トライアングル



<ゴールキーパーが……>

 彼を初めて見たのは、深夜にテレビで見た十八歳以下日本代表のアメリカ遠征の試合に出場している姿だった。
 小せぇ。
 それが第一印象だった。
 中継は深夜で、翌日は学校だった。
 眠ろうかと思った瞬間に、彼の姿が目に入ったのだ。
 江口英介。
 クラブユースではなく高校サッカーをしているらしいが、紹介された高校の名前は聞いたことがなかった。
 代表に選ばれているくらいだから、それなりに実力はあるのだろう。
 どれほどのものなのだろう。
 あまりにも小柄だから、その体で一体なにができるんだと思いながら見ていた。
 同い年にしては幼く見えるが、生まれ年は同じだった。
 ベビーフェイスというのか可愛らしい顔立ちで、さぞかしもてるんだろうなと思った。
 そして目が離せなくなった。
 そのスピードとドリブルに。
 十番をつけた奴が、右サイドに大きく蹴り出した。
 どこに蹴ってんだよと思った。
 カメラがボールを追うと、画面外だったところに走りこんでくる青いユニホームが見えた。
 十一番。
 猛然とタッチラインを駆け上がる。
 ボールと江口の距離はゴールラインまでに届くか届かないか、ギリギリの距離。
 江口がそれを詰める。
 ゴールラインを越えた体が振り返る。
 小さな体で飛ぶと、ボールはその胸に吸い込まれた。
 トラップ。
 ボールが体を離れるが、そこに走り込めている選手は誰もいない。
 トラップしたボールをキープして、自らペナルティエリアに持ち込む。
 ベッドに転がって見ていたはずなのに、いつのまにか体を起こしてテレビに齧りついていた。
「打て!」
 真夜中ということを忘れて叫んでいた。
 ゴールキーパーとポストの僅かな隙間をボールは貫いた。
 ゴールを決めた江口は、拳を固めて咆えた。
 選手たちと抱き合ってもう一点と声を上げる姿には幼さなんてものは微塵もなくて、かっこいいと思った。
「……こいつ、すげぇ」
 巧いというよりは、凄いと思った。
 夜明けまで続くその試合を、俺は結局見つめ続けた。
 試合よりも、江口英介という選手を。
 ユース代表の試合なんて言うのは、だいたい観客も少なくて盛り上がりに欠けるのに、俺は興奮しっぱなしだった。
 彼がボールを持つたびに、何を仕出かすんだろうとドキドキした。
 試合は二対一で終了の時を迎える。
 ホイッスルが鳴った瞬間、江口はピョンと飛びながら十番に抱きついて喜びを露わにする。
 弾けるような笑顔というのは、こういう笑顔のことを言うんだろうと思った。
 さっきまでカッコイイと思っていたのに、途端にカワイイ顔になる。
 でかい十番にひっついているせいか、小柄さが強調されて見える。
 実況は、江口が神戸レインボーチャーサーに入団することが決まっていると言う。
 俺は大阪ライジングチェアフルへの入団が決まっていた。
 もうすぐ、会える。
 結局眠れないまま朝練を迎えたけれど、俺はその日は絶好調でゴールネットを揺らすことを許さなかった。


<ミッドフィールダーが……>

 大阪ライジングチェアフルのゴールキーパー、水内純平。
 身長一九三センチの木偶の坊と言いたいが、その防御率は昨年のランキング二位だったらしい。
 前の大阪RCの正ゴールキーパーでA代表の守護神と歌われた選手が海外へ移籍し、スタメンの座を獲得したのも去年の話で神がかり的なセーブを見せた。
 俺のPKも止めやがった。
 すげぇ、むかつく。
 俺の蹴った方向と反対側に体は確かに跳んだのに、馬鹿長ぇ足が残っていてそれで蹴り出しやがった。
 物凄く、むかつく。
 おかげで去年のリーグはホームでもアウェイでも勝てなかった。
 まぁ、それは仕方ないと言えば仕方ない。
 来年、頑張るからいい。
 水内がムカツク理由は他にある。
 去年、水内が正ゴールキーパーになって初対戦の時だった。
『自分、江口英介やんなぁ?』
 到着した大阪RCのスタジアムで、英介の腕を掴んだのが水内だった。
 一九三センチの水内に引っ張り上げられるかっこうになって、英介は無遠慮な男を見上げていた。
『あ、うん。そう、だけど、えっと……』
『水内純平言うんよ。キーパー。今日、スタメン予定やねん』
 愛想よく笑う。
 噂では根っからの関西人気質で、入団当初からチームのムードメーカーだとか。
 突然のスキンシップと群を抜いた長身に驚き戸惑っていた英介も、持ち前の懐っこさですぐによろしくと握手した。
 その手が水内の両手に包まれた瞬間、ゴングは鳴った。
『俺、だぁいぶ前から自分のこと好きなんやけど』
 たぶん、そのゴングの音は俺だけじゃなく、その場にいた両チームの選手、関係者の耳にも聞えただろう。
『せやから俺のこと気にしてみてや』
『……は?』
『今日は絶対にゴール、入れさせへんよ。そしたらちょっと気にしてくれるやろ?』
 ヒュー、と誰かが口笛を吹いた。
『……そうだな。ゴール簡単に入るようなキーパーじゃ記憶に残らないから』
 そう応えた英介の顔はもうゲームモードに入っていて、突然の告白をしてきたヤツに向ける顔をしていなかった。
 ゴングは俺と水内の間だけではなく、英介と水内の間でも鳴らされていたらしい。
 その日の試合は水内のファインセーブに軍配があがった。
 試合終了後、ロッカーへ引き上げる両軍の中から英介を探し出して手を引いていたのも目撃した。
『どうや』
『次はぜってー負けねぇ』
 なんて返している英介の頭には、もう水内からの告白なんてないのだろう。
『期待しとるわ。そんでな、一緒に遊ぼうや』
『んー、いいよ』
『マジ? ほんならちょい待っといて、携帯番号とメルアド教えとく』
 そんなこんなで水内はちゃっかり繋がりをキープした。
『もてる彼氏を持つと辛いねぇ』
 俺の肩を叩いた昴さんがニヤリと笑って言った。
 そんなこと、最初から覚悟していた。
 ただ、今までこんなに露骨に手を出してくる奴がいなかっただけだ。
『水内はお前のこと知らないんだから、仕方ない』
 富永さんも慰めるように肩を叩いて、ロッカールームへ促した。
『目が喧嘩売ってるぞ』
 ロッカーに入るなり、神尾さんにまでそんなことを言われた。
『だって、すげぇムカツク』
 脱いだユニホームを洗濯物用の袋に突っ込みながらつい本音を零してしまった。
 ほらみろ、笑われてる。
『しかし、水内はいいキーパーだね』
『あぁ、すんげぇの。ゴール狭いもん』
『洞察力も悪くないしな。あれは怖いぞ』
 カコカコと歩き回る選手のスパイクの音がうるさい。
 本当にうるさいのは水内を誉める声だということはわかっていた。

 よくライバルは誰ですかと尋ねられることがある。
 たいていは同じチームの富永さんですと答えていた。
 それは尊敬と、いつか富永さんのポジションを俺が担うという意気込みを持っているからだった。
 だけど、あの日から『ライバルは?』 と尋ねられればこう答える。
 大阪ライジングチェアフル、水内純平が気に食わないと。


<そんなこんなで>

「なんで水内がいるんだよ」
 勘弁してくれと言わんばかりの高山の呟き。
「なんで高山がおんねん」
 その存在自体にツッコミを入れる水内の呟き。
「だって前売り三枚貰ったし」
 英介が映画のチケットをヒラヒラさせて、二人の不機嫌な顔を見比べた。
「いーじゃん。そんな嫌そうな顔しなくても。そんなに嫌ならけっこうですよ。俺一人で行くからお前ら仲良く遊んでろ、馬鹿!」
 見比べて、今度は英介自身が機嫌を悪くして歩き出す。
 高山と水内の不仲を知らないわけではない。
 ただせっかくのオフだ。
 楽しまなくては損である、と英介は思っている。
 慌てて二人が後をついてくるのもわかっている。
 両脇にぬっと柱が立って、それがついて回るような圧迫感がある。
「でもなぁ、これホラー映画やった気ぃするんやけど?」
 英介が握る映画のチケットを覗き込んで水内が尋ねると、英介がえっと驚いた顔をする。
「夏木はコメディだって言ってたけど?」
 と、映画に詳しい高山を見上げる。
「わりぃ、俺もよく知らない」
「なんで? 映画好きじゃん」
「インディーズ専門なもので」
「ふぅん。うーん、夏木の言うことだから嘘臭いなぁ。やっぱりホラー?」
「宣伝がホラーっぽかったで。あ、でもナレーションはコメディチックやったなぁ」
「ホラーコメディ?」
「そんな感じちゃうかな? えぇやん。せっかくやから見ようや。怖かったら俺にしがみ付いとけばえぇんやしぃ?」
「調子にのんなよ、水内」
 映画のジャンル一つでまた喧嘩が始まる。
 実は仲がいいのかもしれない、と英介は考え始める。
 高山は基本的に無愛想であまり笑わないし無口だ。
 だからと言って人嫌いなわけではない。
 そんな高山が例え嫌いだという感情であれ、表に出してぶつけること自体が珍しい。
 逆に意識している証拠だ。
 水内は逆に明るくて愛想がいいから、高山に対して文句を言ったり邪魔者扱いする様子には違和感がある。
 そんなそれぞれあまり見せたことのない一面をぶつけ合うのだから、打ち解けている証拠ともとれる。
「飲み物とポップコーン、買ってきて。俺、烏龍茶ね」
 映画館の売店を指して言いつければ、二人が顔を見合わせた。
「二人に言ってんだよ。一人じゃ持てねぇーじゃん」
 視線をすぐに外して、行くぞと同じタイミングで言い合って売店に向かっていく。
 これは実はいいコンビなのかもしれない。
 売店でも何やら言い合っている。
 売店の女の子や映画館にやって来た人はその言い合いを聞いて、二人がJリーガーだと気づいたらしい。
 少しだけ空気がざわつくのがわかる。
 だけど声は掛け辛いらしい。
 なんと言ってもファンサービスにも笑顔がない高山浩二と、普段の快活さが嘘のように怒っている水内純平だ。
 何人かの客は、英介にも気がついて視線を投げかけてくる。
 カップルはひそひそと何事かを囁き合う。
(あー、俺、我侭っぽく見えるかなぁ?)
 高山と水内をパシリにしているのだから。
(ま、いいけどさ)
 自分に関する噂なんて山ほどある。
 いい噂もあるけれど、噂なんて悪いものの方が多い。
(これで三角関係説が流れる……)
 高山との仲がワイドショーのネタになった時、英介はかなり落ち込んで周りを心配させた。
 喉もと過ぎればなんとやらなのか、今では自分に関するネタを楽しんでいる。
 そういう態度で出れば、楽になれる。
 自分のネタを笑いに変えればいいんだ。

「いちいちいちいちうるせぇんだよ、水内は」
「うるさいんはそっちやろ。普段喋らんくせに」
「二人ともうるさいよ。中入っても喧嘩続けたら蹴り出すぞ」
「その黄金の右足で? それも悪ないなぁ」
「変態」
 頭上でさらにはステレオで喧嘩が続くのではたまらない。
 英介はさっさと館内に入ってしまう。
 夕方からの上映で、しかも平日。
 館内にいる客は二十人もいないだろう。
「タカも純平もでかいから一番後ろ行こうか」
「気ぃきくなぁ、えっちゃん。俺なんて指定席ん時でも一番後ろやで」
 カップルに女の子のグループ、男のグループの姿がある。
 親子連れはさすがにいないようだった。
 最後列は無人。
 真ん中にあたりに英介が陣取ると、今度は席の順で二人が小声で言い合いを始める。
 あっちに座れ、こっちは駄目だ。
 普段、自分と高山の喧嘩を放置するチームメイトの気持ちがわかってしまった。
 これは無視したくもなる。
 仕方がないのでとりあえず二人の向こう脛に軽い蹴りを入れてみた。
「「…………ッ!!!!」」
 館内では大声を出すわけにもいかず、声を殺して体を丸めた二人は英介の両隣におさまった。
「……えぇキックや……」
「……加減しろ」
 そうして体を起こされると、壁ができたような気分になる。
 個室みたいだと英介は思った。
 っていうか育ちすぎだと思った。
 思ったが、口にはしない。
 水内からポップコーンがたっぷり入ったカップを受け取って、口に放る。
「あー、そう言えば」
「ん?」
「今度、候補合宿あるやん」
「あ、純平も呼ばれたね。おめでとうー。って言うか大阪が凄くねぇ? 代表にGK二人出したんだよ? ありえねぇー」
「まだ代表じゃねぇだろ。候補だ、候補」
「天狗になんなよ、高山」
「なってねぇよ」
「えっちゃんと同じチームでやるの初めてやん。楽しみにしとるよ」
「あー、そうだねぇ。純平とは初めてだもんな。あー、いいかも。一番後ろが一九三センチ」
「選んでもらえるかわからへんけどな。頑張るで」
 目尻に皺を寄せて純平が笑う。
 対照的に、高山の眉間に皺が寄る。
 また言い合いが始まる前に、館内の明かりが落ち、緞帳があがっていく。
 幾つかの映画宣伝があって、ようやく映画は始まった。
 暫らくは口喧嘩も中断。
 英介はほっとしながら、目線よりも上にある二人の横顔を見上げた。
 二人の視線はスクリーンへ向けられている。
 普段、自分達の面倒を見てくれている富永や片岡達の苦労がわかった。
 これからはできるだけオトナになろう。
 小さな決意を胸に、英介も久々のスクリーンに見入ることにした。

 そして樋口夏木の言うことはやっぱり信用できなかった。
 さらには映画の宣伝もJAROに訴えてやろうかと思う宣伝だった。
『キャアアアアァァァァァ!!!!』
 スクリーンではネグリジェ姿の女の子が、喉が裂けんばかりの絶叫を響かせていた。
 そして英介も同時に身を竦めている。
 ホラーコメディではないかと言う予想はことごとく打ち砕かれている。
 コメディの文字はどこにもない。
 ホラーだ。
 完全無欠のホラー映画だった。
 ポップコーンの入ったカップは握り潰される前に水内が取り上げた。
 出るか? と尋ねた高山の声も届いていないらしい。
 英介の視線は苦手なホラー映画を映すスクリーンに釘付けになっている。
 英介はサッカーでもそうだが、なんでも夢中になりやすい。
 今も映画の中に入り込んでしまっているのだろう。
 高山は水内の視線の向きを確かめた。
 少しだけ姿勢を変える。
 画面を見入っていた英介の顔を覗き込むと、画面の明かりをうつしていた瞳が大きく見開いた。
 タカ、と上がりかけた声を封じるように口唇を触れ合わせる。
 一、二、三と数えて離れた。
「こっちが現実で、あっちはフィクション」
 低い声で囁くと、パチリと睫毛が音を立てるように瞬いた。
「オーケー?」
 口の動きだけで尋ねると、間近にある瞳が怒ったような煌めき方をする。
「わかってる」
 と口唇が動いた。
 よし、と満足気に笑った高山は次の瞬間盛大に顰められる。
「何やってんねん」
 押し殺した声の水内が、高山の髪の毛を鷲掴みして英介から引き剥がしたのだ。
「お前、どさくさに紛れて手ぇ出してんとちゃうぞ、こら」
「純平」
 静かに、と英介が口を押さえる。
 ぐっと言いたいことを押さえた水内は、高山を力の限り睨みつけて大人しく体勢を戻した。
 高山も無表情ながらも、ちょっとだけ自慢気な顔をして自分の席にもたれる。
 その間で英介は、画面ではなく館内の暗がりに視線を投げる。
 そうしながら無意識なのか、口唇に触れる。
 映画はクライマックスにさしかかろうとしている。
 あっちはフィクション、こっちが現実。
 呪文のように胸の中で呟きながら、英介は水内が持っているポップコーンに手を伸ばした。
 お、という顔をした水内と目があう。
 小さく浮かんだ照れ笑いのような笑みを見て、水内もヘラリと相好を崩したのだった。


<居酒屋で……>

「生中二つとー、俺は……カシスソーダ」
「かしこまりましたー」
 店員の女の子はチラチラと馬鹿でかい二人に視線をやりながらも、テキパキとオーダーを書き込んで戻っていく。
 映画を見終わった三人がなんだかんだで行き着いたのは、チェーン店の多い居酒屋だった。
 出迎えたのが店長らしい男性で、思わず窺うように三人を見たので、
『奥の方がえぇなぁ』
 と呟いた純平の言葉の通り、奥で角というさほど目立ちそうもない席を案内してくれた。
 壁際に英介。
 その正面に座った水内と高山が壁になって、英介の姿はすっかり隠れてしまっている。
「えっちゃん、甘いの飲むん?」
「悪ぃかよ。ビール苦いし、すぐに酔うから」
「かわえぇなぁ」
「うるさいなぁ。いいから、何たのむ? 軟骨唐揚げは外せないでしょ」
「肉食おう、肉」
「じゃあ、ステーキでしょー」
「たこわさ、ホッケ」
「親父みたいだなぁ。あとご飯ものも何かたのもうよ」
 メニューを広げて覗き込んでいる三人連れにいくつかの視線がささる。
 店員の視線も熱いが、三人には気にならない。
 ナビスコカップ決勝のため、週末の試合はなく久々の連日オフでアルコールも解禁。
 残念ながら神戸RCも大阪RCもその舞台に立つことはできなかったが、気持ちの切り替えはできている。
 運ばれてきたアルコールでまずは乾杯。
「何に?」
「そらやっぱり代表候補召集にやろ」
「んじゃ、それにカンパーイ」
 ガツンガツンとグラスをぶつけ合う。
「えっちゃんってなぁ、こういう居酒屋とかファーストフードの店好きやんなぁ」
「そう?」
「こういうトコロでフォーカスかフライデーされてんで? あ、フォーカスは廃刊か」
「そうだっけ?」
「そうだろ。この前も小倉さんと行ったの言われたじゃねぇか。あの小倉さん随分安上がりなデートをしたとか」「あー、そうそう。だって小倉さん、どこでもいいって言うしさ。小倉さんに任せたら、ジーパンじゃ行けないところに連れて行かれそうだし」
 料理は何故か小出しで、違う店員が交互に持ってくる。
 テーブルに差し出しては三人の顔を盗み見ているから、英介はその中の一人にニコリと笑いかけてみた。
 慌てたように女の子は厨房の方へ戻っていく。
 きゃっきゃと黄色い声と店長の諌める声が、高山と水内の壁の向こうから聞えてくる。
「味、好きなん?」
 赤味の残るステーキを頬張る水内の前で、英介は首を捻った。
「味はねー、そりゃ富永さんに連れてってもらった寿司屋や焼肉屋とか、イタ飯屋の方が美味いよ」
「安いから?」
「なんかケチみたい?」
「そんなことないけど」
 カシスソーダの氷を鳴らして英介はちょっとの間考える。
 掘りごたつのような足下をブラブラさせると、どちらかの足に触れた。
「テーブルが、小さいからかな?」
 もう一度、カラリと氷を鳴らす。
「どういうこと?」
 水内の隣で、高山も同じように不思議そうな顔をしている。
「ちょっと高級なところとか、テーブルでかいじゃん。席と席の間隔とか離れてるし。こういうところは割りと近いんだよね。足とかすぐ当るし。料理とかも適当に置いといたら、適当にみんな箸伸ばせるし。そういうのが好き」
 ちょんちょんとテーブルの下で二人の足を突付きながら笑うと、珍しく高山と水内が顔を見合わせた。
「安心するって言うか、こいつと飲んで喋ってるって気がちゃんとするから」
 三人兄弟という、今の時代では大きな家族の中でしっかり愛されて育った英介だから、近くに人がいる方が安心するのだろう。
 一人で食事をすることがほとんどなかったと言っていたことがある。
 学校では友達が、代表やチームではチームメイトがいた。
 家には勿論家族が。
 部活や代表での遠征で帰りが遅くなっても、誰かが起きて待っていてくれた。
 食卓に食事は一人分。
 それでも誰かが向いの席に座って、英介が食べ終わるのを待っていてくれた。
 今日はどうだったの?
 楽しかったか、怪我はしなかったか、疲れてないか。
 話し相手になってくれて、おやすみと言うまで起きていてくれた。
 時にはその相手が妹だったりしたこともあったらしい。
 そういう環境で育った英介だから、食事をする相手との距離は近い方が安心するのだろう。
「俺、カウンターとか苦手なんだよなぁ。どっち向いて喋ったらいいのかわかんなくねぇ?」
 今度は高山と水内が同時に笑い出す。
 喉を震わせながら、なるほどなと思った。
 懐っこく、よく話し掛けてくる英介は決して厚かましくはない。
 手の反応を細かに確かめながら話をすすめていく。
 不快じゃなかったか、つまらなくはないか。
 自分は、邪魔になっていないか。
 そんなことを人一倍気にかけるから、カウンターが苦手だというのも頷ける。
 意外な事実だが、自分の人付き合いに自信がないのだ。
 だから慎重になり、だから好かれる。
「たこわさ、美味いなぁ」
 それなのに惚れ惚れした視線には気が付かないのは何故だろう。
「あ、野菜食ってないじゃん。薫さんに怒られるから、サラダたのもー」
 すみませーんと呑気な声を上げる英介の前では、何故だか脱力した二人が同じタイミングで中ジョッキを空にする。
 オーダーついでに店長から差し出された色紙を愛想よく受け取って、英介は楽しそうに二人を見る。
「三人連名だよ。ちょっとびっくりな取り合わせだよね。ライバル宣言してるタカと純平が一緒の色紙にサインだよ?」
「……せやねぇ」
「……そうだなぁ」
 どこに書こうかなとペン先を彷徨わせ、結局右端にサラリとサインを書く。
「なんで端っこなん? 真ん中に書いたらえぇのに」
「タカのサインの隣に純平のサインがあるから面白いんじゃん」
 白い歯を見せて笑う。
 垣間見せる子悪魔的な部分が、人を惹きつける。
 本当に、こいつにはまいる。
 俯いた二人の耳に、カシャリと言うわざとらしい音が聞えた。
 顔を上げれば携帯カメラを向けた英介が、
「ライバル同席記念」
 なんてことを言って笑っていた。



<水内純平が………>

「今度は大阪で遊ぼうな。俺、一人暮らしやから泊まりで遊べるし」
「あ、そうか。大阪、寮ないんだ」
「そうそう。まぁ、部屋狭いけどな。えっちゃん一人くらいは余裕やで」
 タクシーを待つ間の俺の提案に、英介は一人じゃ行かないよと答えた。
「天然っぽいのにガード固いな。心配せんでも襲わへんよ」
「大勢の方が楽しいので」
 意外にしっかりかわされてしまった。
 その背後で高山が、にっと口の端を持ち上げるのが気に食わない。
「まぁ、えぇけどな。端から人のもんやってわかっとって言い寄っとるわけやし」
 二人の仲がただのチームメイトではなくなったのは、俺と初対戦した年だったらしい。
 知ったときはショックだったが、電話越しの英介の声があまりにも幸せそうだったので、何も言えなかった。
「せやけど、諦めんで。喧嘩とかしたら最後やと思うとき。掻っ攫うで」
 最後は高山に向けて言ってやった。
 高山のリアクションは、いつもと少し違った。
「そんなこと、できねぇくせに」
 仕方ねぇ奴とでも言うように笑った。
 そうかもしれないけど、そこは黙って粘らせろ。
 まるで一目惚れのように、英介に惹かれた。
 最初の対戦でシュートを弾いた瞬間、感動したのを覚えている。
 ずっとずっと憧れてきた。
 傍にいるのが嘘のようで、実は今も一緒にいるだけで満足はしていたりする。
 そして、今度はピッチだ。
 同じピッチ、同じチームとしてサッカーができるかもしれない。
 同い年ながら憧れたあのプレーを前線に、俺が守る最後尾。
 まだ想像の段階のプレッシャーは心地いい。
 同じピッチに立つことができたら。
 きっと、俺はもっと上手くなれる。
 そんな確信がある。
 江口英介は、俺が殻を破るためのきっかけを、きっと作る。
 だから、これからが気張りどころ。
 目標があればいくらでも頑張れる。
「あ、タクシー来たよ」
「おう。じゃあ、また合宿で」
「じゃあな」
「おう」
 俺一人タクシーに乗り込んで、見送る二人に手を振った。
 次会うのは、とうとう日本サッカーのトップクラスが集う場だ。
「がーんばろー」
 ミラー越し、タクシーの運転手がちらりと視線を寄越してきた。
「ねぇ?」
 誤魔化そうと笑うと、運ちゃんはせやねぇとしみじみ呟いた。



<ピッチでは>

「あっがれー!」
 水内純平の蹴り上げたゴールキックは正確に、高山浩二の足下に落ちてきた。
 ノーコンなのに珍しい、と思いながら受け取ってそれを前線へ流した。
 地を這うキラーパスに必死の形相で追いついた十一番、江口英介がドリブルなのかフェイントなのかわからないままゴールに突っ込んでいった。
 ゴールネットに絡まったまま、英介は雄叫びを上げる。
 体を駆け抜けるのは武者震い。
 上がっていたディフェンダーは、喜びを分かち合うには遠い所にいて、ただ笑顔を交わして拳を突き上げあった。
 後ろを振り返ると青い波が打ち震えていた。
 水内が手を振ると歓声がさらに大きくなって体を震わせた。
 ハーフラインへと戻ってきた英介が声を上げる。
「声、出していこう!」
「集中―。こっからやぞー!」
 ゴール前から聞える一際大きな声に答える声が幾つも上がる。
 最前線に江口英介がいるという自信。
 最後尾に水内純平がいるという安心。
 そんなものを離れながらも与え合って、出した結果がハットトリックと完封。
 手にしたのは勝利の喜びを表すのに、英介は水内に飛びついて最高の笑顔を見せた。
 あの日、目を奪われた笑顔が水内純平に向けられている。
 興奮と幸福を噛み締めて、水内純平はゴールマウスを死守する。


堂々のライバル登場。
関西弁スキーですな、ワタクシは。思うに同人とかアニメとか漫画に登場する関西弁キャラは口調が女性っぽくて京都弁っぽい人が多い気がする。今回登場した水内純平もそんな例に漏れずです。体格的にはヨコハマのエノくんがモデルですが、性格は大きく違います。ちょっかい役に任命!

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