散り逝く君、朽ち逝く僕、そして夏は暮れ逝く



薄荷の飴玉が好きな男だった。
ドロップを手に入れると、薄荷の飴だけを選ってあとは寄越してくる。
口に入れる前に必ず空にかざして、煙る球体を透かして見える空の青を喜び、子供のように笑っていた。
鋭利な容貌を崩して、
「なあ、地球を空の向こうから見たらきっとこんな色だと思わないか?」
戦いに明け暮れるこの星を模した飴玉を口に放りながら、孝之は笑っていた。


昭和20年、西暦1945年の初夏、特別攻撃飛行隊として、この貧しき地上を飛び立つほんの少し前まで。




「暑いな」
けれど、孝之にはこのきつい陽射しが良く似合った。
「暑いな。病身には堪える」
卑屈を装う京一郎に、口の片端を吊り上げて言ってろと笑い飛ばす。
「死人には、に改めとけよ」
緩い苦笑いが応えた。
褐色の焼けた孝之の肌と見事なコントラストを見せる京一郎の白い肌は、いつも不吉な白い着流しに包まれていた。
孝之が見つけなければ誰も気付かぬまま、夏なら腐れ冬なら凍てついて朽ち果てるような躰だ。
それを嫌う孝之に、そのまま焼き場に放り込めば手間が掛からないと京一郎は説いた。
京一郎に家族はいない。
軍人だった父も兄も、遥か遠くの異国で戦死した。
病身だった母は、その後を追うように衰弱死した。
残ったのは京一郎と、母の残した病だった。
夜毎吐血するような体に、待ち望んだ赤紙はこない。
京一郎の軍人になるという夢は消えたのだ。


カラン………
一人で住むにはあまりに広すぎる家の縁側に転がった孝之の手土産が、明るい音をたてて笑いを誘う。
手にしているのはドロップの缶だ。
「よく手に入るな」
軽く振るとカランカランと鳴る。
「あるところにはあるんだよ」
指先に摘んだ不透明な色の飴玉を晴天にかざしているのは、孝之の儀式のようなものだ。
楕円形の砂糖の結晶体ごしの青を一頻り眺めてから、ペロリと赤い舌を伸ばして甘味を舐め取る。
満足したかのような笑みを肩頬に刻むと、ポトリと飴玉を口の中に落とす。
口内の熱に溶かさず、ガリガリと氷を噛むように噛み砕いてしまう。
妙な癖である。
それから、
「ん」
と、缶を寄越す。
薄荷以外の飴玉は口にしないのだ。
そんなに薄荷が好きならもっと味わえばいいのにと、京一郎は笑う。
この可愛らしい手土産の真意を理解していながら。
薄荷の飴だけが欲しいからと手に入れるドロップの残りは、京一郎の咳止めの替わりになる。
それをそうと言って渡すのが気恥ずかしいのか、余計な気遣いをさせまいと言うつもりなのか、薄荷は彼の言い訳なのだ。
薄荷の飴玉なんかより、ほまれでも銜えていたほうがよっぽど絵になるだろうに。
孝之にも身寄りはいない。
先の空襲で家と家族を失った。
そして、彼は特攻に志願したのだ。
今日も訓練を終えてきたのだろう。
一杯飲みに行こうと言う仲間達の誘いを断って。
先の短い幼馴染みを訪ねて、特にすることもなく昼寝して帰るよりは、仲間と飲み明かす方がよほど有意義だろうにと思うのだが、孝之は聞く耳をもたない。。
「何を考えてるんだ?」
転がっている孝之に視線を投じたまま、ぼんやりしてしまったらしい。
切れ長の双眸が、眠そうに細められてこちらを見ていた。
「もの好きな男だと思っていたんだ」
自然と口をつく悪態を、はんっと鼻で笑われた。
「うつっても俺のせいじゃないからな」
「安心しろよ。発病に気付いておたおたする頃にゃあ、この世にいねえよ」
すっかり、飴玉を噛み砕き嚥下してしまったらしい。
甘味の残る口唇を舌先で舐めとって、にやりと笑う。
口内には、苦いくらいの清涼感が残っている。
「戦局は………」
「お前が気を揉む間には、全て片がつくさ」
「その間とやらに、お前は………」
陽射しがこめかみを打ち付ける。
目が眩むような光の雨に吐き気がしそうだ。
「中に入れ。顔色が悪い」
眉間に皺を寄せて命令口調で言われ、京一郎は薄く笑って無言のまま立ちあがった。
その頭上に、旋回するB29の羽音が鳴り響いていた。



痛いくらいの清涼感が、口内を侵す。
カラン………
と、口の中に飴玉が歯の裏側にあたり、こもった音をたてた。
骨と骨とがぶつかり合う音に似ていた。
もう一度、ころりと、甘い玉を転がして、歯にぶつける。
カラン………
自分の皮膚の下、肉の中にある骨と骨とがぶつかり合う音を聞く者は、誰もいない。
ただ、静かに腐食し、魚につつかれ、海に溶けるだけだ。
ゆっくりと、硬質な飴玉に歯をたてる。
ミシリと、嫌な音が体の中でした。
犬歯の先端が、球体に皹を入れ、割砕いた。
これは、どんな音に似ているだろう。
自分の乗る、エンジン付きの棺桶が木っ端微塵になる瞬間に聞く音だろうか。
それとも、今も心が上げ続けている悲鳴だろうか。
ただ、古い友人の体が上げる断末魔でなければいいと思う。
殉死者達を尊敬し軍人として育てられ、今は病床にいる無垢な友は、自分の死に場所が戦場ではないことで十分苦しんだ。
発病後から見られ始めた似合いもしない、自嘲の笑みが痛々しいような、物悲しいような。
酷、だと思う。
何故、とも思う。
その対象も、答えも慰めも、どんなに欲しようとも手に入りはしないが。
ガリガリと音をたてて、柔らかな口内を刺す砂糖の結晶が体温に溶け、喉を滑り落ちる。
「痛ぇな」
嘲笑は、自分にこそ似合う。
聴覚をざらりと撫で上げる不快な咳の音に呼ばれるように、孝之は縁側から立ち上がった。




「暑いな」
数日後、孝之は同じ科白を吐きながらやって来た。
手には、僅かな荷物を持って。
「………暑いな」
京一郎の白い着流しについた、赤黒い染みに目をやり、次いで京一郎の双眸を見る。
薄く浮かんだままの笑みで全てを語る。
上手く読み取れない表情を浮かべ、暫らくの沈黙の後、孝之は言った。
「明後日、死ぬよ」




昭和20年の夏、玉音放送が流れ出したこの地に、孝之はいなかった。



彼の帰還は、彼が面倒を見ていた少年によって告げられた。
少年は、戦果確認機として生還したのだ。
その大きな瞳で、孝之の乗る戦闘機が真っ直ぐに、敵船に突っ込んで行く様子を見てきたのだと、軌道を変える直前に少年の方をちらりと見て笑ったのだ
と、少年は泣きながら告げた。
ここへ孝之の死を伝えるように言ったのは、孝之本人らしい。
身寄りがない自分の死を知らせる唯一の友人へ、己の死を伝えてくれと。
「早川さんは、とても立派でした。発つ前に、見送って下さる方々に頭を下げて、笑ったんです。これから………死んでしまう人だとは到底思えないような笑顔を向けて………」

 『俺はこれから死んじまうけど、貴方達は生きるのだから、この国をいい国にして下さいね。』

その目は潤んではいなかっただろうか。
怒りに満ち溢れてはいなかっただろうか。
あまりに切実ではなかっただろうか。



「この大戦は、平和のための戦争じゃないんだ。日本が勝つための戦争なんだ」
彼の声が、耳に蘇る。
彼にとって、最期の夜となったあの夜に、孝之は言った。
愁いを帯びた表情で、それは諦めのようにも京一郎の目には映った。
「それで、誰が幸せになるんだろう。天皇陛下だろうか、俺達国民なんだろうか」
満天の星空を見上げる双眸は、この国の数年間をどんなふうに映したのだろう。
「何が、幸せなんだろうな。この国のために死ぬことか?死ぬことが幸いだと言うのなら、人はこの星をこんなに汚さなかっただろうに」
双眸が京一郎の知らない、遠い彼岸を映していた。
あまりに遠くて、京一郎には決して見ることのできない、彼岸。
あまりに遠い。


「星を見ると安心するんだと、言ってなかったかな?」
障子を開けて、畳の上に寝転がり夜空を見上げながら、明後日死ぬと断言した男が言った。
「言った。昔な」
「怖いんだと言ってたな」
「そうだ」
「分かる気がしてきた」
口角を持ち上げて、京一郎の方をむく。
天を飾る星々の得体の知れない美しさだとか、計り知れない何かが、自分の存在をあまりに儚く小さなものにしてしまう。
死を抱えて生きる自分には、そんな恐怖が好ましく思えるのだ。
延々と輝きつづける数多の惑星達。
その下で、やがて消え行く自分達。
些細なことかもしれない。
戦争に身を投じ死んでいくことも、望んだ死を選べずに衰え死んでいくのも。
小さな光源が、そんな酷く投げやりな気持ちにしてくれる。
「こうやって、空を眺めて慰めていたのか?」
「そんな言い方をされると、他の慰め方を考えなくちゃならなくなる」
「考えるなよ、もう。何も考えるな。死ぬ時は死ぬんだ」
幾分か硬い声で孝之は言う。
考えまいとしているのは孝之の方だ。
「京一郎」
暫らくの沈黙の後に、秀でた額に手をおいて孝之が呼ぶ。
「俺はこの国が嫌いだ」
唐突に、器から水が溢れ出すような自然さを装い、孝之の口唇が言葉を紡いだ。
「大嫌いだ」
「………危険な男だな」
京一郎は薄い、消え入りそうな笑みを浮かべて言った。
「………いい、親友をもったもんだな」
微かに、孝之の声が震えた。
「ありがとう」
「孝之」
「ん?」
「怖いなら怖いと言えよ」
「怖いよ」
「俺もだ」


誰も訪れない大きな家の縁側で京一郎は、もう焼夷弾の降ることのない空を見上げてみる。
カラリと、明るい音をたて、ドロップの缶が転がった。
手の平に上で色とりどりの飴玉が、陽光を受けて輝いている。
あるかなきかの蒼を刷いた薄荷の飴玉を摘んで、舌を伸ばした。
死んだ男の妙な儀式を真似るように。
透明度の増した球体を空のかざして見る。
戦うことを止めたこの惑星を真似て鈍く光る青を。


「怖いけど、死んだらさ、待っててやるよ」
「俺を?」
「そう。三途の川の手前で、お前が来るまでは待ってるよ。どうせ、すぐだろう?」
「言ってくれるな」
「そしたらさ、怖くないかもしれない」
孝之と、昔迷路に行って遊んだことがある。
孝之は迷うことを楽しむようにズンズンと先を行き、京一郎はその後を必死になって追っていた。
「お前が後から来てくれるんなら、怖くない」
孝之は、今回も一足分早く先に逝く。
「お前も、俺が待ってるって思ったら、少しはましになるだろう?」
あまりに拙いその発想が可笑しくて悲しくて、京一郎は孝之から目を反らす。
「ちょっと、先に行くだけだ。行って、待ってるよ」
どんな狭い路地裏も、初めての土地も、光の一切射さない暗い道も足を前に前に踏み出せたのは、後ろから必ず京一郎がついてきていたからだ。
一人ではない。
そう思うだけで、前進できた。
今回だって、できないことはない。
いや、どんなに自分が拒もうとも、先に進むしかないのだ。
道の途切れた道を。
顔を背けていた京一郎の細い顎が僅かに仰向く。
夜の闇に浮かび上がる喉元が、苦しげに蠢く。
あまりに白い顔に浮かぶ表情は苦痛でしかなく、瞑目している。
やはり色を失った口唇が戦慄き、何度か僅かな開閉を繰り返す。
「京一郎、言えよ。待ってろよってさ」
京一郎は泣いているのだ。
感情をそのまま顔に映して、自嘲や皮肉を浮かべることもできずに。
悲しければ泣き、腹が立てば怒る、嬉しければ笑った、孝之がどこかでその素直さを羨ましいと思っていた友人の顔をしている。
「泣けよ。辛いけど、大丈夫だって。お前が待っててくれるなら大丈夫だって」
血の気のない肌を、光を帯びた水滴が静かに滑った。
喉仏が痙攣し、噛み締めたはずの口唇から嗚咽が漏れた。
骨ばかりの手が顔を覆う。
京一郎が、何に対して慟哭しているのかはわからない。
孝之の言葉になのか、自分の不甲斐ない体になのか、他の何かになのか。
孝之には、わからない。
手を伸ばし、縁側に転がるドロップ缶から薄荷の飴玉を選りだして、コロリと口に中に放り込んだ。
甘さと清涼感が口内に広がる。
京一郎の嗚咽と、口内で飴玉と歯がぶつかり合ってたてる音とが暫らく続いた。
「泣けよ。俺の分まで、泣いてくれ」
痛いくらいの清涼が吸い込む空気までを冒していく。



『じゃ、先に逝くわ。』
そう言って出掛けたきりの友人を真似て、奥歯の上に転がした飴玉を噛み締めてみる。
ギシリと、微かな軋み。
それから、カシンっと音をたてて口の中で砕ける。
散った欠片が柔らかな粘膜を刺す。
操縦桿を大きく傾ける瞬間に、孝之は願っただろう。
この機体が、自分の犬歯の先端のように青い星を砕くことを。
孝之は、こんな小さな飴玉をこの星に模して、噛み砕いていたのだ。
妙な癖は、明確であまりにも愚かな殺意だったのだ。
口内が冷たい。
死者の体温のように冷たい。
けれど、体の奥から込み上げるような熱がある。
喉を這い上がり外へ外へと溢れ出そうとするような熱の塊は、直に京一郎の口内へ達し、口唇から迸った。
喀血だった。
薄荷の欠片と血塊とが畳の上に滴り、醜い血溜りをつくった。
苦しいはずなのに、これから確実に死ぬはずなのに、不思議と恐怖はなかった。
これも、孝之のおかげだろうかと思うと笑みさえ浮かびそうだった。
止め処なく血を吐き出しながら、京一郎は自分の血の中に落ちた薄荷の飴玉の欠片に指を伸ばした。
そっくりじゃないか。
血にまみれた惑星なんて。
そう笑おうとしら、視界が大きく傾いだ。
自分の吐き出した血の海に伏し、京一郎は一度二度、大きく息をついた。
三度目に空気を吸い込もうとして、そのまま瞼を降ろした。
赤く汚れた口唇が、鉄錆の匂いのする空気を吸い込むことはもうなかった。


1945年の夏、約束は果たされた。 



2000/12/09
長いですね。はい。部内ではけっこう、好評をいただきました。
細かなミスもありますが、見逃してやってくださいな。
やっぱ、戦争を語り継いでいくのには多少無理な年齢か………ふう。
部誌のテーマが「惑星」だったので、薄荷を地球(惑星)に見立てています。

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