってくれるって信じてる」
 転がった高山の隣に腰掛けて、英介は優しい目をして高山の頭を撫でた。
 心地よさに目を閉じていれば、
「タカを好きでいてくれる人、いっぱいいるね」
 あどけないほど優しい言葉が降ってきて、思わず目を開けた。
 良かったと、声にならないほど小さな音で英介が呟く。
 無口で、人付き合いが上手ではなく、友人も少ないと自分で言い切る高山。
 たまに寄る彼の実家に人気があることなど皆無に近い。
 寂しくないのかといつも思っていた。
 だけど実のところ、理解してくれる友人もいて、他とちょっと違う形にしても愛情を注いでくれる母親の存在もあった。
 それが嬉しいと、英介は笑ってくれる。
 子どもをあやすような手つきで頭をぽんぽんと叩かれて、満足気な溜め息が零れた。
 傍らに横たわった英介が、高山の手を包むように握ってくれた。
 何も掴めない手だと、多感な時期にはたった一人の空間でじっと見つめたことがある五本の指。
 空っぽにしか見えなかったそれは、実のところたくさんのあたたかい手に包まれていた。
 一匹狼気取りで笑える。
 なんて自分勝手で我侭なんだろうと、呆れもする。
 だけどそんな自分に愛想を尽かさずに付き合ってくれる人もいるのだ。
「な、俺、宮川さんに一回会ってみたい」
「そのうちな」
「そればっか」
「お前も見たろ。宮川のAV。あんなのに出されたらどうすんだよ」
「タカが相手してくれるんなら考えてもいいよ」
 つらつらと他愛のない会話をしていたら、とんでもないことを英介が口にして、思わず想像して頬が赤くなった。
「アホ」
 呆れた声音が耳元でした。
 ついでに耳朶に噛み付かれた。
 自分から甘えられない不器用な獣のような自分を怖がらず、無遠慮に伸ばした手で強引に頭を撫でてくれる人たちがいる。
 高校時代のたった一度ひいた風邪はうっすらとそれを気付かせてくれて、宮川をはじめとする友人達と繋いできた絆が、今の高山を作り上げている。
 自覚すればうずうずと喜びに体が騒いだ。
「なぁ」
「んー?」
「サッカーしようぜ」
「オーケー。しようぜ」
 僕をわかって、理解してと囁き続けたトリックプレー。
 複雑なパスを受け取ってくれる人はピッチの上だけではなく、その周囲に大勢いるのだ。


タカ高校生時代話でした。もうちょっと書き込みたかったけど、まとまらなかったー。
タカはへタレだけど、人の好意とかをすごく大切にしがる人ということで。

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