「達郎? 俺」
『あぁ』
「わりぃんだけどさ」
『あぁ』
「俺さ」
『あぁ』
「人を、殺してしまいました」
『……あぁ』
「ごめん」
『今、どこにいる』
「タツ? 泣いてるか?」
『いいや』
「……そっか」
ありふれた殺意。
ありふれた事件。
ありふれた悲しみなんだろう。
とてもとても愛した人が、乱暴されてしまいました。
とてもとても好きな友が、人を殺してしまいました。
とてもとても大事な人が、殺されてしまいました。
神様神様?
助けてください。
苦しくて痛くて呼吸さえも困難になりそうな、この心を楽にしてください。
雨が降っていた。
テレホンカードはまだ残っている。
差し入れて、177をダイヤルしてみる。
きっちり標準語のお姉さんの声が、この地域一帯に大雨洪水警報が発令されたことを知らせていた。
電話ボックスに打ち付ける雨の音が心地いい。
ボックス内の電球は割られていて、灯りになるのはすぐ傍にある街灯だ。
雨音以外何も聞えず、人の通りもない。
現在夜中の3時を回ったところ。
体は雨に打たれて濡れたまま。
張り付くシャツが薄い朱色に染まっている。
ナイフはどうしたっけ?
どっか落してきたかな。
疲れた、と思う。
人を殺してしまいました。
そのことに疲れたんじゃなくて。
好きな女が泣くことに。
誰かを殺してしまうことは、意外と平気だった。
おかしなくらいに呆気なかった。
罪悪感は、薄い。
ぼうっと視線を投げていた公園前の道に、傘もささずにゆっくりとした足取りでやってくる人影がある。
この豪雨の中。
足にはつっかけ。
服は制服だった。
こんな夜中にまで制服着てるなんて、おかしな野郎だ。
きっと軋んだドアをあけ、自分も雨の中に踏み出した。
「よぉ」
「よぉ」
「……なんか、疲れてないか?」
「……疲れてる」
「わりぃな」
「自惚れんな」
「タツ?」
「自惚れんな。人殺し」
青ざめた顔は、いつもどこか皮肉めいた大人びた表情を浮かべる達郎とは違う。
糸の切れた操り人形のよう。
「お袋と姉貴が、殺された」
疲れたような笑みを、それでも口の端に浮かべて言う。
「親父が、おかしくなってる」
投げ出されたように、ぶら下がる腕が微かに震えている。
「なぁ? すげぇタイミング」
「……達郎」
「美和が泣いてる」
「……タツ……」
「お前は、前科持ちになっちまうし」
「……」
「俺は、どうしたらいい? なぁ? なんで俺に電話した? 俺に何をさせようってんだ?」
疲れたように吐き出された言葉に何も返せずに黙り込んだ。
「警察に出頭する方法でも聞きたいか? 簡単だ。そこの電話で110に電話して、ボク人を殺しましたって言うだけだ。しろよ。電話」
雨音は煩いはずなのに、何故か達郎の声がはっきりと明瞭に聞える。
「美和が泣いてる。お前のせいだ」
「……お前は?」
「あぁ?」
「泣かないのかって、聞いてるんだ」
言った途端、達郎が駆け出した。
半透明に煙る視界の中で、どんどん迫ってくる。
目の前に拳。
殴られた。
背中にアスファルトの感触がある。
「誰が、ヒトコロシのために泣くか」
あ。
と、気が付く。
死んだのかと思った、光がある目に。
眦の下がった目が不穏に光っている。
それは決して涙ではない。
「大学には行かない。高校出たら、警察学校に入る。刑事になる。いいか? 俺は何一つ手放さないからな。親父が狂っちまおうと、美和がこのままずっと泣いてようと、お前が前科持ちの立派な犯罪者になろうと! 絶対に、これ以上手放さない! 背負ってやる。守ってやる。それでいつか、手酷く裏切って死んでやる! お前らは、俺にそうやって背負わせたことを一生後悔して忘れなきゃいい」
自嘲気味に笑って、言い捨てる。
あまりに達郎らしくて笑ってしまう前に泣けてくる。
どうして、そんなに強いんだろう。
わからない。
「あぁ」
「わかってんのか、この野郎」
「わかってる。わりぃな」
「うるせぇよ」
「刑事なんか、お前に似合いすぎて怖いな」
「うるせぇ」
「なぁ」
「あぁ?」
「俺、お前なんかに会わなきゃよかった」
「俺も、会わなきゃよかったと思うよ」
それが、ボクらの最初の決別。
「おはようさん」
それが、出所後最初の挨拶だった。
「順ちゃん」
そして、本当に久しぶりに見た好きな女の笑顔。
あぁ、笑うようになったんだ。
多少妬けるが、それを言えた義理ではないことをしっているから黙っていた。
達郎は沈黙しか与えてくれない。
「一つだけ言っとくぞ。刑期あけたからってなぁ、お前が人を殺したってことは変わらねぇって、しっかり覚えてろ。箍が外れたら、歯止めが利かなくなるのはこれからだからな」
「刑事の顔してるじゃん?」
その時、順也はすでに幸田組へ引き抜かれていて、達郎は警視庁捜査課で暴力団対策を担当する刑事だった。
美和は達郎の知り合いの経営する花屋の店員をして、笑っていた。
達郎の父親は順也の出所の数日前に正気ついて、リハビリ中だと言う。
手放さないといった通り、達郎は何一つなくすことなくしがみ付いて背負って、守っていた。
「アタリマエ」
舌を出して、目を細めてそう言った。
誇らしそうにも見えた。
自分の脚で立っている男の顔だったから。
二度目の決別はあまりに残酷。
たぶん、それは最も手酷く優しい復讐だったんだろう。
つもりはなくとも達郎の背中に荷物をどんどんおしつけた自分達への。
傷を壊死させたまま歩かされ続けた達郎が愛した、達郎を愛した人達への。
手痛い裏切りなんだろう。
どこまでも残忍に優しくしておいて、見せつけるように鮮やかに死んで、後悔させて忘れさせないで死んでいった。
生きている人間は死者には敵わないから、誰も達郎を責められない。
これからの一生、日高達郎の存在を忘れることなく過ごさなければならない。
それを計算して、あいつは死んだんだろう。
なんて残酷な………
「順ちゃん、順ちゃん」
掲げられたのは赤ん坊で、
「難しい顔してるよ?」
美和がそんなことを言うもんだから、
「ごめん」
笑ってしまった。
「せっかくタツヤが会いにきたのにねー。おとーさん、怖い顔―」
あー、と赤ん坊は答えて母親に手を伸ばす。
「美和、そのおとーさんってのやめとけよ」
「いや」
「美和」
「いやよ。達っちゃんは犯罪者とか刑事さんとか拘ってたけど、私にとってはどっちも大事な旦那様」
「旦那様ねぇ」
一人は墓石の下。
もう一人はム所の中。
「時々ね、夢を見るの」
「夢?」
「そう。達っちゃんがでてくる夢でね、見てるときは凄く幸せなんだけど、目が覚めるとたまらなく悲しくなって。何回も見てるから、目を覚ましたくないって達っちゃんにごねたら、達っちゃん、タツヤがいるだろうって言ってくれるの」
そっと達也の体をゆすりあげる。
「目を開けたら、今度は幸せすぎて泣けるのよ? 順ちゃんは?」
「俺は……」
「忘れたり、思い出すの辛がったら達っちゃんに悪いよ」
母親の顔というのは偉大なもの。
女はいいな、なんて思ったら女性運動家に叩かれますか?
「達っちゃんはずるい人だったね」
女は偉大。
「でも憎めないね」
いつになったら、美和のように笑えるのだろうと順也は思った。
いつになったら、美和と同じように苦く笑いながらあの男のことを語れるのだろうと。
達郎の父親も、そうだ。
あいつを知っている男達はもう達郎を過去の人間として見れるのに。
あいつがして欲しいと言い残した、態度で残した仕事を背負ってやれているのに。
自分だけはそうできないでいる。
だって、あいつの体を撃ち抜いたときの感触が拭えない。
解けてしまうように消えた体の力とか、流れてしまった体温とか。
最後に首筋を濡らすように漏れた、満足そうな吐息とか。
「そうやって、順ちゃんが辛そうな顔してたほうが、達っちゃんは嬉しいのかもしれないね」
達也の小さな指に人差し指を差し伸べながら美和が言った。
まるで、順也と達郎の交わした最後の会話を聞いていたように。
「だろうなぁ。アイツ、意地がわりぃから」
「そのへん、タツヤ似ないようにしよーねー」
あー、とタイミングよく返事をする達也が可愛らしい。
この子がいてよかったと順也はしみじみと思う。
「時間です」
静かに面会時間の終了が告げられた。
「……また、来るね」
「あぁ」
「タツヤ、お父さんにばいばーいって」
小さな小さな手をとって、軽く振る。
いつだか達郎は別れを告げた。
決別ってヤツだなって、笑って。
2001/12/14
RDの過去話。若い主人公たち。でも変わってないですな!!
本当は達っちゃんと順ちゃんが美和ちゃんを巡ってドッチボール対決をする話だったはずなんですけど。どこをどう間違ったのか……カリスマ達郎怒る編でありました……チャンチャン。