誕生日おめでとうと言うと、電話の向こうで彼女は照れ笑いを浮かべたのだと思う。
「うん。飯食ったとこ。や、なんかマズイっていうか、微妙だな。量だけはしっかり食ったけど。そっちは? マジで? いいなぁ。やっぱ日本人は和食だな。帰ったら食わせてよ。うん。じゃあ、おやすみ。あー、あのさぁ、寝る前にベッドの下見た方がいーよ。じゃあ」
名残惜しい。
名残惜しいが、彼女の『夏木のプレー、見てるからね』という言葉を励みに電話を切った。
『頑張ってね』ではなくて、『見てるから』という、いかにも彼女らしい控えめな言葉を噛み締める。
代表遠征に召集されたのは嬉しいが、遠征中に彼女の誕生日があったのは不運だった。
来年あたりはどうにかプロポーズに持ち込みたいのに、絶好の得点稼ぎの機会を失った。
出発前にプレゼントは彼女の部屋のベッドに隠してきた。
ぬかりはないはず。
淋しいことには変わりないけど。
深いため息を一つつくと、賑やかなやりとりが聞こえてきた。
「さっむー!」
「寒いなぁ」
「いや、お前の言い方は全然寒がってるように聞えない」
「寒いよ」
「嘘だ。平気そうな面しやがって。なんで、この国はこんなに寒いんだ。いまだかつてないほど寒い!」
「寒いわりに元気だな、お前」
毎度の江口英介と高山浩二の声だった。
どこでもいつでも二人一組。
仲良くエレベーターに乗り込んでいる。
呆れるほどに仲がいいと思っていたが、それもそのはず恋人同士だったと暴露されたのはつい最近のことで、そのことでバッシングを受けて凹んだ英介が持ち直したのも最近のこと。
それでもそろって代表入りする日本の中盤と前線の要の仲の良さは、以前と何も変わらないように見える。
自分もついでに上がってしまおうと、閉まりかけたドアに片足を突っ込んだ。
閉じかけたドアが再び開いて、失敗したと思った。
こいつらはちゃんと恋人同士だった。
遠征中に訪れる数少ない密室で、壁に背を預けていたのは英介だった。
覆い被さるように高山がその姿を隠していた。
「な、つき……!」
突然の乱入者に英介が驚愕の表情を見せるのに、高山の方は驚くよりも憮然とした表情を見せる。
「わりぃね、お邪魔して」
退散しようかと思ったが、高山の邪険な表情を見て気が変わった。
「なんだ。ちゃんとお付き合いしてるんだ。俺はてっきり勘違いしてるんだと思ってた」
「なんだよ、勘違いって」
「英介はわかってないのかと思ってたよ」
「わかってるよ」
「そうみたいだな。公共の場でイチャイチャしてるんだもんな」
「……ごめんって」
無言の高山のかわりに、英介は真っ赤になりながら必死の弁解をする。
十七歳の頃からの付き合いだけど、何年経ってもどこか幼くてサッカーしか目に入っていなかった英介が、こんな風に頬を染めるなんて見たことない。
「居た堪れないわ。僕は」
「だから、ごめんって」
「じゃあゴメンの代わりにあとで俺の部屋来てよ。一緒にDVD見よう」
「俺も行く」
「タカはいらねぇ。俺は英介と見たいのよ」
高山は苦い顔をする。
なるほど、どちらかと言えば高山の方が惚れている感は強いらしい。
最初はとっつきにくくて弄りにくいだけだった高山が英介と親しくなっていくうちに表情が解れ、感情が表に出るようになってきた過程は俺も見ている。
英介が高山から受けた影響よりも、高山が英介からもらった影響の方が大きいだろう。
先に惚れたのは、たぶん高山。
だから英介をさらっていく俺に苦い顔をしてみせる。
なかなか可愛いところがあるじゃないか。
「夏木と映画なんて嫌だよ」
俺が過去に仕掛けた数々の悪戯から警戒心くらいは芽生えたのだろう、英介は拒否の言葉を短く口にした。
「今日、彼女の誕生日なんだよなぁー。俺は遠距離で電話でおめでとうしか言えない切ない身なのに、お前等はそうやって、いつでもどこでもいちゃいちゃいちゃいちゃ。はぁああ、切ないなぁ」
ねちっこさが売りなディフェンダーなもので。
俺が手にしたDVDのタイトルを見て、英介が息を飲んだ。
お決まりのようなホラー映画。
やはり学習能力がなかった英介は、部屋のベッドの上で枕を抱えて守りの体勢。
「エースケさぁ、タカともうやっちゃった?」
「はぁっ?」
「だからぁ、エッチした?」
緊張を解してやろうと思ったのに、してねぇよという怒声が飛んでくる。
「マジでしてないの? かわいそうになぁ、タカ」
よいしょと英介の隣に座って、枕を戻してやる。
「タカ、したがってるんじゃないのぉ? あんまりお預け長いと浮気されるよ」
英介は俺をぎっと睨んで再び枕を抱え込む。
時々英介が見せる女の子のような仕草は、ナヨナヨというよりはヤンチャっぽくておかしい。
こいつが高山に組み敷かれるなんて、想像できない。
「英介が迷ったりするの珍しいな。お前、躊躇とか足踏みしない奴だと思ってた」
「それじゃ節操なしじゃん。だってタカだよ? なんか想像できないし」
「でもチューまではするんだな」
「挨拶でもするし。キスはやらしー意味じゃないっぽいし。兄貴ともするし」
高山が不憫に思えてくる。
エレベーターの中でのキスも、英介にとっては兄貴とのキスと同じ意味でしかないのかもしれない。
誰とでも気軽に触れ合える英介に比べて、高山はスキンシップが苦手な男だ。
ピッチに上でゴールや勝利を手にすれば抱き合うことはあるが、それ以外の場で誰かと触れ合うなんてことは滅多にない。
そんな高山が、英介には触れたがる。
そこにどれくらいの勇気と特別な感情があるのかはわからないが、それにしても。
……笑えるくらいに不憫だ。
「なっちゃん、何笑ってるのさ」
「なんでもないべ。さぁー、映画見よう」
始まったホラー映画を、英介は見たくないと思っているくせに見てしまう。
俺が背後から英介を抱きしめても、英介は気にする様子はない。
寒い国のホテルは、快適とは言い難いが空調はちゃんと作動している。
でも空調の乾いた空気よりも、英介の体温の方が気持ちが良かった。
英介は確かに可愛いが、不埒な気分にはどうにもなれそうもない。
やっぱり俺は彼女のやわらかーい体がいい。
小柄だが、機能は抜群の英介の体。
それなりの強度はある。
女性との交際歴もある高山が、男であるという点を超越して英介を恋人に選んだのは、やっぱり気持ちの問題なんだろう。
他にいないと思ったんだ。
自分が愛せる存在は、コイツ以外にないと。
「エースケさぁ、タカのどこが良くて友達以上になってもいいって思ったわけ?」
「……へ? なんか言った?」
「言ったよ。タカのどこが良かったの?」
映画から意識をこちらにやって、英介はぐるりと顔を後ろに向けた。
そうして俺に後ろ抱きされていることに気がついても、ちっとも嫌がらない。
このくらいの接触は日常茶飯事なのだ。
本当に高山は、つくづく不憫な男だ。
「どこがって……言われてもなぁ」
「ありゃ? ひょっとしてタカに流されちゃってる?」
「そうじゃないけど、どこがって言われるとわかんねぇよ。タカのこと好きっていうのは、友達だけだった頃と全然変わってないと思うし」
「ふぅん」
せっかくホラーから遠ざけてやったのに、英介の視線は暫らくの沈黙の間に再びテレビにうつった。
画面の中では、幽霊の気配に主人公達が怯えている。
こっち側では英介が怯えている。
唸り声を上げて、俺の手にしがみ付いた。
そこにコンコン、とノックの音。
腕の中で英介がひっと息を飲んだ。
「開いてるよー」
「夏木、そろそろ英介返せ……よ」
面白くなさそうな表情を隠そうともせずに入ってきたのは、高山だった。
入ってきてベッドの上の状況を見て、その表情さえ消し去った。
「旦那が来たよ、えっちゃん」
「遅いんだよ、来るのがー。幽霊、出てきちゃっただろ。見ちゃっただろ。今日、眠れなくなるだろー」
のそのそと腕から抜け出して、迎えに来たらしい高山を詰る。
なんて鈍感。
なんて無意識女王様。
「見なきゃいいだろ」
さすがの高山も苛立った声を出す。
ロッカールーム以外の場所で、高山が英介に苛立ちを見せるなんて初めて見た。
あ、元凶は俺か。
高山は俺から英介を引き離すついでに、俺の脇腹を蹴った。
乱暴な奴だ。
「お前さ、自覚なさすぎるのもいいかげんにしろよ。俺だって限界ってもんがあるんだよ」
英介の腕を高山らしくもなく乱暴に掴んで、噛み付くようにそう言った。
「夏木なんかに同情する余裕があるんだったら、俺のことも少しは考えてみてくれ、頼むから」
それでも最後の方はお願い口調。
英介はしょぼくれたのか不貞腐れたのか、俯いたままだ。
さすがに可哀想になってくる。
「英介に怒るなよ。俺がちょっかいだしたんだから」
「謝るくらいなら最初からちょっかい出すな」
「お前がそんなに嫉妬深いとは知らなかったんだよ。これからは気をつけながらちょっかい出すようにするよ」
高山はなかなか迫力のあるガンを飛ばしてくれた。
これは重症のようだと呆れ半分で面白がっていたら、
「ごめん」
頼りない英介の声が上がった。
「これからはもうちょっと考える」
なんだ。
友達だった頃と全然変わってないなんて、そんなことはないじゃないか。
ちゃんと想い合えてるじゃないか。
友達、親友、チームメイト。
そこからさらに深みへと。
延長線だか延長戦だか知らないが、これからもずっと続いていきそうな絆が見えた。
「部屋、戻るぞ」
「うん」
素直に返事をした英介は、高山にしっかり手を引かれている。
「おやすみ〜」
ヒラヒラと手を振ると、英介だけがおやすみと返事をした。
「高山クン、おやすみなさいは?」
返事はフンっという荒い鼻息だった。
二人をからかって、鬱憤晴らしするつもりだったのに、すっかり当てられてしまった。
仕方ない。
俺も頑張って株を上げるしかない。
明日は堂々とピッチに立って、日本で俺を待つ彼女も誇らしくなるようなプレーをしなければ。
これからもずっと、俺たちが続いていくための努力なら、惜しむものか。
翌日のゲーム。
大量得点完封勝利を告げるホイッスルが鳴り響いた瞬間、英介は高山の腕に抱え上げられその笑顔をみんなに見せる。
片腕で英介を抱えた高山のもう片方の手は、拳をつくり俺に向かって伸ばされる。
拳をぶつけた。
ゴツンと、鈍い痛み。
その痛みは、英介を抱く腕の力がもたらす痛みときっと同等なんだろう。
この、ピッチの上でなら。
俺たちが分かち合うものは、同等なのだ。
オフで唯一とも言える萌え友が、BSシリーズのイラストを色々と描いてくれるので、お礼に捧げた小説です。
彼女お気に入りの夏木の話となりました。
この高英はまだちゅー止まりです。