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静かな日々の階段を



「……………………っ」
 下村が眉間を押さえるその仕草を、坂井はじっと見ていた。
 首を傾げるところまで。
「下村」
 スツールに座って売り上げの計算をしていた下村が顔を上げた。
 首元を楽にしようと緩めたネクタイと外したボタン。
 そんな崩れたかっこうも様になる。
「体調、悪いんじゃないか?」
 なんとなく気になっていたことを口にしてみると、下村は琥珀色の双眸をちょっと見開いた。
 珍しく、何でわかったんだと目で語る。
「……なんとなく」
 自惚れさせるかなと思いながら答えると、ふわりと笑う。
 普段笑うにしても皮肉なものや苦笑ばかりの下村が、こうして優しく口元を綻ばすとそれだけでドキドキしてしまう。
 こんな野郎相手にときめいてんじゃねぇとも思うのだが、たまにしか見せないから免疫もつけられない。
「風邪でもひいたのかよ?」
 頬を僅かに染めながら、素っ気無く問うとうーんと考え込むような仕草。
「風邪かなぁ。なんか、頭が痛いんだよ。熱はなかったんだけどなぁ。偏頭痛かもしれない」
 手にしていたボールペンが下村の手中でクルリクルリと回る。
「ドクんトコでも寄って帰るか? それか大崎先生んトコ」
「大したことないんだけど、まぁ、こじらせたら店にも入れてもらえないだろうしお預けくらいたくないし。さっさと治すかな」
 意味深な視線を寄越される。
 その頭の中も切開して診てもらえと言う坂井の反撃には、バカは死んでもなおらないから無理だと笑った。


 桜内は診療所にいた。
 相変わらず病院の匂いの薄い、血だとか過ぎる消毒液の匂いが満ちている。
 ぎしぎしと軋む椅子に体を沈めている医師は、ざんばらに伸びて痛んだ髪の毛をかきあげ、面倒臭そうに眼鏡をかけた。
 沖田蒲生記念病院ではまだ入院患者や看護婦の目があるからか今よりもずっとましで医者らしい姿を保っているが、実際の姿はコレ。
「なんだ、つまらん。偏頭痛くらいでうちに来るな」
 溜息をつきながらも、体温計を差し出す。
 そんな態度に、下村と坂井はちらりと目を合わせて桜内に気付かれぬようにそっと笑った。
 体温計が示したのは少々人よりは低めだが、しっかりと下村の平熱だった。
「熱はないか。ちょっと、下村向こう向け」
 素直にくるりと桜内に背中を向ける。
 背中に聴診器でもあてるのかと思っていたら、桜内の手がぐにっと下村の肩を揉んだ。
「いててっ」
 呻いて肩を竦ませる下村に、
「おい、動くな。こりゃ、肩凝りだぞ。下村」
 と、診察結果が告げられる。
「肩凝り?」
 手術台にもなる診察台に腰をかけていた坂井が繰り返す。
 桜内の手はほどよい力で、下村の肩を揉んでいる。
 気持ちいいのか下村は、あーだとかうーだとかジジ臭い言葉を発してされるがままだ。
「楽になるだろう?」
「なりますね」
「義手のせいだろうな。扱いには慣れても体はまだ順応し切れてないんだろう。青銅の手なんて重いもんぶらさげてるんだ。そりゃ、肩も凝る」
 ポンポンと仕上げのように肩を叩いて、桜内が手を止める。
「さ、診断結果もでたことだしさっさと帰れ。俺は眠い」
 邪険に手を振られ、下村が不満そうな顔をして見せた。
「まだ、重いんですけど。肩」
「ばぁか。肩くらい坂井に揉んでもらえ。ついでに全身マッサージだな。いつも細い腰の上に乗っちまってんだろう? たまにゃ、乗せてやれ」
 ぼりぼりと頭を掻きながら凄まじいことを口にした桜内に下村は余計なことを言うなと焦り、坂井は顔色を変えて怒鳴る。
 これでは肩揉みどころの話ではない。
 噛み付くように怒る続ける坂井とこれからどうやって機嫌を取り直そうかと思案する下村は、睡眠時間を渇望する闇医者によってとっとと診療所を追い出されたのだった。


「………………………………」
 風呂から上がってビールを飲みつつ新聞に目をやっていた下村が、交代で風呂に入ってあがってきた坂井の方をちらりと見やった。
 診療所を出た時のような機嫌の悪さはもうない。
 別に下村が損ねた機嫌ではないのだが。
 喉を鳴らしてビールを半分ほど空けて、視線を感じたからか口元を拭いながらリビングのソファーにいる下村の方を見る。
 怒ったような、それでもその怒りを下村にぶつけるのはお門違いだよなぁと自覚しているような。
 そんな複雑な心情を察して、下村は新聞を畳むと坂井を呼ぶ。
「わりぃんだけどさ、ちょっとでいいから肩、揉んでくれねぇ?」
 安心したような、言い出されてしまったというような、やはり複雑な表情を僅かに綻ばせた。
「仕方ねぇなぁ」
 予想通りの言葉が返ってくる。
 そう言いながらも、坂井は何かと下村の世話を焼いてくれる。
 面倒なことでも我儘でも、文句を言いつつ聞き入れてくれる。
 一人っ子だと言っていたが、面倒見はいい。
 坂井を慕う若者の面倒を見ているのとはまた違う感覚で、坂井は下村の側にいる。
 もっと気安くて、じゃれ合うような親密な空気。
 意外なところで淋しがり屋な面を見せる坂井が、下村の側にいるために自分に言い聞かしている理由が『仕方ないな』なのかもしれない。
 素直じゃないけど、そこがいい。
 クッションを抱えてラグを敷いた床にうつ伏せになりながら下村は近付く温かな体温にほくそえんだ。
 肩に、うつ伏せになった下村の上を跨いだ坂井の手が触れる。
「うあ、本当にガチガチじゃん」
 じじ臭いと笑う。
 失礼な。
 肩凝りなんてのは若者だってなるんだ。
 坂井の手が程よい重みをかけては離れていく。
「てて……っ、いてっ」
 痛気持ちいい痛みが繰り返される。
 笑いの混じる呻き声を上げる下村に、坂井も思わず笑っていた。
「いてぇけど、気持ちいー」
 坂井がかける体重が丁度いい具合。
「お前、俺より年下だろうが」
「仕方ねぇだろう。いろいろと肩身が狭い思いをしてるんだ」
「よく言うぜ」
 軽口を言いながら坂井は丁寧に下村の肩から首筋を揉み解していく。
「本当だって。お前の舎弟からは親の仇みたいな目で見られるし、社長や秋山さん達からも時々いじめられてるのよ。可愛い天使を横から掻っ攫っていった馬の骨だから、俺」
 下村は事実を面白おかしく述べただけなのだが、
「イデデデデデデデっ!! 坂井っ、痛い!!」
 容赦なくかけられた体重は坂井の指先一点に集中し、そこから下村の肩にかけられる。
 いくら坂井が軽いからと言っても長身の男の体重だ。
 しかも、見事にツボを押してくれた。
 明日になれば打ち身になっているかもしれない。
「バカなこと言うからだ」
 ふふんと鼻で笑って、坂井は力を弱めてくれた。
 再開されるマッサージはちゃんと手加減していてくれて、また心地良い重みが一定のリズムでかけられる。
 なんだか平和だなぁと思う。
 たくさんの血が流れるこの街で、自分もそれなりの血を流し坂井はそれらを目にしてきて。
 今はこうして、くすぐったいような穏やかな時間を過ごしている。
 こういう時間が少しでも長く、多くあればいい。
 じゃれあって、馬鹿なこと言い合って、まわりのオトナ達を楽しませて。
 そんな時間が。
「……しもむら?」
 小さな遠慮がちな呼びかけに応える声はない。
 すうすうと穏やかな寝息が聞えるだけだった。
 ポンポンと肩を叩いて背中から降りると、なくなった重みに眉を寄せた。
 ふらりと伸びた手。
 下村の瞼は下りたままだ。
 ぎゅっと腰に絡まり縋る腕。
 ごそごそと寝心地のよさを求めて蠢いた下村が、坂井の膝に頭を乗せた状態で満足そうな笑みを浮かべた。
「おい、起きてんだろう?」
 戸惑ったようにな問いにも応えはない。
 時々、下村はこんな風に驚くほど甘ったれた一面を見せる。
 子供のように心細さを態度で訴えて、縋る。
 いつも感じる作為的なものを感じないから、坂井は戸惑ってしまう。
 こんな風に正直に素直に心を預けられることに。
 自分のことをよくネコ扱いするが、あんまり変わらないんじゃないか。
 起きてたらやだなと思いつつ、坂井は下村の髪の毛に触れてみた。
 下村がよくそうするように、こめかみから後頭部へ向かって梳いていく。
 さらさらとした感触が気持ちいい。
 何度も繰り返していると、腰に絡んだ腕に力がこめられた。
 起きたかと思って身構えるが、そんな様子もない。
 溜息が漏れる。
 受け入れの合図。
 風邪ひくかな、ここで寝たら。 
 そんなことも考えたのだけど、伝わる体温も心地いいし。
 ソファーに凭れた坂井がぽそりと言った。
「おやすみ」
 いつになく優しい響きのその声を、下村は夢の中で聞いた。


2001/06/21
あきさんのりクエストでしたが、どうでしょう……(最近、多いな。このセリフ)
ただ下村が甘ったれてるだけじゃんって感じなんですが(苦笑)
この肩凝りネタは私が以前、ひどい肩凝りでかなり苦しんでた時に浮かんだものです(ただじゃ起きねぇよ)

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