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僕の上司とその恋人



 俺が、その人と会った時のことはあまり思い出したくないような出来事が発端だった。
 一言で言ってしまうなら女絡みで、かろうじて高校生だった俺はまだ尻の青いガキで、年上の女に夢中になっていたのだ。
 その女が二股をかけていると知って、激情して一言言ってやろうとしたところに、女の友達だとかぬかす連中に囲まれてぼこぼこにされていたところに、あの人が偶然現われた。
 最初は何が起こったのか気が付かなかった。
 俺に滅茶苦茶に蹴りを入れていた連中が、息を呑むように静止してから、蜘蛛の子を散らすようにして去っていった。
 眼を開けると、その人がじっと俺を見下ろしていたのだ。
 暗いけど、穏やかな双眸。
 切れ長のそれに、黒い黒い瞳。
 その人の名前が坂井直司といって、美竜会とかいう暴力団からも恐れられている人物であることを、俺はやる気のなさそうな不良医師の口から教えられることになった。


 長身痩躯で、痩せの大食い。
 時々滅茶苦茶年寄り臭くて、時々本当に年上かと疑うほど子供。
 腕っ節は、あの体からよくもこんな力がと思うほど強い。
 バイクを駆る技術はレーサー並みで、車の運転の腕もそこら中の走り屋が避けて通るほどだ。
 職業は、この街の高級バー・ブラディ・ドールのバーテンダー。
 そこの社長さんの川中良一氏を、嫉妬するほど慕っている。
 手の届かない、オトナの男だった。
 坂井さんを慕う人間は、俺だけじゃなくて他にも俺とよく似た境遇の不良達や族崩れなんかがいて、坂井さんが川中さんを慕うように坂井さんを慕っていた。
 きな臭い事件の頻発する街で、俺達は坂井さんの手となり足となった。
 俺もその一人になった。
 坂井さんに拾われた、あの夜からだ。


 それから、2年したある日、坂井さんに呼ばれて夜のブラディ・ドールに行ったことがある。
 正面の扉から、ボーイさん達に迎えられて。
 その時、俺は二十歳になったばかり。
 酒は勿論嗜んでいたが、こんなちゃんとした店で飲んだことはない。
 事件なんかの時に裏口に顔を覗かせることはあっても、客としてはなかった。
 二十歳の祝いに。
 坂井さんはそんなことを言っていた。
 俺は一張羅を着て、緊張して中に入った。
 ピアノの音……
 絞られた照明。
 ……オトナの世界って感じ……
 ボーイが案内してくれたのはカウンター席で、ふっと顔を上げると坂井さんがいた。
 時々見かけることのあった仕事着が、カウンターの風景をあいまってずっと様になっていた。
 普段からも表情が多彩な方ではないが、カウンターの中の坂井さんは本当に無表情で。
「いらっしゃいませ」
 静かにそう言って頭を下げる仕草は流れるようで、プロなんだと感じさせる。
 まるで別人。
 呆然としてしまった俺に、ちらりと坂井さんが視線を投げてきた。
 氷を溶かすように浮かんだ微苦笑。
「そんなに緊張するなよ」
 あ、例の腹話術。
 坂井さんの微苦笑に、少しだけ俺の緊張も解けた。
「でも、緊張しますよ」
 店の雰囲気もだが、何より坂井さんの空気とか姿勢がこの店が汚しがたいものだと語っていて。
 いつもは無造作な髪も、後ろに撫で付けてあって普段よりもずっと落ち着いた、筋者らしい印象を受ける。
 また、ちらっと笑みを刻んだ坂井さんが、不意に押し黙って流れるような動作で一杯のカクテルを作り上げた。
 思わず見惚れるようなすべらかな動作。
 あっと言う間にできあがったカクテルは、音もなく俺の前に差し出された。
「どうぞ」
 ライムの一切れ入ったグラスは、大衆居酒屋なんかでじゃんじゃん持ってこられるような代物とは天と地の差。
 坂井さんを見れば、真剣な眼差しを俺を通り越した店の中にくまなくなげている。
 神妙な手付きでグラスを手にして、傾ける。
「……美味い……」
 全然違う。
 あんまり味なんか気にしない俺でも、その歴然とした差は理解できた。
 手元に落ちる視線に気が付いて、ふっと顔を上げると坂井さんの微笑があった。
 あぁ、綺麗だなと、思ってしまったのだ。


 それから、俺は川中エンタープライズの社員になった。
 ブラディ・ドールではないが、レストランのウェイターとして就職した。
 坂井さんにある程度認められて、坂井さんに厄介になっている連中を仕切るようになったりして。
 そうこうしているうちに、時は過ぎた。
 手の届かないオトナの男……だったはずの坂井さんが、歳相応の青年だと気が付いたのは、この街に厄介事を持ち込んできた下村敬と言う流れ者の出現がきっかけだった。
 得体の知れない感じの男。
 明るい道を歩いてきたのだろうけど、鬱々とした何かを抱えているような。
 ちょっと匂いの違う男。
 女を追いかけて来た、なんて理由で流れてきて、左手を切断するようなコトをしでかした野郎。
 その男の命が危ういと知って、坂井さんは店を飛び出したらしい。
 不良医師はそういう話をよく俺にする。
「お前等の兄貴分は、どうもあの下村って野郎が気になってるみたいだぜ?」
 そんな具合に。
 知っていると言ってしまいたかったが、言い返せばこの暇なのか多忙なのかイマイチわからない闇医者のからかいのネタになるだけなのは、この数年で十分身に染みたのでぐっと我慢。
 怒った顔、困った顔、恥ずかしそうにする顔も、笑顔も。
 俺達が決してみることのなかった……ひょっとしたら、あの川中さんも見たことがないかもしれない顔を、坂井さんはあの下村敬に躊躇いなく晒してみせる。
 歳も近いし、下村敬は俺達なんかよりずっと頼りになるだろうけど……
 それだけならよかったのだけど……
 見てしまったのだ…………………………
 憧れた人と、奇妙だとしか思ってない流れ者とのキスシーン…………と、多分それ以上のもの………………
 本社に届け物をしに行こうとして、店の片付けが手間取ってしまって深夜になってから向かったところ、誰もいないはずの本社のフロアに明かりがあったのだ。
 怪訝に思いつつ、こっそりのぞくとスチールデスクに腰掛けた坂井さんが見えた。
 声はかけられなかった。
 向かいに下村敬。
 その距離はなんだか、普通の距離じゃないと言う距離で見詰め合う時点で何がどうなってこうなっているのか理解はしたのだが、眼は反らせなかった。
 最近、こんなこと考えるべきじゃないけど可愛いなとか、なんか仕草が色っぽいなとか思ってしまっていた兄貴分が、考えるべきじゃないけど、いけすかねぇと思っていた上司で兄貴分の相棒の男にキスされてる。
 それがどうも無理矢理でないって……どうよ?
 坂井さんの長い腕が、まるで受け入れるように下村敬を抱いている。
 これ以上は、坂井さんのためにも俺のためにも見ないほうがいいと思って視線を剥がそうとした瞬間。
……ニヤリ……
 下村敬の人を食ったような冷たい笑みがこっちを見た。
 ほんの一瞬のことだったが、あの男の視線は俺に向いた。
……むかつく。
 っつーか、性格悪すぎ!
 坂井さん、騙されてるんじゃないのだろうか……。
 いや、でも何事か囁かれて笑っているあの様子はそうでもなさそうだし。
 何より、坂井さんのような人があんな男に騙されるわけも、簡単に墜ちるわけもないから、たぶんあの男にもそれなりのいいトコロはあるのかもしれない。
 なんたって、あの坂井さんが惚れた……のだろう男だし。
 結局俺が黙っていようがいまいが、下村敬のしかけるちょっかいと坂井さんの素直な反応と、その周囲と取り巻くオトナ達のせいで、下村敬と坂井さんの仲は知れ渡ってしまったのだが。


……まぁ、いっか。
 かっこいい坂井さんも好きだけど、可愛い坂井さんも好きだし。
「人前でキスしかけてくんなっつってんだろう!?」
「だぁって、坂井、可愛いんだから仕方ねぇだろう」
「なんだよ、それ! てめぇに羞恥心ってものはねぇのかよ!」
「恥ずかしがる暇があたら、もっとキスしてたい」
「ふざけんな、下村っ!!」
 でも、坂井さん、真昼の浜辺でいちゃつくのはどうかと思います……


2001/05/07
10600HITは、さとみ様からのリクエストで「MISSING」に登場した、坂井の弟分・カズくん視点の下坂でした。
最初はなんか、ちょっとマジメに書いてたんですが………シモムの思惑としか思えないオフィスラブーvを書いてから、壊れちゃいまして………(爆)いや、でも、本社ならそういうのもありかなぁと………机の上とか………(死)カズくん、最初と最後の性格も違いますし。下村ウィルスのせいです………ごめんなさい(笑)

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